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「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
世界は核廃絶へ向けて動き出した
広島・長崎平和宣言が目指すもの

安原和雄
 オバマ米大統領の「核兵器のない世界の実現を目指す」というプラハ演説以来、世界は核廃絶へ向けて急速に動き始めた。恒例の広島、長崎の平和宣言は、ともに年来の核廃絶への悲願を強調し、広島平和宣言は日本政府に対し、「2020年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきだ」と訴えた。日本政府が旗手となるための必要条件は何か。
 まず日米核密約によって事実上、「非核二原則」に変質している「非核三原則」を名実ともに本物の「非核三原則」に正常化することである。そのためには核容認派が執着している「核抑止力」論という迷妄から目を覚ます時である。さらに日本列島を覆っている米軍による「核の傘」に別れを告げなければならない。それが核廃絶を求めて止まない広島、長崎の被爆者たちや、平和を希求する世界の人々の期待に応える道である。(09年8月9日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽核廃絶へ前向きになってきた大手紙の社説

 大手4紙の社説(09年8月6日付)の見出しを紹介する。カッコ内は前年の4紙の社説(08年8月6日付)の見出しである。
*朝日新聞=被爆64年 「非核の傘」を広げるとき (被爆63年 核廃絶は夢物語ではない)
*毎日新聞=広島・長崎 原爆の日 「核なき世界」へ弾みを 被爆者の救済を急げ (原爆の日 世界は核廃絶の頂を目指せ)
*読売新聞=原爆忌 オバマ非核演説をどう生かす (原爆忌 核拡散を止めねばならない)
*日本経済新聞=「核のない世界」へ日本は主導的役割を (核拡散への監視を緩めるな)

 以上4紙の社説を見比べて分かることは、今年は4紙ともに核廃絶あるいは非核を主眼にした論調となっている。その背景にあるのは、いうまでもなくオバマ米大統領が今年4月行ったプラハ(チェコの首都)演説、すなわち「米国は核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、核兵器のない世界の実現に向けて行動する道義的責任がある」である。だから核廃絶を軸にした社説を掲げるのは、当たり前であり、逆にオバマ演説を無視するとすれば、日本のジャーナリズムとしては鈍感であり、失格ということになる。

 さて昨年の社説はどう論じたか。各紙のカッコ内の見出しから分かるように朝日と毎日は核廃絶に力点を置いたが、読売と日経は核廃絶ではなく核拡散をどう防ぐかに重点を置いていた。その背景は何か。
 多くの人々の記憶は薄れているかも知れないが、08年1月の「核兵器のない世界に向けて」(米紙ウオール・ストリート・ジャーナルに掲載)と題するアピールが世界に大きな反響を広げたことを想い出したい。アピールの執筆者は、米国の核政策を推進してきたキッシンジャー元国務長官、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元上院軍事委員長の4人である。かつての核政策推進者たちが「核不拡散」の主張にとどまらず、そこから大きく踏み出して、究極の望ましい「核廃絶」へと転換したのだから、その衝撃度は手応えがあった。

 朝日と毎日はその変化を察知したから、昨年の社説ですでに核廃絶に言及したのだろう。しかし読売と日経は相変わらず従来の核不拡散にこだわった。核不拡散だけにこだわることは肝心の核保有大国の核廃絶を主張しないことを意味する。時代の新しい流れへの察知力の差が社説の質の差となったといえるのではないか。

 もう一つ、指摘しておきたいことがある。読売の今(09)年の社説がつぎのように指摘している点である。
 北朝鮮の核ミサイルなどに対して日本は、米国の「核の傘」に頼らざるを得ない。オバマ演説のあと、日本政府が、核抑止力の低下を懸念して「傘」の再確認に動いているのは当然のことだ ― と。

 この核抑止力依存説は疑問である。核廃絶が実現できれば、核抑止力そのものが成り立たないし、無用の長物となる。逆に核抑止力に依存し続ける姿勢は「核廃絶はノー」とならざるを得ない。読売はいつまで核抑止力に執着するのか、いつまで核廃絶を疑問視するのだろうか。
 秋葉忠利・広島市長は広島平和宣言(09年8月6日)、田上富久・長崎市長は長崎平和宣言(09年8月9日)でこもごも核廃絶への悲願を訴えた。読売新聞にはこの被爆地からの発信に真摯(しんし)に答えようとする意思はないのか。

▽核廃絶実現に必要なこと(1) ― こども代表の「平和への誓い」に学ぶ

 秋葉忠利・広島市長は広島平和宣言で日本政府に対し、つぎのように要望した。
 日本国政府は、今こそ被爆者たちの悲願を実現するため、2020年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきだ ― と。

 ここでの「2020年」には特別の意味が込められている。平和宣言はこう指摘している。
 2020年が大切なのは、一人でも多くの被爆者と共に核兵器の廃絶される日を迎えたいからであり、また私たちの世代が核兵器を廃絶しなければ、次の世代への最低限の責任さえ果たしたことにはならないから ― と。
 生存している被爆者たちの多くは75歳以上の高齢者である。だから10年以上はもう待てない、それがぎりぎりの期限だという悲痛な思いが「2020年」には凝縮しているのだ。

 ともかく日本政府が核兵器廃絶の旗手として、その責任を果たすためには何が求められるのか。私(安原)はまず広島平和記念式典でのこども代表の「平和への誓い」から学ぶことを提案したい。
 「誓い」の一節を紹介する。
 話し合いで争いを解決する、本当の勇気を持つために、核兵器を放棄する、本当の強さを持つために、原爆や戦争という「闇」から目をそむけることなく、しっかりと真実をみつめます。そして世界の人々に、平和への思いを訴え続けることを誓います ― と。

 この「誓い」のなかで注目すべきことは、つぎの二つである。
・話し合いで争いを解決する、本当の勇気
・核兵器を放棄する、本当の強さ
 曇りのない眼(まなこ)で世の中の現実を見つめているこどもたちが唱えるこの「本当の勇気」と「本当の強さ」を念頭に置けば、大人(おとな)の核政策肯定論者たちがしがみついている「核による平和」、「核の抑止力」説なるものがいかに馬鹿げた妄想でしかないかが自ずから分かってくるのではないか。

▽核廃絶実現に必要なこと(2) ― 「核の傘」を棄て、「非核三原則」実現を

 最近、日米核密約の存在が改めて浮上してきた。この核密約は、1960年の日米安保条約改訂時に日米政府間で合意された秘密協定で、その内容は、核兵器積載の米艦船・航空機がわが国政府との事前協議なしに日本国内に自由に出入りできることを日本政府が容認 ― となっている。これが現在の日本にとって何を意味するのか、核廃絶とどうかかわってくるのか、そこが問題である。

 麻生太郎首相は広島と長崎の平和記念式典での挨拶でつぎのように述べた。
 本日、私は改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます ― と。

 この挨拶を額面通りに受け取れば、実に立派というほかない。ところが事実は言行不一致の見本のような挨拶である。
 まず指摘したい点は、この挨拶の文言は歴代首相が毎年述べているもので、「非核三原則を堅持」「核兵器の廃絶と恒久平和の実現」「国際社会の先頭に立っていく」は判で押したように同じである。
 重要なことは「非核三原則を堅持」は偽装であり、事実は核密約から明らかなように「非核二原則」に変質している点である。つまり非核三原則の「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」のうち「持ち込ませず」が、実際には「米軍の持ち込み自由」に変わっている。これによって、米軍によるいわゆる「核の傘」が維持されるというのが日本政府の本音である。

 麻生首相は広島市での記者会見(6日)で北朝鮮の核保有に言及した上で、「核抑止力を持っている米国と日本は同盟を結んでいる現実を踏まえる必要がある」という趣旨を述べて、米国の「核抑止力」と「核の傘」を容認する立場を示した。
 しかし最近、核抑止力に対する疑問が元核政策推進者たちの間にも広がっていることを指摘したい。キッシンジャー元米国務長官ら4氏によるアピール「核兵器のない世界に向けて」は上述の08年だけでなく、07年1月にも発表されており、その際、「テロリストが核兵器を手にする危険がある状況下では核抑止力に依存することは危険であるだけでなく、有効でもなくなっている」と警告していた。これにはゴルバチョフ元ソ連大統領らも賛同していると伝えられる。

 このように危険であり、有効でもないとされる「核抑止力」や「核の傘」に固執し続けているのが日本政府である。だから日本政府が唱える「核兵器廃絶」はしょせん口先だけの空宣伝でしかないことを承知しておく必要があるだろう。以上の背景事情を考えれば、日本政府が核廃絶のための本物の旗手になるためには、思い切って核密約を破棄し、「核の傘」を棄てて、正真正銘の「非核三原則」の実現をめざすことが不可欠となっている。

▽核廃絶実現に必要なこと(3) ― 国連のなかに市民の声が届く仕組みを

 広島平和宣言は、「2020年までの核兵器廃絶」と並んでもう一つ、注目に値する提案を行っている。つぎのように述べている。
 温暖化防止等、大多数の世界市民の意思を尊重し、市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、まさに発芽しつつある。その芽を伸ばし、大きな問題を解決するためには、国連のなかに市民の声が直接届く仕組みを創(つく)る必要がある。例えば、戦争等の大きな悲劇を体験してきた都市100、人口の多い都市100、計200都市からなる国連の下院を創設し、現在の国連総会を上院とすることも一案である ― と。
 これはたしかに妙案というべきである。

 一方、平和記念式典に寄せられた潘基文国連事務総長のメッセージはつぎのように指摘している。
 核兵器と国連は同じ年(1945年)に生まれた。一方は、恐怖と破壊に基づく平和を象徴したのに対し、もう一方は議論、妥協、法の支配、人権、正義の追求そして経済の繁栄を通じ、各国が力を合わせてつくり出す平和を体現したのだ。
 私たちは今、核兵器の廃絶によって安全を保障しようという新たな力強いアイデアの奔流を目の当たりにしている。市民社会による取り組みも次々と生まれている。
 私たちは核兵器がない世界をつくりあげる力がある。私は全人類に対し、この理性的で達成可能な目標を支持するよう呼びかける ― と。

 国連事務総長が指摘しているように、核兵器と国連が同じ年に生まれたという因縁があることに改めて着目したい。このことは国連は核兵器廃絶のために最大限の努力を払わなければならない責任があることを示唆していると受け止めたい。
 その一つの具体例が広島平和宣言が提案する「国連に上下院の設置」である。重要なことは、政府代表だけでなく、政府とは異質の市民の声を汲み上げていく国連へと組織替えすることである。新しい時代の先駆けとなるのは、政府代表よりもむしろ核廃絶を希求する市民パワーである。世界の市民パワーとの連携なしには核兵器廃絶は困難であるだろう。国連に新しい時代の新しい役割を大いに期待したい。

▽核廃絶実現に必要なこと(4) ― 核保有国指導者の被爆地来訪を

 長崎平和宣言(8月9日)は大要つぎのように訴えた。
 核保有5カ国は、(中略)徹底して廃絶を進めるために、昨年、潘基文国連事務総長が積極的な協議を訴えた「核兵器禁止条約」(NWC)への取り組みを求める。インドやパキスタン、北朝鮮はもちろん、核兵器を保有するといわれるイスラエルや、核開発疑惑のイランにも参加を求め、核兵器を完全に廃棄させるのだ。
 日本政府はプラハ演説を支持し、被爆国として、国際社会を導く役割を果たさなければならない。また、憲法の不戦と平和の理念を国際社会に広げ、非核三原則をゆるぎない立場とするための法制化と、北朝鮮を組み込んだ「北東アジア非核兵器地帯」の実現の方策に着手すべきである。
 オバマ大統領、メドベージェフ・ロシア大統領、ブラウン・イギリス首相、サルコジ・フランス大統領、胡錦濤・中国国家主席、さらに、シン・インド首相、ザルダリ・パキスタン大統領、金正日・北朝鮮総書記、ネタニヤフ・イスラエル首相、アフマディネジャド・イラン大統領、そしてすべての世界の指導者に呼びかける。
 被爆地・長崎へ来てください ― と。

 以上、長崎平和宣言が訴えている要点はつぎの通りである。
*「核兵器禁止条約」への取り組みを
*日本政府は「非核三原則」の法制化を
*日本政府は北朝鮮を組み込んだ「北東アジア非核兵器地帯」の実現に着手を
*オバマ米大統領、金正日北朝鮮総書記ら核兵器保有国と開発疑惑国のすべての政治指導者は、被爆地長崎への来訪を
 いずれも核廃絶のためには不可欠な対応策といえるが、特に核兵器保有国の指導者らは核廃絶への決意と誠意を被爆者たちに示すためにも広島・長崎を訪問することを期待したい。


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