「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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石田梅岩の先見思想を活かすとき
企業の社会的責任と新経済モデル

安原和雄
 江戸中期の思想家、石田梅岩の思想を現代風に見直そうという動きが広がりつつある。あの新自由主義路線の破綻とともにわが国の企業も経済もその針路を見失っており、新しい活路を発見できないまま、右往左往しているという事情が背景にある。先日開かれた経営倫理シンポジウムの基調講演のテーマが「見直そう石田梅岩の思想」であった。
 梅岩の思想は、持続可能性や共生の思想など今日的課題に応用できる先見性に富んでおり、シンポジウムでは「企業の社会的責任」論の先駆けとして評価された。これに加えて新自由主義路線後の新しい「経済モデル」構築の指針としても活用できるのではないか。(09年3月28日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽シンポジウム「企業不祥事はなぜ多発するのか」から

 「企業不祥事はなぜ多発するのか」と題する第一回経営倫理シンポジウム(日本経営倫理学会=小林俊治会長=主催)が09年3月23日早稲田大学(東京・新宿区内)で開かれた。
 まず平田雅彦氏(ユニ・チャーム監査役、元パナソニック副社長)による基調講演「見直そう石田梅岩の思想」の後、つぎの2つの企業実践報告を踏まえてパネルディスカッションが行われた。
・大谷秀幸氏(オムロン社 SSBカンパニー コンプライアンス部長)=テーマ「経営理念と経営倫理への取り組み」
・脇田 真氏(雪印乳業監査役)=テーマ「企業不祥事と企業再生への取り組み」

 ここでは基調講演「見直そう石田梅岩の思想」の内容(要旨)を紹介したい。
 「石門心学」で知られる江戸中期の思想家、石田梅岩(1685~1744年)は丹波の生まれ。京都の呉服商に奉公、「人の人たる道」を求めて神道、儒学、仏教を独学で学んだ。43歳の時、番頭格になるが、退職し、京都の自宅で開塾。すぐれた弟子達に恵まれ、没後の最盛期(1830年代)には全国34藩、180箇所に塾が広がり、日本最大規模に発展した。その影響力は商人に限らず、武士にまで及び、老中松平定信の「寛政の改革」(1787~1793年=倹約、貯蓄の奨励など)に直接参画した15名の大名のうち8名に石門心学の心得があったといわれる。
 石田梅岩の思想を現代風に表現すれば、つぎの4つの柱からなっている。
(1)社会的責任と顧客満足度の重視
(2)サステナビリティー(持続可能性)
(3)営利と倫理のバランス
(4)共生の思想

▽石田梅岩の思想を現代風に読み解くと ―

 以下、4つの柱ごとに概略説明したい。まず著作『都鄙(とひ)問答』(1739年刊)と『斎家(さいか)論』(1744年成稿)から要点を引用する。カッコ内はその現代的な意味である。

(1)社会的責任と顧客満足度の重視
 富の主(あるじ)は天下の人々なり(富は一般庶民のものである)、売物に念を入れ、少しも粗相にせず、倹約を守り(商品の品質・性能、サービス、コスト面でどこよりも優れたものをつくり、価格と利益を抑える)、さらに万民の心をやすむるなれば(スティ-ク・ホルダー=消費者、労働者、地域などを尊重すれば)、万物育(やしな)わるると同じ(自然の摂理に従うことになり)、常に天下太平を祈るに同じ(世界の平和を希求するのと同じである)。

 以上は、昨今の「企業は自分の利益のためにある」、という考え方への反論となっている。例えば目下米議会などで批判の的になっている米保険大手企業・AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)の巨額ボーナス支給にみられる企業行動とは異質の考えである。特にコストを削減し、それによって価格、利益共に抑えることの重要性を指摘している。石田梅岩の「倹約を守る」とは、そういう意味である。

(2)持続可能性
 御法を守り、我が身を敬(つつし)むべし(コンプライアンス=法令遵守に徹し、おごり、自己中心を戒めなければならない)。商人といえども聖人の道を知らずんば、不義の金銀を設(もう)け、子孫の絶(た)ゆる理(ことわり)に至るべし。子孫を愛せば、道を学びて栄うることを致すべし(今日、グローバル資本の時代になって、企業が短期的視点で考え、その成果を期待し、過ちを犯している。子孫のことまで視野に入れながら、商売の持続性を考えなければならない)。

 江戸時代以降、商家の共通願望は、事業の継続にあった。200年以上続いた企業数をみると、韓国ゼロ、インド3社、中国9社、ドイツ800社で、これに比べ日本は3000社と世界NO.1である。持続可能性の重要性に着目したい。

(3)営利と倫理のバランス
 今日世間のありさまに、曲げて非なること多し。二重の利を取り、二升の似(まね)をし、蜜々(みつみつ)の礼を請(う)くることなどは危うして、浮かめる雲のごとくに思うべし(世間には昨今間違った言動が多すぎる。暴利を貪り、詐欺的商法を行い、さらに邪(よこしま)な金品を懐に入れることなどはとんでもない所業である)。
 是をそれぞれつつしむは只(ただ)学問の力なり(以上の間違った所業を慎むためには人の人たる道を修める以外にない)。
 身は苦労すといえども邪なきゆえに心は安楽なり(心の正しいあり方こそなによりも大切である)。

 アダム・スミス(イギリスの経済学者、1723~90年))もその著作『道徳感情論』(1759年刊)で「幸福の究極とは平静な心の保持である」と説いている。同様の趣旨を石田梅岩も江戸時代中期にこの日本で説いたことは注目すべきことである。梅岩は倫理を欠いた営利の追求は没落への道だと強調したいのだろう。

(4)共生の思想
 世間のありさまを見れば、商人のように見えて盗人あり、実の商人は先(相手)も立ち、我も立つことを思うなり。紛れものは人をだまして、其の座をすます(その場の恰好をつけるだけに終わる)。

 「実の商人は先(相手)も立ち、我も立つことを思うなり」ーこれこそが共生の思想の表明である。自然との共生は日本の伝統であり、万葉集、和歌、俳句などに人間と自然との連帯感を見出すことができる。ここには自然を開拓し、文明を形成していく欧米の思想との質的な相違がある。自然の尊重、自然との共生という日本の伝統こそ世界に向かって発信していかねばならない。

《石田梅岩の思想にみる企業の社会的責任》
 以上のような4本柱にみる梅岩の思想は、今日風にいえば、企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)を意味しており、つぎのように表現することもできる。
 「持続可能なビジネスの成功のためには社会的責任ある行動が必要である。そういう認識を企業が深め、事業活動やスティーク・ホルダーとの相互関係に社会・環境問題を自主的に取り入れる企業姿勢でなければならない」と。
これこそが梅岩の主張の要点であり、今日の企業の社会的責任論に関する先見の思想でもあった。(以上、平田氏の基調講演から)

▽21世紀に光る梅岩の思想 (1)― その独自性

 1980年前後から日米英を中心に企業・経済思想の主流となってきたあの新自由主義路線(規制緩和、自由化、民営化を軸に弱肉強食の競争を強要し、貧困、格差を広げ、凶悪犯罪さえも誘発した)が「100年に1度の危機」ともいうべき世界金融危機、大不況とともに破綻した今、再生のための思想をどこに求めたらいいのか。その有力な手がかりとなるのが、石田梅岩の企業・経済思想である。

 梅岩の思想の今日的意義としてまず、その独自性を挙げたい。  
 主著『都鄙問答』(1739年刊)は、近代経済学の父ともうたわれるアダム・スミスの著作『道徳感情論』(1759年刊)の20年前、同『国富論』(1776年刊)の37年も前に書かれた。だから当時の近代的なヨーロッパ思想の模倣ではない独自性がうかがわれる。
 もちろん彼の思想の基底にあるのは、独学で学んだ神道、儒学、仏教であるが、明治以降のわが国の経済学(思想)が欧米に依存したのとは大きな違いである。特に1980年頃からのわが国の新自由主義論は米国版新自由主義に隷従したイデオロギーそのものであったのに比べると、梅岩の独自性は光っている。

▽21世紀に光る梅岩の思想(2) ― その先見性

 つぎにその先見性に着目したい。梅岩の思想の中核部分を再録し、その今日的意味を考えてみる。

*富の主(あるじ)は天下の人々なり(富は一般庶民のものである)
=今日の消費者、生活者、労働者など庶民が経済の主役であることを明示している。江戸時代の身分制度の下で一般庶民が主役であることをうたうには並はずれた勇気を要するが、その先見性は高く評価できる。

*万民の心をやすむるなれば(スティ-ク・ホルダー=消費者、労働者、地域などを尊重すれば)、万物育(やしな)わるると同じ(自然の摂理に従うことになり)
=万民の心を慈(いつく)しむことをすすめ、それが自然の摂理に従うことだと指摘している。これは仏教の慈悲と縁起(えんぎ)論の反映といえるのではないか。仏教の縁起論は、人間を含めてあらゆる事物は相互依存関係の下でのみ存在しており、それぞれが独自に存在することはあり得ないという真理を説いている。
 今日風にいえば、例えば企業は他者(=消費者、労働者、地域など)のお陰で成り立っている。にもかかわらず株主、経営者が企業を私物化し、利益を貪るのは自然の摂理に反する悪行ということになる。

*子孫を愛せば、道を学びて栄うることを致すべし(子孫のことまで視野に入れながら、商売の持続性を考えなければならない)
=江戸時代の当時、商家の念願は事業の継続にあった。この継続という願望、理念は今日の地球環境保全のキーワードである持続可能性(Sustainability)と重なる。当時の「子孫」は商家の子孫に限られていたかも知れないが、今日、地球環境保全は地球上の子孫、いいかえれば自然環境も人間も含めた地球全体の持続性にかかわっている。

*実の商人は先(相手)も立ち、我も立つことを思うなり。
=「先も立ち、我も立つ」とは「共生の思想」の表明にほかならない。人と自然との共生は日本の伝統的思想であり、自然を人間の下位に位置づける欧米の思想との質的な相違となっている。ここでは梅岩は本来の「人と自然との共生」に加えて「人と人との共生」も視野に収めている。こういう多面的な共生観を今日風に読み解けば、もっと視野を広げて、「人と地球との共生」にも行き着く。

 以上は、つぎの4つの柱に整理することができる。
(1)経済の主役は庶民(市民)
(2)慈悲と縁起論
(3)地球環境保全と持続可能性
(4)「人と人」、「人と自然」、「人と地球」との共生

 江戸中期に生きた梅岩の思想は、むしろ21世紀にこそ生き続ける先見性を秘めている。この優れた日本的思想をどう生かし、発展させていくか、それが今後の課題である。基調講演ではシンポジウムのテーマ、「企業不祥事はなぜ多発するのか」に答えるという問題関心から梅岩の思想を望ましい「企業の社会的責任」のあり方として、いいかえれば「企業モデル」として集約している。
これと重なってはいるが、もう一つ、新自由主義破綻後の新しい「経済モデル」として継承発展させることはできないだろうか。上記の先見性に満ちた4つの柱は、新しい「経済モデル」になり得る資格十分である。米国の経済思想の模倣から今こそ脱して、日本独自の経済思想を世界に向かって発信していく努力が求められる。


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地球温暖化対策をもっと積極的に
業界の意見広告に環境団体が反論

安原和雄
 日本経団連など経済・業界団体がわざわざ新聞の1ページ全面を使った意見広告で「日本はすでに世界トップレベルの低炭素社会」などと主張し、現状以上の温暖化防止策は疑問としている。これに対し、環境保護団体が早速「温暖化対策にもっと積極的に取り組むべきだ」という趣旨の反論を行っている。
 温暖化防止をめぐる論戦は結構だとしても、経済界の姿勢は消極的にすぎないか。政府は温暖化防止の中期目標を6月までに決める方針だが、経済界の姿勢に引きずられるようでは、世界における日本の存在感そのものが問われることになるだろう。目先の利害にとらわれないで、「地球環境の存続」という長期的視点に立つときである。(09年3月24日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽温暖化対策に対する経済団体の意見広告

 09年3月17日付大手紙朝刊に1ページ全面をつぶした意見広告が掲載された。紙面の真ん中に大きな縦見出しで「考えてみませんか? 私たちみんなの負担額」とある。何事か、と目を凝らしてみると、左下に日本経済団体連合会をはじめ日本商工会議所、関西経済連合会、電気事業連合会、日本建設団体連合会、日本自動車工業会、日本鉄鋼連盟、日本電機工業会、石油化学工業会、日本ホテル協会など計58のわが国の主要な経済団体・業界名が列記されている。

 意見広告の要旨を紹介すると、つぎの通り。

先頃、日本政府は、京都議定書に続く2013年以降の地球温暖化対策の新たな取り組みに向けた二酸化炭素(CO2)削減の中期的な目標を6月までに決定することを表明しました。
 私たちは、石油危機以降、家庭も産業も最大限の省エネルギー努力を推進してきました。その結果、日本はすでに世界トップレベルの低炭素社会となっています。従って裏付けのない過大なCO2削減には国民全体に大きな痛みが伴います。
 また日本がいくらCO2削減努力をしても、主要CO2排出国の参加がなければ地球温暖化問題は解決しません。次期国際枠組みには主要CO2排出国すべての参加が必須です。

*3%削減でも1世帯あたり105万円の負担。
 長期エネルギー需給見通し(経済産業省総合資源エネルギー調査会)によれば、2020年のエネルギー起源のCO2排出量を1990年比で3%削減(2005年比13%削減)するためには、約52兆円の社会的負担が必要とされています。これは1世帯あたりにすると約105万円の負担にあたります。

*日本は世界トップレベルの低炭素社会です。
 国内総生産(GDP)あたりのCO2排出量(2006年、キログラム)を国際比較すると、つぎのようになっています。
 ロシア4.25、中国2.68、インド1.78、オーストラリア0.82、韓国0.71、カナダ0.64、アメリカ0.51、EU(欧州連合)0.42、そして日本0.24の順で、日本が最も低い排出量となっています。

*主要CO2排出国すべての参加が必須です。
 京都議定書では、削減義務のない新興国や離脱した米国からの排出量が著しく増加した結果、削減義務を負う国の排出量は世界の3割にとどまっています。米国、中国、インド等の主要排出国が参加しないまま、次期枠組みをつくることは、それらの国が無制限な排出を続けることを国際的、制度的に認め、保証することです。これは地球規模の排出削減の観点からは全く無意味です。

 なお各国別排出量の世界全体(2006年=280億トン)に占める割合をみると、米国、中国が共にそれぞれ20%、インド、日本がそれぞれ4%、EU(15カ国)12%、これ以外の諸国が合わせて40%となっています。

▽意見広告に対する環境保護団体からの反論

 上記の意見広告に対し、環境保護団体・ 世界自然保護基金(WWF)は、3月17日反論の声明を発表した。その内容は以下の通り。

〈CO2排出削減対策に伴う負担増の意見広告に対するWWF声明〉

「考えてみませんか? 私たちみんなの地球の負担を」
 このまま温暖化が進むと、今世紀後半には地球の平均気温は4度上昇すると予測されています。その結果、海面が上昇、異常気象が頻発し、地球は大きな負担をおい、この日本にも計り知れない悪影響が起きることになります。

 しかし今ならまだその被害を、なんとか許容できるレベルで留めることができるのです。そのためには、全世界が協力して、京都議定書に続く2013年以降の温暖化対策の国際約束をしなければなりません。先進国には2020年までに1990年比で25~40%の排出削減が、そして主要な途上国にも大規模な排出削減努力が求められています。

 日本政府は、2020年の中期目標を6月に発表することにしています。
 しかし、日本経済団体連合会を始めとする多数の業界団体が各紙朝刊に掲載した、CO2排出削減対策に伴うコスト負担に関する「考えてみませんか?私たちみんなの負担額」という意見広告は、中期目標達成の「コスト負担が過大になりすぎる」という誤った認識を誘導しています。

1.日本の一世帯当たりの負担が105万円になる?
(広告では、90年比で3%削減するためには52兆円かかり、世帯数で割ると105万
円になるとしている)

(ア)52兆円は1年の負担額ではなく、今から2020年までの累積額である。総世帯数で割ると一世帯あたり1年間の負担はざっと7万円である。
(イ)52兆円は、家庭だけが負担するものではない。国や企業を含めた負担額であり、国内で使われれば内需拡大、雇用増大につながる投資である。
(ウ)52兆円には、省エネ効果で浮くエネルギーコスト削減分などは含まれていない。国立環境研究所の試算だと4%削減ケースでは、追加費用よりも、エネルギーコスト削減額の方が上回り、日本全体では「負担」でなく「得」になる。

2.日本は世界トップレベルの低炭素社会? 
(ア)1990年にはそうであったが、今は追いつかれてしまっている。
(イ)GDPあたりのCO2排出量は、指標の選択によっては全く違った数字になる。為替レートではなく、物価の違いを反映する購買力平価で見ると、日本はほぼヨーロッパと同じであり、決してトップレベルというわけではない。
(ウ)一人当たり排出量では、途上国と大きな差がある。

3.排出削減の努力をコストが高いからと敬遠しても、温暖化を放置した結果、進んでしまう悪影響に対処する費用は、その数倍にのぼると予測される。温暖化の経済分析=スターン・レビュー(注)によると、世界全体で対策費用は世界GDPの1%だが、悪影響に対処する費用は、GDPの5%から20%もかかってくると予測されている。
(注・安原)スターン・レビューは「気候変動の経済学」ともいわれる報告書。2006年10月、世界銀行の元チーフ・エコノミストで、英国政府気候変動・開発の政府特別顧問、ニコラス・スターン博士がまとめ、06年12月、ナイロビ(ケニア)で開かれた気候変動枠組み条約の締約国会議でも紹介された。

 今は、京都議定書に続く次の国際約束を決める大事なときです。今私たちの世代が決断することが、将来の地球の運命を決めるのです。温暖化対策のコストを避けるために緩い目標で済ませるというなら、温暖化の悪影響のコストはいったい誰が負担するのでしょうか?
 WWFジャパンは訴えます。大事なのは、地球環境の存続です。その地球の将来がかかった決断の時期に、コスト負担が過大であるという誤った認識を広めて、温暖化対策を渋るのは、誰ですか?

■問い合わせ先:WWFジャパン気候変動プログラム 山岸尚之、小西雅子
(Tel:03-3769-3509、climatechange@wwf.or.jp)

▽ なぜ経済界は温暖化防止に積極的にならないのか?

以上、経済界の意見広告の内容と、それに反論する環境保護団体・WWFの主張を紹介した。数字などデータの是非をめぐってどちらの主張が正しいかについて私(安原)は客観的かつ公平な判断を下す立場にはない。
 ただ言えることは温暖化防止をめぐる経済界の主張はいかにも後ろ向き、消極的ではないだろうか。なぜもっと積極的な主張を打ち出せないのか。

 第一に逃げ腰の言い訳にすぎないような印象を与える意見広告をなぜ大げさに掲載する必要があるのか。
 多くの読者が「もっともな意見広告」と受け止めるだろうか。今回のような意見広告を出して、「してやったり」と思うような企業経営者は質的劣化が著しく、時代が何を求めているかを読みとれないのかといわざるを得ないだろう。
 小泉元首相流の表現を借りると、「抵抗勢力」である。「時代の流れにブレーキを掛けるような抵抗は止めなさい」という経営者自身の内なる「中立的な観察者」(アダム・スミス著『道徳感情論』から)の忠告が聞こえてこないのか。

 第二にいかにも業界レベルの目先の利害に執着しているという印象が否めない。
 WWFジャパンが上述の反論で訴えているように「大事なのは、地球環境の存続」なのである。昨今の企業人はとかく短期的な算盤勘定に立って、企業の存続を優先させようとする意識が強すぎる。これも破綻したはずのあの新自由主義路線の残影だろうが、ここでは長期的視野が不可欠である。地球環境の存続なくして、企業の存続もあり得ないことを銘記したい。

 第三に1ページ全面広告なら、温暖化防止のための歴史的宣言の場としてなぜ活用しないのか、不思議である。それとも米国に次ぐ世界第二位の経済大国でありながら、それにふさわしい自負も品性も見識も、もう一つ、リーダーシップも失っているのか。

 意見広告の「主要CO2排出国すべての参加が必須」という主張は、その通りであり、すでにそういう方向に動きつつあるのではないか。ブッシュ大統領時代に京都議定書から離脱した米国は、オバマ大統領の登場によって参加することになっている。
 一方、「日本は世界トップレベルの低炭素社会」という意見広告の主張にはWWFが反論している。経済界の主張通り、「トップレベル」だとしても、経済界としては「〈世界トップレベルの低炭素社会〉という名誉ある地位をさらに高めるために努力したい」と世界に向けて宣言する絶好の機会ではないのか。好機を生かそうとしない経済界の発想は惰性に流れている。
 
▽渋沢栄一の「君子の経営」に学び、実践するとき

 ここでは日本資本主義の父ともうたわれる明治・大正時代の財界指導者、渋沢栄一(注)の経営理念に学び、実践することを提案したい。
 (注)渋沢の生涯(1840~1931年)は、江戸幕末に生まれ、昭和初年まで生きて、当時としては珍しく91歳という長寿を全うした。初代の東京商工会議所会頭に就任、日本の国際化に尽力、さらに500余のわが国中核企業の設立・経営に関与した。

 渋沢が好んだ論語につぎの言葉がある。
 「君子(くんし)は義に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利に喩る」
 君子、つまり立派な人物は何が正しいかという道義中心に考え、行動するが、小人、つまりつまらない人間は、損得を中心に考え、行動するという意である。

 この論語の名句の精神を汲み上げて渋沢は利優先の「小人の経営」を排し、義に立った「君子の経営」を自ら実践した。といっても利益を無視したわけではない。渋沢の「論語=算盤説」は有名で、義を優先させながらも、論語=義と算盤=利の両立を追求した。今日、義利両立の経営とは、何よりも温暖化防止に優先的かつ積極的に貢献しようと努力する経営であり、それが長期的な利にもつながるだろう。
 それとも現下の経済界には小人の経営に甘んじる三流の企業人しか存在しないのだろうか。そうだとしたら、まことに不甲斐ないというほかない。


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「生命線」・シーレーンの確保
あの「海賊対策」がめざす本音

安原和雄
 ソマリア沖の「海賊対策」は本当のところ何を目指しているのか。海賊対策にとどまるのであれば、武装した海上自衛隊の護衛艦2隻がわざわざ出動する必要はないだろう。本音は、海上自衛隊にとって宿願であるシーレーン(海上輸送路)防衛の推進にある。護衛艦隊元司令官自身が「日本の生命線 シーレーンの安全確保」を力説していることに着目したい。
しかしこのシーレーン防衛に対し、「幻想にすぎない」という批判が根強いだけではない。「日本の生命線を守る」という認識自体に危険にして時代錯誤の臭(にお)いがつきまとっている。(09年3月19日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽大手紙の社説は「海賊対策」をどう論じたか。

 09年3月14日、護衛艦2隻が広島・呉基地を出港した。乗員は海上自衛隊員が約400人、海上保安官8人も同乗した。アフリカ東部のソマリア沖のいわゆる海賊対策が目的で、浜田靖一防衛相は自衛隊法に基づく海上警備行動を発令し、それを根拠に出港した。一方、海賊対策のための自衛隊派兵を随時可能にする「海賊対処法案」を閣議決定し、国会に提出した。今回の海上警備行動は同法案成立までのつなぎ措置である。

 つなぎ措置まで講じて、あわただしい出港となったが、この海賊対策なるものについて大手紙社説(3月14日付)はどう論じたか。まず見出しを以下に紹介する。なお朝日新聞はこの時点では社説で取り上げていない。

*毎日新聞=海賊対策 新法で与野党合意を目指せ
*読売新聞=海警行動発令 海賊放置の「無責任」解消へ
*日本経済新聞=ソマリア沖海賊法案の早期成立を望む
*東京新聞=海自ソマリアへ 『変則派遣』を危惧する

 これらの見出しからも推測できるように読売と日経が積極的賛成論で、毎日と東京が疑問点を指摘している。ここでは毎日と東京の社説要点のみを紹介する。
*毎日新聞=法案では武器使用基準を現行法より緩和するとともに、外国船舶も保護対象となる。(中略)重要なのは、今回の緩和が自衛隊海外活動全体の武器使用の無原則な拡大に結びつかないようにすることだ。自民党内には基準緩和を求める意見が根強い。
*東京新聞=問題なのは、現行法の枠内で海上自衛隊派遣の答えを導き出した点だ。海上警備行動は海上保安庁による対処が難しいときに発令され、本来は日本近海での活動を想定したものだ。自民党国防族が言う「海上交通路」防衛論の是非も吟味しないまま、アフリカまで守備範囲とみなすのは乱暴すぎる。国会での論議が足りていない。見切り発車には疑義がある。

 以上の社説を読んでみても、海賊対策なるものが本当のところ何を目指しているのかがつかみにくい。ただ東京新聞の〈「海上交通路」防衛論の是非も吟味しないまま・・・〉というさりげない指摘にヒントが潜んでいるのではないか。

▽ 「日本の生命線 確保を」― 護衛艦隊元司令官の主張

 たまたま自民党の広報紙「自由民主」(3月17日付)を読む機会があった。なんとそれに「ソマリア沖 海賊対策 ― 識者の見方」と題して金田秀昭・岡崎研究所理事(注)の主張が載っている。そのタイトルは「日本の生命線 シーレーンの確保を」が大きな活字の横見出しで、「断固として新法を成立させ国益を守り、国際社会に貢献」が縦見出しで躍(おど)っている。
 「日本の生命線 シーレーンの確保を」とは穏やかではない。これこそが首相官邸、自民党国防族、海上自衛隊を核とする日米安保堅持派が「海賊対策」という俗受けする名目の下に目指している本音ではないのか。

(注)金田理事は昭和20年生まれ、防衛大卒。海上自衛隊入隊後、護衛艦隊司令官などを歴任。平成11年退官し、ハーバード大上席特別研究員などを経て、現在、岡崎研究所理事、平和・安全保障研究所理事など。専門は安全保障・防衛問題。
 岡崎研究所の正式名称はNPO法人岡崎研究所で、理事長は岡崎久彦氏(元駐タイ大使、元防衛庁参事官など)で、タカ派として知られる安全保障問題の専門家。本人自ら「鷹は群れず」をスローガンに掲げて、「平和を叫ぶハトは非力だから群れる性癖があるが、タカは強いから群れない」と解説している。しかしタカ派に共通している軍事力依存症は果たして強さの証明だろうか。

 金田理事は海上自衛隊・護衛艦隊元司令官でもあり、その主張の内容(要旨)は以下の通り。

 日本の生命線となるシーレーンの安全確保を、日本単独で達成することは不可能であり、米国や世界の信頼できる海洋国家との連携が重要となる。今回の海自部隊の派遣は、国際的なシーレーンの安全確保に日本が関与することにより、日本の国益を守り、国際社会に貢献するという意義を持つ。
 政府はとりあえず現行法(海上警備行動)で派遣するが、海賊対処法(新法)が成立次第、同法での派遣に切り替える。

 新法は現行法に比し、三つの強点を持つ。
 第一は、日本関係船舶に限定した保護対象船舶を外国船舶にも広げる。これにより国際協力活動が可能となる。
 第二は、正当防衛に限定した武器使用権限に加え、民間船舶への著しい接近や進行妨害などを行い、警告に従わない海賊船に対し、船舶を停止させるための船体射撃が認められる。
 第三は、国連海洋法条約の海賊条項を国内法で整合させ、平素から海上保安庁や海上自衛隊に取り締まり権限を与える。これにより国際海域を航行する海自や海保の部隊が海賊行為に遭遇した際の対処について、国際規範に基づく明確な法的根拠が与えられる。

 海上警備行動は、とりあえずの「便法」である。あらゆる政治手的手段を使ってでも断固として新法を成立させるべきである。新法が根拠となれば、他国海軍部隊との連携も違和感なくはかどるであろう。さらに悲願の国際協力恒久法の制定に弾みをつけることも期待できる。
 官民間では挙国体制が実現する。元々「護衛艦」の名称は、商船の護衛に由来する。戦後半世紀を経て、日章旗(商船)と旭日旗(護衛艦)の渾然一体の場面が実現する。

 ここで大事なことは、国家挙げての負託である。国民の理解と期待が得られるならば、海自は結束して、いかなる困難も乗り越える気概を持つ。政府、与党は、シーレーン防衛の重要性について国民を啓発していかねばならない。
 国内政治はどうか。成熟した国家の政治では、安全保障の問題は政局とはならない。政権党を目指すのなら、民主党は新法を政局の材料とすべきではない。
大多数の国民は、民主党が新法に曖昧な態度をとり続けていることに疑念を抱いている。同盟国米国も不安視している。主要政党が、党派を超えて海自の壮挙を支持する姿勢を見れば、国民は安心し、海自は発奮するであろう。

 政治にお願いしたいことが、あと二つある。
 折しも防衛計画の大綱の改定や中期防衛力整備計画の策定作業が進捗(しんちょく)している。この機会に兵力整備(ヒト、モノ、カネ)や部隊運用など、抜本対策の方向付けを強く期待する。
 もう一つは、シビリアン・コントロールである。政治(行政)による部隊運用への過度な干渉は、百害あって一利なく、厳に慎むべきである。

 以上、海上自衛隊の護衛艦隊元司令官の考え方、主張は通常、多くの有権者には触れる機会が少ないと思われるので、少し長めに紹介した。
 「シーレーン防衛は日本の生命線」という主張から始まって、同盟国米国への配慮、民主党への注文、兵力整備の強化、シビリアン・コントロール(文民による軍人統制)への批判に至るまで海上自衛隊制服組の本心を吐露している。

▽「シーレーン防衛は幻想」― 元国防会議事務局長の見解

実は私(安原)はシーレーン(海上輸送路、あるいは海上交通路)防衛については以前から批判的関心を抱いてきた。この機会に28年も前の私のインタビュー記事(毎日新聞・1981年4月14日付「ゆうかんインタビュー」=東京版)を紹介したい。
 相手は海原治・元国防会議事務局長(防衛庁防衛局長、官房長などを歴任)で、「海上輸送路防衛は幻想」、「無数の船団、どう護衛」、「増強への口実にすぎぬ」という大きな見出しが並んでいる。念のため補足すれば、「増強への口実・・・」は、「日本の軍事力増強への口実」という意味である。
 小見出しを拾うと、「願望の先行 危険な発想」、「防衛庁にも具体策なし」、「米軍でさえ不可能だ」―などとなっている。

以上の見出しから記事の内容も推測がつくが、折角の機会なので一問一答の内容(要旨)を紹介したい。

安原:また海上輸送路防衛論が高まってきた。
海原:非常に危険だと思う。日本人は、こうしたいという願望だけが先行する。それをどう達成するか、その方法論を検討しない。それが日本人の発想の特徴だ。だからこわい。
安原:シーレーンの安全確保といっても具体的に何をするのか、どうもよくわからない。
海原:防衛庁にも具体策はないのが実情だ。平時なら対潜哨戒機を飛ばして日本周辺海域のどこにどれくらい(ソ連の)潜水艦がいるのか、その情報を米国に通報してやる。それが同盟国日本としての唯一の義務だ。しかしいったん有事になったら対潜哨戒機の基地は真っ先に破壊され、飛ばしたくても飛べなくなる。だから有事の時のシーレーンの確保をいうのは、ナンセンスだ。

安原:日本は経済大国だが、資源小国で、資源、エネルギー、食糧のほとんどを海外からの輸入に頼っている。したがってその輸入のための航路の安全確保は至上命題だといわれると、もっともらしく聞こえる。
海原:それが日本人が言葉だけでものを考える一番いい例だ。わが国は、世界中から輸入物資を運んできている。シーレーンは無数にあるわけで、その船をどうやって守るのか。それは幻想だ。

安原:昨年(1980年)話題になった清水幾太郎氏の『核の選択』(注)のように、空母部隊の新設などで日本のシーレーンを防衛すべきだという威勢のいい議論がある。防衛庁は、いまの海上戦力では不十分なので、もっと増強をと主張しているが、大規模な戦力を持てば、可能ということか。
海原:米海軍の責任者が不可能といっている。米海軍の威力をもってしてもできないことが、日本にできるわけがない。清水氏のあの論文は狂気の沙汰だ。実際に書いたのは清水氏ではなく、旧陸海軍のとんでもない連中だ。
 (注)清水氏の著作『核の選択』は①船団護衛のための護衛隊群を増強し、ハワイ南方まで守る、②米第七艦隊の空母部隊と同規模のものを二つ創設し、一つは北太平洋、もう一つはインド洋から南シナ海をパトロールする構想を提唱。その費用は計約12兆円。

安原:防衛庁の中期業務見積もりでは、最新型の対潜哨戒機P3C(一機80~96億円)を37機調達することになっている。海上輸送路防衛論が高まると、装備近代化のピッチを上げるいい口実になる恐れがある。
海原:国民の税金で買う以上、どういう効果があるかを証明する必要がある。ところがその点は、秘密とか何とかいってむにゃむにゃとなる。それに米国の軍人や政治家が言うことだから正しいと考えてはいかん。ベトナム戦争の失敗がいい例で、介入を深め、結局失敗した。ところが防衛庁はいま、米国のお声がかりで渡りに船とばかりに、戦力の増強というかねての宿願達成のためまっしぐらということになっている。だから危険だと思う。

▽シーレーン防衛は危険で時代錯誤(1)― 歴史の教訓に学ぶとき

 インタビューから28年後の今、読み返してみて、現下の情勢と合わない部分もあるが、今なお当てはまるところも少なくない。
 はずれているのは、当時の米ソ冷戦時代の軍事的対立国・ソ連は崩壊し、今では存在しないことである。一方、今日もなお生きていて、策謀の目標になっているのがシーレーン防衛に名を借りた戦力増強である。

 上述の金田護衛艦隊元司令官は兵力整備(ヒト、モノ、カネ)を強調している。この兵力整備路線の先には空母(航空母艦)部隊の新設も意識の底に潜んでいるのではないか。お隣の中国に空母部隊新設の動きが取り沙汰されているだけにこのテーマは軽視できない。
 これはかつての空母部隊新設をめざす清水構想という亡霊がよみがえることを意味する。清水構想によれば、当時の推計で空母新設の費用は計12兆円というから、現在の年間防衛費総額約5兆円と比べてみれば、いかに巨額財政資金の浪費であるかが分かる。

 強調しておきたいのは、シーレーン防衛という発想そのものが危険であり、時代錯誤だという点である。なぜそういえるのか。
 まず「日本の生命線・シーレーンの防衛」という発想自体に危険な臭いがつきまとっているからである。日本人だけで310万人の犠牲者を出したアジア太平洋戦争に伴って叫ばれたスローガンが「日本の生命線の死守」であった。「満州・蒙古は日本の生命線」、「アジア南方の石油資源確保は日本の生命線」などである。「生命線の確保」は戦争と表裏一体の緊密な関係にあった悪しき歴史の教訓を忘れてはならない。

▽シーレーン防衛は危険で時代錯誤(2)― 武器使用の自由化が意味するもの

「海賊対策」の名目で始まった海上自衛隊の海外派兵は、期限なく常態化することはほぼ間違いないだろう。新しい「海賊対処法」が国会で成立すれば、武器使用がかなり自由になる点を重視したい。これは従来の自衛隊の海外派兵が米軍などに対する「後方支援」にとどまり、武器使用が制約されていたことからの質的転換を意味し、海外情勢の変化によっては例の集団的自衛権の行使、つまり海外での日米共同作戦につながる懸念もある。

 しかも金田元司令官のつぎの言辞が気になる。
 「海自は結束して、いかなる困難も乗り越える気概を持つ」
 「政治(行政)による部隊運用への過度な干渉は、百害あって一利なく、厳に慎むべきである」
特に後者のシビリアン・コントロールを拒否するような姿勢から、実戦を体験してみたいという自衛隊制服組の勇み立つ心情を読みとることは見当違いではないだろう。日本から遠く離れた海域で「海賊」と「敵国の艦船」の区別が曖昧になって、国民の知らないうちに「交戦状態に突入」といったテレビや新聞の大見出しに仰天させられる事態も絶無とは言えない。

▽シーレーン防衛は危険で時代錯誤(3)― 地球環境保全時代には不適切

 もう一つ、シーレーン防衛の大義名分は、石油や食料など資源輸入のための海上輸送路の安全確保である。しかし今や地球温暖化防止など地球環境保全を優先させるべき時代である。
 地球温暖化の原因である二酸化炭素(CO2)を排出する石油の海外依存度を減らして、国内での再生可能な自然エネルギー(太陽光、風力、水力など)開発へと転換を図るときである。その転換の具体例がオバマ米大統領の「自然エネルギー開発と雇用創出」を目指すグリーン・ニューディールである。
 一方、40%という先進国最低のわが国の食料自給率を引き上げることが大きな課題となっている。食料の輸入依存度が減れば、それだけ海外からの長距離輸送に伴うCO2の排出量も減り、温暖化防止にも貢献できる。

 今日の地球環境保全優先時代には石油や食料の海外依存度を大幅に削減する努力を軽視して、幻想とも言うべきシーレーン防衛にこだわるのは、いかにも不適切な作戦であり、時代錯誤というほかないだろう。 


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断ち切れない金権政治の構図
2大政党制に展望はあるのか

安原和雄
 西松建設の献金をめぐって小沢一郎民主党代表の秘書が逮捕されたことから、政界はにわかに混迷を深めている。つぎの総選挙では民主党が勝利し、民主党政権の誕生も、という可能性に暗雲が垂れ込めているだけではない。今もなお断ち切れない金権政治の構図が浮かび上がってきた。
 しかも自民、民主両党共に「カネの腐敗」に汚染されているとなれば、世に言う「2大政党制」なるものを手放しで持ち上げることに疑問符を付けざるを得ないだろう。2大政党制に果たして展望を見出すことはできるのか。(09年3月12日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽「日本株式会社解体論」が提起したこと

 「最近の一連の各新聞社の世論調査をみると、国民の間にすっかり定着した政治不信の強さとその広がりには驚かされる。なぜこれほどまでに政治不信が高まったのか」

 この一文は、最近の政治不信の状況を指摘したもののように読めるが、そうではない。実は今から20年も前の月刊誌『世界』(1989年6月号・岩波書店刊)に私(安原)が執筆した論文「日本株式会社解体論」の冒頭の書き出しである。日本株式会社とは、政・官・財(業)3者の相互癒着関係を指している。その社長は首相であり、日本があたかも一つの株式会社のように機能するところからこう呼ばれた。
 当時、その日本株式会社の改革をめぐる論議が盛んであった。改革論議の火付け役となったのが、あの名高いリクルートスキャンダルである。このリクルート事件はリクルート社が未公開株を将来の値上がり益を見込んで政・官・財さらにメディアにまで広範にバラ撒いた事実上の金銭供与汚職であった。いいかえれば日本株式会社的構造の中で発生した大型汚職であった。

 安原美穂・元検事総長はリクルート事件をつぎのように論評した。
 「リクルート事件なるものは、ロッキード事件とどう違うか。ロッキード事件は、いわば田中角栄といった人達の個人プレーだったといえる。対照的に今回のリクルート事件は、未公開株が政・財・官の裾野広く、すこぶる広範にバラ撒かれており、これはやはり“構造的”という言い方ができるかもしれない」(『文藝春秋』89年5月号)。

 以上のような構造汚職を発生させた日本株式会社を解体するには何が必要か。私は論文の中でつぎの4点を指摘した。
*企業献金から個人献金へと転換すること。そもそも選挙権を持たない企業が巨額の政治献金を行うこと自体がおかしい。
*官庁の許認可権を土地、都市、健康、安全、自然、環境などにかかわる分野を除いて原則として廃止すること。
*政策決定過程に透明性を確保し、そこに消費者の視点を十分に反映させること。
*政権の交代をすすめること。自民党の長期単独政権が腐敗の温床になっていることに目を向ければ、政権交代は急務である。

▽自民党の長期単独政権時代から連立政権時代へ

 上記の論文執筆から4年後の1993年8月、細川護煕氏を首相とする連立内閣が誕生し、自民党一党支配の時代は終わった。細川首相は8月の初閣議後に発表した首相談話の中でつぎの2点を強調した。
*この政権が「政治改革政権」であることを肝に銘じ、政治改革関連法案を本年中に成立させるべく総力を結集していく。
*政・官・業の癒着体制の打破や規制緩和、地方分権などにも本格的に着手していく。

 しかも細川首相は初の記者会見で「政治改革関連法案が年内に不成立の場合、政治的責任をとる」とまで明言した。

 以上のような細川新政権の姿勢について私(安原)は論文「戦後経済システムの変革をこそ ― 脱〈日本株式会社=拝金主義〉のすすめ」(『世界』1993年10月号)でつぎのように指摘した。
 「政治改革は重要であるが、癒着体制の打破、解体こそ優先すべき課題であって、政治改革はそのための手段であろう。そのあたりの位置づけと優先順位が逆になってはいないか。まして政治改革の中心テーマが小選挙区比例代表並立制の導入による選挙制度改革に偏することになれば、政治の金権腐敗の一掃は絵に描いたモチに終わる可能性もある。(中略)政権交代はようやく実現した。だからといって政権交代が自動的に日本株式会社の解体と拝金主義との決別をもたらすわけではない。戦後経済システムを支えてきた政官財それぞれの変革が不可欠である」

 ここで強調したかったことは、自民党一党支配後の新たな連立政権も決して万能ではないという点である。大きな期待を抱くのは、幻想に終わるしかないことを示唆した。

▽政権交代も金権政治を断つ保証はない

細川政権の政治改革の名の下に導入された小選挙区制は金権政治をどこまで打破できただろうか。自民党単独支配時代の終わりから15年余経過した2009年の現在、金権政治を一掃するどころか、むしろ金権政治色を強めた。
 その挙げ句の果てに今回の準大手ゼネコン・西松建設(東京都港区)による違法献金疑惑が表面化し、小沢一郎民主党代表の公設第一秘書や西松建設の前社長らが政治資金規正法違反容疑で逮捕された。東京地検特捜部によると、2003年から06年までの4年間に総額2100万円が西松建設のダミー政治団体から小沢代表の資金管理団体「陸山会」に企業献金として渡されたとされている。西松建設側の献金の狙いは、いうまでもなく大型公共工事の有利な受注にある。

西松建設から企業献金を受けたのは民主党の小沢代表に限らない。政治資金パーティー券購入なども含む献金を受けたのはむしろ自民党に多い。二階俊博経済産業相、森喜朗元首相、加納時男参院議員ら約10名の顔ぶれが挙げられている。

 ここで強調したいことはつぎの点である。
 細川新政権の発足当時、私が指摘した「政治改革の中心テーマが選挙制度改革に偏することになれば、政治の金権腐敗の一掃は絵に描いたモチに終わる」ことは残念ながら昨今の現実そのままではないか。
 しかも「政権交代が自動的に日本株式会社の解体と拝金主義との決別をもたらすわけではない」という指摘も今日ほぼそのまま通用する。いいかえれば政権交代が実現したからといって、それが金権政治を断つ道を保証するわけではないことを示している。

▽2大政党制に期待できるか(1)― 質的違いが必要条件

 前回の参院選挙で民主党が圧勝したため、自民党と民主党との二大政党制下での政権交代が現実味を帯びてきていたことは間違いない。つぎの総選挙では民主党の政権誕生か、という空気も広がっていた。私(安原)自身、ここで自民党には退陣して貰い、民主党が政権の座について、どこまで自民党とは異質の政治を展開できるのかを観察したいという気分にもなっていた。
 その矢先の小沢民主党代表の秘書逮捕である。遅くとも9月までには行われる総選挙を前にして「なぜ今逮捕なのか」は当然の疑問といえる。小沢代表自身、「簡単には投げ出さない。(自民党は)50年以上続いた政権党だけに、(江戸時代末期の大老・井伊直弼が行った)安政の大獄のようなことをする」と言った。これは「自民党の差し金による国策捜査で弾圧されている」(毎日新聞3月11日付)という認識を示すものである。

 以上のような疑問点を軽視することはできないが、ただ私の関心事は小沢代表や民主党の考え方、政策は自民党の政策と比べてどの程度異質なのかである。2大政党制に実質的な存在価値を持たせるためには政策面や金権体質などで質的違いがあることが必要条件である。そうでなければ国民にとって選択の余地がなくなる。

*安全保障=日米安保体制について
 小沢代表は先日「米国の第7艦隊で米国の極東におけるプレゼンスは十分」という趣旨の発言をし、話題となった。しかしこの発言は安保無用論ではない。日米安保堅持派であることに変わりはなく、この点では自民党と大差ない。
*生活重視について
格差や貧困を広げた新自由主義路線が破綻した後だけに民主党として生活重視の路線を打ち出していることは評価できる。一方、自民・公明の現政権もなりふり構わぬ生活重視政策に傾斜する姿勢をみせており、これと民主党との政策がどの程度異質なのかが必ずしも明確ではない。
*金権体質について
自民党の根深い金権体質はいまさら指摘するまでもないが、今回の小沢代表の秘書逮捕で小沢代表にとどまらず、民主党の評価も急落した。有権者としては「民主党よ、お前もか」と言いたいところであろう。

 以上は自民党と民主党との間に大きな違いはないことを示しており、これでは2大政党制を持ち上げ、それに期待をかけること自体を疑問視せざるを得なくなるのではないか。

▽2大政党制に期待できるか(2)― メディアの責任

 多くのメディアも2大政党制に期待をかけてきた。しかし今微妙な変化もみられる。一例として朝日新聞社説(要旨)を取り上げよう。

*朝日社説(09年3月7日付)=西松献金事件 国民の嘆きが聞こえぬか(見出し)
小沢氏の責任は重い。政権交代がかかる総選挙が目前に迫るこの時期に、結果として、挑戦者としての民主党の勢いを大きくそいでしまった。(中略)
 いまの政治の停滞に大きな責任のある自民党と麻生政権に、「敵失」を喜ぶ余裕などあろうはずがない。
 「清潔な政治」を掲げる公明党はなぜ、こんなにおとなしいのか。
 2大政党のどちらにも1票を入れる気にならない。有権者の深い嘆きが政党や政治家に聞こえているか。

*朝日社説(同年3月10日付)=民主党 この不信にどう答える(見出し)
 土建政治にどっぷり漬かったかのような小沢氏の姿を見せつけられ、有権者が裏切られた思いを抱いているのは間違いない。
 今後、捜査がどう進展するかはわからない。だが、有権者の不信をどう受け止めるか。政治変革の旗振り役として、小沢氏は本当にふさわしいのか。党をあげて率直な議論を始めるべきだ。政権交代への国民の期待をしぼませてはならない。

 この2つの社説の微妙な論調の違いは興味深い。まず3月7日付では「2大政党のどちらにも1票を入れる気にならない」と書いた。これは2大政党制そのものへの拒否反応とも読みとれる。「有権者の深い嘆き」はいかにも情緒的な表現だが、筆者自身の嘆きでもあるのだろう。
 10日付では一転して調子が変わった。「政権交代への国民の期待をしぼませてはならない」と政権交代と2大政党制への期待の表明に重点が置かれている。「拒否反応」から「期待表明」への変化の背景に何があったのか。私(安原)の想像だが、論説室内で議論があったのではないか。朝日の論説は2大政党制肯定論の立場であった。それを否定すると受け取られるような社説は好ましくないという意見に集約されて「期待表明」の社説に戻ったのではないか。

 しかし2大政党制にこだわるのはいかがなものだろうか、いささか疑問である。周知のように自民、公明、民主の各党とはかなり異質の共産党、社民党などが少数政党とはいえ存在している。特に共産党の存在は最近では国際的にも知られ、海外のメディアで紹介される記事が増えている。その背景にはつぎのような事情がある。

*税金から政党助成金として320億円が各政党に配分されている。これは企業・団体献金を受け取らない代わりとして導入されたものだが、共産党はこれを受け取っていない。
*経済政策の基本スローガンとして、「ルールなき資本主義」から暮らしをまもる「ルールある経済社会」へ ― を掲げて、生活や労働の現場に密着した地道な活動をつづけている。破綻した新自由主義路線に明確な批判論を継続的に展開してきた。
*最近、新規の入党者が増えている。また戦前のプロレタリア作家、小林多喜二の『蟹工船』(蟹工船で奴隷のような労働を強いられた労働者の闘いを描いた小説)やマルクスの『資本論』(資本主義社会を根源的かつ批判的に分析した著作)が最近多くの読者を得ている。

 メディアは2大政党制の枠を超えて広い選択の機会を有権者に提供してほしい。それがメディアの仕事であり、責任でもある。そういう努力を欠いては、金権政治の改革も国民生活の質的改善もしょせんスローガン倒れに終わるとはいえないか。


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地球温暖化対策は緊急の課題
小さな島国の首相が日本に苦言

安原和雄
 ツバルそしてニウエという国名をご存知だろうか。両国とも南太平洋上に浮かぶ小さな島国で、ツバルは地球温暖化に伴う海面の上昇で国そのものが沈没の危機にさらされており、一方、ニウエのタランギ首相はこのほど来日し、3月5日、日本記者クラブ(東京・千代田区内)で記者会見を行った。席上、「地球温暖化の悪影響は将来ではなく、現に起こりつつあり、その対策は緊急を要する課題」と強調した。この発言は私には日本は地球温暖化対策で少しのんびりし過ぎているのではないか、という苦言と聞こえた。(09年3月6日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 ニウエのタランギ首相の来日は、5月に北海道で開く第5回「太平洋・島サミット」に向けて日本政府と打ち合わせるためで、すでに麻生首相、中曽根外相らと会談した。5月のサミットでは麻生首相とタランギ首相が共同議長を務める。
 この「太平洋・島サミット」は、オーストラリア、ニュージーランドを含む南太平洋の16の島国・地域が参加する太平洋諸島フォーラム(PIF)と日本が地球環境問題を中心に意見交換する国際的な場で、1997年以来、3年ごとに日本で開かれてきた。

 なお参考までにいえば、ツバルは面積30平方キロ、人口1万人。ニウエは面積260平方キロ、人口2200人。
タランギ首相の横顔を紹介すると、ニウエ生まれの58歳、ニュージーランドの大学卒で、農業科学学士。08年首相に就任するまでに財務、郵政・通信、教育・環境大臣を歴任、現在、上記の太平洋諸島フォーラム議長のほか、ラグビー協会会長なども務めている。

▽小さな島国の首相会見 ― 「気候変動の被害はすでに進行中」

 小さな島国のタランギ首相が記者会見で語った内容(要旨)はつぎの通り。

・考えてみると、日本も島国 ― といっても規模ははるかに大きいが ―で、 われわれ島国と同じであり、今後一層良好な関係を築いていきたい。
・気候変動(地球温暖化など)による海面上昇のため、ツバルは国土のほとんどが冠水しており、水からの多様な危険に直面している。このテーマはわれわれ島嶼(とうしょ=大小のしまじまの意)だけではなく、世界中の海岸線のある国に共通のものであることをしっかり認識すること、その上で環礁(かんしょう=環状をした珊瑚礁)になっているツバルなどは被害が甚大だという認識が必要だ。

・気候変動対策としての二酸化炭素(CO2)削減というと、なにか未来の抽象的な印象になるが、これは決して抽象的な話ではなく、われわれ島嶼国は日常的にひしひしと気候変動に伴う変化を感じている。だから迅速な対応策をとらねばならない。いますぐ対策をとったとしても、こわされている環境、気候上のバランスを取り戻すには相当の年月を要することを認識しなければならない。
・(例えばツバルは今後何年くらいで水没するだろうという具体的な予測はあるのか、という質問に対して)そういう予測の数値は持ってはいない。完全水没は50年後かも知れない。しかし島民たちがすでに具体的な被害を受けており、生命の危険にさらされていることを強調したい。重要なことはそのプロセスが目下進行中だということだ。このトレンド(傾向)を反転させるには、今日の事態をもたらしたこれまでと同じ年月が必要となるのではないか。

・一国の島が沈没するのであれば、他国へ移住すればいいではないかという意見もあるが、そういう問題だけでは済まない。例えばツバルがオーストラリアに移住したとして、そのオーストラリア内に主権を築くことができるのかどうかというむずかしい問題がある。
・いま起こっている気候変動に伴う現象は、特定の国に限られるものではなく、世界的な現象である。この事実を認識できないとすれば、それは人間のあり方として問題とはいえないか。(以上は記者会見)

 南太平洋に浮かぶ島嶼国の一つ、ニウエという小国からやってきた首相の記者会見があるというので、興味も手伝ってわざわざ出かけて聞いた。同じ南太平洋上の環礁島、ツバルはすでに海面上昇によって国土のかなりの部分が波に洗われており、島国ぐるみ沈没の危険があることで知られているが、ニウエという島国は失礼ながら私(安原)の視野になかった。
 しかし記者会見での話しぶりを聴きながら、私は内心、自らの不明を恥じていた。「この人物は、我らが日本国宰相、麻生首相よりも見識があり、立派なのではないか」と思い始めたのだ。後で貰った横顔紹介文を読むと、なんと「政治、経済、文化における見識を幅広く有している」と明記してある。日本の政治家でこれだけの幅広い見識を、多少の誇張を交えても、誇ることのできる人物が果たして何人いるだろうか。

▽大きな島国・日本への苦言 ― 環境先進国に転換できるのか?

 上記の記者会見の内容で、注目すべき発言を拾い出してみると ―
・水からの多様な危険(生命の危険も含めて)に直面しているのは、ツバルに限らず、海岸線のある世界中の国に共通している。
・気候変動問題には迅速な対応策が必要だ。いますぐ対策をとったとしても、環境、気候上のバランスを取り戻すには相当の年月を要することを認識しなければならない。
・気候変動に伴う現象は、特定の国に限られるものではなく、世界的な現象で、この事実を認識できないとすれば、それは人間のあり方として問題だ。

 以上の発言は私には大きな島国・日本への苦言と聞こえるが、どうだろうか。
 「海岸線のある世界中の国」にはもちろん大きな島国・日本も含まれる。日本としての備えは大丈夫なのか、という忠告ではないのか。「気候変動問題には迅速な対応が必要」という発言は、特にEU(欧州連合)に比べて消極的であり、出遅れ感の否めない日本への明確な苦言としか読みとれない。
 最後の「気候変動を世界的現象としてとらえないとすれば、人間として問題だ」はこれまた手厳しい日本批判とはいえないか。

 日本は従来地球環境問題を経済成長の制約条件ととらえて副次的な位置づけしか与えなかった。しかし今や地球環境問題の打開なくして経済発展(国民生活の質的改善を意味しており、経済成長と同一ではない)はありえない。いいかえれば地球環境問題への対応の中にこそ経済発展の新しい芽を発見すべき時代でもある。
 欧州諸国はすでにそういう方向に動き出しており、アメリカもオバマ大統領の登場によって「グリーン・ニューディール」(自然エネルギーの新規開発を軸とする緑の内需策)を掲げて、経済と生活を破綻に追い込んだこれまでの新自由主義路線から転換を目指しつつある。この種の新規政策は従来の石油確保中心時代の生命軽視から生命尊重へと転換していく可能性があることを示唆している。地球環境問題への適切な対応は、利益本位のビジネスの領域を超えて人間としての器量が試されるテーマでもあるだろう。

 あの小国首相の「人間として問題だ」発言は、そう言いたかったのではないか。しかし日本ではそういう視点が希薄すぎる。出遅れ感を拭いきれない現状のままでは日本は21世紀という時代が求める環境先進国へと果たして転換できるのだろうかという懸念はいつまでも消えない。
もう一つ、軍事力を振り回す利己的な大国の時代は足早に去って、地球共益を視野に置く思慮深い小国が重みを持つ時代が急速に台頭しつつあるという印象も否めない。補足すれば、ニウエは「独自の軍隊を保有していない」(前田朗著『軍隊のない国家・27の国々と人びと』日本評論社刊・参照)。


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