「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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消費税の引き上げに異議あり
今こそ新自由主義路線と決別を

安原和雄
麻生太郎首相は08年10月30日、「追加経済対策」なるものを発表した。メディアは早速「選挙向けの露骨なバラマキ」と批判している。しかしこれはいささか的外れの批判といえる。麻生首相の目指すものは「3年後の消費税引き上げ」である。これこそが本命であり、バラマキはいわば当て馬ではないか。そういう策略を見抜いて、消費税上げに異議あり、を唱えたい。
 そのためには消費税引き上げを必要としない政策論議をすすめるときである。さらに今こそ国民生活に多くの災厄をもたらしてきた新自由主義と決別していくときである。新自由主義の継続と消費税の引き上げを許容するのか、それとも拒否するのか、これが衆院総選挙の最大の争点になってきた。(08年10月31日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽消費税上げと大手6紙社説の論評

 大手6紙の08年10月31日付社説(産経は主張)を読んだ。前日の同月30日、麻生首相自ら記者会見で発表した「追加経済対策」をどう論じているかを知るためである。焦点は消費税引き上げであり、各紙社説の主見出しと消費税上げに関する論評を以下に紹介する。

*朝日新聞社説=衆院解散・総選挙 危機克服にこそ決断を
 景気浮揚効果に疑問符のつく「定額給付金」は、選挙向けの露骨なバラマキといわれても仕方ない。社会保障の財源を明記せよと首相が指示した中期プログラムは、付け焼き刃にも見える。首相は記者会見で「3年後には消費税の引き上げをお願いしたい」と補った。恐れず負担増を語ったのは歓迎だが、与党内の決着は年末の税制論議に先送りされた。

*毎日新聞=追加経済対策 これは究極のばらまきだ
 麻生太郎首相は景気回復後、消費税増税の実施を明言した。そのプログラムを年内に提示することも明らかにした。この点では、従来になく踏み込んだことは間違いない。
 中長期も見据えているというのであれば、抜本的な個人消費振興策として所得税を含む税の再配分機能を高める施策を検討する必要がある。その中で、消費税率の引き上げも位置付けることができる。

*読売新聞=衆院解散先送り 一段と厳しさを増す政権運営
 「消費税引き上げの勇断」という小見出しをわざわざつけてつぎのように書いた。

 首相は記者会見で「大胆な行政改革を行った後、経済状況をみたうえで3年後に消費税の引き上げをお願いしたい」と明言した。
 「日本経済は全治3年」という状況を脱し、こうした責任ある政策を実行していくためには、やはり安定した政治の枠組みづくりが肝要だ。

*日本経済新聞社説=与野党は追加対策の早期実現への全力を
 前向きな評価ができないのは総額2兆円の給付金の支給である。財政コストと比べた消費刺激効果は小さいと言わざるをえない。給付金は全世帯を対象としており、社会政策としての説明もしにくい。
 麻生首相は「経済状況を見ながら、3年後に消費税引き上げをお願いしたい」と述べた。単なる増税だけではなく、それと合わせた年金など社会保障改革の姿が示されなければ国民の安心につながらない。ばらまき批判をかわすだけの「言い訳」で終わらせてはならない。

*東京新聞社説=追加経済対策 国民に安心を与えるか
 今回の追加対策は二兆円規模の定額給付金が目玉になった。
 どれほど消費を拡大するかは不明だ。朗報と受け止める向きもあろうが、麻生首相は三年後の消費税引き上げも明言したので、家計は一層、生活防衛意識を高め、余分な消費を控えて貯蓄に励む可能性もある。

*産経新聞主張=追加経済対策 市場安定へ全力挙げよ
 麻生太郎首相は事業規模27兆円、国の財政支出が5兆円に上る追加経済対策を発表した。同時に3年後に消費税を引き上げると言明した。
 選挙もにらんだ追加対策の内容や財源には、その効果や財政規律の面で疑問点が多い。国会は追加対策の中身を十分に吟味する必要がある。首相の消費税発言の意味は大きいが、引き上げにどう道筋をつけるのか。与野党が本格的論議を開始すべきである。

▽首相が嬉し泣きしたくなるような社説

 以上の社説から分かるように消費税引き上げに対する積極的賛成論の筆頭は朝日新聞で、「恐れず負担増を語ったのは歓迎」と書いた。毎日新聞も「従来になく踏み込んだことは間違いない」と指摘し、読売新聞は「消費税引き上げの勇断」という小見出しをわざわざつけているのだから、消費税引き上げへの支援社説といえるだろう。

 一方、東京新聞だけが、若干の疑問符を付けている。「家計は一層、生活防衛意識を高め、余分な消費を控えて貯蓄に励む可能性もある」と。これは3年後に消費税の引き上げがあるのでは、追加経済対策も消費増大には結びつかないという懸念を表明したのだろう。しかし引き上げに反対の立場とはいえない。

 率直に言って、相撲の三役揃(そろ)い踏みではないが、こういう社説の揃い踏みでは麻生首相は「有り難い」と嬉し泣きしたくなるのではないかという印象を得た。仮に私(安原)が首相であるなら、内心ほくそ笑みたくなるに違いない。

▽消費税引き上げこそが首相の最大の狙い

 批判しているようで、実は応援演説になっていると、なぜいえるのか。今回の追加経済対策の最大の眼目は消費税引き上げを明確に打ち出すことにあるからである。追加対策の目玉とされる2兆円規模の「定額給付金」には、「選挙向けの露骨なバラマキ」という批判が多い。しかしこういう批判は麻生首相にとっては痛くもかゆくもないだろう。「バラマキ」という声は承知のうえでやるわけで、的外れの批判に終わる。
 消費税を1%上げれば年約2.5兆円の増税となる。2兆円程度の1回限りの「バラマキ」は消費税引き上げでたちまち回収されるのである。当て馬に目を奪われて、本命の消費税上げに批判の目を向けようとしないのはどういうわけなのか。
 本気で「バラマキ」に反対を唱えるのであれば、支給の時、「主義、主張が違うので受け取れない」と返上してはどうか。そうすれば大きなニュースにもなるだろう。

 さて与党内などには首相発言について「勇気ある発言」という評価が広がっている。
 東京新聞(10月31日付)は社説とは別につぎのように書いた。
 麻生首相の「引き上げ発言」を受け、与謝野経済財政担当相は、会見で手放しで評価した。財務省内でも「今回の対策は思い切ったことをやる一方で、将来も考えているんだ、という姿勢の表明。よくぞ言ってくれた」(幹部)と歓声が上がった。(中略)国民的人気が高かった小泉元首相でさえ、消費税率引き上げは「タブー」の領域だった ― と。

しかし国民生活に背を向けるようなタブーへの挑戦にどういう意味があるのか。民意に反するのではないか。消費税引き上げを許容するのか、拒否するのか、ここが衆院総選挙最大の争点として浮上してきた。

▽消費税を上げない政策―今こそ新自由主義路線と決別を

 多くのメディアが指摘しているように、消費税を引き上げなければ、本当に財政はもたないのか、国民生活の質的充実は期待できないのか。結論を急げば、答えは「否」である。なぜなら国民生活に背を向ける財政・税制上の無駄、浪費、不都合が多すぎるのであり、これを改革すれば、消費税を上げる必要はない。
 選択肢は景気対策(=いわゆるバラマキ)か財政再建(=消費税引き上げ)か、という二つに一つの狭いものではない。安全保障政策も含めて財政・税制を根本的に変えること、いいかえれば今こそ新自由主義路線と決別して、持続可能な経済社会に「構造改革」していく必要がある。これは小泉政権以来、顕著になった構造改革という名の新自由主義路線とは異質のもう一つの構造改革で、その主な柱はつぎのようである。

*防衛費(年間約5兆円)の大幅な削減に着手する。軍事力によって平和を確立できる時代ではもはやない。日米安保体制そのものの是非を議論するときでもある。これこそ日本における現下最大のタブーとなっている。タブーを拒否するのであれば、まずここから着手することが求められる。
*新テロ特措法(有効期限は来年1月15日)にもとづく米軍などへのインド洋での給油活動を中止する。日米安保体制に基づく無条件の対米協力は人心から離れている。
*血税浪費の典型である巨費を要する高速道路づくりを凍結する。
*地球環境保全が優先的な課題であり、温暖化防止の一助として環境税を導入する。
*大法人、証券などの優遇税制の見直しをすすめる。

*社会保障費削減の中止、後期高齢者医療制度の廃止に踏み切る。
*食料自給率(40%、先進国で最低)を高める一環としてコメの輸入(最低輸入量)を中止する。
*再生不能なエネルギー(石油、石炭、天然ガス、原子力)を減らして、再生可能な自然エネルギー(水力、太陽光、風力、バイオマスなど)への転換に重点を置く。自然エネルギー開発に必要な大規模投資を実行する。

*小泉政権以来本格的に実施された新自由主義路線(市場原理主義にもとづく弱肉強食による格差・不公平・失業・貧困・長時間労働の拡大)は国民の生活・福祉の向上に相反するので、根本的に転換する。

 以上のような政策転換を図ることは麻生政権には期待できない。だからつぎの総選挙での国民の選択が歴史的に重大な意義を持つことになるだろう。


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大恐慌とハイヒールの行方?
〈折々のつぶやき〉41

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉は41回目。題して「大恐慌とハイヒールの行方?」です。(08年10月24日掲載、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽大恐慌だって?! ―102歳長老の発言、「今は恵まれすぎ」

 毎日新聞のコラム「発信箱」にはおもしろい記事が少なくないが、その中から一つを紹介したい。女性経済記者・福本容子さんの記事で、題して「大恐慌だって?!」(08年10月24日付)。要旨はつぎの通り。

79年前のきょう(10月24日)、ニューヨークの株価が、取引開始直後に暴落した。世界大恐慌の始まりともいわれる「暗黒の木曜日」だ。
 東京日日新聞(現毎日新聞)の1面記事によると、あまりに激しい下げ方だったので、証券取引所の仲買人12、13人が気絶し病院に運ばれた。
 アービング・カーンさんは株のトレーダーとして働き始めたばかりだった。102歳の今も株関係の仕事をしている大恐慌の生き証人だ。そのカーンさんがインタビューで「あのころに比べ、今はマシもいいところだ」と断言していた。
「でも、みんな不安がっていませんか」と聞かれて、「違う。派手な見出しで悪い悪いと記事を書いて目立ちたい記者がおるだけだ」、「今は恵まれすぎ。全く甘えきってしまったもんだ」と。

 「1929年以来の大恐慌」といった記事や論評が目立ってきたきたけれど、大恐慌を経験した記者も評論家も多分いない。「世紀に1度の危機」と宣言した米連邦準備制度理事会前理事長のグリーンスパンさんだって、79年前は3歳の坊やだ。
 米経済紙ウオールストリート・ジャーナルの電子版を眺めていたら、ほっとする発見をした。株式市場大荒れの中、読まれていた記事のランキング1位が金融危機でも米大統領選でもなく、かかと15センチ超のハイヒールが人気、という話しだったのだ。長老カーンの言う通りだ。
 軽々しく「大恐慌」などと言うなかれ。株がもっと下がるし、ハイヒールまで売れなくなるじゃない。

▽(安原の感想)― ハイヒールを絡ませたところがおもしろい

 大恐慌体験者のカーンさん(102歳)の発言「今は恵まれすぎ」はその通りであろう。大恐慌当時の米国の最悪時の経済指標をみると、ピーク時に比べて、ニューヨーク株式は7分の1にまで暴落し、GNP(国民総生産)、工業生産額はともに半減し、輸出入額は3分の1の水準にまで激減した。失業率は約25%、つまり労働者の4人に1人が首切りとなり、失業者が街にあふれた。「今はマシもいいところだ」というのは決して事実誤認とはいえない。お年にしては 記憶力は確かであり、敬意を表したい。

 だからといって今回の米国発金融危機が楽観できるわけではない。日本も含めて実体経済への悪影響が広がり始めている。もちろん消費への マイナス作用も目立ってくるだろう。そういう流れの中で米国では「かかと15センチ超のハイヒールが人気」というところがご愛敬といえる。
 こういう記事は男性記者にはなかなか書けそうにはない。女性記者ならではの感性なのか。それにしてもなぜ今「ハイヒールが人気1位」なのか。金融危機だからといって落ち込んでいるときではないから、背丈を伸ばしたいという願望の表れなのか。それとも?

 ハイヒールについてつぎのような一問一答を読んだことがある。これは右脳型人間度、つまり遊び心が豊かであるどうかを試す問題である。
 問い:女性のハイヒールを考え出した人は何を不満に思ったためだろうか?
〈ヒント〉この話をアメリカ人の女性にしたら、おもしろいと言ってくれた。
 答え:何かを考え出す一つの動機は不満である。ハイヒールの場合、「額(ひたい)に口づけされ、それを不満に感じた女性」が答えである。額よりもう少し下に口づけしてもらうにはどうすればよいかを考えた末、ハイヒールを思いついたというわけである。

 さてもう一度問いたい。金融危機とハイヒールとがどうつながっているのか。上記の一問一答から察するに、ハイヒールの誕生は女性側の愛への渇望にあるようだから、金融危機の最中で男性諸君が右往左往するあまり、男性からの愛の発信が不足状態に陥っているためなのか。想像力豊かな読者にゆだねるほかなさそうである。あるいは「無関係だよ」が正解かも知れない。


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水田こそ世界に誇るべき宝だ!
日本は資源大国―緑と土と水

安原和雄
食を海外に依存する「食のグローバル化」とともに食の安全にかかわる疑惑が広がっている。汚染米から冷凍ギョウザ、冷凍インゲンに至るまで昨今の食料輸入品の増大は食卓を豊かにするどころか、逆に不安をかき立てている。その根本的な対策は何か。
 この際、注目し、再評価すべきことは、以前から一本の太い線としてつづいている「水田こそ世界に誇るべき日本の宝」という主張である。この主張は「緑と土と水」に関して「日本は資源大国」という事実の上に成り立っている。いうまでもなく食はいのちにかかわる。今こそ「食」と「農」の根本に立ち返って出直す時ではないのか。(08年10月20日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

元参院議員、故小島慶三氏(去る8月末日逝去、91歳)の「しのぶ会」(呼びかけ人代表・山本克郎氏)が10月19日、東京・千代田区一ツ橋の如水会館で開かれた。小島氏は経済官僚を経て、日本精工専務、芙蓉石油開発社長などを歴任、同時に農業問題に深い関心を抱き、特に「水田」の重要性を訴えてきた。その足場となったのが東京をはじめ、全国各地に設けられた「小島塾」(のちに「小島志塾」に改称)である。
 上智大学、成蹊大学、名古屋大学、一橋大学で講師として経済政策を講じ、特に成長本位の経済政策に批判的な立場から「ヒューマノミックス」(小島氏の造語で、ヒューマニズムとエコノミックスの合成語。「人間復興の経済学」の意)の確立に熱情を注いだ。

 著書も多く、その一部に農業に関する3部作、『文明としての農業―生命産業コンプレックスの提唱』(ダイヤモンド社刊、1990年)、『農に還る時代―いま日本が選択すべき道』(同、1992年)、『農業が輝く―“新しい社会の創造”』(同、1994年)がある。またドイツ生まれの経済思想家、E.F.シューマッハーの著昨『スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学』(講談社学術文庫)の訳者としても知られる。
 この小島氏こそが「水田は日本の宝」の主唱者である。「しのぶ会」には全国から「小島志塾」の面々など約100名が駆けつけた。「水田こそ宝」は何を含意しているのか。上記の農業3部作を手がかりに考えたい。まず小島氏の主張を紹介し、それに〈安原の感想〉を付記する。

▽世界に誇るべき日本民族の宝 ― 水田

 日本が世界に誇れるものは何か。民族の宝として子孫に残せるものは何か。それこそ水田ではないか。水田こそは、長い長い時間をかけて祖先が築き上げてきた、世界に誇るべき日本の宝である。
 「日本には資源がない」という人々に私はいつも反論する。「日本にはすばらしい資源があるじゃないですか。豊かな水と緑。これ以上の天然資源がほかにありますか」と。
 たしかに日本には化石資源は少ない。しかし石油や石炭などの化石資源は、無限に使えるものではない。掘り尽くし、使い尽くしてしまえばそれまでだ。これに対して、水や緑は無限の恵みである。知恵と工夫次第でいくらでもリサイクル可能な、循環系の天然資源である。

 こうした風土的条件のもとにあって、水田はまさに絶妙な農業システムといえる。
 水田の役割はイネを育てることだけではない。まず日本各地にある無数の水田は、ダムの3倍もの貯水能力をもっている。森林に次ぐ第2のダムである。水田に貯えられた大量の水は、洪水を防ぐばかりではなく、土壌を保温することによって冷害を防ぐ効果もある。土中に有害物質や塩類を蓄積するのも防ぐ。土砂流出も防ぐ。微生物の活動を促進し、土の生命を守る。他の作物と比べて連作性が強いのはそのためである。何年も同じ土地にコメをつくり続け、狭い耕地で人口を養ってこれたのも、そのためである。

 コメは壮大な水循環、国土保全システムのもうひとつの恩恵としてもたらされる。だから水田が単なる「コメ工場」でないのと同様に、コメも単なる食物ではない。日本人にとってのコメとは、そういうものである。

〈安原の感想〉― 憲法九条と並ぶ日本の宝

 日本の水田は世界に誇るべき宝、という認識には同感である。憲法9条(戦争放棄、非武装、交戦権の否認)が世界に誇るべき日本の宝、という意識はすでに広がってきている(ブログ「安原和雄の仏教経済塾」掲載の〈憲法9条を「世界の宝」に〉=08年7月23日付=参照)。水田は憲法9条と並ぶもう一つの「日本の宝」と認識したい。

 その理由としてまず水田の持つ多面的機能をあげることができる。水田は単にイネ(お米)を生産する場にとどまらない。貯水能力を持つダム機能、洪水防止、有害物質や土砂流出の防止、微生物の活性化と生態系の維持など多面的な機能を持っている。いいかえれば壮大な水循環、国土保全システムの軸として機能しているのが水田である。
 もう一つ、水田、田園を核にして成り立っている豊かな緑、水そして土が日本を資源大国に育て上げているという特質を指摘できる。石油などの化石エネルギー源に恵まれないため、「資源小国・日本」という認識が多数説である。しかし視点を変えて、有限の化石エネルギーではなく、無限の天然資源である緑、水、土に着目すれば、「資源大国・日本」というイメージが浮かび上がってくる。
 こうしてこれまで見えなかったものが観えてくるわけで、水田はたしかに単なる「コメ工場」ではないし、日本の宝として誇るに値する存在というべきである。

▽日本農業は「スモールの思想」で対応を

 大農化という方向で日本農業の国際競争力を高めたい、という願いは、農政の悲願らしい。それをぎりぎりまで農業土木的に充たそうという試みがある。一枚数ヘクタールの耕圃、給排水の自動化、ラジコンヘリによる直播方式など画期的である。これで立派に自由化に対抗できる、という説明である。
 しかしこれが可能な条件を持つ土地はごく限られる。例えば耕地の42%を占める中山間部では不可能であろう。それが減産となっても、平地の大規模田で増産し、カバーできるというかもしれない。しかしそれは経済的合理性からのみ水田の機能を考えるという発想を一歩も出ていない。

 国土の保全、水サイクルの維持、生態系への影響など農業の多面的機能はどうなるのか。
私の考えの柱にスモールの思想がある。それはシューマッハー(注)との出会いからきている。日本農業にはスモールの思想が適合すると思う。日本の水田などは国土、地勢、森林、水サイクル、生態系のいずれの面でもスモールであるべくしてあるのであり、自然環境と見合う最適な社会システムとして存在する。 自由化によって大規模化の道が開かれるというものではない。

(注)シューマッハー著『スモール イズ ビューティフル』は、1970年代になってつぎのような変化がうかがえると指摘している。
・加速度的な経済成長の結果、化石系の資源・エネルギーの行き詰まりと環境汚染の進行
・歯止めのきかない巨大技術への不安
・産業社会の機械化、情報化、組織化のため、人間の生きがい喪失
・都市の過密と農村の過疎のアンバランス
・価値観の多様化、ヒューマンサービスの重視など従来の市場機能や企業の対応を超えるものが生まれてきたこと
シューマッハーはこれらの変化の背後にある物質至上主義と科学技術信仰に支えられている巨大企業の危険性を指摘し、望ましい姿として最適規模の技術・企業を提案した。「スモール イズ ビューティフル、」つまりそれぞれの身丈に合った小さいことは素晴らしい、というわけである。

〈安原の感想〉― 大規模農業化への批判

 農政による大農化路線の推進は、今に始まったことではない。「コメの生産調整」という名の本格的な減反政策が実施されたのは1971年からである。水田面積の4割にも及ぶとされる。さらに宅地などに違反転用された農地が07年までの3年間に全国で2万4002件あり、総面積が東京都新宿区に匹敵する1795ヘクタールに上る(08年10月19日付毎日新聞)。
 このような田んぼの削減と農業離れが進む一方、いわゆるミニマムアクセス(最低輸入量)米として毎年77万トン輸入している。最近の国内コメ消費量は年間850万トン前後だから、全体の9%程度を輸入している。ともかく日本の宝であるはずの水田は寒風にさらされている。その背景には国際競争力強化、経済的合理性の追求がある。

 こういう現実に対し、異議を申し立て、日本農業は米国型模倣の大農化をめざすのではなく、個々の農家のたゆまぬ努力と協調しながら、「スモール思想」で中山間部の耕地なども生かす方向で水田の再生を図ろうというのが小島説である。

▽化石系産業中心から生命系産業中心へ転換を

 私たち日本人は、どんな方法で「地球の復活」すなわち「持続可能な社会つくるための方策」に貢献できるのか。その道は、現在の経済・社会構造を環境に適したものに変革する道である。日本の伝統的、歴史的な社会システム、そして長い時間をかけて蓄積されてきた民族の知恵は、必ず役立つはずである。その第一が「水田」だ。
 日本には森林が多い。雨が多く、日光にも恵まれている。だから森林が発達した。日本の国土面積の68%が森林である。こんな国は世界でも珍しい。
 その森林が雨をプールして、川に流す。日本人はその途中に「水田」というダムをつくった。全国津々浦々に無数の水田をつくった。すなわち豊かな森林と水田をもつという形で、日本社会はこれまで自然や環境との調和を保ってきた。

 この事実は、世界の危機(化石資源の枯渇と環境の汚染・破壊)の回避にも、ヒントになるのではないか。日本では、緑と土と水のミックス・システムを中心に生命系の産業コンプレックスをつくり、化石系産業から生命系産業へと重心をシフトしていけば、地球にやさしい産業社会をつくることができる。

〈安原の感想〉―すべてのいのちを大切にする持続型社会に

 21世紀最大のテーマは「持続可能な社会」をどうつくっていくか、いいかえれば地球環境保全と経済社会のあり方とをどう両立させるかである。その中心軸に据えられるのがやはり日本の水田である。つぎの2つの提案が行われている。
*緑と土と水のミックス・システムとしての「生命系産業コンプレックス」をつくっていくこと
*現在の石油依存型の化石系産業から「いのち尊重」型の生命系産業へと重心をシフトしていくこと

 ここでの「いのち尊重」型の生命系産業の中心に位置するのが水田である。「しのぶ会」の席上、私(安原)は司会者から一言発言を求められて、つぎの趣旨を指摘した。
 シューマッハーの著作では「いのち」に言及しているところがほとんどない。また欧米思想では「人間の命」は重視するが、仏教思想は、地球上の生きとし生けるすべてのいのち、すなわち人間に限らず、自然、動植物すべてのいのちを平等対等に尊重する立場である。小島先生の「生命系産業コンプレックス」論はすべてのいのちを含んでいるはずであり、そこがシューマッハーや欧米の思想を超えており、質的な相違点でもある。今後追求すべき持続可能な社会は「すべてのいのち」を視野に収める必要がある―と。

 このような「いのち尊重」型の豊かな持続可能な社会ができるとともに、日本の水田も真の意味で「世界の宝」になっていくだろう。水田を粗末にしか扱わない現状に歯止めをかけ、流れを好循環に逆転させない限り、水田すなわち「世界の宝」は見果てぬ夢に終わるほかない。


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仏教経済学と八つのキーワード
いのち、非暴力、知足を軸に

安原和雄
私は先日、「日本の改革設計図を考える ― 仏教経済学の視点から]と題して講話する機会があった。仏教経済学は駒澤大学仏教経済研究所を中心に40年も前から研究が進められてきた。またドイツ生まれの経済思想家、E・F・シューマッハーの著昨『スモール イズ ビューティフルー人間中心の経済学』(講談社学術文庫)が仏教経済学を論じている。
 ネパールをはじめ海外の大学では仏教経済学者がかなり活躍しているが、日本では大学経済学部で講座「仏教経済学」が正式には未開設という事情もあり、発展途上にある。これから大いに育てたい分野である。ここでは講話を踏まえて私の構想する「仏教経済学」(原論)を紹介したい。(08年10月13日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

 私の講話は、東京・小金井市の高齢者の集い、「クリスタル」(森田萬之助会長)で行った。「クリスタル」は同市公民館主催の「シルバー大学」講座受講者の有志が「親睦と学習・意見交換を通じて自らを高め相互のコミュニケーションを深め合うこと」を目的に1996年に発足した。学習会はすでに210回を超えている。

 なおシューマッハー(1911~77年)著『スモール イズ ビューティフル』の原本・英文は第一次石油危機当時の1973年に発刊され、世界的なベストセラーになった。「仏教経済学」と題した1章を設けて現代経済学(特にケインズ経済学)とどう異なるかを論じている。

▽仏教経済学とは? ― 仏教思想を生かす社会科学の一つ

 仏教経済学の特質は何か?
 まず大学経済学部で教えられている現代経済学(注)への批判から出発している。しかも仏教の開祖、釈尊がいま生きていたら、どう考えるかを基本に組み立てる。特定の宗派にこだわらず、各派の優れている考え方を摂取する。
 さらに仏教経済学は信仰に基づくものではない。釈尊は実在の人物であり、神ではない。キリスト教、イスラム教などが絶対神を想定して崇めるのとは本質的に異なる。仏教経済学は仏教思想を応用し、生かす実践学で、社会科学の一つである。

 例えば仏教の説く「縁起論=空観」、すなわち(イ)諸行無常(すべてのものは変化すること)、(ロ)諸法無我(宇宙をはじめ、自然、人間、政治、経済、社会などすべては独自に存在しているものはなく、相互依存関係にあること)は、信仰ではなく、社会科学の最高峰ともいえる真理と理解している。

 ただ既存の現代経済学と違って、決定版としての教科書が出来上がっているわけではない。そこでここでは私(安原)が構想する「仏教経済学」(原論)の骨子を提示したい。

 (注)現代経済学はケインズ経済学、新古典派経済学、新自由主義―の3つに大別できる。
・ケインズ経済学=イギリスの経済学者、J・M・ケインズの主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』が知られる。経済拡大のために財政赤字、「大きな政府」につながる有効需要創出策を説いた。
・新古典派経済学(通称・新古典派総合)=米国の経済学者、P・A・サムエルソンの主著『経済学』が有名で、市場原理の重要性を説き、「小さな政府」をめざすが、一方、「市場の失敗」も認め、政府による管理、規制を容認する。
・新自由主義(=新保守主義)=米国シカゴ学派のリーダー、M・フリードマンの著昨『資本主義と自由』、『選択の自由』などが知られる。1980年前後から政治の場にも登場してきた経済思想で、公的規制を撤廃し、野放図な「自由と競争」を容認する市場原理主義と「小さな政府」(福祉や教育にも市場原理を導入)をめざす。英国のサッチャリズム(サッチャー首相)、米国のレーガノミックス(レーガン大統領)、日本の中曽根ミックス(中曽根首相)から始まった。
 特に2000年以降、米国のブッシュ政権、日本の小泉・安倍政権による新自由主義路線は市場原理主義と軍事力行使が重なり合っている点を見逃してはならない。 昨今の巨大企業破綻や株暴落を含む米国発世界金融危機は、この新自由主義の破綻を意味している。

 さて私が構想する仏教経済学はつぎの八つのキーワードからなっている。「八」という漢数字は末広がりを意味しており、発展への期待をこめている。カッコ内は現代経済学の特質である。
*いのち尊重(いのち無視)
*非暴力=平和(暴力=戦争の肯定)
*知足(貪欲)
*共生(孤立と分断)
*簡素(浪費)
*利他(私利、拝金主義)
*持続性(非持続性)
*多様性(画一性)
 以下、八つのキーワードについて骨子を説明し、現代経済学との相違点を概説する。

▽八つのキーワード(1)― いのち、非暴力、知足、共生 

*いのち尊重
仏教経済学=人間に限らず、地球上の生きとし生けるものすべて(自然、動植物)のいのちを尊重する。仏教の不殺生戒は人間はもちろん、それ以外の動植物の無益な殺生を厳しく戒めている。
現代経済学=いのちへの視点はない。

*非暴力(平和)
仏教経済学=平和を「非戦」に限定しないで、広く「非戦を含む非暴力」ととらえる。すなわち戦争のほかに地球環境の汚染・破壊(異常気象など)、貧困、飢餓、疾病、水の欠乏、人権侵害、格差の拡大などがない状態を「非暴力=平和」ととらえる。
現代経済学=経済学者、ケインズは『一般理論』で「戦争は富の増大に役立つ」と明記し、戦争を肯定している。

*知足
仏教経済学=欲望について「足るを知り、これで十分」と心得る智慧を重視する。釈尊は「知足の人は、貧しといえども、しかも富めり」と説いた。際限のない貪欲を戒める。
現代経済学=「まだ足りない」と貪欲に執着する欲望を肯定する。

*共生
仏教経済学=地球上のすべてのいのちの相互依存関係を指している。人間は一人で生きているのではなく、宇宙(太陽を含む)、地球、自然、社会、地域、家庭、さらに他人様(ひとさま)のお陰で生かされ、生きている。つまり共生以外に人間は生きることはできない。「お陰様」という言葉はこの共生関係に感謝すること。
現代経済学=いのちのつながりという共生への観念はない。むしろいのちの孤立、分断が目立つ。

▽八つのキーワード(2)― 簡素、利他、持続性、多様性

*簡素
仏教経済学=簡素それ自体が美しいととらえる。日本文化の茶の湯は茶室、器(うつわ)、一輪挿しの生け花などにみるように簡素を旨とし、茶の湯の創始者、千利休は、「花は野にある様に生けること」と唱え、自然を生かし、季節感を大切にした。
簡素は非暴力とも深くかかわっている。 簡素は、資源・エネルギーの節約に通じる。資源エネルギーを遠隔地の海外に求める必要はないと仏教経済学は考える。だからグローバリゼーション(経済の地球規模化)ではなく、ローカリゼーション(地域主義)を重視する。
現代経済学=簡素ではなく、浪費のすすめであり、グローバリゼーションを追求する。それは暴力に通じる。米国のイラク、アフガン攻撃は石油などエネルギー確保を中東地域、中央アジアに求めている。新自由主義を信奉してきた米国は世界最大の石油浪費国、最大の地球環境破壊国である。

*利他
仏教経済学=利他という「世のため、人のため」の行為が大切で、それが結局は自分のためにもなるという仏教的行動原理。仏教経済学はこの利他的人間観を想定して、組み立てる。
現代経済学=私利(利己主義)第一の人間観を想定して理論体系を組み立てている。ここが仏教経済学とは根本的に異なる点である。こういう人間観に立つ以上、「おカネ至上主義」の拝金主義につながるほかない。

*持続性(持続可能な「発展」)
仏教経済学=「持続可能な経済社会」を重視する。いのち、自然、資源・エネルギーなどを大切にする簡素・非暴力型経済社会の構築をめざす。つまり経済社会の質的充実を追求するが、貪欲な経済成長主義(量的拡大)はめざさない。
現代経済学=経済成長にこだわる。経済成長すなわち量的拡大は持続的ではない。必ず行き詰まる。

*多様性
仏教経済学=自然、人間、社会、文化すべてが地域、民族、国によって異なり、それぞれの多様性を認め、尊重する。
現代経済学=ブッシュ大統領にみるような単独主義、覇権主義、軍事力中心主義を批判せず、擁護さえする。多様性とは縁遠い。

▽仏教経済学は市場経済、貨幣、競争をどう考えるのか

 以下では仏教経済学として八つのキーワードのほかに市場経済、貨幣、競争をどう位置づけるのかに言及したい。

*市場経済について
現代経済学、特に新自由主義の立場では「自由放任」ともいえる徹底した自由市場経済を追求する。「市場こそ万能」という考えである。しかしこの路線追求は弱肉強食のすすめでもあり、多国籍企業などの強者には有利だが、中小企業や労働者には不利である。貧困、格差の拡大を必然化する。小泉政権時代に顕著になった「構造改革」という名の新自由主義路線の巨大な「負の効果」に多くの国民があえいでいる。

 一方、仏教経済学では市場経済を肯定するが、「自由放任」の自由市場経済ではなく、社会市場経済を構想する。ここでは社会的規制、すなわち自然環境、土地、都市、教育、医療、福祉などの分野での公的規制も必要と考える。公的規制の実施主体として行政機関のほかに市民、住民も参画し、決定権を行使する。

*貨幣について
現代経済学は貨幣、すなわち市場でモノやサービスを入手できる貨幣しか念頭にない。
あるいは昨今の金融資本主義ともいわれるマネーゲーム(金融工学を駆使した野放図な利殖)のための貨幣を重視する。 

 しかし仏教経済学では経済価値をつぎのようにとらえる。
《経済(経世済民)価値=貨幣価値+非貨幣価値》
経済とは本来「経世済民」(世を整えて、民衆を救うこと)を含意している。従って経済価値は、お金と交換で入手できる貨幣価値(モノ、サービス)に限らず、お金では買えない非貨幣価値(いのち、地球環境、豊かな自然、非暴力、共生、モラル、責任感、誇り、品格、慈悲、思いやり、利他心、生きがい、働きがいなど)も含むと考える。このように非貨幣価値も視野に入れて重視するのが仏教経済学である。

*競争について
 現代経済学、特に昨今の新自由主義は弱肉強食の競争で、ナンバーワンをめざす。勝ち負けがはっきりするので、一握りの勝者に対し、多数の敗者、落伍者が出る。

 仏教経済学は競争を肯定するが、それぞれの個性を磨き合う競争を重視する。ナンバーワンよりもオンリーワンをすすめる。勝ち負けを偏重しないので、落伍者もいない。ただし日頃の精進、努力を重視するので、厳しいといえば厳しい。

▽世界的な金融危機を仏教経済学的に読み解くと―

 仏教経済学の八つのキーワードを念頭に置いて、昨今の世界的金融危機を読み解けば、何がみえてくるか?

 世界的な金融危機の発端となった米国サブプライムローンの破綻とは、「低信用者層に対する高金利住宅ローン」という債権を証券会社(=投資銀行など)が証券化して売りまくり、それが住宅建設ブームの破綻によって証券が売れなくなり、大損失を発生させたことを指している。
 それが世界的な金融危機に発展している。金融工学を駆使した現代経済学の賭博的ビジネス(カジノ資本主義とも呼称)とその破綻でもある。

 この破綻を現代経済学を批判する仏教経済学の視点から表現すれば、こうなる。
 際限のない貪欲(もっともっと、「まだ足りない」)で私利(目先の暴利と拝金主義)の極地を追求し、その成れの果てに、 非持続性(=破綻)に陥った。いいかえれば私利を追い求める弱肉強食の自由競争、すなわち<新自由主義路線の飽くなき追求>によって破綻に見舞われ、地獄に転落したわけだ。こうもいえる。現代経済学にひそむ悪魔にそそのかされて、地獄に堕ちた―と。
ただこれによって新自由主義は破綻したが、死滅したとは言いにくい。

 仏教経済学は、このような貪欲そのものの新自由主義路線を批判する立場である。上記の八つのキーワードを経済社会に応用、実践し、貪欲な経済成長、私利や拝金主義を拒否する。それ故に経済、生活の破綻はない。簡素にして暴力のない、しかも質的に充実した日常生活を享受できる「現世での幸せ」をめざすのが仏教経済学である。
昨今の仏教宗派の多くは葬式仏教にみられるように現世への視点を忘れがちである。それは仏教本来の姿ではない。仏教経済学は「来世の幸せ」ではなく、「現世の幸せ」に視点を置いている。
 なお政策論としての仏教経済学の紹介は別の機会に譲りたい。


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金融危機責任者たちを投獄せよ
あの米映画監督ムーアが告発状

安原和雄
 「華氏911」(9.11テロがテーマ)や「シッコ」(米国の悲惨な医療保険制度がテーマ)の米国映画監督として日本でも話題を呼んだマイケル・ムーアが今回の米国発金融危機と米議会で可決された修正金融安定化法に関連して告発状ともいえる批判文を発表した。題して「ウオール街の混乱をどう治めるか」で、10項目の独自の「救済計画」を盛り込んでいる。
 その内容は「今回の危機到来に加担した者を犯罪者として起訴し、投獄すべきである」、「救済経費は富裕者が自ら負担すべきである」などで、危機収拾に翻弄されているブッシュ米大統領らにとっては実に手厳しいが、むしろ正当な主張というべきである。(08年10月8日掲載、公共空間「ちきゅう座」に転載)

この告発状は、彼のメーリングリストにも流された。金融安定化法(最大7千億ドル=約75兆円の公的資金を金融機関の救済資金として投入する計画)は最初米議会上院で可決されたが、9月29日下院で否決、その後法案は修正されて再度採決することになり、上院で10月1日可決の後、3日下院でも可決され、修正金融安定化法は成立した。
 ムーアは告発状を送るメールで「上院では今夜、アメリカ略奪の独自改正案を審議する。またあなたが10項目計画に賛同していることを地域の下院議員に知らせて下さい」と記しており、議会の動きを追いながら、告発状を書き、流していたことがうかがえる。

▽ムーアの告発状 ― 最裕福400人が全国資産の半分以上を隠匿

 マイケル・ムーアの告発状(大要)はつぎの通り。なお原文・英文の仮訳は藤谷英男さんによるもので、日本国内のメーリングリストで入手した。
 原文は以下で読むことができる。
http://www.michaelmoore.com/words/message/index.php?messageDate=2008-10-01

 皆さん、
 400人のアメリカの最裕福層、そう、「たったの400人」が底辺の1億5千万人を全部合わせた以上の財産を持っている。最裕福400人が全国の資産の半分以上を隠匿しているのだ。総資産は正味1兆6千万ドルになる。ブッシュ政権の8年間に彼らの富は「7千億ドル近く」膨らんだ。7千億ドルはちょうど救済資金として我々に支払いを要求しているのと同額だ。彼らはなぜブッシュの下でこしらえた金で自ら救済しないのか!

 ジョージ・W・ブッシュはクリントン政権から1270億ドルの黒字を引き継いだ。それは我々国民の金であって自分のものではないので、裕福層が求める通りに後先も考えずに支出した。その結果、国民は今9兆5千億ドルの負債を背負っている。そもそも我々はなぜたとえ少しでもこんな盗人貴族に追い銭を与えねばならないのか?

 さて私の救済プランを提唱したい。
 金持ちさん、済まないが、これはお前さん達がいやと言うほど我々の頭に叩き込んだものだよ。タダ飯ハ食ワセナイ・・・。生活保護で生きる人達を憎むように仕向けてくれて有難う。だから我々からお前さん達に施しは出来ないのだよ。

 上院は今夜、法案を採決に持ち込もうとしている。これは阻止しなければならない。我々は先に下院でこれを成し遂げた。今日上院でも出来るのだ。
 我々はいたずらに抗議し続けるだけではなく、議会がなすべきことをきっちりと提案しなければ埒が明かない。そこでフィル・グラム(共和党・ジョン・マッケイン大統領候補の参謀)より賢い人達と相談の上、「マイクの救済計画」と題してここに私の提案をする。明快・単刀直入な10項目である。

▽救済計画10項目(1)― 金融危機加担者を犯罪者として起訴せよ

1.【ウオール街で、承知の上で今回の危機到来に加担した者を犯罪者として起訴するため、特別検察官を任命せよ】

 何らかの新たな支出をする前に、議会は責任を持って、我が国の経済の略奪に少しでもかかわった者を刑事犯として起訴することを決議すべきである。即ち、インサイダー取引き、証券詐欺その他今回の崩壊に何らかの寄与をした者は投獄されるべきである。この事態を出現させた全ての者と、今後も社会を欺く全ての者を精力的に追求するための特別検察官を招聘(しょうへい)すべきである。

2.【救済経費は富裕者が自ら負担すべきである】

 彼らが住む邸宅は7軒から5軒に減るかも知れない。乗る車は13台から9台になるかも知れない。しかしそもそも、ブッシュ政権下で世帯当たり収入を2000ドル以上も減らされた勤労者や中流層が、彼らのもう1隻のヨットのために10セントでも払ってやるいわれなどありはしない。
 彼らが必要だと言う7千億ドルが真に必要なものならば、それを簡単にまかなう方法を提示しよう。

 a)年収100万ドル以上の全ての夫婦と年収50万ドル以上の独身納税者は、5年間10%の追加所得税を支払う。これでも富裕層はカーター政権の時よりも税負担が少ないのだ。これで3千億ドルが出来る。
 b)ほとんどの民主主義国家のように、全ての株取引に0.25%を課税する。これで毎年2千億ドル以上が出来る。
 c)株主はみな愛国的米国人であるから、四半期の間配当の受領を辞退し、その分を財務省による救済資金の足しにする。
 d)米国の大企業の25%は現在連邦所得税を全く払っていない。企業からの連邦税収は現在GDPの1.7%であるが、これは1950年代には5%であった。もし企業の所得税を1950年代の水準に戻せば、さらに5千億ドルが出来る。

3.【緊急救済すべきは住居を失う人々だ。8つ目の住宅を建設する連中ではない】

 現在130万軒の住宅が抵当として取り上げられている。これこそが正に問題の核心なのだ。だから資金を銀行に贈与するのではなく、1人当たり10万ドルでこれらの住宅ローンを払いきるのだ。そして住宅の持ち主が時価に基づいてローンを返済するべく銀行と再交渉できるように要求する。
 この救済措置の対象は持ち主の現住住宅のみとして、家転がしで儲けを企んでいる者や投機家を確実に排除しておく。この10万ドルの返済と引替えに政府はそのローンの債権を共有して幾らかを回収できるようにする。このようにすると住宅ローンの焦げ付きを(貪欲な貸し手を巻き込まずに)その根っこで解消する費用は7千億ドルではなく千五百億ドルですむ。

 さて住宅ローンの返済不能に陥った人々は「不良リスク」などではない。彼らは自分たちの家を望んだにすぎない。しかしブッシュ時代に何百万人もがそれまでに就いていた良い職を失ったのだ。600万人が困窮し、700万人が健康保険を失った。そして全ての人の年収が2000ドルも減少したのだ。つまずきの連鎖に見舞われたこれらの人々を見下す者は恥を知れ。

▽救済計画10項目(2) ― 規制の回復を。レーガン革命は死んだ

4.【あんた達の銀行や会社が我々からの「救済金」を少しでも受け取れば、我々はあんた達の主人だ】

 気の毒だがそれが世の決まりなのだ。もし我々が家を買うために銀行から資金を借りれば、全額を利子も付けて返済するまでは銀行がその家を「所有」する。ウオール街についても同じだ。もしもあんた達が良い生活を続けるために何らかの資金を必要とし、また政府があんた達を低リスクで国家のためにも必要な者だと判断したら、ローンは得られるが、我々があんた達を所有することになる。もし債務不履行があれば我々はあんた達を売却する。これはスウェーデン政府が行って成功した方法なのだ。

5.【規制は全て回復しなければならない。レーガン革命は死んだ】

 今回の悲劇は狐に鶏小屋の鍵を持たせたことが原因である。1999年にフィル・グラムがウオール街と銀行を支配する全ての規制を撤廃する法案を起草した。法案は成立してビル・クリントン(当時の大統領)が署名した。その署名の時、マッケインの主任経済顧問であるフィル・グラム上院議員が言った言葉は次のようであった。

 「1930年代、政府が答えであった。動いている市場を政府が支配することで安定と成長がもたらせられると信じられていた」
 「今日我々はそれを撤回する。我々は政府が答えではないことを学んだからだ。自由と競争こそが答えであることを学んで来た。我々は競争と自由を手にすることで経済成長を促進し、安定を推進する」

 この法案は撤回されなければならない。ビル・クリントンはグラム法案を撤回して財政機構に一層厳格な規制を復活させる努力を主導することで貢献できるはずだ。これらが達成されたら、航空会社、食品検査、石油業界、職業安全衛生管理局、その他日常生活に影響する全てのことに関する規制の回復も出来る。どのような「緊急救済」を管理する規定も、資金の裏付けと全ての違反者の刑事処罰が伴わなければならない。

6.【失敗が許されないほど巨大なものは存在も許されない】

 超大型合併の出現を許す一方で、独占法やトラスト禁止法をないがしろにする現状によって多くの企業が合併で余りにも巨大になりすぎて、その破綻だけで一国の経済全体が破綻に至るほどになってきた。1つや2つの企業がこれほどの威力を持つことがあってはならない。
 いわゆる「経済的真珠湾」は、人々の資産が何千何百の企業に分散していたら起こりえないことである。自動車会社が1ダースもあれば、その1つが倒れても国家の惨事にはならない。もし町に別々の経営による3紙の新聞があれば1社だけが情報を独占することはない。企業が余りに大きく独占的になりすぎて、片目にぱちんこの一撃を受けただけで倒れて死ぬようなことがないように、企業の肥大化を防ぐ立法が必要である。

▽救済計画10項目(3)― 経営責任者の高報酬は正気の沙汰ではない

7.【いかなる会社重役も、従業員の平均賃金の40倍を超える報酬を受け取ってはならず、会社のための労働への妥当な給与以外にはいかなる「落下傘」(訳注:墜落する企業から退散する時の巨額の退職金など)も受け取ってはならない】

 1980年には米国の平均的な最高経営責任者は従業員の45倍を得ていた。2003年には自社従業員の254倍を稼いだ。8年のブッシュ時代が過ぎて、今では従業員の平均給与の400倍を得ている。公的な会社でこのようなことが出来る仕掛けは正気の沙汰ではない。英国では平均的な最高経営責任者は28倍稼いでいる。日本では17倍にすぎない!
 我々は頂点の連中が何百万ドルを操って信じがたいほどに膨れあがるのを許して今のような大混乱を創ったのだ。このままにしてはならない。役員は誰もこの混乱から脱出するために受ける援助から利益を得てはならないのはもちろん、会社の破綻に責任ある役員は会社が何らかの援助を受ける前に辞職しなければならない。

8.【連邦預金保険公社を強化して、国民の預貯金にとどまらず年金と住宅の保護のモデルとせよ】

 オバマ(民主党の大統領候補)が国民の銀行預金に対する連邦預金保険公社による保護の範囲を25万ドルにまで広げるよう提案したのは正しかった。しかしこれと同様の政府系保険で国の年金基金も保護されなければならない。国民が老後のために支払った掛け金がなくなっていないかと心配することがあってはならない。これは、従業員の年金の基金を管理する企業を政府が厳格に監督することを意味する。
 国民の退職基金も保護が必要だが、基金を株式市場という博打に投資させないことを考える時かも知れない。我が国の政府は、誰でも年老いて赤貧に投げ込まれることがないことを保障する厳粛な義務を負うべきである。

9.【深呼吸をし、落ち着いて、恐怖に日々を支配させないことが誰にも必要だ】

 テレビを消そう!今は「第二の大恐慌」などではない。天は落ちては来ない。評論家や政治家が余りにも矢継ぎ早に、おどろおどろしく嘘をついているので、我々は降りかかる恐怖の影響を免れるのが困難になっている。私でさえ、昨日、ダウ平均株価が過去最大の1日の下落を示したとのニュースを聞いて皆さんに記事を送り、その内容を繰り返した。それはその通りだが、7%の下げは1987年に株価が1日で23%暴落したブラックマンデーにはほど遠いものだ。80年代には3000の銀行が閉鎖された。しかし米国は破産しなかった。

 今週何万人もが自動車ローンを組んだ。何千人もが銀行でローンを借りて家を買った。大学に戻った学生達を15年の学生ローンに取り込んで銀行はほくほく顔だ。日々の営みが続いている。銀行預金や手形、定期預金証書の形である限り誰一人金を失わなかった。そして何より驚くべき事は米国民が恐怖キャンペーンに乗らなかったことだ。人々はひるむどころか議会に救済法案を葬らせたのだ。それは真に印象深い出来事だった。
 民衆が大統領やその一味が繰り出す恐怖に満ちた警告に屈しなかったのはなぜだろうか? そう、「サダムはその爆弾をもっている」などと何度も言えるのは人々に大嘘つきだと見破られるまでのことでしかない。長い8年のあと、国民は疲れ果ててもう我慢の限界なのだ。

10.【民衆の「国民銀行」を作ろう】

 どうしても1兆ドルを印刷するとしたら、それは一握りの大金持ちに与えるのではなく我々自身に与えようではないか。フレディーとファニー(2大政府系住宅金融会社)が我々の手に落ちた今こそ、国民の銀行を作ろうではないか。自宅の購入、小規模事業の起業、通学、癌治療、あるいは次の大発明のための資金を望む全ての人に低金利の融資を行う銀行である。
 また、米国最大の保険会社AIGも我々の手に落ちたのだから、次の段階に進んで全ての人に医療保険を提供しよう。全国民にメディケアーだ。これで長期的には大きな節約が出来るだろう。また平均寿命が世界12位とはならないだろう。もっと長生きをして政府が保障する年金を享受し、やがて、とんでもない惨状をもたらした企業犯罪者達を許して出獄させ、我々の助力で市民生活に再順応させる日を生きて迎えるだろう。素敵な家1軒と、国民銀行の援助で発明された、ガソリンを使わない自動車1台を持つ市民生活にだ。

〈安原の感想〉― 新映画の題名は「反乱929ー天国の400人」?

 「告発状」は私が名づけたもので、たしかに告発状になってはいる。「金融危機加担者は犯罪者として起訴せよ」と叫ぶあたり、いかにもムーアの面目躍如の観がある。同時に小説「米国の金融危機と貧困物語」を読んでいる印象さえある。しかしこれは事実から離れた小説ではない。米国の現実そのままである。「事実は小説より奇なり」というが、ごくわずかな最富裕者を含む保守層が推進する新自由主義のために、特にブッシュ政権のこの8年間に米国でどれだけ貧富の格差が広がって、大量の貧困者が生み出されたかが明確に描かれている。
 要旨紹介のつもりでかなり削ろうとしたが、「もったいない」という思いがつのり、全文の8割程度を生かすことになった。

 私の想像だが、マイケル・ムーアはこれを映画化するのではないか。この告発状はシナリオの下書きのつもりかも知れない。
 新映画の題名は「反乱929ー天国の400人」ではどうか。「反乱929」はいうまでもなく下院反乱によって一時的にせよ、金融安定化法案を否決した記念すべき9月29日のことである。これが主題で、副題として最富裕層400人の日常生活を追跡する。天国にいるつもりだろうが、地獄に墜ちるぞ! という警告をこめる。ヒット作になることは間違いないだろう。

 それにしても見逃せないのは、「救済計画10項目」の中で紹介されているマッケイン(11月の米大統領選挙の共和党候補)の主任経済顧問であるフィル・グラムのつぎの言葉である。
 「1930年代、政府が答えであった。動いている市場を政府が支配することで安定と成長がもたらせられると信じられていた」
 「今日我々はそれを撤回する。我々は政府が答えではないことを学んだからだ。自由と競争こそが答えである。我々は競争と自由を手にすることで経済成長を促進し、安定を推進する」

 言葉の中の「自由と競争」は、正確には「一部の者のための無規制の自由と競争」というべきであり、悪名高い新自由主義を指している。現下の焦点は金融危機とともに破綻した新自由主義がどうなるかである。死滅へ向かうのか、よみがえるのか。死滅しなければ、多くの民衆は救われない。保守派のマッケインがつぎの新大統領になれば、見事によみがえるだろうが、新大統領にならなくとも、新自由主義は容易には死滅しないだろう。その時、ムーアはつぎの告発状をどう記すのか。


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新自由主義はついに破綻した
世界金融危機の歴史的な意味

安原和雄
過去30年間猛威を振るってきた新自由主義(=市場原理主義)は自らの胎内から「100年に1度の危機」といわれる世界金融危機を発生させ、ついに破綻をきたした。『平家物語』の一節を借用すれば、「おごれる人も久しからず、たけき者も遂にはほろびぬ」であろうか。
 しかし新自由主義の総本山、米国の信奉者群は確信犯であるだけに淡い期待は禁物である。米国に追随して日本列島上に大きな災厄をもたらした日本版新自由主義は果たして転換に成功するだろうか。今回の世界金融危機の歴史的意味を考え、その上で新自由主義後の日本の針路を探る。総選挙を控えて、新たな選択の機会が待ち受けている。それにどう臨むか。この選択には一人ひとりの生き方がかかっている。(08年10月4日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽金融投資家、G・ソロスの警告 ―「超バブル」の崩壊と「歴史的大転換点」

 現在の世界は、アメリカの住宅バブルの崩壊に端を発した、深刻な金融危機の最中にある。この危機は単なるバブルの崩壊以上のものである。1929年の大恐慌以来最悪の状態が訪れ、ドルを国際基軸通貨とした信用膨張の時代が終焉を迎えようとしている。

 この四半世紀以上にわたって成長してきた巨大な「超バブル」がビッグバンのように弾けようとしている。この超バブルには、人々が誤った投資行動を続ける原因になった「支配的なトレンド」と「支配的な誤謬」とが存在した。「支配的なトレンド」とは、信用膨張、つまり信用マネーの飽くなき肥大化であり、「支配的な誤謬」とは、19世紀には自由放任(レッセフェール)と呼ばれていた、市場には一切規制を加えるべきではないという考え方 ― すなわち市場原理主義である。
 だがこれ以上の信用膨張はもはや不可能になり、しかも市場原理主義の誤りが余すところなく暴露されてしまった今回の危機は、歴史の大きな転換点にならざるををえないだろう。

 以上の分析は、ジョージ・ソロス著/徳川家広訳『ソロスは警告する 超バブル崩壊=悪夢のシナリオ』(講談社、08年9月刊)の一節である。
 注目すべき指摘は「市場原理主義、つまり新自由主義は誤り」と断定したうえで、「歴史的な大転換点になる」とみていることである。

 (なお著者は1930年ハンガリー生まれで、アメリカに移住し、現在、ソロス・ファンド・マネジメント会長。世界的な金融投資家として知られており、今日までに1兆3000億円ともいわれる莫大な個人資産を築いた。自ら設立した財団を足場に慈善事業や政治活動にも取り組んでいる)

▽「100年に1度の危機」はこうして表面化し、進行中だ

 今回の世界的な金融危機は、昨07年8月、米国の大手住宅ローン会社アメリカン・ホーム・モーゲージ社が従業員の半分以上を一時休職処分にし、倒産を申請した時から表面化した。サブプライムローン(低信用層向けの高金利住宅ローン)が住宅バブルの崩壊とともに回収できなくなり、大損失が発生したためである。グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長が「100年に1度の危機」と言ったのは、1929年の世界大恐慌以来の深刻な金融危機という意味である。
 その深刻ぶりは、以下の今08年に入ってから、特に9月に米国を中心に相次いだ企業の破綻・合併・救済などの慌ただしい動きをみれば、一目瞭然である。

[08年に入ってからの金融危機の実相]
・3月16日 米証券5位のベアー・スターンズがJPモルガンに救済合併される
・9月7日 米政府、米住宅金融公社に公的資金を供給し、政府管理下に入れる
・15日 米証券4位のリーマン・ブラザーズ破綻(損失額 約1兆6000億円)。米銀行2位のバンク・オブ・アメリカが米証券3位のメリルリンチ合併を発表。これで米大手証券5社のうち3社が破綻・合併
・16日 米連邦準備制度理事会(FRB)が米保険大手のアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に最大9兆円融資発表
・18日 日米欧の6中央銀行が異例のドル資金協調供給策(1800億ドル=約19兆円)を発表
・19日 米政府、包括的金融安定化策(7000億ドル=約75兆円の公的資金による不良債権=資産の買い取り)を発表
・21日 米証券1位ゴールドマン・サックスと2位モルガン・スタンレーが証券会社(投資銀行)から商業銀行化へ。特別融資などFRBの支援を受けやすくなる
・22日 三菱UFJがモルガン・スタンレーに出資発表。野村ホールディングスも破綻したリーマン・ブラザーズのアジア・太平洋部門を買収へ  

・24日 国際通貨基金(IMF)の専務理事は金融危機の損失コストは世界全体で1兆3000億ドル(約138兆円)に上るとの見通しを明らかにした。18日に発表されたドル資金協調供給策の規模をオーストラリア、スウェーデンなど4中銀も加えて約2900億ドルに拡大
・25日 米貯蓄貸付組合最大手ワシントン・ミューチュアル破綻
・29日 米下院、金融安定化法案を賛成205、反対228で否決。大統領与党の共和党の3分の2以上が反対した。NY株式市場は史上最大の777ドルの下げ幅を記録。日米欧を中心とする中央銀行は、異例のドル資金協調供給総額を一気に倍増させ、約6200億ドル(約65兆3200億円)に拡大すると発表

・10月3日 米上院が先日、修正金融安定化法案を再可決したのを受けて、下院も賛成263、反対171で可決。ブッシュ大統領は「これで世界経済で指導的立場を維持できる」と演説した。

以上の一連の動きの中で注目に値するのは、9月29日米下院が金融安定化法案を一時的にせよ、否決したこと。世論調査によると、国民の6割以上が公的資金、つまり税金によって、暴利を貪った金融業者を救済するのは疑問という態度である。新自由主義に対する不満、批判をうかがわせる。しかも共和党の大統領提案に共和党議員の反対が多かったことは皮肉である。

▽「カジノ資本主義」の成れの果て ― 「劇的な恐慌」

 ここで想起したいのはスーザン・ストレンジ著/小林襄治訳『カジノ資本主義 国際金融恐慌の政治経済学』(岩波書店、1988年刊)のつぎの一節である。
 注意を促したいのは、今から20年も前の指摘であることだ。今回の世界的な金融危機は、この著作で説かれた「カジノ資本主義」の成れの果てであり、起こるべくして起こったというべきである。

西側世界の金融システムは急速に巨大なカジノ(公認賭博場)以外のなにものでもなくなりつつある。毎日ゲームが繰り広げられ、想像もできないほど多額のお金がつぎ込まれている。
 カジノと同じように、今日の金融界の中枢ではゲームの選択ができる。ディーリング(売買)― 外国為替やその変種、政府証券、債券、株式の売買が行われている。先物を売買したり、難解な金融新商品の売買で将来に賭をできる。この世界的な金融カジノの元締めが大銀行と大ブローカーである。彼らは「会社のために」プレーしている。しかし長期的には最も良い生活をするのは彼らである。

 確かなことは、それ(賭博場と化した国際金融システム)がすべての者に影響を及ぼしていることである。自由に出入りできるカジノと、金融中枢の世界的カジノとの大きな違いは、後者では我々のすべてが心ならずもその日のゲームに巻き込まれていることである。大金融センターのカジノで進められていることが、新卒者から年金受領者まですべての人々の生活に、突然で予期できない、しかも避けられない影響を与えてしまうのである。

 このことは深刻な結果をもたらさざるを得ない。将来何が起きるかは全くの運に左右されるようになり、熟練や努力、創意、決断、勤勉がだんだん評価されなくなる。そうなると社会体制や政治体制への信念や信頼が急速に消えていく。自由な民主社会が最終的に依拠している倫理的価値への尊敬が薄らいでいく危険な兆候が生じる。(中略)今や、運が怠惰や無能と同じように仕事を奪うかも知れない。
 こうしたわけで、不確実性の増大が、自発的ではないしても、我々のすべてを賭博常習者にしてしまっている。

 運によって左右される領域が大きくなりすぎ、システムが非常に恣意的で不平等に運営されているように思われる。こうなると欲求不満や怒りが強まり、いっそう暴力的に表現されるようになる。
 金融の世界を支配している不確実性は、個人生活ばかりでなく、政府や国の運命にも、そして遅かれ早かれ国と国との間の関係にも広がっていく。この拡散は、1929年大恐慌の後にも生じた。今また、この不確実性が世界市場経済に劇的な恐慌をもたらすかどうかは、一般の人々にも関心のあることに違いない。

以上、長めの引用となったが、20年前に予測された「劇的な恐慌」が、現に今、世界規模で進行中なのである。指摘されている「不確実性」は今や日本でも日常茶飯事の現象であり、明日のいのちも分からない。
 文中に「難解な金融新商品」という表現が出てくるが、その一つが今回の金融危機の発端となったサブプライムローンを証券化した金融新商品である。なぜ「難解」かといえば、金融工学を駆使して、つくり出された金融新商品の複雑な仕組みが当事者にも分かりにくくなっているからである。

(なお著者は1923年生まれ、LSE(ロンドン大学経済学部)卒。ロンドン・エコノミスト誌などの記者を経てLSEの国際関係論主任教授などを歴任。1998年没)

▽地球規模で広がる怒り ― 新自由主義(=市場原理主義)への批判

 地球規模で新自由主義への怒りと批判の炎が燃え上がっている。そのいくつかを紹介しよう。

*南米4カ国の大統領 ― 新自由主義の経済モデルから南米の解放を
 ブラジル、ベネズエラ、ボリビア、エクアドルの大統領は9月30日ブラジルで会談し、世界金融危機をめぐって米国の責任を追及した。
 ベネズエラのチャベス大統領は危機の根源として「米政府と市場原理主義者の無責任」を挙げた。同時に南米諸国の独自の銀行、「南米銀行」の早期始動を訴えるとともに「同銀行が機能すれば、有害な新自由主義システムから南米を解放できる」と強調した。
ボリビアのモラレス大統領は、「金融危機の代償を払わされているのは米国や世界の貧しい人々だ。経済モデルの変革を真剣に検討するときである。資本主義は人類にとって何の解決にもならない」と指摘、さらにブッシュ米政権が公的資金を投入して金融機関から不良資産を買い取ろうとしていることについて「ボリビアでは貧しい人を救うために国有化しているが、米国ではお金持ちのために国有化しようとしている」と皮肉ったと伝えられる。

*ドイツの財務相 ― 米国の自由放任型金融システムを批判
 シュタインブリュック独財務相は、9月25日連邦議会(下院)で金融危機について米国の自由放任型金融システムを厳しく批判、「米国は世界金融体制の中で超大国の地位を失うだろう。世界の金融体制は多極化することになる」と述べた。また米英両国の金融機関が異常な高利益と巨額の報酬を得ていることについて「投資銀行家、政治家はこれを手放そうとはしない」と非難した。
さらに世界の準備通貨としてのドルは「円(日本)、ユーロ(EU)、元(中国)によって補われることになる」としてドルの地位が相対的に低下していくことを予測した。危機再発の防止策として投機的空売りの禁止、失策を犯した個人に責任を取らせるルールづくりなどを提案した。

*フランスの大統領 ― 市場万能主義は市場経済ではない 
 サルコジ仏大統領は9月25日南仏で演説し、市場万能主義を掲げる金融資本主義を「資本主義でも、市場経済でもない」と批判した。そして市場経済とは「発展、社会、万人のために規制された市場のこと」であり、資本主義とは短期的(利益の追求)ではなく、「長期的な成長」だと主張した。
さらに資本主義では投機家ではなく、企業家や労働の対価が優先されるべきだと主張、進行中の金融危機は「資本主義の危機ではない。資本主義の根本的価値からかけ離れたシステムの危機」と指摘した。
 大企業経営者や大株主が高額の報酬を得ていることには「多くの乱用や汚職がみられる」 として「法による規制の導入も必要」と述べた。

*イギリスの首相 ― 規制のない自由市場は誤り
ブラウン英首相は9月23日英労働党大会で「大きな政府という主張の間違いと同様に、全く規制のない自由市場という主張の誤りも明らかになった」と述べた。
 さらに今後英国と世界がめざすべき金融改革として、①透明性の確保、②危険を制御できる健全な銀行業務、③金融機関経営陣の責任明確化、④短期投機にではなく、勤勉、努力、やる気に報酬が支払われる規範づくり、⑤世界規模の監督体制の構築 ― を挙げた。

*アルゼンチンの大統領 ― 「市場がすべてを解決する」政策は失敗
フェルナンデス・アルゼンチン大統領は9月23日国連総会一般演説で米国発の金融危機は「カジノ経済」の結果と指摘、新自由主義の経済モデルを見直す「歴史的好機」と述べた。また米政府、WTO(世界貿易機関)、IMF、世界銀行主導の「ワシントン・コンセンサス」として中南米諸国に押しつけられた「市場がすべてを解決する。国家の介入は不必要」という新自由主義政策の失敗は明白だと指摘した。

▽金融危機を歴史的に位置づければ ― 新自由主義の破綻

 大局的な歴史の推移からいえば、1929年に始まる世界大恐慌は「旧自由主義」路線の破綻を意味した。それまでの自由放任経済の終焉でもあった。その後登場したのがご存知のケインズ(イギリスの経済学者)流の赤字財政政策による内需主導型経済拡大策だった。第2次大戦後30年くらいはこの政策は経済成長を促すために有効だったが、やがて石油危機とスタグフレーション(低成長とインフレの共存)、さらに財政破綻に見舞われて、「小さな政府論」が登場し、ケインズ政策は不人気となってきた。

 そこへ華々しく登場してきたのが米シカゴ学派の唱える「新自由主義」路線で、「規制のない自由な市場こそ万能」という主張である。グローバリゼーションの下での資本・金融自由化、公的企業の民営化をスローガンに多国籍企業など大企業、大金融機関などの「自由な利益追求」の確保が優先されるようになった。大衆に犠牲をしわ寄せして、資本主義の再編成をめざすこの路線は1980年前後から米国(レーガン政権)、英国(サッチャー政権)、日本(中曽根政権)の3か国で始まった。福祉を重視する北欧などヨーロッパ型資本主義との差異が話題にもなった。

 日本でこの新自由主義が本格化したのは小泉政権のいわゆる構造改革(大規模な規制自由化、民営化さらに弱肉強食の競争を進めて貧困・格差を拡大し、その一方で大企業の優遇策を実施)である。米国では金融工学を自由に駆使するサブプライム・ローン問題が新自由主義の顕著な一つの具体例といえる。

 こうみると今回の金融危機は「100年に1度の危機」、「超バブルの崩壊」、「劇的な恐慌」― などと呼称は多様であるが、それをもたらした元凶が新自由主義路線であり、その新自由主義路線そのものがついに破綻したという歴史的意味を見逃してはならない。

 私(安原)は07年9月、政権を投げ出した安倍首相の後継として福田政権が発足した時、つぎのように指摘した。(〈新自由主義路線からの転換を 福田「背水の陣」内閣に望む〉と題してブログ「安原和雄の仏教経済塾」に07年9月26日掲載)

 福田首相は新内閣を「背水の陣内閣」と性格づけた。先の参院選で惨敗した自民党は、一歩間違えば、政権から転落するという危機感を表明したものである。転落を避けたいのであれば、小泉・安倍政権が実施してきた新自由主義路線から思い切って転換する以外に妙手はない。その転換が先の参院選で示された民意からみて評価できない程度の中途半端なものであれば、福田政権も短命に終わるほかないだろう―と。

 不幸にもこの予測は的中し、福田政権は1年で政権を投げ出した。後継の現麻生政権の運命はいかに?

▽「小泉逃走」後の日本の針路は? ― 新しい経済モデルが争点に

 米英日3か国の新自由主義は果たしてどこへ行くのか。破綻した後、システムの一部手直しによって再びよみがえってくるのか。特に米国の推進者たちは確信犯であるだけに座視したまま、自動消滅に甘んじるとは考えにくい。
 英国は労働党政権の下ですでに軌道修正を図りつつある。残るのは日本で、一体どうなるのか、またどうすべきなのか。

 小泉元首相がつぎの総選挙には出馬しないと引退表明を行った。子息を後継者に仕立てたことが話題になっているが、私は引退表明を「小泉逃走」と観る。小泉元首相こそ日本における本格的な新自由主義路線の元締めであり、日本列島上に大きな災厄をもたらした。昨今の金融危機、すなわち新自由主義路線の挫折を「我に利あらず」、つまり逆風が吹き始めたと察知して、逃走したのだ。

 問題は「小泉逃走」後の日本の針路をどう定めるかである。つぎの毎日新聞社説に着目したい。
 一つは「米国発金融危機 市場の失敗から何を学ぶか」と題する9月21日付社説で、こう指摘している。
 「危機が収まり金融システムに安定が戻った後も、市場と政府の関係は大きく変更を求められよう。どの程度の政府関与が望ましいのか、グローバル化時代の規制はどうあるべきか、といった議論を深める必要がある。(中略)市場至上主義に代わる新たなモデルとは何なのかといった根源的なテーマを、米国だけでなく我々も考えていかねばならない」
 もう一つは「米大統領選討論 資本主義の新モデル示せるか」と題する9月28日付社説で、2人の米大統領候補に注文する形で上記の社説と同じ趣旨を論じている。
 どちらも新自由主義後の新しい経済モデルのあり方に視点を定めていることを評価したい。この視点こそが今後の大きな争点になっていくことは間違いない。

さて日本の今後の針路としてつぎの3つが想定できる。争点は新自由主義の是非である。
(1)麻生首相が所信表明で明らかにした路線
 新自由主義は大筋で維持しながら、景気対策や経済成長論で表面を一時的に飾り立てる手法である。一方、日米同盟堅持、国連軽視の路線であり、持続性は期待できない。
(2)小沢民主党代表が代表質問で明らかにした路線
 国民生活重視の政策を掲げる。一方、日米同盟も国連も重視していく。ただ新自由主義と離別していくのかどうかが明確ではない。
(3)新自由主義からの根本的な転換をめざす路線
 国民生活立て直しのために財政、税制を大幅に組み替える。軍事費などを削減する一方、消費税は引き上げない。大企業優遇制度を見直す。外交面では国連を重視し、日米同盟は中長期的視野で解体していく。

 以上3つの路線のどれになるかは、いうまでもなく国民の選択による。ただ世界の新しい潮流として米国離れが急速に進行しつつあり、しかも新自由主義は地球規模で批判にさらされていることを視野に入れる必要があるだろう。国民の新たな選択は、日本が米国に気兼ねする余り、世界の中で孤立していくのか、それともそれを拒否するのか ― の選択でもある。


〈参考:新自由主義関連の記事〉
 かっこ内は、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」に掲載の年月日
・日米安保体制解体を提言する 安保後をどう築くか(08年9月20日)
・もし私が新首相に選ばれたら その時の「所信表明」の中身(同年9月10日)
・行き詰まり顕著な新自由主義 経済、人間、命を壊していく(同年7月30日)
・市場原理主義者よ、腹を切れ 世界の食料危機に直面して(同年4月26日)
・サブプライム問題と米帝国の終末 「リベラル21」での論議から(同年4月4日)
・新自由主義路線からの転換を 福田「背水の陣」内閣に望む(07年9月26日)
・日米同盟見直しが必要な時 安倍政権破綻後の日本の針路(同年9月13日)

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