「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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麻生首相の所信表明を批判する
「強く明るい日本」にひそむ意図

安原和雄
 「選挙管理内閣」などと揶揄される麻生政権は何をめざそうとしているのか。所信表明からみる限り、掲げるスローガンは「強く明るい日本」である。しかしそのスローガンにひそむ意図は決して歓迎できる性質のものではない。「日米同盟」にこだわりつづける姿勢は頑迷でさえある。しかも所信表明にうかがえるのは、あの悪名高き「新自由主義路線」への執着ともいえる。これでは仮につぎの総選挙で勝利したとしても、短期政権に終わるほかないだろう。賞味期限はすでに切れていることを知るべきである。(08年9月30日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽所信表明(1)― その見逃せないところ

 首相の所信表明演説(08年9月29日)は何を意図しているのか。演説全文を繰り返し読んでみた。そこから読みとるべきものは何か。見逃せないのは以下の諸点である。

*「強く明るい日本」をめざして
日本は強くあらねばならない。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国である。
 日本は明るくなければならない。幕末、我が国を訪れた外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、ほほ笑む国民だったことを知っている。この性質は、今に脈々と受け継がれているはずである。よみがえらせなくてはならない。

*日本経済の立て直し3段階論
 緊急の課題は、日本経済の立て直しであり、これに3段階を踏んで臨む。第1段階は当面の景気対策、第2段階は財政再建、第3段階は改革による成長を追求する。改革による成長を阻むものは何か、改革すべきものは何か。それは規制にあり、税制にある。
 3段階のめどをつけるには、大体3年。日本経済は全治3年で、脱皮できる。

*暮らしの不安
 不満は行動のバネになる。不安は人をしてうつむかせ、立ちすくませる。実に忌むべきは、不安である。
・「消えた年金」や「消された年金」という不安がある。
・医療に信を置けない場合、不安もまた募る。
・次代の日本を担う若者に希望を持ってもらわなくては、国の土台が揺らぐ。
・学校への信頼が揺らぎ、教育に不安が生じている。
・いわゆる事故米を見逃した行政に対する国民の深い憤りは、当然至極である。

*外交は日米同盟の強化が第一
 外交について、日米同盟の強化。これが常に第一である。
 日米同盟から国連に軸足を移すといった発言が、民主党の幹部諸氏から聞こえてくる。わたしは日米同盟は、今日いささかもその重要性を失わないと考える。日米同盟と、国連と。両者をどう優先劣後させようとしているのか、民主党に伺いたい。
 海上自衛隊によるインド洋での補給支援活動は、国際社会の一員たる日本が、活動から手を引く選択はあり得ない。

▽所信表明(2)― 国民の声にどこまで応えているのか

 以上の所信表明演説(要点)をどう読み解くか。有り体にいえば、自民党は政権担当能力があるのか、それとももはや政権担当能力を失っているのかである。いいかえれば多くの国民の声に果たして応えているのか、である。
 大手新聞社説は「異例ずくめ」、「異色の所信表明」、「総選挙“果たし状”」、「野党の代表質問のよう」などと形容しているが、そういう所信表明しかできないところに自民党政権が政権の座から転落する瀬戸際に追いつめられている、その心境を首相自ら告白したものともいえよう。

 さて、第一に「強く明るい日本」とは何を含意しているのか。結論からいえば、そこにひそむ意図はとうてい歓迎できるものではない。

 「明るい日本」は、暗すぎる日本の現状を心理的に打ち消すためのレトリック(修辞)だろう。幕末の日本人のように、「豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、ほほ笑む国民」であれ、といいたいのか。現状は豊かさとは180度異なる貧困が広がっている。それは所信表明でも「暮らしの不安」として指摘されているように、「消された年金」への不安など日本列島は無数の不安に覆われている。
 レトリックは小説家にはふさわしい。しかし政治家には偽装のための手法でしかないことを強調したい。例えば後期高齢者医療制度(所信表明では長寿医療制度と言い換えている)の弊害について「制度をなくせば解決するものではない」と早くも抜本的な打開策は拒否している。どこに明るい日本を期待できるのか。

 もう1つの「強い日本」とは何をめざしているのか。
 私(安原)は、この「強い日本」と「日米同盟の強化」とを連結させてとらえたい。所信表明では日米同盟の強化に関連して2つを指摘している。1つは国連よりも日米同盟を優先させること、もうひとつは「インド洋での補給支援活動から手を引く選択はあり得ない」と言い切っていることである。これでは「身も心も日米同盟に預けた首相」というイメージだけが浮き上がってくる。日米同盟の基本的価値観は「自由、民主主義、人権、法による支配」と従来言い張ってきたが、これでは自由をはじめ基本的価値観とは縁遠い。

 第二に日本経済の立て直し3段階論で、注目すべき点は、3段階論の現実的妥当性よりも、つぎの指摘である。
 「改革による成長を阻むものは何か、改革すべきものは何か。それは規制にあり、税制にある」と。これは「規制、税制の改革なくして成長なし」といいたいのだろう。さり気ない表現にみえるが、その含意するところは重要である。あの悪名高い新自由主義路線を大筋では転換しない腹づもりであることを示したものと読み解きたい。

 新自由主義路線は小泉政権以来、弱肉強食をめざす市場原理主義の下に民営化、規制緩和・廃止を実施してきた。その結果、経済苦を理由とする自殺の増加、失業・貧困・不公平の異常な拡大をもたらした。一方、大企業、資産家などに有利な税制改革も実施された。この路線を継続するのであれば、いくら幕末の日本人のように「ほほ笑み」を取り戻そうと演説で強調されても、多くの国民にとっては冗談がすぎる、というほかない。

▽Webアンケート調査 ― 「政治」「経済」「生活の質」などすべてが悪化

 ここではほほ笑みを忘れた日本の現状を示す民間の調査データを紹介したい。
 ノルド社会環境研究所(本社:東京都中央区、代表取締役:久米谷弘光)は、このほど全国の20歳以上の男女2000人(有効回収)を対象にWebアンケート調査を実施(08年7月)した。

 その1つは、「社会環境変化」に対する一般生活者の評価を把握するため、2006年、07年に引き続き、「社会」「環境」「政治」「経済」「生活の質」の5つの項目について行った。

 調査結果によると、5つすべての項目で評価は過去3年間悪化し続けた。
特に「経済」への評価が今年急落した。サブプライムローン問題(米国の低信用者層向け高金利住宅ローンの破綻)に端を発したマクロ的な景気の後退と、ガソリンの値上げなど家計を直接圧迫するミクロ的な要素が重なったためと分析している。

 「経済」の次に下げ幅が大きいのは、「生活の質」と「社会」に対する評価で、治安や災害対策への不安、食の安心・安全に対する信頼の低下、格差社会の問題など様々な要因から、個人の生活と社会の両面で質の低下を感じている人が多いとしている。
 昨年大きく評価を落とした「政治」は、今年はさらに悪くなった。山積する問題の解決に強力なリーダーシップを発揮できずにいた調査当時の福田政権に対する失望感がうかがえる。

*月収が最低限度の必要額を下回っている人が3割超も
 同研究所のもう一つの「日本の財政・社会保障制度に関する調査」(08年7月実施)では月収が最低限度の必要額を下回っているという人が3割超にも達していることが分かった。
 調査によると、「あなたの世帯が、いま健康で文化的な最低限度の生活をするのに必要な月々の収入」を尋ねたところ、平均29.6万円(平均世帯人員は3.1人)との回答を得た。その上で、「いまの実際の月収は、その最低限度額に比べてどうか」には、全体の31%が「最低限度額を下回っている」と回答している。
 
*老後生活の最低必要額のうち公的年金でまかなえるのは「半分以下」の人が7割弱も
 「あなたが老後を迎えたとき、健康で文化的な最低限度の生活をするのに必要な1人あたりの月収」を尋ねたところ、その額は平均で月20.7万円。さらに「自分が老後を迎えたとき、公的年金でまかなえる額はそのうち何%だと思うか」については、「25%未満」(36%)が最も多く、「25%以上~50%未満」(31%)と回答した人と合わせると、67%の人は、公的年金だけでは老後の生活に最低必要な額の半分もまかなえないと考えている。

〈安原の感想〉 首相の感覚と現実との落差が大きすぎる
 このWebアンケート調査は質問が具体的であるためもあり、国民生活の実相をかなり的確にとらえているのではないか。
 2つの調査のうち「社会環境変化」の調査結果が「社会」「環境」「政治」「経済」「生活の質」の5つの項目すべてについて「ますます悪化」となっている点は、よほど恵まれている人は別にして、日常感覚によって誰にでもかなり実感できている。
 だから「やはり」という思いが強いが、もう1つの調査には改めて驚くほかない。質問に出てくる「健康で文化的な最低限度の生活」とは、いうまでもなく憲法25条(生存権、国の生存権保障義務)の文言である。この25条の規定を国は保障する義務があるのだ。ところが現実はどうか。

*月収が最低限度の必要額を下回っている人が3割超も
*老後生活の最低必要額のうち公的年金でまかなえるのは「半分以下」の人が7割弱も

 上記の2つの事実は麻生首相が所信表明で語った「明るい日本」とは180度逆の現実である。貧困という以外に言いようがないではないか。世界第2の経済大国の看板が号泣している。首相の感覚と日本の現実との落差がいかにも大きすぎる。

▽真の意味で「明るい日本」を築くには

 「強い日本」はともかくとして、真の意味で「明るい日本」を築くことは必要である。そのためには何が求められるのか。
 私(安原)はブログ「安原和雄の仏教経済塾」に「もし私が新首相に選ばれたら」(08年9月10日付)と題して、望ましい必要な政策課題を以下のように列挙した。これはもはや麻生首相には期待できないことが明確になったので、「麻生後の首相」に期待したい。以下を断行すれば、長期政権は間違いない。しかしこの政策課題に背を向けるようでは短期政権に終わるほかないだろう。

 第一に日本国憲法9条改正の誘惑を排して、9条を堅持する。
 第二に安全保障、財政・税制のあり方について抜本的な見直しが不可欠である。その主な柱はつぎのようである。

*防衛費(年間約5兆円)の大幅な削減に着手する。軍事力によって平和を確立できる時代ではもはやない。
*新テロ特措法(有効期限は09年1月15日)にもとづく米軍などへのインド洋での給油活動を中止する。無条件の対米協力は人心から離れている。
*血税浪費の典型である巨費を要する高速道路づくりを凍結する。
*社会保障費削減の中止、後期高齢者医療制度の廃止に踏み切る。
*食料自給率(40%、先進国で最低)を高める一環としてコメの輸入(最低輸入量)を中止する。
*再生不能なエネルギー(石油、石炭、天然ガス、原子力)を減らして、再生可能な自然エネルギー(水力、太陽光、風力、バイオマスなど)への転換に重点を置く。自然エネルギーに必要な大規模投資を実行する。
*地球温暖化防止の一助として環境税を導入する。消費税は引き上げない。
*法人税優遇税制の見直しをすすめる。
*小泉政権以来実施された新自由主義路線(市場原理主義にもとづく弱肉強食路線)は国民の生活・福祉の向上と相反する面もあり、顕著に見直していく。


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日米安保体制解体を提言する
安保後の日本をどう築くか

安原和雄
私は先日、「平和をどうつくっていくか」をテーマに講話する機会があった。その講話の眼目は「日米安保体制解体を提言する―安保後の日本をどう築くか」である。日米安保体制は軍事・経済2つの同盟の土台となっており、この日米同盟が「諸悪の根源」ともいうべき存在となっている。
 軍事面では日本列島は米軍の出撃基地になって、世界の平和を破壊しており、一方、経済面では市場原理主義路線によるいのち軽視、貧困、格差、偽装が日本列島上を覆っている。いずれも多くの国民にとっては巨大な「負の効果」であり、その元凶が日米安保体制である。今こそ安保解体を視野に入れるときである。安保解体に必要な条件は何か、安保後の日本の設計図をどう描くのか。(08年9月20日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽「守る平和」から「つくる平和」へ ― 日本列島はすでに戦場である!

 私の講話は、東京・足立区内で開かれた「足立・三反の会」(事務局長・矢内信悟さん)で、〈「守る平和」から「つくる平和」へ ― 日本列島はすでに戦場である!〉と題して行った。「足立・三反の会」は足立区内を足場に平和・労働組合運動にかかわってきた市民の集まりで、三反とは、反戦、反核、反差別の3つを指している。

 講話の主な柱は以下の通り。
(1)終戦記念日「8.15」と大手紙の「平和」に関する社説
(2)ノルウェーのヨハン・ガルトゥング教授の平和論 ― 「構造的暴力」に着目
(3)平和観の再定義 ― 「平和=非暴力」・「つくる平和」へ転換を
(4)日本列島は「構造的暴力」に満ちて、すでに「戦場」である
(5)「平和=非暴力」の日本をつくっていくための必要条件

 (1)~(4)は、ほぼ同じ内容の記事(タイトルは〈日本列島はすでに戦場である! 脱出策は「つくる平和」へ転換を〉)がブログ「安原和雄の仏教経済塾」に掲載(08年8月15日付)されているので、詳細は省く。ただ趣旨を紹介すれば、以下の通り。

 「日本は平和だ」という認識は依然として少なくないが、これは「平和=非戦」という旧型の平和観にとどまっている。この平和観では「憲法9条を守り、平和を守ろう」という受動・消極的姿勢につながる。しかし真の意味での平和を実現させるためには「平和=非暴力」という認識で、「平和をつくっていく」という能動・積極的な平和観が必要だ。これが21世紀型の新しい平和観である。

 この「平和=非暴力」という新しい平和観に立って日本列島を見渡すと、政治、経済、社会に組み込まれた以下のような「構造的暴力」に満ちていることが分かる。
・日米安保体制下で日本列島は米軍の不沈空母、出撃基地化しており、インド洋での米軍への給油支援などで日本は事実上参戦している。
・大型地震・異常気象などに伴う人災(地震と原発事故、集中豪雨による犠牲者など)、多発する凶悪犯罪(秋葉原での17人の無差別殺傷事件など)、年間3万人を超える自殺、年間6000人近い交通事故死(多いときは年間1万7000人の死者を出した。累計の犠牲者数は50万人を超えている。まさに交通戦争死)、生活習慣病など病気の増加、300万人前後の失業と雇用不安、企業倒産の増加、貧困・格差拡大、人権抑圧など「構造的暴力」は後を絶たないどころか、むしろ顕著になってきている。 

 軍事力行使によって戦死者を出す修羅場のみが戦場ではない。多様な「構造的暴力」のためいのち、安心、安全、平穏が破壊されている日本列島上の地獄のような現実も、すでに「戦場」となっている、という以外に適切な表現を知らない。

▽「平和=非暴力」の日本をつくっていくための必要条件

 ここでは(5)「平和=非暴力」の日本をつくっていくための必要条件 ― について述べる。その主な柱は以下の通り。

1)憲法の空洞化している平和理念を取り戻し、生かし、実現させていくこと
*憲法前文の「平和共存権」と9条の「戦力不保持と交戦権の否認」
*13条の「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」
*25条の「生存権、国の生存権保障義務」
*27条の「労働の権利・義務」

2)日米安保体制(=軍事・経済同盟)から日米友好条約へ転換を
*日米安保体制の解体を長期的視野に入れること。
*「軍事同盟」としての安保体制
*「経済同盟」としての安保体制
*互恵平等を原則とする「日米友好条約」へ切り替えること

3)安保解体後の変革課題
*非武装中立・日本への道を目指すこと(参考:中米コスタリカの非武装中立路線)
*防衛省を平和省へ、自衛隊を非武装「地球救援隊」(仮称)へ全面的に改組
*軍産複合体の解体、平和産業・経済への転換
*新自由主義路線からの完全な離脱

 以上のうち、1)憲法の空洞化している平和理念を取り戻し、生かし、実現させていくこと ― は、現在「憲法九条の会」(ノーベル文学賞受賞作家、大江健三郎さんらが呼びかけ人)が日本全国各地で沢山誕生しており、憲法学習も相当進んでいるので、詳説は省く。
 しかし強調しておきたいのは、「9条を守る」ではなく、「9条の平和理念を取り戻し、生かし、実現させていくこと」という視点が重要だということ。なぜなら9条の平和理念は日米安保体制によって事実上骨抜きになっているからである。

 つぎの2本柱はこれまでになくかなり踏み込んだ提言なので、以下で説明したい。
2)日米安保体制(=軍事・経済同盟)から日米友好条約へ転換を
3)安保解体後の変革課題

▽日米安保体制は「諸悪の根源」である

 日米安保体制は諸悪の根源といえる。なぜそういえるのか。
 まず日米安保体制は、日米間の軍事同盟と経済同盟の2つの同盟の土台となっていることを強調したい。この2つの同盟が「車の両輪」となって新自由主義路線(軍事力による覇権主義と経済面での市場原理主義)という名の「構造的暴力」の根拠地となっている。諸悪の根源というほかないだろう。

*「軍事同盟」としての安保体制
 軍事同盟は安保条約3条「自衛力の維持発展」、5条「共同防衛」、6条「基地の許与」などから規定されている。
 特に3条の「自衛力の維持発展」を日本政府は忠実に守り、いまや米国に次いで世界有数の強力な軍事力を保有している。これが憲法9条の「戦力不保持」を骨抜きにしている元凶である。

 しかも1960年、旧安保から現在の新安保に改定された当初は対象区域が「極東」に限定されていたが、今では変質し、「世界の中の安保」をめざすに至った。そのきっかけとなったのが1996年4月の日米首脳会談(橋本龍太郎首相とクリントン大統領との会談)で合意した「日米安保共同宣言―二十一世紀に向けての同盟」で、「地球規模の日米協力」をうたった。
 これは「安保の再定義」ともいわれ、解釈改憲と同様に条文は何一つ変更しないで、実質的な内容を大幅に変えていく手法である。この再定義が地球規模での「テロとの戦い」に日本が参加していく布石となった。米国の覇権主義にもとづくイラク攻撃になりふり構わず同調し、自衛隊を派兵したのも、この安保の再定義が背景にある。
 こうして軍事同盟としての安保体制は、米国の軍事力による覇権主義を行使するために「日米の軍事一体化」の下で日本が対米協力に勤(いそ)しむ巨大な軍事的暴力装置となっている。

*「経済同盟」としての安保体制
 安保条約2条(経済的協力の促進)は、「自由な諸制度を強化する」、「両国の国際経済政策における食い違いを除く」、「経済的協力を促進する」などを規定している。「自由な諸制度の強化」とは新自由主義(経済面での市場原理主義)の実行を意味しており、また「両国の国際経済政策における食い違いを除く」は米国主導の政策実施にほかならない。毎年米国が日本政府に示す「改革要望書」はその1つである。
 だから経済同盟としての安保体制は、米国主導の新自由主義(金融・資本の自由化、郵政の民営化など市場原理主義の実施)を強要し、貧困、格差、差別、疎外の拡大などをもたらす米日共同の経済的暴力装置となっている。これが憲法13条の「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」、25条の「生存権、国の生存権保障義務」、27条の「労働の権利・義務」を蔑(ないがし)ろにしている元凶といえる。

 こういう暴力装置としての日米同盟、すなわち日米安保体制が諸悪の根源と化している以上、その解体を長期的視野に入れることが不可欠であり、やがて互恵平等を原則とする「非軍事・日米友好条約」へ切り替えるべきであることを展望する必要がある。

▽日米安保解体とともに取り組むべき日本の針路 ― 非武装中立

 安保解体とともに浮上してくるのは、日本が新たに選択すべき針路である。2つの選択肢が考えられる。有力なのは「非武装中立・日本への道」であり、もう1つは日本独自の軍備保有(核武装も含めて)という相反する路線選択が考えられる。

 しかし後者の独自の軍備保有は憲法9条を改悪し、アメリカとの同盟も手を切ることを意味するわけで、保守勢力が自ら進んで日米同盟を解体するという展望は考えにくい。
 むしろ日米同盟擁護の政権が行き詰まり、それを批判する国民多数の意志として新しい路線を選択する可能性がある。つまり「安保体制が諸悪の根源」という認識が国民の間に広がり、共有され、日米安保破棄(注1)を国民の多数意志として選択するケースである。
(注1)現行安保条約10条は「いずれの締約国も、他方の締約国に条約を終了させる意思を通告することができ、条約はその通告後1年で終了する」と規定している。これは国民の多数意志として一方的な条約破棄を可能にする規定である。事実上の米軍占領下で締結された旧安保にはこの規定はなかった。安保破棄は、この規定を生かす新しい政権が国民の多数意志を代表する形で誕生することが必要条件である。

 この安保破棄の場合、憲法前文と9条の平和理念を生かす方向で「非武装中立」が新しい路線として浮かび上がってくる。コスタリカ(注2)に学ぼう!という声も一段と高まってくるだろう。現在、すでにそういう声は日本国内でも次第に広がりつつあるからである。さらに現在、南米(ベネズエラ、ボリビアなど)での反「米」・反「新自由主義」路線への波が高まりつつある新しい潮流にも注目したい。
(注2)中米の小国・コスタリカは1949年の憲法改正で軍隊を廃棄し、さらに80年代に中立宣言を行い、いまや非武装中立の旗を高く掲げており、世界の心ある人々、平和を願う人々から注目されている。非武装の面では日本国憲法9条の「非武装」理念を当の日本が空洞化させたのと違って、コスタリカが実践してきたともいえる。

 日本が非武装中立路線へ舵を切り替えることになれば、当然つぎの3つが大きな課題として浮上してくる。
*防衛省を平和省へ、自衛隊を非武装「地球救援隊」(仮称)へ全面的に改組
*軍産複合体の解体、平和産業・経済への転換
*新自由主義路線(軍事力による覇権主義、経済面での市場原理主義)からの完全な離脱

 これは21世紀版「非軍事・民主化」路線すなわち「平和=非暴力」路線と呼ぶこともできる。
 敗戦(1945年)直後の日本の非軍事・民主化(平和憲法制定、軍隊・兵器生産の解体、財閥解体、農地解放、労働組合の結成、教育の民主化など)は主として占領軍主導で進められた。しかし近未来の「平和=非暴力」路線が実現すれば、日本歴史上、日本国民多数の意志による初めての自主的、民主的な変革となる。

▽安保解体論を促す条件は何か?

 以上の私(安原)の問題提起を素材にして、2時間余りに及ぶ活発な意見交換が行われた。その一部を紹介する。

問い:安保解体が重要であることは個人としては考えているが、多くの人々の意識にどこまで共有されているかは、いささか疑問とはいえないか。例えば「60年安保世代」(注3)の生存者の多くは、今では現体制の一員に組み込まれてしまって、安保解体という問題意識は薄いだろう。安保解体まで進むことの現実性をどう考えるか?
(注3)1960年の安保反対闘争に参加した世代のこと。旧安保条約を改定した現行安保条約(正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」)をめぐって全国規模で反対闘争が何度も繰り広げられ、多いときは全国で1日に600万人参加の反対デモが行われた。しかし当時の岸信介(昨07年突如退陣して話題となった安倍晋三元首相の祖父)政権は国会に警官隊を導入するなどして強行成立させ、間もなく退陣した。

安原:安保解体へ向かう現実性は、客観的な内外の外交・政治・経済・社会情勢の推移と主体としての国民意識の変化に依存する。まずつぎのような内外の新しい情勢の進展が重要である。

・米国主導のイラク、アフガン攻撃は、民間人を多数殺傷し、何のための戦争か、という疑問が世界中に広がり、破綻している。
・ヨーロッパ主要国での世論調査では世界の平和にとって最大の脅威は「ブッシュ米大統領」であり、北朝鮮はそれほど不人気ではない。
・特に米国の裏庭といわれる中南米で反戦、反米、反新自由主義の新しい動きが顕著に広がってきている。
・日本国内では特に小泉政権以来の新自由主義路線の強行によって、いのち軽視、貧困、格差、腐敗、偽装が多様な形で日本列島上を覆っており、その批判が国民の間に高まっている。
・昨07年8月以来の米国サブプライム・ローン(低信用層向けの高金利住宅ローン)の破綻は、08年9月、米大手証券会社リーマン・ブラザーズなどの破産にまで波及し、日本、ヨーロッパを含む地球規模の金融危機を招いている。これも金融・資本の野放図な賭博的自由化を追求する新自由主義の行き詰まりを示している。

 以上は、一見したところバラバラで相互に無関係の現実にみえるが、実は大なり小なり、陰に陽に日米同盟とかかわっていることを見逃すべきではないだろう。
 例えば米国のイラク、アフガン攻撃は日米軍事同盟による在日米軍基地の存在なくしては不可能である。その失敗がブッシュ大統領の世界的な不人気をもたらしている。行き詰まり顕著な経済面での新自由主義路線は、日米経済同盟の行き詰まりをも示している。いいかえれば日米同盟そのものが世界の中で孤立しつつある。

▽「安保を考え直す会」をつくって安保学習を始めよう

問い:これだけ日米同盟にかかわる弊害が吹き出してくると、座視しているわけにもいかない。現実問題としてどういう手が身近にあるだろうか?

安原:安保解体論が意識に上って来にくいのは、日米安保体制とその悪しき「負の効果」との相互依存関係が見えにくいという現実があるためかも知れない。一般メディアが日米同盟を批判せず、聖域視していることも大きい。権力批判の意識が弱いジャーナリズムの怠慢というべきだろう。

 そういう目を曇らせる現実があることは、軽視できない。ただ私は「今は当事者の予測を超えて事態が急変する時代」と認識している。
 1988年暮れ、当時の西独を訪ねる機会があり、政府要人と会ったとき、質問した。「ベルリンの壁が壊れ、東西ドイツが統一する見通しはどうか」と。「近い将来、そういう可能性はあり得ない」が答えであった。しかし現実にはその1年後の89年暮れ、ベルリンの壁は壊れ、その後周知のように東西ドイツの統一は急速に進んだ。これは顕著な事例だが、私の「急変する時代」という認識はここから来ている。

 とはいえ今のところ安保解体論への弾みがつきにくいのは、端的に言って安保条約の条文を読んで、理解している人が少なすぎるためではないか。例えば10条の「一方的破棄」の規定(前出の注1参照)である。私が10条の話をすると、「えっ、そうなの?」という驚きの反応が圧倒的に多い。これでは前へ進めない。

 「憲法九条の会」は全国規模で沢山あるが、この際「安保を考え直す会」(仮称)もつくって安保学習を始めるときではないか。憲法の平和理念を空洞化させているのは、すでに指摘したように日米安保体制なのだから、憲法と安保との矛盾・対立を学習し、把握しなければならない。
 率直に言って安保破棄によって初めて平和憲法の理念が生かされてくることを強調したい。今こそ憲法を安保からいかに解放するかを考えるときである。日米安保に抱きすくめられた憲法はひ弱であり、安保を脱ぎ捨てた憲法こそが雄々しく羽ばたくだろう。
 目先き悲観材料が山積しているとしても、ここは「短期悲観、長期楽観」説に立ちたい。

〈参考:平和と安保関連の記事〉
・憲法9条を「世界の宝」に 脱・日米安保体制へ質的転換を=ブログ「安原和雄の仏教経済塾」に08年7月23日掲載
・軍事同盟と環境対策は両立しない サミットに場違いな日米首脳会談=同ブログに08年7月7日掲載
・国家破産に瀕するアメリカ帝国 軍事ケインズ主義の成れの果て=同ブログに08年3月13日掲載
・常備軍は廃止されるべきだ! カントの平和論を今読み解く=同ブログに07年12月6日掲載
・肥大化する日本版「軍産複合体」 消費税引き上げで拍車がかかる=同ブログに07年11月23日掲載
・「ごまかし」満載の日本列島 根因は憲法と日米安保との矛盾=同ブログに07年10月28日掲載
・日米安保体制は時代遅れだ アメリカからの内部告発=同ブログに07年5月18日掲載


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いのち通い合うひととき
〈折々のつぶやき〉40

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉は40回目。題して「いのち通い合うひととき」です。(08年9月14日掲載、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽敬老の日 ― 「老人を敬愛し、長寿を祝う」というけれど

 08年9月15日は国民の祝日「敬老の日」。
 国民の祝日に関する法律(祝日法)によると、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という趣旨である。本来、9月15日だったが、祝日法改正(2001年)によって、03年からは9月第3月曜日となった。ただ施行初年度の03年は、9月第3月曜日が9月15日であり、今年も同じ9月15日である。

 気になるのは、果たして祝日の趣旨「老人を敬愛し、長寿を祝う」が生かされているのかである。日本人の平均寿命は、また延びて、女性約86歳(正確には85.99歳)、男性約79歳(同79.19歳)に、100歳以上の高齢者もさらに増えて3万6000人台となった。祝うに値する世界最長寿国といっていい。
 しかし政府は老人いじめの仕組み、後期高齢者(75歳以上)医療制度を導入するなど、「敬愛」するどころか、「足蹴(あしげ)」にしている。
 「敬老の日」に心にとどめておきたい話題をいくつか紹介する。

▽ありがとう 運転手さん ― 高齢者からの投書

 朝日新聞(08年9月10日付)生活欄「ひととき」に「ありがとう 運転手さん」と題する高齢者からの投書が載っている。その要旨は次の通り。

 先日、近くの町まで買い物に出かけたときのこと。バス停近くの三差路で信号待ちしていると、向こうからバスが近づいてくるのが見えた。
あのバスを逃したら、15分は待たなければならない、そうひらめいた瞬間、身体は停留所を目指して走っていた。
 けれどバスは坂の途中で私を追い越し、しばらくバスと併走する形となった。その時、「危ないですよ。バスは停留所で待っていますから、転ばないように気をつけて来てください」と放送する運転手さんの声が、聞こえてきた。
 それがまさかバスの中から、この私に向かってかけられていたのだとは、全く思いもしなかった。

 何と思いやり深い、温かい言葉であろうか。胸がほんのり熱くなり、熱い血が全身を駆けめぐっていった。お陰でバスを4、5秒ほど待たせてはしまったが、無事バスに乗ることができた。
 行きずりの人間にかけられた、運転手さんのこの一声は、今も私の心の中で生きている。バスを降りるとき、私は運転席の名札の名前を胸に刻みつけた。
 ありがとう運転手さん。この胸のぬくもり、忘れません。
(東京都世田谷区 堀越小百合 主婦 78歳)

▽人間同士の「いのち通い合うひととき」

 私(安原)はこの投書を読み進むにつれて、不覚にも目頭が熱くなってしまった。私はいわゆる後期高齢者に一歩手前の年齢である。静かに自然に老いが始まりつつあって、涙腺がゆるんできたせいか、それとも人間本来の共感する心をまだ失ってはいないためなのか、そこのところははっきりしないが、ともかく心温まる話ではある。人間同士の「いのち通い合うひととき」ともいえる風景であろうか。
 それにしても投書者は78歳の年齢でバスと併走したというのだから、そのお元気な姿にはただ脱帽のほかない。いつまでも健脚を持続していただきたい。

 投書の末尾の言葉をもう一度引用したい。「ありがとう運転手さん、この胸のぬくもり、忘れません」と。お互いにぬくもりを感じ合うこと ― これが今の日本社会から消え失せつつあるのではないか。お互いのいのちが響き合うひとときも少なくなりつつある。

 その社会的背景の一つを示唆している記事を紹介したい。毎日新聞(08年9月10日付)は「老老介護 初の3割」という見出しで、つぎのように報じた。(清水健二記者)

家族間で介護する世帯のうち、高齢者が高齢者を世話する70歳以上の「老老介護」世帯の割合が初めて3割を超えたことが、厚生労働省が9月9日公表した07年国民生活基礎調査で分かった。
 夫婦両方またはどちらかが65歳以上か、65歳以上の単身で暮らしている世帯の数も1000万を超え、高齢者世帯の過半数が「生活が苦しい」と感じるなど、超高齢化社会の深刻な生活実態が浮かんだ ― と。

 特に75歳以上を差別待遇する後期高齢者医療制度という名の不埒な仕組みもあり、これは即刻廃止しなければならない。

▽「男性長寿世界一」の日常の暮らしと目標は?

 厚生労働省は9月12日、敬老の日(15日)に合わせて9月末時点で100歳以上となる高齢者数を発表した。過去最多の3万6276人(男性5063人、女性3万1213人)で、前年からの増加数も3981人と過去最多となった。
 国内男性最高齢となった宮崎県都城市の田鍋友時(ともじ)さんは、9月18日に113回目の誕生日を迎える。ギネスブックにも「男性長寿世界一」と認定される。
その田鍋さんの日常の暮らしぶりはどうか。

 毎朝5時半に起床して新聞を読むのが日課で、3食きちんと食べる。好物の牛乳を欠かさない。怪我を用心して外出は家族に止められているが、介護なしで家の中を自由に歩き回る元気の良さ。長寿の秘訣は「酒を飲まないこと」という。
 9月11日、県の関係者らが敬老の日を前に祝福に訪れたとき、「生きて皆さんとこうして話をすることが楽しい。あと10年は生きる」と男女合わせて長寿世界一を目指すことを宣言した。(毎日新聞9月12日夕刊・東京版、小原擁記者)

 「あと10年は生きる」、つまり123歳を目標に生きるという「長寿世界一宣言」がすごい。私(安原)がこういう生き方を目指すとしたら、あと50年生きなければならない。夢のまた夢、というほかない。

 ある時、仏教がらみの研究会で私が冗談半分に「100歳を目標に生きるぞ」と言ったら、別の男性が「自分は109歳が目標だ」とかなり本気のような表情で宣言した。
 私は「109歳とはどういう意味なの?」と聞いた。皆さん、お分かりですか?
 彼の返答は、こうである。「だって仏教では人間の煩悩は百八つ(108)あるというではないか。それを一つひとつ克服してからでないと、あの世には往けないよ。だから109歳なんだ」と。
 その会合では一瞬、笑いもこぼれたが、むしろ感心することしきりの雰囲気が漂った。

 高齢者がどういう生き方を試みるか、長寿を全うできるか。人それぞれ、というほかないが、こればかりは想い通りにはならないのがこの世の常であり、そこに仏教でいう「苦」(たとえば四苦=生老病死)がある。それにしても、公的機関による老人いじめはいただけない。


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もし私が新首相に選ばれたら
その時の「所信表明」の中身

安原和雄
 タイトルの「私が新首相に選ばれたら」の私とは、私(安原)というよりもむしろ多くの国民一人ひとりを指している。その私の心にある政治への期待、見解、希望を描いてみる。自民党総裁選後、新総裁が臨時国会冒頭で新首相に選ばれるのは間違いないだろう。
 所信表明演説の後、解散、総選挙になるのであれば、その所信表明の中身こそが総選挙の行方を決めるカギになるのではないか。その中身は私たちの期待や希望に十分応えるものになるのかどうか、そこが見どころである。(08年9月10日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽新首相に期待される「所信表明」

 自民党新総裁選出後の臨時国会冒頭で新首相が誕生し、想定される新首相の所信表明演説(骨子)はつぎの通り。

 私は日本人でたった一人にしか与えられない栄誉、日本国首相として感謝と厳かな気持ちで、確信を持って本日、所信を表明したい。
 私は首都、東京を、そして日本を変えるのにふさわしい新しい内閣をつくった。古くさい勢力に警告しておきたい ― 新しい変革がやってくるぞ、と。

 私は一匹狼とも呼ばれている。その意味するところは、私は党のためでも特定の利権のためでもなく、善良で勤勉な国民のために働くということだ。
 私は、わが党の誇りを取り戻すために全力を尽くす。腐敗、私利私欲、偽装、怠惰、手抜きの誘惑に負けたせいで、我々は同胞である日本国民の信頼を失った。これを変革し、信頼を取り戻したい。そのために何をなすべきか。

 第一に日本国憲法9条改正の誘惑を排して、9条を堅持する。世界中に反戦・平和を希求する声が広がりつつある。日本国民に限らず、世界の多くの人々が、9条に込められた平和への崇高な理念を高く評価していることに応えなければならない。

 第二に安全保障、財政・税制のあり方について抜本的な見直しが不可欠となった。選択肢は景気対策か財政再建か、という二つに一つの狭いものではない。財政・税制を根本的に変える必要がある。その主な柱はつぎのようである。

*防衛費(年間約5兆円)の大幅な削減に着手する。軍事力によって平和を確立できる時代ではもはやない。
*新テロ特措法(有効期限は来年1月15日)にもとづく米軍などへのインド洋での給油活動を中止する。無条件の対米協力は人心から離れている。
*血税浪費の典型である巨費を要する高速道路づくりを凍結する。
*社会保障費削減の中止、後期高齢者医療制度の廃止に踏み切る。
*食料自給率(40%、先進国で最低)を高める一環としてコメの輸入(最低輸入義務量)を中止する。
*再生不能なエネルギー(石油、石炭、天然ガス、原子力)を減らして、再生可能な自然エネルギー(水力、太陽光、風力、バイオマスなど)への転換に重点を置く。自然エネルギーに必要な大規模投資を実行する。
*地球温暖化防止の一助として環境税を導入する。消費税は引き上げない。
*法人税優遇税制の見直しをすすめる。
*小泉政権以来実施された新自由主義路線(市場原理主義にもとづく弱肉強食による格差・不公平・失業・貧困の拡大)は国民の生活・福祉の向上と相反する面もあり、顕著に見直していく。

 国民の皆さん、私とともに戦ってほしい。立ち上がり戦おう。我々は皆、日本の現状を改革し、希望に満ちた素晴らしい未来をつくりあげていくことを決してあきらめない。歴史から逃げることはしない。本日ただ今から我々が自分の手で新しい日本の歴史 ― 後世に恥じない歴史 ― をつくっていくのだ。

▽国民の声に応える政権に必要な条件は?

 上記の所信表明を読んで、どこかで聞いたようだと直感できるのであれば、米大統領選にくわしい人である。そう、米共和党の大統領候補に9月4日(現地時間)指名されたジョン・マケイン上院議員の受諾演説(新聞報道による)を下敷きにして、それに日本色を織り込んで書いたものである。政策の中身としては多くの私たちが心にそこはかとなく描いている改革設計図を提示した。

 自民党の新首相にこういう所信表明ができるようであれば、新政権を担ぐ自民・公明両党は総選挙で圧勝し、しかも長期政権になることは間違いないだろう。
 焦点は新首相のポストに誰が座るのかである。民主党は代表選告示日の9月8日、小沢一郎代表のみが立候補したため、小沢氏の無投票3選が決まっている。一方、自民党はどうか。総裁選告示日の9月10日午前、つぎの顔ぶれが名乗りを上げた。
 石原伸晃元政調会長(51)、小池百合子元防衛相(56)、麻生太郎幹事長(67)、石破茂前防衛相(51)、与謝野馨経済財政担当相(70)の5人(届け出順)。

 9月10日午後2時から自民党本部で候補者5人の共同記者会見が行われ、NHKテレビで一部始終を観た。5人の意見が完全に一致したのは、インド洋での給油活動の継続である。民主党は継続に反対しているが、自民党には給油活動という対米協力は批判を許さぬ聖域となっているらしい。
このように惰性から抜け出せないようでは、候補者の顔ぶれは、女性も一人加わってこれまでにないにぎやかさだが、とても国民の声に応えられそうにはない。

 結局、自民党は総選挙で敗北するか、あるいは辛勝して新内閣を発足させても、短期政権に終わることは間違いないだろう。安倍、福田両政権につづいて3度目の政権投げ出しという醜態を演じる可能性もある。「二度ある事は三度ある」のたとえもある。
 要するに小泉、安倍首相時代のいわゆる構造改革とは異質の上記のような改革設計図そのままでなくとも、それを参考にした新しい改革路線を提示できないようでは自民党はもはや政権担当能力を失っているというほかない。時代の新しい潮流から取り残されているのだ。


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車依存型から脱出するには
洞爺湖サミット後の世界と日本

安原和雄
 私は08年8月末日、「洞爺湖サミット後の世界と日本」というテーマで講話する機会があった。場所はアート、コンサート、会話を楽しめる小規模空間として人気を呼んでいるギャラリー&カフェ「space461」(広島県福山市芦田町、平田博康代表)で、車で30分もかかる近隣地区などから約30名が集合した。地球温暖化を防ぐ決め手の一つとして、過度に車(マイカー)に依存した車依存型からどう脱出し、改革していくかが中心テーマとなった。(08年9月3日掲載、同月5日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽「洞爺湖サミット後の世界と日本」をめぐって

 私の講話「洞爺湖サミット後の世界と日本」の概要は以下の通り。

(1)地球温暖化を防ぐことはできるか ― 人類の生存は?
*温暖化の影響
*国別のCO2(二酸化炭素)排出割合(05年、%)
米国21%、中国19%、EU(欧州連合)15%、ロシア6%、日本、インド各4%など
*京都議定書(1997年)の削減目標
*洞爺湖サミット(08年7月上旬)は何を決めたのか?
・主要8カ国(G8)は温室効果ガス排出量の長期目標(2050年)について「半減」を打ち出した。
・G8は排出量の中期目標(2020年)について「野心的な国別総量目標を実施」を掲げたが、数値目標は盛り込まなかった。

(2)何をどうしたらよいのか ― 「豊かさ」と「幸せ」ってなに?
*先進国では消費増大は豊かさ、幸せにつながらない ― 価値観の転換、知足・簡素な暮らしと生存権の保障(憲法25条)
*世界の飢餓、貧困の対策 ―国連のミレニアム開発目標(1日1ドル以下の所得、飢餓に苦しむ人々を2015年までに半減させることなど)
*枯渇性エネルギー(再生不可能=石油・石炭・天然ガス、原子力)依存からどう脱出するか ― 自然エネルギー(再生可能=水力、太陽光、風力、バイオマス)への転換
*食料自給率(日本40%、先進国で最低)をどう高めるか ― 地産地消と旬産旬消
*車社会はいつまでつづくか ― 鉄道、バスなど公共交通の復活、自転車、徒歩重視へ

▽「便利な車」にひそむ「死の恐怖」

 ここでは「車社会はいつまでつづくか ― 鉄道、バスなど公共交通の復活、自転車、徒歩重視へ」をめぐって交わされた意見、論議を紹介したい。
 鉄道、バス、車(マイカー)、自転車、徒歩など多様な移動手段の中で車が一人を一定距離運ぶのに一番エネルギー消費量が多い。だから車は地球温暖化の原因である二酸化炭素(CO2)を大量に排出していることになる。

 まず私(安原)は、つぎのように質問した。
 「私自身、今日、知人の車に乗せてもらって約30分かけてきました。皆さんも車で駆けつけてきたようですが、なぜ車なのですか?」
 「奇妙な問いだな、なぜそういう質問をするのか」という表情と雰囲気が会場に広がった。
 参加者の一人「車でなかったらとても来れない」
 私「自転車という移動手段もあるし、また歩いてくることもできないわけではないでしょう。何時間もかかりますが、・・・」
 今度は戸惑いの表情があちこちにみられた。

 さて全国ニュースとして話題になった軽乗用車水没事故(栃木県鹿沼市で集中豪雨のため低地の市道で水深2㍍の水たまりができて、その中で動けなくなった)で女性が犠牲となった痛ましい事故について考えてみたい。
 メディアでは女性が閉じこめられた車内から携帯電話で悲鳴を上げながら助けを求めたが、情報が錯綜し、警察も消防署も出動しなかったことに焦点を絞って報道した。これも重要な視点ではあるが、私は素朴な疑問を抱いた。「なぜ自力で脱出できなかったのか」と。海に転落したのと違って、水は徐々に増えたはずであり、「なぜ車を捨てて逃げようとしなかったのか」という疑問である。

 会場の一人からつぎのような趣旨の説明があった。
 「多くの車のドア、窓は手動ではなく、電動システムによる自動開閉になっている。完全に水没しなくても、一定の深さの水たまりにはまると、電動システムが作動しなくなる。そうなるとドアも窓も開けられないし、ドアの窓ガラスを叩き割って脱出することは現実には無理である」と。
 私が驚いたのは、車の所有・利用者の多くが、完全に水没しなくても電動システムが機能不全に陥るという事実を承知していないことである。「便利な車」として車依存症にかかっている人が少なくないが、これでは電動システムの弱点のために、実は「死の恐怖」とつねに同居していることになる。

 トヨタなど自動車メーカーは、この電動システムが持つ落とし穴を消費者に説明する責任があるだろう。どれくらいの水深にはまると、電動システムが作動しなくなるのか、具体的に説明しなければならない。利用者はそれを頭に入れておいて、緊急時には「自分の命は、まず自分で守る」を基本にして迅速に車を捨てる行動も欠かせない。今後とも温暖化を背景に集中豪雨の発生は頻発する可能性もあるだけに、なおさらである。

▽車に過度に依存しない地域づくりを

 私(安原)は東京に住んでおり、電車、地下鉄、バスなど交通網が発達しているので、車を持っていないし、また持つ気もない。長距離旅行には鉄道を利用することにしており、私にとっては車は無用である。
 しかし地方の現状は車なしには生活できない構造になっていることは十分承知している。ただガソリン価格が高騰し、高止まりになっているだけではない。ピークオイル(原油生産がピークに達し、生産が減り始めること)という問題もすでに始まっているという説も有力であり、やがてガソリン不足となって、車に乗りたくても事実上乗ることができなくなるという事態も間近に迫っている。

さて打開策をどこに求めるかである。車依存型地域からの脱出を目指し、多様な移動手段をつくっていく以外に妙手はない。ここでは熊本市の具体例を紹介したい。
 NPO法人「環境ネットワークくまもと」が子どもたちへのおくりもの「持続可能な熊本への提案」という提言をまとめている。30年後に熊本をこんな地域にしたいという想いをまとめたものといわれる。

 この提言が目指すのは、CO2削減による環境保全、ゆとりさらに商店街を含むまちの活性化などである。具体的な柱はつぎの通り。
・マイカーの(商店街など)通りへの乗り入れ規制
・パークアンドライド=車でまちに来る人は車からバスや電車、自転車に乗り換える
・カーシェアリング(車の共同利用)=車を所有しなくても必要なときに好きな車種を選んで乗ることができる。年間35万円のマイカー維持費から解放される。駐車スペースを家庭菜園や花壇に作り替える
・電車に自転車を積み込める車両を連結(熊本電鉄で実現)
・商店街の周辺に沢山あった駐車場の一部を駐輪場に転換
・住宅街には小型循環バスが15分おきに通る

 以上の一つひとつは格別珍しい構想ではない。EUや米国(州レベル)ではすでに実施されているものもある。日本は残念ながら著しく遅れているのが実情で、どの地域がこれらの構想を実践していくか、その知恵比べのための努力が始まることを期待したい。


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