「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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日本柔道は「道」を失ったのか
過去最少のメダル獲得の背景

安原和雄
 毎日新聞は特集ワイド欄(08年8月25日夕刊・東京版)で「五輪と日本柔道」と題するテーマを取り上げている。
 北京五輪で、男女合わせて過去最少のメダル獲得数7個(金4、銀1、銅2)に終わった日本柔道。一本柔道は消え、「JUDO」に席巻されてしまうのか ― という危機感から組まれた特集である。日本柔道から「道」の精神が失われてきたと指摘されており、共感するところが多い。これは現世をどう生きるかという人生論でもあるので紹介したい。(08年8月26日掲載、同月27日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 日本柔道の今後と課題について山口香さん(筑波大大学院准教授)と藤岡弘さん(俳優、武道家)に聞いている。聞き手は中山祐司記者。

▽極限でも平常心を保つために柔道はある

 山口さんは1964年、東京都生まれ。88年ソウル五輪で銅メダルを獲得した。
要旨、以下のように語っている。

 今回の結果が日本柔道の実力だろう。選手は柔道が格闘技だということを忘れ、指導者もベテラン選手の調整は選手任せで1日に5試合戦う体力も不足していた。十分な練習や準備があれば自信を持って畳に上がることができる。多くの選手は試合前から自信なさげに見えた。

 最近の男子選手は恰好を気にしすぎだ。試合前にヘッドホンで音楽を聴きながらのウオーミングアップ。ヘッドホンをしないと雑音が入って集中できない選手は、畳の上でも集中できるはずがない。

 男子100㌔超級の石井慧選手の決勝を除く4試合での一本勝ちは評価する。しかし「勝利にこだわる」という言葉に対して、多くの人は「石井選手には日本柔道の歴史や意義、価値を否定するほどの積み重ねがあるのか」と疑問を持つ。
 先達が築き上げてきた日本柔道の伝統の上に石井選手の金メダルはあり、昨日や今日の歴史の上にないことを石井選手には自覚してほしい。今後の人間的な成長に期待する。

 このままでは講道館の創始者・嘉納治五郎が広げた日本柔道は尻すぼみだ。勝利は結果にすぎず、武道としての柔道に「勝利にこだわる」精神はない。礼に始まり、礼に終わる。極限でも平常心を保つために柔道があり、その精神は人生にも生かされる。
 科学や合理を重視する時代の流れもあるが、日本柔道も武道から離れて競技化した揚げ句、競技でも勝てなくなった。柔道に取り組む姿勢や態度、さらには柔道をする動機や目的など原点から改めて考えるべきでしょう。

〈安原の感想〉
 試合前にヘッドホンで音楽を聴きながらウオーミングアップするとは驚いた。これではたしかに畳の上の本番で集中力を発揮できるとは思えない。金メダルの石井慧選手にも手厳しい。「勝利にこだわる」という彼の姿勢に対しての批判である。

 山口さんはこう指摘している。
 「勝利は結果に過ぎず、武道としての柔道に勝利にこだわる精神はない。礼に始まり、礼に終わる。極限でも平常心を保つために柔道があり、その精神は人生にも生かされる」と。さらに私が興味深く読んだのは「日本柔道も武道から離れて競技化した揚げ句、競技でも勝てなくなった」という指摘である。

 勝ちにこだわる結果、かえって勝機を逸する、と理解したい。私は素人囲碁を多少嗜(たしな)むが、「勝とうとして負けを招く」ことを実戦でしばしば経験する。実力のせいでもあるが、「道」の精神を忘れ、「平常心」を失っているからである。ただ「勝敗を超えて勝つ」 ― は「言うは易く行うは難し」である。

▽日本柔道には「日本の心」を再確認してほしい

 藤岡弘さんは1946年、愛媛県生まれ。空手、柔道など武道の段位は合計20段の武道家である。要旨、以下のように語っている。

 五輪を見ていて悲しくなりました。柔道、剣道、弓道、茶道、華道のように「道」がつくものは、かつては勝利のみを求めるものではありませんでした。己の心の修行、つまり人間力や尊い人格を磨き、自分自身を高めるものでした。相手に謙虚になることで、その人格を示しました。勝利よりも品性、尊い人間性の理想像を見せることで周囲に感動を与えました。
 日本のお家芸である日本柔道はその伝統を失ったのではないでしょうか。柔道ではなく「柔(じゅう)スポーツ」ですね。

 今の日本柔道は、「勝利の栄光」を己のものだけにしている印象を受けます。「私」を誇り、「俺(おれ)」を誇る。
 敗者の振る舞いにも違和感を覚えます。かつては勝者も敗者も互いにおごらず、敬意を表し、感謝する気持ちがありました。今は負けてふてくされる姿をよく見かけます。

 「武士道」の著者、新渡戸稲造さんによると、武士道は理想的な人間になるためにあり、倫理観や道徳観をもって「道」としました。人間とはなんぞや、との世界に通じる心です。他人をねたみ、嫉妬(しっと)し、憤怒する心を静めよの精神です。

 五輪の精神も、平和を願い、互いの人間を尊重する姿勢とともにあるはずです。勝つために、何をやってもいいとなると、もはや五輪ではない。そこには国家のエゴ、民族のエゴ、人間のエゴが見えます。特に今回の五輪からは、いろいろなエゴが鮮明に見え、ある種の醜さを感じました。私はもっと多くの「真善美」を見たかった。
 日本の柔道には「日本の心」を再確認してほしい。「日本の心」とは、伝統や文化、歴史の継承を大事にしながら、品格を持って、国境や民族の壁を超え、世界に貢献することです。

〈安原の感想〉
藤岡さんの「日本の心」論には共感を覚える。特に後段の「品格を持って、国境や民族の壁を超え、世界に貢献すること」である。これは彼の「五輪の精神も、平和を願い、互いの人間を尊重する姿勢とともにある」という指摘と重なってくる。そうでなければならないだろう。

 こうも指摘している。「勝利よりも品性、尊い人間性の理想像を見せることで周囲に感動を与える」と。その通りである。これが広く行き渡れば、現世はもっと平穏で平和になるに違いない。こういう感覚はむしろ昨今の政治家や企業人に期待したい。「勝利」、いいかえれば「私利私欲」にこだわり、世は乱れているからである。

 さてここでも「謙虚」、「品性」、「理想」、「真善美」、いいかえれば「道」に徹すれば、柔道の世界でどのような道筋で勝利をつかむことができるのか、その極意のほんの一端でも武道家としての藤岡20段にうかがいたい。そこがどうも見えてこないように感じている。


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北京五輪メダリストたちの一言集
日本選手にみる「感謝」と「お陰」

安原和雄
 北京五輪は数々の快挙と感動と興奮を残して08年8月24日夜の閉会式とともに、2週間余りに及ぶ激闘の幕を閉じた。私(安原)が関心を抱いたのは、選手達がメダルを手にしたとき、何を思い、どう語ったかである。勝利をつかみ、その喜びを噛みしめるひと言、一言からみえてくるものは、お国柄の違いを映し出している。特に日本選手に多い「感謝」、「お陰」に注目したい。「何が何でも勝つこと」という考えもあるだろうが、私は「美しく勝って欲しい」と思う。(08年8月25日掲載)

 以下は、私が新聞で読み、あるいはテレビを観て集めたメダリスト達の一言ひと言で、その出所は一々明記していないことを断っておきたい。

▽多くの人に支えられてきたお陰です

*「すみません、何もいえない・・・」
男子100㍍平泳ぎで世界初の58秒台の新記録を出し、「金」を手にした北島康介選手(日本)。4年前のアテネ五輪で金を獲得したときは「ちょー(超) 気持ちいい」と言ってのけた北島選手も、連覇を成し遂げ、プールから上がった直後はあふれる涙をただ拭うばかりであった。しばらくして「最高です」、「記録も優勝もできたんでうれしい、満足です」と。

*「感謝しています。私一人の力ではなく、多くの人に支えられてきたお陰です。この喜びを、支えて下さったみなさんと分かち合えてうれしい」
男子200㍍平泳ぎでもアテネ五輪につづいて連覇した北島康介選手。

*「己(おのれ)に克(か)つ、そして他者に克つ」
男子200㍍バタフライの日本新記録で「銅」を獲得した松田丈志選手の座右銘。さらに「勝っておごらず、負けて腐らず」も。

*「本当にうれしい。沢山の方に感謝したい。記録更新に挑戦することが大切だと学びました」
女子200㍍背泳ぎでアテネ五輪につづいて「銅」を獲得した中村礼子選手。日本新を記録した。

▽日本の柔道をみせたかった

*「ママとして五輪に出場できるなんて思ってもみなかった。5大会連続のメダル獲得を誇りに思う」
女子柔道48㌔級で五輪3連覇を狙った谷亮子選手(32歳)は「銅」にとどまったが、3位決定戦での鮮やかな一本勝ちは大きな歓声と拍手に包まれた。05年12月長男を出産後、家族や見ず知らずの多くのママさんたちからの励ましに支えられてきた。試合後の最後の言葉は感謝だった。「日本で応援してくれたみなさん、会場に駆けつけてくれたファンのみなさん、有り難う」と。

*「私の仕事ですから精一杯やりました」
男子柔道66㌔級で「金」の内柴正人選手は2連覇。柔道の五輪連覇は史上8人目で、日本選手では斉藤仁、野村忠宏、谷亮子につづく4人目の快挙。

*「日本の柔道をみせたかった」
女子柔道63㌔級で、連覇を果たした谷本歩実選手は2大会ですべて一本勝ちの快挙を成し遂げた。柔道の五輪連覇は日本選手では5人目。
つぎのようにも語った。「一本を取る柔道を貫いてよかった。一本を取る柔道がなくなってきていることに納得できない。誰かが守らないと。自分ができるのなら、背負っていきたい」と。アテネ五輪以来、世界の柔道は(一本ではなく)ポイントを取る柔道に向かっていることに疑問を抱いての発言である。

*「この日のために今までの苦労があった。いろんな人たちの支えがあって、ここまで来られた。私を支えてくれた人たちへの金メダルだと思う」
女子柔道70㌔級の上野雅恵選手が五輪2連覇を達成した。柔道の五輪連覇は日本選手では6人目。世界全体では10人目となった。

*「優勝はみんなのお陰。決勝が自分の柔道。冒険せずに勝ちにいった。全日本選手権の優勝者が負けることは、日本の柔道が負けることだと耳にたこができるぐらい聞かされていた。今は遊びたい。いや練習したい」
男子柔道100㌔超級で、五輪初出場の石井慧(さとし)選手(国士舘大)が「金」を獲得した。準決勝まで4試合連続の一本勝ちで勝ち進んだ。

*「母に一番迷惑をかけた。恩返しをしたい。父には首にかけてあげたい」
女子レスリング72㌔級で2大会連続の「銅」を獲得した浜口京子選手。

▽きつくても我慢すること、ガマン、ガマン

*「金メダルを狙っていたので、男として悔しい」
フェンシングの男子フルーレ(フェンシング3種の1つ)個人で「銀」を獲得した太田雄貴選手。日本として初のメダル。「欧州発祥の伝統スポーツで、僕みたいな日本人が勝ったら痛快じゃないですか」とも語った。

*「世界で2番は自信になります。これからは自分が(日本の体操を)引っ張る存在になれればと思っています」
体操男子個人総合決勝で内村航平選手(19歳)が「銀」を獲得した。あん馬から2度も落下し、24人中23位に急降下したが、鉄棒で離れ技を演じて21人抜き、急上昇した。
10歳代でのメダルは「体操ニッポン」史上初めてのこと。

*「勝った。・・・本当に楽しかった。」
女子ソフトボール決勝戦で米国チームに勝った日本チームの上野由岐子投手。最後の2日間で3試合行い、計413球を投げ抜いた。
こうも語った。「最後まで投げさせてもらって満足。まだまだ投げられる感覚があった」と。

*「最高の舞台で最高に気持ちよかった。夢のような空間を走った。これまで一緒に走ったすべてのメンバーに感謝したい」
男子陸上400㍍リレー決勝で日本(塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治)が「銅」に輝き、最終走者の朝原選手が語った言葉。トラック種目でのメダルは男子では初めて。1928年アムステルダム五輪女子800㍍2位の人見絹枝選手以来2度目で、80年ぶりのメダルとなった。

*「とてもいい気持ちです。きつくても我慢すること。ガマン、ガマン」
五輪最終日の男子マラソンで優勝し、「金」を勝ち取ったサムエル・ワンジル選手(ケニア)。駅伝の強豪として知られる仙台育英高(仙台市)に留学するなど日本で育っただけに日本語も上手く、恩師の教え、「ガマン」を繰り返していた。さらに「日本がボクを育ててくれた」とも。

▽世界を驚かせて最高だ

*「両親がいなければ、私は五輪の舞台に立つことはできなかった」
体操女子個人総合で「金」を手にしたナスティア・リューキン選手(18歳、米国)はロシア生まれで、2歳の時米国に渡った。父は88年ソウル五輪体操男子の2冠で、母は新体操世界選手権女王。
「ロシア生まれで米国のために戦っていることをどう思うか」と聞かれて、ほほ笑みながら「ロシア人もアメリカ人も、私のことを誇りに思ってくれたら、うれしいわ」と。

*「世界を驚かせて最高だ」
陸上男子100㍍で「金」のウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)は9秒69の世界新記録を樹立したときの言葉。同選手は200㍍も世界新記録で優勝。さらに第3走者として走った400㍍リレーでも、ジャマイカは世界新で優勝し、ボルト選手は合わせて3冠を勝ち取った。
「うまくやろうとすると、プレッシャーがかかる。重圧を感じると焦って、ばかげたことになる。だから自分にはプレッシャーをかけないことだ」がボルトの走者哲学という。

*「金メダルはすばらしいけれど、自分の記録を更新できたことが一番うれしい」
水泳男子400㍍の自由形で「金」をつかんだ韓国の朴泰桓(パク・テファン、18歳)は少年の頃、ぜん息を克服するために水泳を始めた。

*「食べて、寝て、泳ぐ」
北京五輪で五輪史上最多の1大会8冠(4つの水泳個人種目と3つのリレーで計7個の世界新)を達成し、アテネ五輪の6個と合わせて計14個の「金」を手にしたマイケル・フェルプス選手(米国)のモットー。
1大会記録としては1972年ミュンヘン五輪でのマーク・スピッツ選手(米国)の7冠を超えた。身長193㌢、足のサイズ35㌢と並はずれている。アテネ五輪直後に未成年(19歳)で飲酒運転し、現行犯逮捕の履歴もある。モットーはシンプルそのものだが、多様な意味合いで競泳界の「怪物」として知られる。

*「空だけが唯一の限界」
女子棒高跳びで「金」のエレーナ・イシンバエワ選手(ロシア)が自身の世界記録を1㌢超える5㍍05の世界新記録を達成した。

*「このメダルが平和へのメッセージになってくれればいい」
テコンドー(空手に似た格闘技)男子58㌔級で「銅」のロフラ・ニクバイ選手(アフガニスタン)は戦乱の地、アフガニスタンの選手として史上初のメダルを獲得した。

〈安原の感想〉― 美しく勝って欲しい

 ひと言集が日本選手中心になるのは当然としても、五輪開催国、中国の選手の声が日本メディアに載らないのはいかがなものか。総メダル獲得数では中国は100個(金51、銀21、銅28)で、米国の110個(金36、銀38、銅36)を下回り、2位だが、金では51個で、米国を上回り、トップである。
日本はメダル獲得総数25個(金9、銀6、銅10)で、世界8位である。

 さてひと言それぞれに選手達のお国柄が表現されているように感じた。
 例えば「世界を驚かせて最高だ」。これは陸上男子100㍍で「金」を勝ち取ったボルト選手(ジャマイカ)のセリフである。「自分自身の努力と実力でメダルをつかみ取った」という思いがあふれている。米国をはじめ外国選手にはこういうタイプが多い。

 これと対照的なのが日本選手達である。
 男子200㍍平泳ぎでも連覇した北島康介選手は、「感謝しています。多くの人に支えられてきたお陰です」と語った。日本選手はほとんどこの「感謝」「お陰」というセリフを口にした。これは仏教的な考え方で、日本社会から次第に廃(すた)れてきている傾向にもあるので、代表選手達が唱える価値に注目したい。

もう一つ、「その通り」と思わずうなずいたのが「日本の柔道をみせたかった」と言った女子柔道63㌔級で、連覇を果たした谷本歩実選手である。谷本選手はすべて一本勝ちの快挙を成し遂げ、つぎのように語った。
 「一本を取る柔道を貫いてよかった。一本を取る柔道がなくなってきていることに納得できない」と。同じ勝つにしても、日本人らしく美しく勝ちたいという心意気とはいえないか。

 「感謝」、「お陰」にしても、「一本勝ちの日本柔道」にしても、そこに共通しているのは「日本的なるもの」への愛着であり、それを大事にしたいという心である。
 「何が何でも勝ってみせる」という執着心がいまひとつだから、日本はメダル獲得数が少ないのだ、という意見もあるだろう。敗北した日本野球チームの星野仙一監督は「敗軍の将、兵を語らず」と語ったが、負けるよりは勝った方がいいに決まっている。しかしやはり美しく勝ちたい。それにこだわる結果、仮にメダル数が少ないとしても、それはそれでいいではないか。


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気づきと癒しの言葉
〈折々のつぶやき〉39

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉は39回目。題して「気づきと癒しの言葉」です。(08年8月21日掲載)

 知人の清水秀男さんから8月前半、いくつもの「気づきと癒しの言葉」がメールで届いた。この言葉の発信者は、環境と平和のNPO法人、「ネットワーク地球村」代表の高木善之さん。高木さんは、瀕死の交通事故に会い、奇跡的に回復したのを契機に、人生に気づくところがあった。
「本当の幸せとは自分だけでなく、みんなが幸せになること」
「生きる意味とは〈みんなの幸せ〉のために、環境と平和の実現のために生きること」―など。

 清水さんからは「心の杖言葉の一つになれば幸いです」というメッセージが届いている。
折角の素敵な言葉を私(安原)が独り占めするのは「もったいない」ことなので、ここで紹介したい。

▽幸せを感じられる心を手にいれよう

*自分が幸せだって知らないから、不幸なんじゃない?
 目の見える人は、見えるという幸せを知らずにいるんだよ。

*一生懸命やったとき、誰もほめてくれなくても、自分で自分をほめてあげよう。
 「よくやったね!おめでとう!」って。

*まず、自分を好きになること。そこから元気になるよ。そこから始まるよ。

*いつから、始める?明日から? 明日は来ないかもしれないし、気が変わるかもしれな いよ。今日から始めたら、すてきな明日を迎えられるよ。

*幸せを手に入れるんじゃないよ。 幸せを感じられる心を手に入れようね。

*愛すること、愛されること、どっちが大事だろう。まずは、自分を愛することじゃない かな。

▽みんなの幸せのためには、どうすればいいか

*迷ったとき、考えてみて。みんなの幸せのためには、どうすればいいか。
 自分がそうすれば、どうなるか。みんながそうすれば、どうなるか。

*幸せって、むずかしいものじゃないよ。 気づくか気づかないかだけ。気づけば、一瞬で幸せになれるよ。

*仲の良い友達や家族にも、気に入らない面があるよね。そんなことに目くじら立てちゃ いけないよ。
 友達や家族は、いてくれるだけで素晴らしい!

*自分のことを理解してもらう前に、相手の事を分かってあげよう。そのほうが、お互い うまくいくみたい。

*苦しんだり、悩んだりしてるの? 前向きに向上しようとする人なら、当たり前のこと。 そういう自分も受け止めよう。

〈安原の感想〉光ってくる一つひとつの言葉

 一つひとつの言葉は一見平凡にも思えるが、味わうほどに光ってくる。
 例えば「幸せを手に入れるんじゃないよ。 幸せを感じられる心を手に入れよう」をどう受け止めるか。「幸せを手に入れる」、つまり幸せは他から与えられるもの、他からつかみ取るもの、という発想に縛られていると、とかく物、形あるもの、金銭価値のあるものしか目に見えてこない。心に映ってこない。
 発想を少し変えて「幸せを感じられる心」に軸足を移してみる。例えば「友達や家族は、いてくれるだけで素晴らしい」ことが理解できるのではないか。友達や家族の絆(きずな)という、物でもなく、形もないが、素晴らしい価値(市場では入手できない非金銭価値)があることを感得できるのではないだろうか。

かつて「くれない族」という言葉が流行した。「愛してくれない」、「やさしくしてくれない」、「面倒みてくれない」― など主として女性の他者依存症の哀しさを表現したものだ。しかしこれを女性に限定しては失礼だろう。男性だって無自覚のまま、この依存症にかかっている者が少なくないのではないか。「私が不幸なのは、あなたのせい」という依存症から脱出するにはどうしたらよいか。
 「くれない族」から「あげる族」へと心の位置をほんの少し動かせてみる。上記の「気づきと癒しの言葉」の中から拾えば、「誰もほめてくれなくても、自分で自分をほめてあげよう」、「相手の事を分かってあげよう」である。こうして「あいつが悪い」という依存症につきものの不平、不満が消えていく。こころ晴れ晴れへの道である。

 物や形はそれはそれで重要であり、だから無視していいというのではない。さらに金銭価値も市場経済のもとでは必要である。
 肝腎なことはそれらに執着するな、であるにちがいない。執着すれば、幸せを感じる「心」がどこかへ消えてしまう。「くれない族」から卒業できない。不平、不満が溜まり、幸せも逃げていく。癒しとも無縁となる。そこに気づこう、という気づきの勧めと読みたい。


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日本列島はすでに戦場である!
脱出策は「つくる平和」へ転換を

安原和雄
 63回目の終戦記念日「8.15」がめぐってきた。靖国神社参拝にこだわる者、平和への祈りに頭を垂れる者、毎年のことながらそれぞれの風景を描いている。「平和=非戦」、「守る平和」を誓うのは自然のことのように思えるが、ここでは新しい「平和=非暴力」という視点から平和をとらえ直してみる。そこから見えてくる光景は、戦争とは直接関係ないはずの日本列島が実はすでに「戦場」となっているという現実である。その戦場から脱出するためには従来の「守る平和」を克服して「つくる平和」への転換を図ることが不可欠となってきた。(08年8月15日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽終戦記念日と大手5紙の社説

 8月15日の「終戦記念日」に大手5紙の社説は何をどう論じたか。見出しと要点のごく一部のみを紹介する。

*朝日新聞=終戦から63回目の夏 「嫌日」と「嫌中」を越えて
 中国の5大学の学生を対象にした06年度の世論調査では、「日本を主導する政治思潮」を聞く質問に対し、53%が軍国主義と答えた。自由主義は18%、平和主義は9%しかなかった。

*毎日新聞=終戦記念日 日本独自の国際協力を 内向き志向から抜け出して
 平和学の第一人者、ノルウェーのヨハン・ガルトゥング教授は、日本人は7年間の占領期間を通じて米国と「特別な関係」を作り出し「日本は米国に選ばれ守られている民」と考えるに至ったという。手厳しい指摘ではないか。確かに日本の対米依存は骨がらみだ。

*読売新聞=8月15日 静かな追悼の日としたい
 追悼施設の問題に一日も早く決着をつけ、国民が一致して静かに戦没者を追悼する8月15日となってほしい。

*日本経済新聞=平和の尊さをだれが語り継ぐのか
 不戦の誓いを新たにする日である。先の大戦では日本人は軍人・軍属、民間人合わせて310万人が死亡した。
 63年が経過し、もはや戦争があったことも知らない世代が増えている。過去をきちんと学び、現在の平和の尊さを知るべきだろう。

*東京新聞=終戦記念日に考える 人間中心主義に帰れ
 人間のための社会経済システムや社会保障体制が一刻も早く再構築されなければならない。人間を雇用調整の部品や在庫調整の商品並みに扱ったのでは資本主義の敗北で、未来があるとも思えない。 

▽日本は本当に平和を享受しているのか

 以上、5紙の社説の要点を一読して分かるように、それぞれが異なる視点から多様な論説を試みている。多様性は尊重すべきであるが、読み直してみると、その多様性の中に共通項が伏在していることが分かる。それは「平和とは何か」であり、「平和への祈り」である。
 ここで、平和とは何か? と改めて問い直してみたい。日経新聞は「現在の平和の尊さを知るべきだ」と書いている。日本の現状は平和だという認識に立っている。しかし本当に日本は現在、平和を享受しているのだろうか。

 一方、毎日新聞社説で見逃せないのは「平和学の第一人者、ノルウェーのヨハン・ガルトゥング教授」に言及している点である。しかしあえていえば、同教授(注)に学ぶべきは彼の平和論であろう。社説にそれへの言及がないのは惜しい。
(注)ガルトゥング教授は、平和の実現に必要な諸条件を探求する「平和学」の創始者として世界的に知られる。1930年ノルウェーのオスロで生まれ、オスロ大学で数学と社会学の博士号を取得、59年にオスロ国際平和研究所(PRIO)を創設した。アメリカ、ドイツ、スイスの大学のほか、わが国では国際基督教大学、中央大学で平和学を講じた。

 世界平和学の先駆的業績として知られるガルトゥング教授著/高柳先男ほか訳『構造的暴力と平和』(中央大学出版部、初版1991年)に学びながら、平和とは何かを考える。
 同教授の平和論の特質は、構造のなかに組み込まれている「構造的暴力」という新しい概念をつくったことで、これによって平和概念を拡大させた。つまり平和とは単に戦争がない状態(=消極的平和)であるだけでなく、構造的暴力がない状態、すなわち内外の政治、経済、社会構造に起因する貧困、飢餓、病気、抑圧、疎外、差別などがない状態(=積極的平和)をも意味していることを明らかにした。
 
▽平和観の再定義 ― 「平和=非暴力」・「つくる平和」へ転換を

 いいかえれば同教授は平和観の再定義が必要であることを唱えた。この再定義に従えば、もちろん非戦(戦争という究極の国家的暴力がない状態)は平和にとって基本的に重要だが、それだけを指しているのではない。
 人間性や生の営みの否定ないしは破壊が日常的に存続している状態、例えば自殺、交通事故死、凶悪犯罪、人権侵害、不平等、差別、格差、失業、貧困、病気、飢餓―などが存在する限り平和とは縁遠い。
さらに貪欲な経済成長による地球上の資源エネルギーの収奪、浪費とそれに伴う地球環境の汚染、破壊が続く限り、平和な世界とはいえない。 
いいかえれば以上のような多様な暴力を追放しない限り、平和とはいえないことを強調したい。

「日本は平和だ」という認識は依然として少なくないが、これは「平和=非戦」という平和観に立っている。「平和憲法9条(戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認)のお陰で日本は戦争をしないし、海外派兵によって銃で他国の人を殺したこともない」、あるいは「憲法9条を守り、あくまで平和を守ろう」― など表現は様々だが、「平和=非戦」という認識にこだわった平和観である。

 この平和観にこだわると、「平和を守る」という認識にとどまる。現在の平和をいかにして守るかという感覚ともいえる。しかしこの「戦争さえなければ平和だ」、「平和を守ろう」という受け身の消極的な平和観は旧型の平和観である。
 今日、多様な暴力を追放し、真の意味での平和を実現させるためには「平和=非暴力」という認識に立ち、「平和をつくっていく」という能動的、積極的な平和観に立脚する必要がある。これが21世紀型の新しい平和観である。

▽日本列島は多様な暴力に満ちて、すでに「戦場」である

 「平和=非暴力」という新しい平和観に立って日本列島を見渡すと、そこには多様な暴力が日常化し、政治、経済、社会に構造的に定着した「構造的暴力」に満ちていると診断することができる。

 まず「平和=非暴力」という今日的平和観は、わが国でいえば、平和憲法のお陰で戦争がなく、平和であり続けたという思いを一面的認識として退ける。
 日本は戦後、日米安保体制下で何度も事実上参戦してきた。特に昨今の米軍主導のアフガン、イラク戦争では「人道支援」という名の自衛隊派兵が行われたし、新テロ特措法によってインド洋で米軍などに現在石油補給を行っているのは、まぎれもない参戦である。石油補給という後方支援がなければ現代戦は遂行できないからである。
 何よりも在日米軍基地は米軍の出撃基地として機能している。手厚い「思いやり予算」によって米軍基地の戦闘能力を手助けしているのが日本政府である。

 つぎに大型地震・台風などに伴う人災、多発する凶悪犯罪(秋葉原での17人の無差別殺傷事件など)、年間3万人を超える自殺、年間5000人以上の交通事故死(多いときは年間1万7000人の死者を出した。累計の犠牲者数は50万人を超えているのではないか。まさに交通戦争死といえる)、生活習慣病など病気の増加、300万人前後の失業と雇用不安、企業倒産の増加、貧富の格差拡大、人権抑圧などまさに構造的暴力は後を絶たない。 
 これでも日本は平和といえるのかという疑問符を投げかけるほかないではないか。

 東京新聞社説の「人間を雇用調整の部品や在庫調整の商品並みに扱ったのでは資本主義の敗北で、未来があるとも思えない」という指摘は、昨今の市場原理主義の負の側面、つまり企業レベルの構造的暴力をついている。 

 軍事力を行使して戦死者を出す修羅場のみが戦場ではない。多様な暴力によっていのち、安心、平穏、平和が破壊されている日本列島上の地獄のような現実も、戦場と呼ぶ以外に何と呼べばいいのか。これがガルトゥング教授に学ぶべき今日的な平和観とそれに基づく診断である。

▽憲法の平和理念を取り戻し、生かすとき

 日本列島を暴力の地獄から「非暴力=平和」の極楽へと転換させるためには何が必要だろうか。何よりも憲法の平和理念を取り戻し、それを現実に生かしていくときであろう。
具体的には以下の条項の理念をどう生かしていくかである。

*憲法前文の平和共存権と9条の戦力不保持と交戦権の否認
 前文には「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。恐怖とは戦争という暴力であり、欠乏とは貧困、飢餓などの暴力である。
 平和共存権と9条の戦力不保持を生かすためには核兵器廃絶と大幅な軍縮と同時に日米安保体制の解体が必要である。安保体制は平和のためではなく、「世界の中の安保」をめざして、地球規模での戦争のための暴力装置となっていることを見逃すべきではない。何よりも日米安保体制は、憲法前文の平和共存権と9条の戦力不保持の理念と根本的に矛盾している。つまり憲法の平和理念を事実上空洞化させている。

*13条の個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重
 「立法その他の国政上、最大の尊重を必要とする」と定めてあるにもかかわらず、現実には空文化している。

*25条の生存権、国の生存権保障義務
 周知のように「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」となっているが、貧困、格差の拡大、病気の増大、医療の質量の低下、社会保障費の削減 、税・保険料負担の増大― などによって生活の根幹が脅かされている。この現実をどう変革するかが大きな課題である。

*27条の労働の権利・義務
 「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とあるが、現実には失業者のほかに非正規労働者があふれている。適正な労働の機会を保障しないのは、「労働は義務」という憲法規定からみて憲法違反ではないのか。
 
 いずれにしても旧来の「平和=非戦」、「守る平和」観、つまり「現在日本は平和だ」というお人好しの平和観にこだわる限り、現実を変革し、未来への展望を切り開くことは難しい。ここは21世紀型の「平和=非暴力」、「つくる平和」観に立脚点を置き換えて憲法の平和理念を生かす方向で、平和を創っていくときである。
 しかも8月の終戦記念日は5月の憲法記念日と深く連結している。この2つの記念日を分離しないで、密接不可分の関係として「平和と憲法のありよう」をとらえ直す必要もあるのではないか。


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核廃絶は多数派の意思となった
広島・長崎平和宣言にみる変化

安原和雄
猛暑の中、63回目の原爆の日を迎えた。広島、長崎の平和宣言は今年もまた「核兵器廃絶」への熱い願いを世界に向けて発信した。恒例の行事にすぎないようにみえるが、今年は核廃絶をめぐる情勢に歓迎すべき変化が生じてきた。広島平和宣言が強調したように地球上で「核廃絶は多数派の意思となった」のである。同時に長崎平和宣言がうたっているように米国核政策推進派の中枢から提言「非核の世界へ」が飛び出してきた。核廃絶に追い風が吹き始めたといえよう。核廃絶を確かなものにするには何が必要かを考える。(08年8月9日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽メディアはなぜ「米軍が原爆を投下した」と明示しないのか

 今年2008年8月は、アジア・太平洋戦争の末期、1945(昭和20)年8月、米軍が広島(8月6日)、長崎(同月9日)に原爆を投下してから63年目を迎えた。米軍による原爆投下についてメディアは何を論じ、主張したか。

 まず大手6紙の社説・主張(08年8月6日付)の見出しを紹介する。
*朝日新聞=被爆63年 核廃絶は夢物語ではない
*毎日新聞=原爆の日 世界は核廃絶の頂を目指せ
*読売新聞=原爆忌 核拡散を止めねばならない
*日経新聞=核拡散への監視を緩めるな
*産経新聞=原爆の日 北の核許さぬ決意新たに
*東京新聞=原爆忌に考える 伝えたい、語りたい

 焦点はこれまで通りの核拡散重視にこだわるか、それとも核廃絶を主張するかである。上記の見出しから分かるように朝日、毎日両紙は核廃絶を掲げた。一方、読売、日経、産経は核拡散にこだわっている。とくに産経は北朝鮮の核保有に焦点を絞っている。
東京新聞は核廃絶、核拡散という表現こそ出てこないが、社説全体は、反原爆・反戦・平和の基調で貫かれている。
 核廃絶こそが焦点であるべきなのに、いまだに核拡散に視野を限定するのは時代感覚がずれている。福田首相も本音はともかくとして、平和記念式典での挨拶で「核兵器廃絶」を誓っているではないか。

 さてここ数年気にかかっていることに触れておきたい。それは新聞に限らずテレビも含めて、誰が原爆を投下したのか、その主語のない表現・記事があふれていることである。社説も例外ではない。「ヒロシマへの原爆投下」、「原爆投下から〇〇年」などの表現がそれである。なぜ主語を明記しないのか。誰かに遠慮しているのか、それとも主語が米軍であることは、周知のことで、今さら指摘する必要はないと考えているのか。

 もし後者だとしたら、それはおかしい。というのは60歳までの現役世代は、戦争体験のない人びとである。特に若い世代には主語が米軍であることを知らない者が少なくないはずである。日本がかつて米国と無謀な戦争をしたことさえ知らない者がいるのである。

 敗戦の1945年夏、私(安原)は小学5年生で広島県の片田舎で過ごしていた。戦争末期には毎日のように米軍のB29爆撃機が、日本の高射砲弾が届かないはるか上空をゆうゆうと飛行しているのを見上げていた。広島への原爆投下から数日後に「新型爆弾」と新聞が大きな活字で報じたことも覚えている。さらに敗戦後まもなく、被爆者に直接会う機会があり、そのケロイド症状に胸がふさがる思いであったことも記憶に残っている。

 その程度の戦争体験でしかないが、それでも原爆といえば、つねに米軍とつながっている。戦後世界での核兵器開発・保有競争の引き金を引いたのは米国であり、しかもその米国は現在世界最強の核保有国であり、これまで何度も核による脅迫を行ってきた。核廃絶を進めていく上で最大の責任を担うべきは米国であることを見逃してはならない。そのためにも「広島、長崎に原爆を投下したのは米軍」というこの一点を凝視する必要がある。

▽「広島平和宣言」― 市民を守る唯一の手段は核兵器廃絶

 秋葉忠利・広島市長が08年8月6日の平和記念式典で述べた「広島平和宣言」を紹介する。「市民を守る唯一の手段は核兵器廃絶」、「多数派の意思である核兵器の廃絶」― などと核廃絶を正面に据えて、その現実性を強調している。宣言要旨はつぎの通り。

 核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全(すべ)ての国家が負うことを明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

 核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190か国が批准、非核兵器地帯条約は113か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170か国が支持し、反対は米国を含む3か国だけです。
 今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。

 多数派の意思である核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、世界の2368都市が加盟する平和市長会議では、本年4月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。核保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の2015年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。
 目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

 日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。我が国政府には、その憲法を遵守し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果すことを求めます。(以上)

 広島平和宣言の特色は、市民を守るためには核廃絶しかないことを力説した上で、「核廃絶への意志は今や多数派となった」という認識を示している点である。06年平和宣言では「核廃絶をめざして私たちが目覚め起つときが来た」とし、さらに07年宣言では「市民の力で解決できる時代」と核廃絶の可能性を指摘した。08年宣言ではさらに大きく前へ進めて「核廃絶への意志は多数派になった」と実現の現実性をうたっている。可能性から現実性へと核廃絶の展望が開けてきていることを強調したものといえよう。しかも11月に誕生する米国新大統領に「多数派の声に耳を傾けよ」とまで呼びかけている。

▽「長崎平和宣言」―核政策推進者たちによる核削減アピールを評価

 田上富久・長崎市長が08年8月9日の平和記念式典で述べた「長崎平和宣言」の要旨はつぎの通り。

 長崎市最初の名誉市民、永井隆博士は長崎医科大学で被爆して重傷を負いながらも、医師として被災者の救護に奔走し、「原子病」に苦しみつつ「長崎の鐘」などの著書を通じて、原子爆弾の恐ろしさを広く伝えました。「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」という博士の言葉は、時を超えて平和の尊さを世界に訴え、今も人類に警鐘を鳴らし続けています。

 「核兵器のない世界に向けて 」と題するアピールが、世界に反響を広げています。執筆者はアメリカの歴代大統領のもとで、核政策を推進してきた、キッシンジャー元国務長官、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元上院軍事委員長の4人です。
 4人は自国のアメリカに包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を促し、核不拡散条約(NPT)再検討会議で合意された約束を守るよう求め、すべての核保有国の指導者たちに、核兵器のない世界を共同の目的として、核兵器削減に集中して取り組むことを呼びかけています。

 これらは被爆地から私たちが繰り返してきた訴えと重なります。
 私たちはさらに強く核保有国に求めます。まず、アメリカがロシアとともに、核兵器廃絶の努力を率先して始めなければなりません。世界の核弾頭の95%を保有しているといわれる両国は、ヨーロッパへのミサイル防衛システムの導入などを巡って対立を深めるのではなく、核兵器の大幅な削減に着手すべきです。英国、フランス、中国も、核軍縮の責務を真摯に果たしていくべきです。

 我が国には、被爆国として核兵器廃絶のリーダーシップをとる使命と責務があります。日本政府は朝鮮半島の非核化のために、国際社会と協力して北朝鮮の核兵器の完全な廃棄を強く求めていくべきです。また、日本国憲法の不戦と平和の理念にもとづき、非核三原則の法制化を実現し、「北東アジア非核兵器地帯」創設を真剣に検討すべきです。

 来年、私たちは広島市と協力して、世界の2,300を超える都市が加盟している平和市長会議の総会を長崎で開催します。
 核兵器の使用と戦争は、地球全体の環境をも破壊します。核兵器の廃絶なくして人類の未来はありません。世界のみなさん、若い世代やNGOのみなさん、核兵器に「NO!」の意志を明確に示そうではありませんか。(以上)

 長崎平和宣言の最大の特色は、キッシンジャー元米国務長官らかつての米国核政策推進者たち4人の核廃絶アピールに言及し、高く評価していることである。4人はまず昨年1月米紙ウオールストリート・ジャーナルに提言「核兵器のない世界を」、さらに今08年1月にも提言「非核の世界へ」を寄稿した。4氏のこれら提言は核推進の中枢を担ってきた当事者による「内部反乱」とでもいうべき事態で、核政策が行き詰まりに直面していることを浮き彫りしている。

▽核廃絶への願いにどう答えるか ― 福田首相と潘基文国連事務総長

 以上の広島、長崎両市長の核廃絶への願いに福田首相はどう答えたか。首相は広島、長崎の平和記念式典でつぎのように挨拶(要旨)した。

 先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めた。
 本日、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げる―と。

 なるほど後段部分の「今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていく」とは、その言やよし、である。しかしその後の記者会見(6日)で首相は「核抑止力」を肯定する発言をしたと伝えられる。これは何を意味するのか。目標としての「核廃絶」と現実の核保有の口実となっている「核抑止力」とは明らかに矛盾している。両立はありえない。核廃絶のためには核抑止力への妄信を棄てなければならない。

 ここで潘基文(バンギムン)国連事務総長のメッセージ(要点)を以下に紹介する。

 核軍縮を進める必要性に対する世界の認識は、何年ぶりかに高まっている。これを支持する声は、全世界のさまざまな人々から幅広く寄せられている。教育者、宗教指導者、新旧の政府高官、非政府組織(NGO)、ジャーナリスト、市長、議員その他の数限りない人々が、単に軍縮を言葉で主張するだけでなく、この目標達成に向けて積極的に取り組んでいる。
 国連人口基金は最近、都市人口が史上初めて、世界の多数派を占めるようになったことを発表した。核兵器が二度と使われないようにすることは、全世界の市長にとっても当然の利益となるはずである。この目標を達成する最も確かな方法が、核兵器の廃絶であるという理解も広がっている。(以上)

このメッセージ冒頭の「核軍縮を進める必要性に対する世界の認識は、何年ぶりかに高まっている」という指摘に注目したい。何気ないメッセージのようにみえるが、核廃絶への機運がこれまでと異質の良い方向に向かいつつあることを示唆している。しかも核廃絶への姿勢には福田首相よりもはるかに誠意を感じさせるものがある。

▽核兵器廃絶のための必要不可欠な条件は何か

 私(安原)は核廃絶のための必要条件として、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」掲載の「あくまでも核廃絶をめざして」(昨07年8月9日付)でつぎの3点を挙げた。

1)米国の時代遅れの誤った政策に「ノー」と言うとき
 「核の力による支配」を万能視し、その呪縛から逃れられない「核の奴隷」と化した哀れな、しかし危険きわまりない群れには明確な「ノー」を突きつける必要がある。
2)核大国の核軍縮を最優先にすること
 核5大国(米、ロシア、英、仏、中国)が正当性を欠く身勝手な「核覇権主義」に執着したまま、核大国以外への核拡散を非難するのは公正とはいえない。
3)日米安保=軍事同盟を解体し、「非核兵器地帯」結成に努力すること
 核抑止力に依存する日米安保=軍事同盟が存在する限り、アジアにおける核廃絶は困難であろう。日米安保=軍事同盟は長期展望として解体するほかない。

1年後の現在、これら3条件をどう考えるか。
1)について
 最近の情勢変化を考慮に入れる必要があるのではないか。米国4人の核削減アピールに象徴される核推進派内部の足並みの乱れ、さらに広島市長の「核廃絶への意思は多数派となった」という認識 ― などはこれまでみられなかった新しい情勢である。核廃絶に追い風が吹き始めていることをうかがわせる。

2)について
 長崎市長は「アメリカがロシアとともに、核兵器廃絶の努力を率先して始めなければなりません」と強調した。これは核不拡散のためにも、いくら強調してもよい視点である。

3)について
長崎市長は「非核三原則の法制化を実現し、〈北東アジア非核兵器地帯〉創設を真剣に検討すべきです」と昨年同様に訴えた。福田首相は「今後も非核三原則を堅持」と挨拶した。
 しかし現実には非核三原則(核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず)の一部(持ち込ませず)は日本列島に在日米軍基地がある限り、事実上ないがしろになっている。米国が核戦略を放棄しない限り、この事実は変わらないだろう。まして日本政府に三原則の法制化は念頭にないし、「核の傘」、つまり米国の核抑止力に依存する日米安保=軍事同盟が存続する状況下では、北東アジア非核兵器地帯の創設も困難であろう。
 とはいえ主張し続けることは不可欠であり、同時に日米安保=軍事同盟解体も視野におく必要があるだろう。


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好きこそ物の上手なれ
〈折々のつぶやき〉38

安原和雄
 猛暑の中、甲子園では恒例の全国高校野球選手権大会が燃え上がっている。北京五輪もまもなく開幕する。選手たちはいずれも人並みはずれた鍛錬の結果、選ばれた。俗に「好きこそ物の上手なれ」というが、好きだからこそ頂点を極めたといえる。嫌いであるはずがない。将棋や囲碁の世界も例外ではない。
 想うこと、感じたことを久しぶりの〈折々のつぶやき〉38回目として記してみる。(08年8月3日掲載)

 朝日新聞(08年8月2日付夕刊=東京版)「土曜スタディー」に「天才の育て方」と題して、将棋の通算5期目の名人位を獲得し、永世名人の有資格者となった羽生善治さん(37歳)が登場している。もっとも話し手として登場しているのは、当の名人ではなく、母親のハツさん(75歳)、聞き手は石川雅彦記者である。

▽一段と大きく見えてくる母親

 書き出しから気に入った。こうである。
 「小柄なハツは、話せば話すほど大きく見えてくる女性だった」
 記者は質問した。「将棋はいい加減にして、もっと勉強しなさいとは言わなかったのですか?」と。

 記事はつぎのようにつづいている。
 「そんなことは言いませんでした」
 ハツはきっぱりと答えた。少し間を置き、「それほど、不思議なことでしょうか。善治が楽しそうに将棋をしている姿を見るのが、私はとても好きでした」と。
 記者はここで印象を書き加える。「彼女の姿はまた一段と大きくなった」と。

 私(安原)が記事の中で「なるほど」と大きくうなずくところがあったのは、ハツさんのつぎの話である。
 「小学校の高学年のころでしょうか、善治の友達のお母さんに言われたことがあるんです。そんなに頭がいいんだったら、勉強させて東大に行かせなさいよって。でもね、善治が好きだったのは、勉強ではなく、将棋だったんですよ」

 この記事を読んで、母のハツさんが並みの受験ママ、教育ママだったら、羽生名人は誕生していなかっただろうと思う。たしかにこの母親は子育ての名人であり、いやそれ以上に教育者として天才ともいえるのではないか。

▽好きだからこそ上達する

 「好きこそ物の上手なれ」を辞書で引いてみると、こう説明してある。「好きだと熱心に行い、それゆえ上達するものだ」と。
 自分の好きな道に進んで、新たな境地を切り開くことができれば、これほど素敵な人生はないだろう。このことを知識としてではなく、智慧として身につけて実践し、名人の地位にまで押し上げたのが母親ハツさんではないか。だから教育者としても天才だとあえて言いたい。

 私は小学生の頃、田舎で縁台将棋に熱中していた。夏の夕方などは田園風景の中で団扇(うちわ)をばたばたさせながら、「待った」、「待てない」などとやり合っていた記憶がある。長じて関心は囲碁(現在、アマ5段程度)に移ったが、将棋も現在アマ初段程度には指せると思っている。

 しょせんヘボ将棋の域を出ないが、それでもテレビ放映の将棋のうちとくに羽生名人のはほとんど観ることにしている。プロ仲間でもあっと言うほどの名人の着想の妙に感心させられることが多い。ヘボはヘボなりに感心するのだ。(陰の声「ほんとかな?」)


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