「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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市場原理主義者よ、腹を切れ
世界の食料危機に直面して

安原和雄
 地球規模の食料危機が深刻な局面を迎えている。しかし日本の食料自給率は先進国のなかで異常な低水準に落ち込んでおり、危機への対応力を失っている。今日の食料危機は10年以上も前から予測されていたにもかかわらず、その備えを怠ったのはなぜか。市場開放と市場原理を万能視する市場原理主義が横行したためである。
 適切な対応策を打ち出すためにはまず責任を明らかにする必要があるだろう。私は「市場原理主義者よ、腹を切れ」と言いたい。さらに自給率を引き上げていくために「食料主権の確立」と「田園価値の再生」の2本柱を掲げる時だと考える。(08年4月26日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽「緊急事態」となった世界の食料危機

 世界の食料危機についてこの20日間にメディアで報じられた記事や論評を以下にいくつか紹介する。国連事務総長は「緊急事態」との危機感を繰り返し示している。

(1)コメ急騰で「自国の食」確保の動き
・コメ先物、最高値更新続く シカゴ市場
・コメ急騰 最大輸入国フィリピンを直撃 
 世界最大のコメ輸入国フィリピンでは、今年になって国際市場での価格急騰などの影響でコメ価格が約30%も上がり、国民生活を直撃している。1000万トンの国内生産だけではまかなえず、コメ消費量の20%を輸入に依存している。
 市民行動党の下院議員は「コメの国内生産量は減っていない。農産物の市場開放一辺倒を改め、〈食料主権〉確立をめざす政策に転換せよ」と訴えている。
・ベトナムのコメ輸出制限 「自国の食」確保第一に
・輸出大国タイでコメ不足
 世界最大のコメ輸出国タイで輸出削減をしていないため、国内でコメ不足の懸念が強まっている。

(2)食材急騰が貧困層を襲う
・国際市場価格の高騰ぶり
 小麦=3.3倍(過去3年間で)
 この1年で60~80%値上がりし、貧困層が困窮に追い込まれている。
 大豆=2.5倍 (同)
 トウモロコシ=2.5倍(同)
 コメ=2倍(この3か月で)
・穀物急騰 途上国を直撃 暴動で死傷者多発 広がる「自国分確保」
・食材高騰 貧困層襲う 米国学校給食ピンチ
 米メディアによると、給食の値上げを発表する学校が全米各地で相次いでいる。貧困問題を抱える米国にとっては、学校給食が子どもたちの命綱ともなっている。
・中南米諸国、食料値上げ 新たに極貧状態1500万人 国連ラテンアメリカ・カリブ海経済委員会(ECLAC)が警告

(3)飢えたる者たちの反乱も
・食料高騰 国連世界食糧計画(WFP)が警告
 30か国が食料危機になり、うち23か国が「深刻な情勢」と警告を出している。また世界的な食料価格の高騰を「静かな津波」と警告する声明を発表した。声明は「価格高騰はWFPの45年の歴史で最大の課題だ。静かな津波はすべての大陸で1億を超える人々を飢餓に陥れる恐れがある」と述べている。
・飢えたる者たちの反乱
 世界中でコメや小麦、トウモロコシの価格が過去最高になっている。数百万の人々が飢える一方で、価格高騰を招いた要因は何一つとして解決される気配がない。食料価格の高騰は各地で社会不安の引き金になりつつある。日々のパンを手に入れることができない持たざる者の怒りは、政府を倒しかねない。
・食品高騰 貧しい人々への「大量殺人」
 国連特別報道担当官は、経済のグローバル化による富の独占や多国籍企業による投機を「構造的暴力」と批判した。食品高騰で貧しい国が苦しんでいる現状について「飢餓はマルクスが考えたように、避けられない運命というわけではない。むしろ犠牲者の背後に殺人者がいるというべきだ」と指摘した。さらにいつの日か、飢えに苦しむ人々は、その迫害者に対して立ち上がるかもしれないとして、「これはフランス革命が可能だったように可能だ」と述べた。

(4)食料サミットの開催へ
・食料への投機禁止を 研究者が英紙へ寄稿
 ロンドン大学の世界保健研究所長は、ガーディアン紙につぎのように書いている。「食料価格高騰は、農産物市場への投機がつくりだした。食品は投機の対象から外されるべきだ。市場の変動で儲ける者は、多数の母親やこどもたちの命を犠牲にしている」と。
・バイオ燃料の増大が貧困層の食料脅かす FAOが警告
国連食糧農業機関(FAO)の中南米地域会議は「エタノールなどバイオ(生物)燃料への農作物(サトウキビ、トウモロコシ、大豆など)利用が急速に進めば、食料生産にマイナスとなり、食料不安の恐れがあり、貧困層の食料入手が脅かされる」と警告している。
・国連、食料サミットを検討 価格急騰の混乱で
 国連は食糧価格の急騰による世界的な混乱を受け、国連事務総長が、世界の首脳らを集めて対策を話し合う「食糧サミット」の開催を検討していることを明らかにした。事務総長は「緊急事態」との危機感を繰り返し示している。
・食糧問題も洞爺湖サミットの主要議題に

〈安原のコメント〉
多様なメディアをまとめて目を通してみた印象は、食料危機の深さと広がりが予想を超えて進みつつあるということである。「構造的暴力」、「飢えたる者たちの反乱」、さらに「フランス革命の二の舞」という認識さえうかがうこともできる。需要供給のアンバランス、という市場原理主義的な捉え方ではつかめない危機といえる。
 現存秩序の根っこからの改革なしに修復は難しいという印象がある。危機を経て、新しい未来を創造するための歴史的かつ地球規模の陣痛が始まっているのではないか。

▽食料危機は10年以上も前から予測されていた

 私(安原)は今から13年前の1995年はじめの時点で拙著『知足の経済学』(ごま書房、1995年4月刊)で「自給率の低下と世界的な食糧不足」という見出しでつぎのように指摘(趣旨)した。

 日本はすでに食糧輸入大国であり、その結果、食糧自給率がいちじるしく低下している。無神経に自給率の低下を放置してきたのは先進国では日本だけである。
 このように日本の食糧自給率が低下しているときに、実は世界的な食糧不足が急速に進行しつつある。暖衣飽食の中で大量の食べ残しを平然とやってのけるのが当たり前の風景になっている多くの日本人には想像を絶することであるにちがいないが、世界的な食糧危機はすでに始まっている。阪神大震災が突如襲ってきたきたように食糧不足もある日突然日本列島に襲いかかってくるかもしれない。

 世界の1人当たりの穀物生産は、1984年を境に減少に向かっている。穀物生産の伸び悩みは決して一時的な現象ではない点に深刻な問題がひそんでいる。なぜなら大気汚染、土壌浸食、地下水の消耗、土壌有機物の減少、潅漑地の塩害などを背景に耕地の生産性向上が頭打ちになっているからである。いわば地球規模大の環境破壊が穀物生産に深刻な影を投げかけているともいえるのである。
 近い将来、飢餓に苦しむ人々が大群となって越境移動する可能性もすでに指摘されている。対応策は、先進国での1人当たりの穀物消費量を大幅に削減し、食生活の水準を落とす以外にない。いまのところ先進国とりわけアメリカと日本では飽食、片や発展途上国では欠食というアンバランスの状態になっているが、先進国だけがいつまでも安閑としていられる状況にはない。やがて地球上のあちこちで食糧争奪戦が始まる可能性があるといっても過言ではない。

〈安原のコメント〉
 以上の記述は私の独断ではなく、当時、世界の心ある人々は指摘していた。しかし飽食の最中にあり、しかもバブル経済の後始末でウロウロしていた当時の日本では多くの人の耳には届かなかった。末尾の「地球上のあちこちで食糧争奪戦が始まる可能性」はすでに現実化している。私に悔いが残るのは、「もっと大きな声で警告すべきであった」に尽きるような気がしている。

▽自給率の異常な低水準を招いた責任を問う

 日本の食料自給率(カロリーベース)は1965年の73%から低下し続け、2006年以来39%という先進国では異常な低水準で推移している。また穀物自給率(重量ベース)は1965年の62%から06年には27%にまで落ち込んでおり、これも人口1億人以上の国の穀物自給率としては最低である。最下位から2番目のメキシコが64%で、日本の2倍以上となっている。

 なぜこのような異常な低水準を招いたのか。その責任は市場メカニズムを万能視し、農畜産物の市場開放に積極的に動いた政治家、経済人、官僚、研究者ら一群の市場原理主義者にあるといえる。
 
 日本は1995年にコメの部分開放(注)へ政策転換した。
 (注)部分開放の内容は、コメの自由化を猶予される代わりにとりあえず95年からミニマム・アクセス(最低輸入義務量)として国内消費量約1000万トンの4~8%に相当する外国産米を輸入するというものである。

 当時のコメ開放に関する市場原理主義者(=市場開放論者)の言い分は以下のようであった。
*コメの開放は経済合理性に基づいた当然の政策である。国内産のコメが海外に比べて割高である以上、安い外国産を輸入するのは合理的である。
*コメに限らない。他の食糧についても海外から輸入した方が目先き有利であれば、大いに輸入し、その結果、食糧自給率が低下しても当然である。
*国際化(海外からの自由化の要求)への対応こそ重要である。日本は工業製品の輸出によって巨額の貿易黒字を稼いで、海外の市場開放の恩恵を受けているのに、一部にせよ、自国の市場を閉鎖状態にして置くことはもはや通用しない。

 こういう考え方は、米国をはじめとする海外からの日本に対する農産物市場の自由化(=開放)要求を受け容れるのに都合のいい理屈であった。しかもカネの裏付けのある有効需要、つまり輸入需要があるかぎり、海外からの食料供給は無限であろうということを暗に前提にしている。
しかしこの前提条件が最近の食料危機で崩壊してきた。食料輸出国では「自国分」の確保を最優先する動きが高まってきているからである。こういう事態は予測できたにもかかわらず、市場開放論者すなわち市場原理主義者は無視した。その責任は甚大だというべきである。

 私は「市場原理主義者よ、腹を切れ」と言いたい。この一見過激にみえるが、実は至極もっともな言い分は、私の独創ではない。奥田硯・前日本経団連会長、現トヨタ自動車相談役が日経連会長、トヨタ自動車会長だった頃、「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ」(『文藝春秋』1999年10月号)と論じた。私はこの論文を読んで、「経営者にも骨のある人物がいるのか」と企業の安易なリストラ(人員削減)旋風が吹き荒れていた当時、感銘したのを今思い出している。その言い分にあやかったにすぎない。
 ただ市場原理主義者の責任を追及するだけで事足れり、とするわけにはゆかない。自給率を向上させ、食料危機を乗り越えるには何が求められるのか。必要不可欠な条件として「食料主権の確立」と「田園価値の再生」を掲げたい。

▽「食料主権の確立」をめざして

 食料主権(Food Sovereignty)という概念は、1996年世界食料サミットにおけるNGO・世界フォーラムの声明で初めてうたわれた。「すべての国は、自国にとって適切と考えられるレベルの食料と栄養価を自給する権利を有し、それによっていかなる報復もこうむるようなことがあってはならない」と。
 こういう食料主権が打ち出された背景にはつぎのような事情があった。
*地球上における8億5000万人の飢餓・栄養不足人口の存在
*その背後にある伝統的小農業・家族農業の解体、自給の崩壊、農民の土地からの引き剥がし
*世界貿易機関(WTO)発足によって自由貿易がすべてに優先する体制へ転換

 さらに世界の社会・民衆運動の一つ、「農業改革と農村の発展に関する国際会議」(2006年3月開催)に提出された文書、「食料主権に基礎をおいた農業改革」は「政府がやるべきこと」(公正な政策)としてつぎの諸点を挙げている。
*すべての農漁民に十分で適切な価格を保障する。
*安い輸入農産物から国内産を守る権利を行使する。
*国内市場で生産を調整する。
*農業生産の永続性を壊し、不公正な土地保有形態を推し進めたり、資源や環境を壊すような国内補助金を削減する。(以上は、ブログ「大野和興の農業資料室」から)

 日本消費者連盟編『食料主権』(緑風出版、2005年刊)はつぎのように述べている。
 「食料主権には、食物を作る権利だけでなく、選ぶ権利、安全に食べる権利など生存権ともいえる幅広い権利が含まれる。グローバリゼーションにより農業生産や食料への企業支配が強まった結果、自然・生命・人権の侵害が起きて貧困は拡大している。世界の農民・消費者運動が多国籍企業やWTOなどに対抗するために掲げ、追求しようとしているのが食料主権である」と。

 国連人権委員会が採択した食料主権に関する決議(2004年)はつぎのように指摘している。
 「各国政府に対し、人権規約に従って〈食料に対する権利〉を尊重し、保護し、履行するよう勧告する。〈食料に対する権利〉に重大な否定的影響を及ぼし得る世界貿易システムのアンバランスと不公平に対しては、緊急の対処が必要である。〈食料主権〉のビジョンが規定しているように、食料安全保障と〈食料に対する権利〉に優先順位を置くような農業と貿易のための新たな対抗モデルを検討すべきである」と。
 この決議はWTOや多国籍企業が求める市場原理主義的な自由化に反旗を掲げている。この決議に反対したのは市場原理主義の総本山、米国だけで、日本政府は賛成している。

 食料主権は、一見してかつての農業保護論に逆戻りするための権利かという誤解を招くかもしれない。そうではない。強調したいのは工業はいのちを削る産業だが、農漁業は本来いのちを育てる産業であるという特質の違いである。工業と違って効率一辺倒では育たないことを指摘したい。農漁業はそもそも弱肉強食のすすめを根幹に据える市場原理主義とはなじまない。そういう配慮を怠った結果が日本の自給率の異常な低下である。食料主権をどう広げ、定着させていくかが緊急の課題となってきた。

▽多面的な「田園価値」の再生に取り組むとき

 水田、畑、里山、森林、湖沼、河川などからなる広い意味の田園には2つの役割がある。
 1つはコメ、野菜、果物、山菜、酪農品など市場価値の生産・供給である。これは食料の供給基地としての役割である。
 もう1つは私が「田園価値」と呼んでいるもので、食料のような市場価値とは違って田園が本来持っている非市場価値を指している。この田園価値は市場での交換価値はないが、一人ひとりの生活にとってなくてはならない貴重な価値である。そういう田園価値は、田園の多面的機能あるいは外部経済機能(=「外部経済」効果、つまり市場メカニズムを経ないで暮らしや経済活動に及ぼすプラスの影響、効果)ともいわれるもので、具体的には次の3つに大別できる。

(1)国土・生態系の保全機能
・自然のダム機能=洪水の防止に貢献
・地下水の補給
・表土のエロージョン(浸食、流失)の防止と土壌の保全
・自然の多様な動植物からなる生態系の保全

(2)自然・環境の保全機能
・美しい田園(棚田も含めて)、きれいな川、緑地など景観の保全と創造
・大気の保全・浄化や汚水の分解
・静かな環境の形成と維持
・自然のエア・コンディショナーとしての効果

(3)社会的、教育的、文化的機能
・都市文明限界論=工業社会の行き詰まりによる農業(本来は低エントロピー、つまり汚染度の低い生産の場)の価値の再評価
・都市と農山村の交流=食べ物、祭、演劇、音楽、スポーツによる交流
・田園の教育的効果=子どもの山村留学、原始生活、児童農園などでの体験を通じて四季の変化が豊かであること、大自然や農業が生命を育てる世界であることを学ぶこと
・田園における人間性(安らぎ、くつろぎ、優しさ、こころの癒しなど)の回復
・コメ文化(=稲作の文化性)、特に個性に富む日本酒と和食の文化(=料理、食器などの多様性) (祖田修著『コメを考える』、岩波新書)

 以上のような田園価値は主として非市場価値だから、貨幣価値に換算しにくいが、試算による評価総額は約8兆2000億円(農水省が2001年に公表)にのぼる。これは、農業総産出額8兆3000億円(07年)に匹敵する。
 また多面的な田園価値の総評価額、つまり森林農地の洪水防止機能、地球温暖化抑制機能、水田の水質浄化機能などの便益から、水質汚濁など環境面への負荷を差し引いて得られる評価額は約37兆円という試算もある。要するに田園は総体として自然と人間にとって不可欠の巨大な価値を創造している。

自由競争と私的利益の追求を説いたことで知られるアダム・スミス(1723~90年、イギリスの経済学者)でさえ、古典的著作『国富論』で農村と田園生活の魅力についてつぎのように述べていることを紹介したい。
 「田舎の美しさ、田園生活の楽しさ、それが保証してくれる心の平穏さ、― これらはあらゆる人を引きつける魅力をもっている」と。

このような田園価値を再生し、大切に育てていくことは一人ひとりの生活の質的な向上にとって欠かせない。ところが現実には日本の田園は粗末に扱われ、破壊されてきた。食料自給率の向上と田園価値の再生は表裏一体の関係にある。今こそ田園価値の再生を重視し、取り組むときである。


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空自の武装兵士空輸に違憲判決
「後方支援は参戦」の認識を

安原和雄
 名古屋高裁は08年4月17日の判決で「航空自衛隊がイラクの首都バグダッドに武装した多国籍軍兵士を空輸していることは、憲法9条違反」との判断を示した。これは「空輸は多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援」という認識に立っている。最前線の戦闘行為を支える後方支援(兵員、石油などの輸送補給)についてわが国では戦闘行為とは異質という認識が多いが、実は両者は表裏一体の関係にある。
 この判決をきっかけに「後方支援は事実上の参戦」という認識を広く共有する必要があると考える。そうでなければ反戦・平和、憲法9条の理念を確かなものにしていくこともおぼつかなくなるだろう。(08年4月18日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)


▽大手新聞はどう論じたか ― 明快な東京新聞の社説

 大手各紙の社説(4月18日付)はどう論じたか。まず各紙の見出しを以下に紹介する。

東京新聞=イラク空自違憲 『派兵』への歯止めだ
朝日新聞=イラク判決 違憲とされた自衛隊派遣
毎日新聞=イラク空自違憲 あいまいな説明は許されない
読売新聞=イラク空自判決 兵輸送は武力行使ではない
日経新聞=違憲判断を機に集団的自衛権論議を

 以上の見出しをみるだけで、その主張の方向は明らかだが、もう少し要点を紹介する。

*東京新聞
 航空自衛隊のイラク派遣は憲法九条に違反している。名古屋高裁が示した司法判断は、空自の早期撤退を促すもので、さらには自衛隊の海外「派兵」への歯止めとして受け止めることができる。
 もう一つ、今回の違憲判決が明確にしたのは、自衛隊海外派遣と憲法九条の関係である。与党の中には、自衛隊の海外派遣を恒久法化しようという動きがある。しかし、九条が派遣でなく「派兵」への歯止めとなることを憲法判断は教えた。

〈コメント〉一番すっきりした主張である。事実上の「派兵」を「派遣」、つまり「人道的支援」と言いくるめてきた政府見解に平和憲法の精神から批判を加え、判決を「派兵への歯止め」と評価している。

*朝日新聞
 あのイラクに「非戦闘地域」などあり得るのか。武装した米兵を輸送しているのに、なお武力行使にかかわっていないと言い張れるのか。戦闘が続くイラクへの航空自衛隊の派遣をめぐって、こんな素朴な疑問に裁判所が答えてくれた。いずれも「ノー」である。
 日本の裁判所は憲法判断を避ける傾向が強く、行政追認との批判がある。それだけにこの判決に新鮮な驚きを感じた人も少なくあるまい。
 本来、政府や国会をチェックするのは裁判所の仕事だ。その役割を果たそうとした高裁判決が国民の驚きを呼ぶという現実を、憲法の番人であるはずの最高裁は重く受け止めるべきだ。

〈コメント〉一読して判決に好意的な印象がある。ただ読み直してみると、「判決が国民の驚きを呼ぶという現実」という認識が気になる。司法の判断の多くがゆがんでいると言いたいのだろうが、素直に喜んでいる国民も少なくないことを指摘しておきたい。

*毎日新聞
 重要なのは、判決がイラク国内の紛争は多国籍軍と武装勢力による「国際的な武力紛争」であるとの判断に基づき、バグダッドを「戦闘地域」と認定したことだ。政府がイラクでの自衛隊の活動を合憲だと主張してきた根拠を根底から覆すものだからだ。
 政府は判決を真摯(しんし)に受け止め、活動地域が非戦闘地域であると主張するなら、その根拠を国民にていねいに説明する責務がある。
 さらに、判決が輸送対象を「武装兵員」と認定したことも注目に値する。政府はこれまで、空自の具体的な輸送人員・物資の内容を明らかにしてこなかった。
 政府は、輸送の具体的な内容についても国民に明らかにすべきである。

 〈コメント〉政府に「説明を求める」ことが主張の軸になっている。しかし判決は「戦闘地域」、「武装兵員」と認定し、政府のごまかし答弁を覆した。政府が「判決の通り」と説明するはずはないのだから、判決を素直に評価したい。

*読売新聞
 イラクでの自衛隊の活動などに対する事実誤認や、法解釈の誤りがある。極めて問題の多い判決文である。
 市民団体メンバーらが空自のイラク派遣の違憲確認と差し止め、損害賠償を国に求めていた。判決は、原告の請求をいずれも退けた。違憲確認の請求についても「利益を欠き、不適法」と判断している。それなのに、わざわざ傍論で「違憲」との見解を加える必要があったのだろうか。
 国は、訴訟上は勝訴したため、上告できない。原告側も上告しないため、この判決が確定する。こうした形の判例が残るのは、好ましいことではない。

 〈コメント〉読売の社説は、二人三脚の姿勢で政府擁護論に立ってから久しいが、改めてそれを感じさせる。社説の主張、「傍論で違憲との見解を加える必要があったのか」について町村信孝内閣官房長官は早速記者会見で、「私もそういう印象を受けた」という趣旨の発言をした。

*日本経済新聞
 私たちは国連平和維持活動(PKO)や多国籍軍の平和構築活動に対し自衛隊が協力をするに当たり、戦闘活動には参加すべきでないが、後方支援には幅広く参加すべきであると考えてきた。このためには集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更が必要となると指摘してきた。
 福田首相は、自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法(一般法)案をまとめ、今国会提出に向けて与党内調整を進めるよう指示している。
 集団的自衛権の解釈変更をめぐる議論に目をつぶったままで恒久法を制定すれば、いま起きている混乱は続く。名古屋高裁の判断は、福田政権のちぐはぐな姿勢に対する批判のようにも見える。

 〈コメント〉後方支援を奨励する主張である。そのためには米国の戦争を支援するための「集団的自衛権の行使」ができるように憲法解釈を転換せよ、と論じている。こういう受け止め方には当の裁判官は目をぱちくりさせるのではないか。

▽弁護団声明 ― 「憲法と良心にしたがった歴史的判決」

 判決を受けて出された弁護団の声明(趣旨)を以下に紹介する。これは一般メディアではほとんど報じられていない。

(1)画期的な違憲判決である
 2008年4月17日、名古屋高等裁判所民事第3部(青山邦夫裁判長、坪井宣幸裁判官、上杉英司裁判官)は、自衛隊のイラクへの派兵差し止めを求めた事件の判決で、「自衛隊の活動、特に航空自衛隊がイラクで現在行っている米兵等の輸送活動は、他国による武力行使と一体化したものであり、イラク特措法、憲法9条1項(注・安原)に違反する」との判断を下した。
 加えて、判決では、平和的生存権は全ての基本的人権の基礎にあってその享受を可能ならしめる基底的権利であり、単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまるものではないとし、平和的生存権の具体的権利性を正面から認めた。
 この違憲判決は、日本国憲法制定以来、日本国憲法の根本原理である平和主義の意味を正確に捉え、それを政府の行為に適用したもので、憲政史上最も優れた、画期的な判決である。判決は、結論として控訴人の請求を退けたものの、原告ら全ての人々にとって、極めて価値の高い実質的な勝訴判決と評価できる。

(注)憲法9条1項(戦争放棄)はつぎのとおり。
 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

(2)自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の意義
 1990年の湾岸戦争への自衛隊掃海艇派遣以来、自衛隊の海外活動が次々に拡大され、その間、全国各地で絶えることなく自衛隊の海外派兵が違憲であるとする訴えを市民は提起し続けてきた。しかし、裁判所は一貫して司法判断を避け、門前払いの判決を示し、憲法判断に踏み込もうとしなかった。
 しかし、今回のイラクへの自衛隊の派兵は、これまでの海外派兵とは質的に大きく異なる。
 第一は、アメリカ、ブッシュ政権が引き起こしたイラク戦争が明らかに違法な侵略戦争であり、自衛隊のイラク派兵はその違法な侵略戦争に加担するものだということ。
 第二は、自衛隊のイラク派兵は、日本国憲法下においてはじめて「戦闘地域」に自衛隊が展開し、米軍の武力行使と一体化する軍事活動を行ったこと。これは日本がイラク戦争に実質的に参戦したことを意味している。
 この裁判は、このような自衛隊のイラク派兵が、日本国憲法9条に違反し、日本国憲法が全世界の国民に保障している平和的生存権を侵害していると原告らが日本政府を相手に訴えたものである。

 日本政府は国会でもイラクで自衛隊が行っている活動の詳細を明らかにせず、実際には参戦と評価できる活動をしている事実を覆い隠し、本訴訟においても事実関係については全く認否すら行わない異常な態度を最後まで貫いた。国民には秘密の内に憲法違反の自衛隊派兵の既成事実を積み重ねようとする許しがたい態度である。
 私たちはこの裁判で、自衛隊の活動の実態を明らかにするとともに、日本政府が国民を欺いたままイラク戦争に参戦していることを主張、立証してきた。そして、行政府が立法府にも国民にも情報を開示しないまま、米軍と海外で戦争をし続ける国作りを着々と進めている現実の危険性を繰り返し主張してきた。
 今、行政府のこの暴走を食い止めるのは、憲法を守る最後の砦としての役割が課せられている司法府の責任であることを強く主張してきた。

(3)憲法と良心にしたがった歴史的判決
 判決は、原告の主張を正面から受け止め、イラク派兵が持つ歴史的な問題点を正確に理解し、憲法を守る裁判所の役割から逃げることなく、憲法判断を行った。
 判決は、憲法9条の規範的意味を正確に示した上で、航空自衛隊が現実に行っている米兵の輸送活動を、憲法9条が禁止する「武力行使」と認定し、明らかに憲法に違反していると判断した。
 自衛隊の違憲性については、過去に長沼ナイキ基地訴訟第一審判決(札幌地裁、昭和48・9・7)で、自衛隊を違憲とした判断が唯一見られるだけで、それ以後、自衛隊及びその活動の違憲性を正面から判断した判決は一つとして見られない。高裁段階の判断としては、本日の名古屋高裁民事第3部の判決が戦後唯一のものである。憲法と良心に従い、憲法を守り、平和と人権を守るという裁判所の役割を認識し、勇気をもって裁判官の職責を全うした裁判官に敬意を表する。

 本判決は、我が国の憲法裁判史上、高く評価される歴史的判決として長く記憶されることになるであろう。
 また、この判決は、この裁判の原告となった3000名を越える市民(全国の同種訴訟に立ち上がった5000名を越える市民)が声を上げ続けた結果、生み出されたものである。日本国憲法の価値を示す画期的な判決として、この判決を平和を願う全ての市民とともに喜びたい。

(4)自衛隊はイラクからの撤兵を
 我が国は三権分立を統治原理とし、かつ法の支配を統治原理としている立憲民主主義国家である。
 三権の一つであり、かつ高等裁判所が下した司法判断は、法の支配の下では最大限尊重されるべきである。行政府は、立憲民主主義国家の統治機関として、自衛隊のイラク派兵が違憲であると示したこの司法判断に従う憲政上の義務がある。
 私たちは、今日このときから、この違憲判決を力に、自衛隊のイラクからの撤退を求める新たな行動を開始する。同時に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」し、「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」した日本国憲法の理念を実現するための行動を続ける。

2008年4月17日
自衛隊イラク派兵差止訴訟の会
自衛隊イラク派兵差止訴訟弁護団

▽「後方支援は参戦」という認識を共有するとき

 私(安原)が今回の判決文で特に注目したのはつぎの一節である。
 「現代戦において輸送等の補給活動もまた戦闘行為の重要な要素である」と。
 これは現代戦に関する捉え方としては欧米では常識とされている理解である。要するに「戦闘の最前線での殺傷行為」と「後方からの補給支援」(兵員、石油、弾丸、食糧、医薬品などの補給)とは切っても切れない表裏一体の関係にあるという事実である。兵員、石油などの補給がなければ、前線での戦闘行為は不可能である。

 この認識を土台にして、判決はイラクの首都バグダッドは戦闘地域であること、さらにそのバグダッド空港へ武装した多国籍軍兵士を航空自衛隊が空輸していることは、多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援であり、他国による武力行使と一体化した行動である、という判断を下している。いいかえれば後方支援は、すなわち事実上の参戦(判決では参戦という文言は見当たらない)を意味している。
 この点は、上記の弁護団声明にあるように弁護団は「自衛隊は、米軍の武力行使と一体化する軍事活動を行い、日本がイラク戦争に実質的に参戦したことを意味している」と主張してきた。その趣旨が判決で受け容れられた。その意味では判決は後方支援について憲法違反という的確な判断を下したといえるのではないか。

 私は戦争にからむ後方支援問題にいささかこだわりたい。その理由は以下のようである。
 第一に平和・反戦に関心のある人たちの間でも後方支援は戦闘行為にはつながらないという認識が多いからである。だから日本はまだ戦闘行為で他国の人を殺傷したことがないという安心感、責任回避論に逃げ込む。しかし事実上の参戦によって殺傷に手を貸しているとなれば、話は違ってくる。罪名はともかく有罪であることは免れない。

 第二に在日米軍基地を足場に米軍は先制攻撃論に基づいて出撃している。ベトナム戦争、湾岸戦争、そして今回のイラク攻撃は在日米軍基地が存在しなければ米軍の戦争遂行は困難を極めたであろう。日米軍事同盟下での後方支援の典型である。

 第三に憲法9条のお陰で日本は外国で殺傷行為に走ったことはない、という考え方が根強い。しかし後方支援も同時に戦闘行為であるとすれば、9条の条文は健在だが、その理念は事実上骨抜きになっていることを意味する。
 従って9条の理念を取り戻し、どう生かしていくかが課題となる。いいかえれば、平和は「守る」ものではなく、いまや「つくっていく」ものに変化している。「憲法を守れ」「平和を守ろう」という受身の発想では肩すかしを食わされる懸念がある。

 私は法律解釈論では素人だが、今回の判決が画期的だと考えるのは以上のような文脈からである。海上自衛隊による給油活動も後方支援である。だからこそ日本政府も米軍もこだわっている。「日本は戦争に参加している」という批判を海外から浴びないようにするためにも、後方支援に目を光らせよう!それが憲法9条、さらに平和を名実ともに守り、生かす道である。


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昔ベテラン、いま初心者
〈折々のつぶやき〉36

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉36回目は元旦(1月1日)以来で、ちょっと間があきすぎました。題して「昔ベテラン、いま初心者」です。(08年4月16日掲載)

 毎日新聞(08年4月3日付)に企画特集〈800人の読者から寄せられた「珠玉の言葉」― 次世代へのメッセージ〉が載っています。私(安原)としてはすべての言葉に「なるほど」と感じ入るほかありませんが、全文をここに収録するわけにもゆきませんので、以下にいくつかを紹介します。それぞれの下段の文は安原のコメントです。

▽「珠玉の言葉」(1)― 大切なものは、目に見えない

*いのちは、つなぐもの
 簡単に人の命を奪う世の中になってしまった。命はつないでいくものであって、消すものではない。(会社管理職、54歳)
 その通りですね。人を生かすことによってこそ自分も生きることができるはずですから。
命は一人だけでは存在しません。俗に言えば「持ちつ持たれつ」ですが、「多様な相互依存関係」つまり共生の中でのみつづいてゆきます。

*降り止まない雨なんてない
 どんなにつらいことがあっても、それがずっと続くわけじゃない。つらいときはそのことしか考えられなくなってしまうけれど、必ず時間が解決してくれるんですよね!(学生、22歳)
 若くしてつらい体験を味わったのでしょうか。失望のつぎには希望を見出すことができる ― これを信念とする生き方ほど充実感のある人生はないようにも感じます。

*がんばらない
 人に対して「頑張れ」という言葉をかけることは励ましとともに時に追い込んでしまうこともある。(公務員、27歳)
 われわれ日本人は「頑張れ」が口癖になっています。激しい競争のせいでしょうか、それとも思いやりのゆえでしょうか。「のんびり、気楽に行こうよ」と声をかけた方がかえって励ましになることもあります。

*ほんとうに大切なものは、目に見えない
 心の豊かさも、愛も、友情も目に見えません。「感じるこころ」が大切なんだと、あらためて気づかされた「ことば」です。(専門職、35歳)
 大切なものはマーケットでお金を出しても求めることができない、と言い直すこともできるのではないでしょうか。愛も友情も近くのコンビニで買うことはできませんから。

▽「珠玉の言葉」(2)― 人を恨むな羨むな

*他人を咎(とが)めんとする心を咎めよ
 いつものように「早く勉強しなさい!」と子供をしかりながらめくった日めくりカレンダーにあった言葉。あまりの直球にグサッときました。(主婦、52歳)
 叱り方はなかなかむずかしいものです。やはり自己反省から出発しなければ、相手も耳を傾けてはくれないということでしょうか。

*人間万事塞翁(さいおう)が馬
 ストレスは強引に抑え込んできましたが、45歳あたりからストレスは受け流すものと悟り、座右の銘としました。(自営業、55歳)
 これは中国の故事で、人生の禍福は転々として予測できないことのたとえです。日本では福ばかりではなく禍がつきものだ、という悲観主義寄りの理解が多いと思いますが、中国ではむしろ禍のつぎには福が来るという楽観主義による理解が多いとされています。

*頭の中にたくさんの引き出しを作りなさい
 何でもてきぱきこなす有能な上司に「すごいですね」と言ったら、返ってきた言葉。(無職、73歳)
 発想(選択肢)の多様性を重視する姿勢と理解できます。「これに失敗したら、どうしよう」なんて固い発想では、手足が硬直して、うまく行くはずのものまで失敗してしまいます。これが分かっている上司殿はたしかに「すごいですね」。

*(相手の)顔を見て話そうよ
 職場の若い同僚が「メールでけんかして、メールで仲直りした」という話を聞き、驚くばかり。(看護師、52歳)
 たしかに顔を見つめ合って話をする若者が少なくなっています。論理にせよ、感覚にせよ、向き合って理解し合うことが少なくなってきたのでしょうか。まさか赤ん坊もメールで手に入れることができると思っているわけではないでしょうね。

*人を恨(うら)むな羨(うらや)むな
 常に自分に言い聞かせています。自分は凡人で、ともすれば他人と比較して悩んだり苦しんだりしがちです。またその原因を他者に求めてしまいがちです。(会社員、45歳)
 比較する、という感覚を捨てたら楽になれるように思います。比較感から出てくるものは、勝敗、多少、大小、上下、賢愚、優劣、美醜、禍福、運不運などです。それへのこだわり―これこそ煩悩です―を捨てることができれば、― むずかしいといえば、むずかしいのですが ―「我が道を行く」わけですから、人生はおもしろくなってきます。
どうしても比較感を棄てられないなら、もう一人の自分との比較です。中国の古典『老子』に「己(おのれ)に勝つ者、つまり己の欲望に打ち克つ者は真の強者」とあります。

▽「いま初心者」のすすめ ― その心は?

*昔ベテラン、いま初心者
 「昔ベテラン、いま初心者」の心は、ベテラン意識を捨てよう!です。実は私(安原)が最近痛感していることです。毎日新聞の「珠玉の言葉」から離れますが、「いま初心者」のすすめを強調したい理由は以下のようです。

 ここ数年来いわゆるベテランが事故に遭うケースが目立ちます。最近の事例ではホタテ漁解禁の4月5日未明、青森市沖の陸奥湾内でホタテ漁船「日光丸」(8人乗り)が遭難し、全員が死亡あるいは行方不明となりました。船長は市漁協の組合長を務めるベテランでした。

 にもかかわらずなぜ遭難という悲運を避けられなかったのでしょうか。朝日新聞(4月6日付)によると、ある漁師は「50年近く漁師をやってきて経験したことのない突風が吹いた」と語っています。注目したいのは、「経験したことのない突風」という発言です。
 雪崩などによる真冬の雪山遭難も増えてきました。必ずといっていいほど「あのベテランがなぜ?」という声があがります。これまでの経験でいえば、起こるはずのない場所で雪崩が発生するケースもありました。

 ベテランとは経験豊かで、その経験に基づいて判断、対処法を誤ることがない人のことでしょう。ところが最近、経験がものを言わなくなってきました。なぜなのか?
 一つの背景として地球温暖化など気候の変化を挙げることができます。経験したことのない変化に直面する場合、その予測も含めてうまく対応できないのはベテランも初心者も大差ないといえます。

 気候激変などの自然現象に限りません。変化、改革の時代だからこそ政治、経済、社会の諸事象についてもいえることです。まずベテラン意識を捨てることから出直す以外に手はなさそうです。「昔ベテラン、いま初心者」の心構えです。

 そういえば、世阿弥著『風姿花伝』(岩波文庫)に「初心を忘るべからず」があります。これは芸の分野での戒めですが、あらゆる分野に通用することです。
 福田首相の評価が最近急降下しています。政界ではベテランのはずの福田首相も、国民の声に謙虚に耳を傾けるという初心をどこかに置き忘れているためでしょう。


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憲法9条、世界遺産に登録
市民団体10年越しの夢、実る

安原和雄
 画期的な大ニュースが飛び込んできた。平和憲法9条が世界遺産に登録されたというのである。これは政府の努力による成果ではなく、市民団体の10年越しの夢が実ったものである。東京新聞など一部のメディアは早速紹介しているが、どういうわけか大手メディアは報じていない。市民メディアの『卯月新報』号外(2008年4月1日付)がくわしく伝えているので、要旨を以下に紹介したい。(08年4月10日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 この号外新聞は4月1日、東京9カ所(日比谷、丸の内、高田馬場、上野、銀座、池袋、原宿、渋谷、新宿)のほか、札幌、大宮、横浜、名古屋、大阪、広島、福岡の7カ所の計16カ所で一般市民、学生、公務員、会社員、主婦などの手で配布された。

▽9条、世界遺産に登録 ― 世界中から賞賛の声あがる

号外はつぎのような見出しで伝えている。

憲法9条、世界遺産に登録
市民団体の10年越しの夢、実る
世界中から賞賛の声あがる

[パリ=USO協同、特派員発]
 3月31日、ユネスコのパリ本部で開催された世界遺産委員会で、日本の市民団体「9条を世界遺産に登録する会」が推薦していた「日本国憲法第9条」が正式に世界文化遺産として指定、登録されることが決定した。法律の条文が登録されるのは初めてのことで、大きな反響を呼びそうだ。

 登録には通常「公的関係機関からの推薦が必要」とされており、「推薦団体問題」が争点となっていた。同委はまず「日本国内の現状を考えれば憲法9条が改憲され、無くなる恐れがある」として危機遺産にあたると認定した。さらに「(危機の)根拠が示されれば個人・団体からでも審査対象になる」という規定を援用して、「文化的普遍的価値」を評価し、全一致で登録が決まった。
 市民団体からの推薦で同遺産の登録が決まるのも初めてという。同市民団体は「過去、ほとんど門前払いだっただけに驚いている。決定は喜ぶべきだが、逆に9条が危機にあるということでもある」とコメントを発表した。決定後、世界遺産委員会のアレイイゼ会長は記者会見で「9条は人類が生み出した最良の非戦思想で、各国憲法の基礎になるべき考え方だ。世界遺産に登録し、全世界に広めてほしい」と語った。

 31日、この決定は国内でも驚きを持って迎えられた。「画期的な決定。9条の価値が認められた」と世界各地から賞賛の声が上がる一方、「現実とかい離がある条文が世界遺産と言えるのか」(自民党幹部)という批判的な見方もあり、議論が高まっている。
「登録する会」会長は「改憲の危機が無ければ登録できなかった。これを機に世界各国に『9条があって当たり前』と言われるようにしたい」と語気を強めた。

▽アンドロメダ星雲から ―「 宇宙平和の共同宣言」提案か

 さらに号外は別面でつぎの見出しで報じている。

アンドロメダ星雲からメッセージ届く
宇宙平和の共同宣言を提案か?

[リオデジャネイロ=特派員発]
 国際宇宙研究所のブラジル支部のドナイナッテーノ支部長は3月31日、「これまでアンドロメダ星雲第2225期星からの微弱電波を受信し、7年にわたる研究解読作業の結果、ついにその内容の解読に成功した」と発表した。電波は、意志ある知性体が発する何かのメッセージではないか、と研究を重ねてきたという。
 解読した内容は以下の通り(要旨)。

 我々は全宇宙の知的生命体との交信を重ね、ついに地球の生命体への送信に成功した。全宇宙はいまや、ごく一部を除いては、まったくの非戦平和状態にあり、一層の持続的発展を遂げつつある。
 しかし地球などわずかの星では、いまだに紛争が繰り返されている。戦争などによる知的生物体の損失は、全宇宙にとっても大きなダメージである。ここに我々と宇宙非戦平和協定を結び、即座に地球内部の無益な戦争状態を停止するよう、地球生命体に呼びかける。

 これは相互平等協定であり、決して我々の意志を押し付けるものではない。現在の非戦平和宇宙地域の生活がいかなるものかを、その目で確認してもらうために、我々は映像を地球科学に合わせてDVD化して届ける用意がある。地球代表の生命体を数万規模で非戦平和宇宙に招待する用意もある。
 共同平和宣言を発し、宇宙の持続的発展のために共に努力邁進しようではないか。(以上)

 以上のような宇宙の知的生命体からの要請を受け、国連ではすでに論議入りの方向で根回しが開始されているが、例によってアメリカは「敵対的でない証拠はない」として、平和宣言には消極的である。日本も米国の意見に従うものと見られて、各国の反発を買いそうな情勢であり、日本の孤立はますます際立つばかりである。

▽安原のコメント ― 「9条世界会議」の成功を祈って

 アンドロメダ星雲からの平和共同宣言提案あたりから、「これなに?」と疑問符がつのってきたことでしょう。いや最初少し読んで、おかしいと思っていたよ、という人も当然いることと思います。相済みません。号外の発行日4月1日付に注目下さい。ご存じのエープリル・フールです。

 しかし号外の内容はフィクションとはいえ、大変よくできていると感心しました。お笑いコンビ「爆笑問題」・太田光さんと多摩美大教授・中沢新一さんの共著『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書、06年刊)の流れを汲んでいます。現実に9条が世界文化遺産になる日も十分あり得ます。私(安原)はそれに期待をかけます。
 もちろん改悪されてからではなく、守り抜き、十分に生かした上での世界文化遺産です。

 号外は全部で1万5000部配ったそうです。その配布役を担ったのは「9条世界会議」(5月4、5、6日の3日間、主会場は千葉・幕張メッセ。ほかに仙台、大阪、広島でも開催される。この世界会議はエープリル・フールとは無関係で本物です)の応援団の面々です。

 「9条世界会議」にはノーベル平和賞受賞者が3人もかかわっています。
 その1人は北アイルランドのマイレッド・マグワイアさん(1976年受賞)。「紛争は暴力ではなく、対話によって解決する。日本の9条はそのような世界のモデルになる」が持論で、初日の5月4日基調講演を行います。
つぎはケニアの環境運動家で、日本語の「もったいない」を世界中で提唱しているワンガリ・マータイさん(04年受賞)。「戦争のない世界へ。すべての国が憲法9条を持つ世界へ」というメッセージを会議に寄せています。
 3人目はアメリカの地雷禁止国際キャンペーンのジョディ・ウイリアムズさん(05年受賞)。「地球市民の一人として、9条を支持する。9条を日本から取り除くのではなく、世界へ広げるキャンペーンをしていこう」というメッセージを会議に届けています。

 「9条世界会議」の成功を祈ります。

 参考までに憲法9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)の全文は以下の通りです。
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。


〈追記〉9条の英文はコメント欄に掲載されています。ご覧下さい。

連絡先=「9条世界会議」日本実行委員会(事務局:ピースボート気付・TEL03-3363-7967、FAX03-3363-7562)

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サブプライム問題と米帝国の終末
「リベラル21」での論議から

安原和雄
 アメリカのサブプライム・ローン問題は結局のところ何を意味するのか。不動産バブル崩壊から始まった今回のサブプライム・ローン(信用力の低い個人向け住宅融資)の破綻は単に信用・金融の破綻にとどまらない。マネーゲーム型資本主義、新自由主義経済路線の行き詰まりとその病根をあらわにし、世界的な株安、ドルの大幅安(1ドル=100円の大台割れ)を招いた。そのうえ覇権主義をめざす「アメリカの時代」、「アメリカ帝国」そのものの「終わり」という展望にまで広がってきている。
 以上の視点に立って、ネット・メディア「リベラル21」で展開された論議を紹介する。(08年4月4日掲載、同月6日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 まず「リベラル21」(注1)に掲載された半澤健市さん(注2)のサブプライム・ローン問題に関する分析、問題提起に対し、私(安原)がコメントを加えた。それに対する回答として半澤さんが独自の見解を述べ、再び私がコメントとして意見を寄せて、意見交換という形の論議となった。以下にその内容を紹介し、最後に〈安原の感想〉をつけ加える。

(注1)「リベラル21」は、何を目指しているのか。ホームページの冒頭につぎのように書いてある。「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてインターネット上に市民のメディア、リベラル21を創った」と。要するに「護憲・軍縮・共生」をスローガンとするネット・メディアである。
(注2)半澤健市さんは元金融機関勤務。著書に『財界人の戦争認識―村田省蔵の大東亜戦争』(博士論文、07年3月刊)がある。その要点は「財界人の戦争・平和観を追う 侵略戦争を認識した村田省蔵」というタイトルでブログ「安原和雄の仏教経済塾」(07年6月16日掲載)に紹介されている。

▽半澤健市 ― サブプライム問題の射程(8)― ベア・スターンズ救済の100時間(08年3月24日付)

[上記の射程(8)から分かるように半澤さんは、それ以前にすでに「リベラル21」で(7)まで論じている。それを全部紹介すれば長文となるので、(7)までは割愛する]

半澤健市
 1930年代の大恐慌にも生き残り、85年の歴史をもつ老舗投資銀行ベア・スターンズはどのように破綻したのか、時系列的に追ってゆくことにする。それを「ベア・スターンズ(以下ベア社)救済の100時間」と名付ける。米英の経済新聞を読んだ。邦字紙に出ていないことを選んで100時間を再構成してみたい。

〈ベア社破綻への道行〉(要旨)
 すでに昨年の子会社破綻からベア社への危惧はうわさされてはいたが、こんな形で破綻することを予想していた人は業界にもいなかったであろう。

・3月13日(木)
 「ウォールストリート・ジャーナル」紙がベア社の取引先が警戒感を強めていると報道。ベア社経営陣は、資金繰り不安説の否定、各方面からの問い合わせ、融資銀行からの増担保要求、などの対応に追われる。同日午後、顧客の資金引揚などで状況は極度に悪化し事実上の「取付」状態となる。午後4時半、ベア社のアラン・シュワルツ最高経営責任者(CEO)は破綻と判断する。

〈救済の100時間の開始〉
・3月13日午後6時過ぎ、ベア社のシュワルツは、「JPモルガン・チェース銀行」(以下モルガン)のCEOジェームズ・ダイモンに電話して救済の可能性を打診する。ダイモンは直ちに2人の投資銀行部門責任者のスチーブン・クラーク(休暇中のカリブ海から帰国)とウィリアム・ウインターズをトップとするベア社買収チームを組成した。

・午後7時半。
 FED(連邦準備銀行)幹部も事態の緊急性と早急な対策の必要性を認識する。しかし投資銀行(証券会社)への資金供給は、ベア社を含む「プライマリーディーラー」20社に対してすでに短期金融市場参入を許していたが、その内容は業者間取引である。投資銀行はFEDとの直接取引は原則不可能である。業者間取引に必要な良質な担保がベア社にはすでにない。
 1932年の連邦準備法では、FEDは商業銀行との直接取引は可能だが、投資銀行のようなノンバンクとは不可能だ。ただし7人の理事中5人の同意で直接取引は可能という例外規定があった。この規定は1930年代の大恐慌以降は発動されたことがなかった。この例外規定の発動を求めて、ベア社とSEC(米証券取引委員会=証券取引の監視機構)がFEDに対しベア社の資金繰り状況を説明する。
 
〈FEDによる徹夜の監査〉
 FEDはそれを受けて徹夜でベア社の監査を行った。夜が明ける。
・3月14日(金)午前5時。
 ニューヨーク連銀総裁ガイトナー、FED議長バーナンキ、財務長官ポールソン、財務副長官スチールが会合する。その結果、午前7時にFEDはベア社への直接貸出を決定、財務長官ポールソンはブッシュ大統領(在ニューヨーク)に事情を説明する。FED理事会は2名が空席、1名は海外出張中であったが特例により4名の賛成で決議した。

・午前9時。
 NY連銀ガイトナー、財務長官ポールソン、SEC市場規制部長シリー、モルガン銀行ダイモン、ベア社シュワルツが、ニューヨーク・メロン銀行、ウォール街の主要証券会社を招集する。そしてポールソンが関係者の役割と努力を説明し理解を要請する。この救済策が伝えられたが、当日のベア社株価は57ドルから27ドルへ下落した。私が日本の衛星放送で株価暴落の様子を見ていたのはこの時、日本時間の15日午前である。

〈モルガンによるベア社の買収〉 
・3月13日(木)夜にモルガンのベア社買収チームはスタートしていた。
・3月14日(金)には、不良債権化するリスクの多いベア社保有の住宅金融関連資産の査定方法を検討する。
・3月15日(土)午前8時、ニューヨーク市中心街パークアベニューのモルガン本社の8階の幹部専用フロアにある役員室へ、40人の行員が、秘密裏に招集された。ここは「臨時の戦闘準備室」となった。投資銀行業務担当の役員ブラックとウィンターズ両名の指示で、彼らは十数班に編成された。ベア社の実態を調査査定するためである。通りを距てたベア本社に乗りこんだ。帳簿やデータをひっくり返してくまなく調査した。モルガン側の動員数は200人に達した。
・15日夜、モルガンは、ほぼ買収の結論に達して投資家への説明策の作成し始める。買取株価は、同日引値27ドルのほぼ半値、二桁の数字を想定していた。
 
〈査定困難な不動産関連資産〉
 しかしベア社保有資産の査定は最終結論が出なかった。ダイモンと部下行員は8階の部屋中を歩き回って新情報の収集につとめる。 そしてモルガンは、大胆にもFEDに対して買収により発生するリスクを限定する方策を求める。ベア社保有の証券に対して数百億ドル単位の保証をしてくれというのである。虫がいい話である。これが実現すれば中央銀行としては前例のない行動となる。

・3月16日(日)朝。
 モルガンではまだ結論がでていない。ダイモンはFEDに対してリスクが大きすぎる、買収からは手を引きたい。別の選択肢を考えたらどうか、と半ば脅しにでている。政権は、個別銀行の破綻に関心ないが金融市場の安定性には関心がある、「ベア社は大きすぎて潰せない」、破綻は広範な悪影響を与える、とブッシュ政権高官はいったという。FEDが政権の支持のもとで買収資金融資を決断したのは市場安定のためである。

 財務省幹部によれば、ポールソン財務長官が最初にベア社に危機感をもったのは13日(木)午後であった。ポールソンは、直ちにバーナンキ、ガイトナーとベア社の処置に関する協議を開始する。彼らはアジア市場が3月17日(月)に開くまでに問題解決したいと考えた。それまでにベア社に買手がつかず倒産したら世界市場は混乱すると思ったのである。しかしニューヨーク時間の午後3時にはまだ結論がでない。
 
 3月17日の東京市場開始まであと5時間である。次第に空気は政府保証へと流れていった。午後7時過ぎ、銀行側と政府・連銀側との交渉は遂に合意に達した。アジア市場開始まで1時間はなかった。ダイモンは直ちに融資の実行を指示した。ポールソン、ガイトナーにも知らせた。ベア社への市場の圧力の強さは「神のみぞ知る」とダイモンはいった。ダイモンはモルガンがもっていないベア社の有望業務を救済した上、ベア本社社屋までを安く手に入れたのである。ベア・スターンズ救済の100時間はこのようにして終わった。

〈この緊迫した救済劇をどうみるか〉
 ベア・スターンズ買収劇は資金繰り不能で破産寸前の大手投資銀行を救い、世界的なパニックを防いだといえるかも知れない。この決断と行動力の速さを示した米国金融当局と業界を評価すべきなのか。それともブッシュ政権の屋台骨を揺るがす金融危機を感じてなり振り構わぬ手当に出ただけとみるべきなのか。救済後の一週間、株式市場は当面安定の方向に向かっているように感じられる。
 しかしサブプライム問題の本質は、資産価格低下に発する不況だとすれば、バランスシートの不良債権がなくならない限り不況からの回復はない。ベア・スターンズ救済劇は、パニックを伴う長期不況の予兆的事件に過ぎない。私にはそのように思われる。

(本稿は「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」、「ウォールストリート・ジャーナル」、「フィナンシャル・タイムズ」のプリント版、電子版の最近10日間ほどの紙面を読んで再構成しました)。

〈補記・安原〉
 以上の救済劇について毎日新聞(4月3日付)はつぎのように報じた。

 米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は2日の上下両院合同経済委員会で、「ベア社が資金調達できず破綻すれば、脆弱な金融市場への影響は避けられないと判断した。(破綻すれば)ベア社1社の問題では済まない恐れがあった」と述べた。金融市場の現状についても「信用不安の芽は残っており、緊張が続いている」と警戒を続ける姿勢を示した ― と。

▽安原のコメント(Ⅰ)― アメリカにみる経済の破綻とドルの大幅安

 半澤さんの以上の記事に対し、私(安原)は「リベラル21」に以下のコメント(3月24日付)を寄せた。

 ベア社(ベア・スターンズ証券)の「100時間に及ぶ救済劇」に対する丹念な追跡を興味深く読みました。
 問題は末尾の〈救済劇をどうみるか〉の評価です。特に最後の数行の「サブプライム問題の本質は、資産価格低下に発する不況だとすれば、バランスシートの不良債権がなくならない限り不況からの回復はない。ベア・スターンズ救済劇は、パニックを伴う長期不況の予兆的事件に過ぎない。私にはそのように思われる」という診断には同感です。

 実はベア社救済劇終了後の3月中旬、ある研究会(私もメンバーの一人)でこのサブプライム・ローン問題がテーマに取り上げられました。
 報告者の主張の要点は以下の通りです。

(1)2007年夏に明確化したサブプライム・ローンの破綻は、不動産バブル崩壊の域にとどまらず、いきなり世界的な金融問題として浮上した。
(2)最近の事態は金融問題から経済問題へと懸念が広がりつつある。
 具体的にはつぎのような懸念がある。
・金融機関のバランスシート調整が発生
 サブプライム・ローンによる損失で金融機関の自己資本が減少し、自己資本比率維持などのため貸し出し抑制(貸し渋り)が発生 → 米国景気の鈍化 → 世界景気への悪影響、という連鎖が生じている。
・不動産価格低下による個人消費の停滞
・世界的な株安(先行き不安の強まりの反映)
(3)国際的に高まる経済・金融分野のリスク
・米ドルの信認の低下と円高

 研究会では以上をめぐって意見交換が行われましたが、考えてみるべき問題は、米国の不動産バブル崩壊を端緒とする今回のサブプライム・ローン問題は、日本が経験した1990年代初頭のバブル崩壊と同質の破綻なのか、それとは異質の破綻なのか、です。
 前者だとすれば、日本の90年代の「失われた10年の経験」に、学べばよいともいえますが、後者の異質の破綻だとすれば、その打開策は容易ではありません。私は後者に近い捉え方です。
 研究会の席上で以下の3点を概略指摘しました。

(1)米国における「貧困のビジネス化」の行き詰まり
 サブプライム・ローンはそもそも低所得者を相手とするビジネスで、詐欺的手段(もっとも当事者はその意識はなかったかもしれないが)でローンを貸し付け、焦げ付いた。このような貧困者を相手にビジネスを仕掛けなければならないほどアメリカ経済は新たなフロンティアと未来性を失っており、そのビジネスが破綻した。だからもはやつぎの新たなビジネスが考えにくくなっている。

(2)マネーゲーム型資本主義の行き詰まり
 アメリカ経済は1980年代以降、実物経済よりもマネー経済に重点がシフトしていた。日本経済もその模倣に走っているが、複雑な証券化(当事者もその実態をつかめないほど)を梃子とするマネーゲームの行き詰まりを示唆しているのではないか。

(3)ドルの下落=アメリカ帝国そのものの信認低下
 アメリカが1980年代に「双子の赤字」(財政と経常収支の赤字)を背景に世界最大の債務国家に転落してからすでに20年以上も経過している。にもかかわらず軍事力を乱暴に振り回す「帝国」(対外的な債権国家であることが最低必要条件)としての面子を保持しようとしている。
 これが何とか可能になっているのは、中国や日本が巨額のドル建て外貨準備の運用先として米国債を購入して、資金を米国へ環流させているからである。しかしドルが急落すれば、この資金循環も破綻する。

 今回のサブプライム・ローン問題は、以上の3つの行き詰まり、破綻を表面化させつつある、というのが私の診断です。アメリカ型資本主義経済に巣くう病は深刻です。もはや全治は不可能ではないでしょうか。

▽半澤健市 ― サブプライム問題の射程(9)― 安原和雄さんへの「お答え」(08年3月30日付)

 私(安原)のコメントに対し、半澤さんから「リベラル21」で以下のような見解が返ってきた。

 「サブプライム問題の射程(8) ベア・スターンズ救済の100時間」へのコメント拝読しました。私なりの「お答え」をいたします。
 「サブプライム問題」はどこまで拡がるのか。これは大きな問題の発端に過ぎず世界の金融市場、さらには世界経済の全般的危機に至る発端ではないのか。そういう問題意識を私も安原さんと共有いたします。

 安原さんの問題提起は次の4点であると理解しました。
(1)サブプライム問題は90年代の日本のバブル崩壊とどう違うか。
(2)サブプライム問題は投資機会を失った「貧困ビジネス」の行き詰まりではないか。
(3)サブプライム問題は不健全なマネー経済の行き詰まりではないか。
(4)サブプライム問題に起因するドル下落は、債務国に転落したアメリカ経済が外資と過剰消費で支えられてきたシステムの行き詰まりではないか。

 以下は私の「お答え」です。
(1)バブルの形成と崩壊の本質は同じと思いますが、日本は国内問題だったのに比べ債権者が海外に散らばっている点が決定的に異なります。公的資金投入政策でも合意を取りつける当事者の数が異なります。
(2)投資機会を失ったとは思いません。バブルは対象を選ばず、どこにでも起きると思います。オランダのチューリップ恐慌に始まり人間は後で考えると信じられないバカな「投資行動」を繰り返しています。
(3)必ずしもそうは思いません。なぜならマネー経済の拠ってきたる所以やマネーと実態との適正な比率がいまだに解明されたと思えないからです。
(4)お説のように80年代に米国が債務国に転じて以来、定性的にはいつ「アメリカの時代」が終焉しても説明はできると思います。問題は、ベクトルよりも「何時」「どのような速度で」起こるかです。債務超過のツケは最後には国内貯蓄と外国から受けとる利子配当などに依存しますが、国民の本源的貯蓄も底をついてきているようであり、今度はいよいよ「終わりの始まり」であるような気がします。

 ところで私が今度の救済劇で感じたことは二つあります。
 一つは「自由放任の終焉」ということです。
 1926年のケインズ論考に発するこの思想は30年代から半世紀の間、世界経済を支配したのち、80年代に「新自由主義」によって取って代わられました。それから30年経過すると、永遠と見えた「新自由主義」イデオロギーも年貢の納め時が来たようです。「新自由主義者」または「市場原理主義者」の奉ずる原理を一言でいえば、「市場に任せれば全てはうまくいく」ということでしょう。

 しかし顧みれば、その間の主要な金融危機の決定的な救済者は「市場原理」ではなく「国家」や「業界組織」や「国際機関」でした。84年のコンチネンタル・イリノイの破綻、80年代末から始まった貯蓄貸付組合(S&L)危機、97年のアジア通貨危機、98年のヘッジファンドLTCMの危機。いずれも「経済外的強制」の手が深刻なシステミックリスクを回避しました。今回も同じです。
 ここまで書いたら、Financial TimesにThe market no longer has all the answers. by Michael Skapinker, March 24という記事を見つけました。「いまや市場は全能の解決者に非ず」とでも訳せましょう。私と共通する問題意識のように読みました。

 二つは「証券と銀行」の分離の再構築の必要性です。
 30年代大恐慌の教訓は「証券と銀行」の分離でした。グラス・スティーガル法や証券取引法の制定です。預金と貸出は商業銀行で、市場からの資金吸収と配分は投資銀行(証券会社)にという棲み分けです。これに対応した公的機関が確立しました。業界棲み分けによるリスクの回避という有効な政策も、「新自由主義」の繁栄と並行して「なし崩し」に垣根がなくなりました。そのうえ理学部数学科を出た人間でないと理解不能な金融工学が現れ、錬金術のような金融派生商品derivativesというものが発明されました。金融リスクは百鬼夜行の世界のなかにバラ撒かれました。

 今度の救済劇で明らかになったことは、イエール大学のルービニ教授の考察による「影の金融システム領域」shadow financial systemの存在であり、連邦政府・連邦準備制度・通貨監督官・証券取引委員会というアメリカの誇る金融制度の行政・監督機構の監視の眼を逃れるシステムの跳梁跋扈です。しかもそれが世界大に膨張しているという現実です。メディアにもいくらかこの論議が現れています。しかし金融世界は制御不能になった、簡単にはコントロールできないという悲観論も生じています。

 いずれにせよ、この二つは今後数年、世界金融システムを論ずるときの最重要のテーマになると思います。

▽安原のコメント(Ⅱ)― アメリカ帝国の終わりと日米安保体制

 半澤さんの以上の記事に対し、私(安原)は「リベラル21」に以下のコメント(4月1日付)を書いた。

 丁寧な「お答え」に感謝します。大筋では同感です。しかも後半の「自由放任の終焉」と「証券と銀行の分離の再構築」には教えられるところ多大なものがあります。ただ若干の感想を述べてみます。ここでは(4)の「アメリカの時代の終焉」に関連する話に限定します。

 この「終焉」について半澤さんはつぎのように指摘しています。
 問題は、ベクトルよりも「何時」「どのような速度で」起こるかです。(中略)今度はいよいよ「終わりの始まり」のような気がします ― と。

 「終わりの始まり」なのか、それとも「終わりの終わり」つまり土壇場に追いつめられているのか、は判断の難しいところです。ちょうど第2の関東大震災の可能性があるとしても、それが「いつ」なのか、と同じテーマで、これは現場感覚で判断するしかないように思います。しかし可能性があれば、事前にどう備えるかが課題となります。

 アメリカの場合、多くの人が指摘しているようにドルの急落(あるいは暴落?)という形をとるでしょうから、その対策は、1兆ドル(約100兆円)を超える日本の外貨準備のほとんどをドル建て米国債で運用している現状をどうするかです。
 そのままにしておいてドル急落で兆円単位の巨額の差損に泣きの涙で甘んじるか、それとも運用先の多様化を選択し、少しでもリスクの分散を図るか、どちらかです。いまの自民・公明政権では残念ながら前者の選択しかないように思います。いいかえれば泥船のような脆弱な日米運命共同体に国民は組み込まれていることになります。

 なぜこういう仕組みになっているのか、これは「釈迦に説法」ですが、日米安保体制のゆえです。安保体制は軍事同盟であると同時に経済同盟です。軍事同盟であることは周知のことですが、経済同盟は日米安保条約第2条(経済的協力の促進)の「締約国は、その国際経済政策における食い違いを除くことに努め、両国の間の経済的協力を促進する」という規定によって性格づけられています。日本政府が機会あるごとに「日米同盟堅持」を強調することには、以上のような経済同盟としての含意もあると私は理解しています。

 日米安保体制といえども、決して聖域ではありません。不都合であれば、国民の意思によって終了させる以外に妙策はありません。念のため言い添えれば、安保条約第10条(有効期限)に「条約は、終了させる意思を相手国に通告した後1年で終了する」とあります。

 さて私はあえて「アメリカ帝国」という表現を使っています。これはアメリカが日本をはじめ海外に軍事基地を張りめぐらし、世界の軍事費の半分以上をアメリカ1国で占めており、しかも覇権主義と先制攻撃論に基づいて現実に軍事力を行使しているという、際限のない暴力と無駄と浪費を繰り返す世界で唯一の負の特質を持つ国家だからです。それがアメリカのさまざまな行き詰まりの背景となっているというのが私の基本的な捉え方です。

「かつてのローマ帝国が滅びたようにアメリカも崩壊の過程に入っている」旨を演説で指摘したのは、今から30年以上も前の1971年、当時のニクソン米大統領でした。同じ共和党でありながら現在のブッシュ米大統領は世界から笑顔を消し去ることに熱心です。

〈安原の感想〉
上記の末尾の「世界から笑顔を消し去ることに熱心です」に若干つけ加えるとすれば、以下のようです。
 「いや、熱心すぎます。そのことがアメリカ帝国の瓦解を早めること、つまり墓穴を自ら掘りつつあることに大統領は気づいていないのでしょうか」

それにしてもここで想い出さざるを得ないのは、米国の奴隷制度廃止運動家、フレディック・ダグラスのつぎの言です。
 「権力は闘争なくしては何一つ譲歩しない」

 権力とは政治権力と経済権力の複合体と理解する必要があります。アメリカ主導で、日本では小泉政権以来顕著となってきた新自由主義路線も貧困層・格差の拡大、人間の尊厳の軽視・破壊などが進み、行き詰まり、破綻を示しています。しかしだからといってそれが自動的に修正、瓦解していくわけではありません。そこには選挙権を持つ国民の明確な意思表明と行使が不可欠です

 さてそれではどうするか。サブプライム・ローンの破綻は、単に信用・金融問題に限らず、こういう視点をも眼前に突きつけているように感じます。


〈参考〉以下の2つの関連記事がブログ「安原和雄の仏教経済塾」に掲載されています。
*「国家破産に瀕するアメリカ帝国 軍事ケインズ主義の成れの果て」(08年3月13日付) 
*「日米安保体制は時代遅れだ アメリカからの内部告発」(07年5月18日付)

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