「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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宮崎わかこ候補の3大改革宣言
東京・足立区長選挙で公約

 「都内の首長選で女性同士の一騎打ちは初めて」と大手各紙(2007年5月28日付)が報じた東京・足立区長選が始まった。告示日は5月27日、投票日は6月3日(日)。区長選の候補者は宮崎和加子さん(51歳、現職は看護師、元訪問看護ステーション統括所長、東大医学部付属看護学校卒)、その対立候補が近藤弥生さん(48歳、現職は税理士、元都議・警視庁警察官、青山学院大大学院卒)である。

 両候補とも無所属新で、宮崎候補は特定政党の推薦を受けずに幅広い支持層に呼びかけているのに対し、一方の近藤候補は自民、公明、民主3党が推薦政党となっている。5月26日現在の有権者数は51万8673人。以下に今回の区長選の争点は何か、を中心にまとめた。(安原和雄 07年5月28日掲載)

▽大手各紙は第一声をどのように報道したか

 まず両候補の第一声をはじめ遊説初日の行動について大手各紙東京版(5月28日付)の報道ぶりを紹介しよう。なお各紙とも最初に宮崎候補、つづいて近藤候補という順序で記事を書いている。

*朝日新聞(主見出し=新顔女性一騎打ち 鈴木区政継承が争点)
宮崎=「泣いている人、支えられる行政を」の見出しで、次のように書いた。
「だれもが住みやすい街をつくっていきたい。そのためには政治の流れを変えていかないといけない」。
「(立候補を表明して以来)いろいろ泣いている人に会ってきた。病気になっても相談できないでいる人、学力テストで学校が低い評価を受け、子どもがやる気をなくして困っている親。泣かなければいけない状況にある生活を、(行政が)支えないでどうする。みんなが笑顔で生きていける足立にしていきたい」。
「病気になっても安心して暮らせるような、生活を大事にした施策を」と区政の転換を訴える。

近藤=「豊かで、さらに発展する足立に」の見出しで、次のように書いた。
「吉田万三・共産党区政にさんざん蹂躙(じゅうりん)された区が、鈴木区長の2期8年の骨身を削る努力でここまできた。区長の努力を無にするわけにはいかない。すべての人が安心して、豊かに足立区で生活できるように、さらに発展を呼び込まなければならない」、「10年にわたる都議会の経験はあるが、今回の区長選は私も相手も挑戦者。なんとしても勝ちたい」。
また「近年の発展の流れを止めず、さらに進め、より住みやすい区にする」と主張している。

*読売新聞(主見出し=女性対決 舌戦熱く)
宮崎=「どの政党にも属さず、皆さんからアイデアをもらい、新しい区政をつくりたい」と幅広い層の支援を呼びかけた。看護師としての約30年の経験も前面に出し、「国民健康保険料の引き下げや、小規模グループホームの増設などを実現する」と福祉分野を中心に訴えた。団地前など十数か所で「子育てしやすい区政を目指す」などと演説した。

近藤=「区民の皆さんの要望をしっかり受け止め、すべての人が安心して豊かに生活していけるような区に発展させていきたい。何としても勝ち抜く」と宣言した。
東武伊勢崎線竹ノ塚駅東口前では駅周辺の高架化事業の早期着工や、区の外郭団体の撤廃も含めた見直し、職員数の15%削減などの公約を訴えた。

*毎日新聞(主見出し=女性新人の一騎打ち)
宮崎=「地域密着の医療や福祉がまちの活性化につながる」と訴え、国民健康保険や介護保険の料金値下げなどを公約に掲げた。
近藤=「さらにスリムな行政を目指し、区の外郭団体全廃を視野に入れていく」と第一声を発した。

*産経新聞(主見出し=女性新人一騎打ち)
宮崎=「この日に向けて区内を回ってきたが、多くの区民から必死の訴えを聞いた。今の区政には医療介護や教育などの点で多くの問題がある。区民の声を区政に直接反映していきたい」、「まだ私の力は小さいが、区民の要望が高まっているのが感じられる。それを実現するには政治を変えなくてはならない」。
国民健康保険料や介護保険料の引き下げ、相互に助け合えるまちづくり、平和憲法の固持―などの公約を掲げている。

近藤=「3党の推薦をいただき、絶対負けられないという大きな責任が肩にのしかかっている。私も相手も挑戦者という意味では五分の戦い」。
竹ノ塚駅東口で同駅周辺の鉄道高架化推進を期限つきで約束し、「行政改革を進め、財政を捻出(ねんしゅつ)し、安心と豊かさを実感できるまちづくりを進める」と訴えた。

*東京新聞(主見出し=都内初の女性首長選)
宮崎=「政党、団体ではなく、市民ぐるみで戦いたい。区長は特定の方たちの意見でなく、大多数の区民の意見を聞き、区政に反映することが役割。笑顔あふれる足立区にしたい」と決意を語り、国民健康保険料や介護保険料の値下げ。地域密着の介護福祉医療の実現、憲法を生かす区政などを訴えた。

近藤=「多くの人が足立区の発展の基礎をつくってくれた。私たちの世代は、それをさらに大きくしなければならない。生まれ育ったふるさとのために立候補した。勝利の先には、今以上に羽ばたく足立区があると信じている」と訴えた。

 以上の各紙の報道からうかがえるように宮崎候補は「政治に変化を、そして大改革を」と主張している。一方の近藤候補は「発展」を繰り返しているが、それは「変化」でも「改革」でもない。実体は現職の鈴木区政を継承することを基本的な姿勢としている。ここが両候補の考え方、姿勢の大きな違いである。

▽ナースの3大改革宣言(公約)―やさしさが原点

 宮崎候補はなにをどのように改革しようとしているのか。

どっちが いいですか。 ナースの挑戦 !
ナイスfull ハート ADACHI

 上記の問いかけから始まる「足立区長選挙 法定ビラ1号」(=「ナイスfullハート!足立の会」=安原和雄会長:発行)を手がかりに紹介したい。
 A4版のビラの最上段に「ナースの3大改革宣言(公約)」の大きな活字が躍っている。ナースとは看護師のことで、この宣言の中身は以下の通りである。改革の3本柱は鈴木区政をどう転換させるかが中心テーマとなっている。
 「駅前集中再開発・豪華箱物主義」からの転換や活気あるまちづくり、さらに自転車優先道路づくり―などはその具体例である。ここには市民、庶民と同じ位置に立って喜びも苦しみも共感し合える心根の優しさが原点となっている。

●64万人の区民の代表をめざします。
*特定政党や団体に偏らず、区民すべての代表をめざします。
*区政の「体質改善」をはかり、国にも都にも区民の声を主張します。
*不正や汚職を許しません。

●地域密着型施設をつくります。
駅前豪華開発から転換します。
*「駅前集中再開発・豪華箱物主義」をやめ、区民のための小規模・地域施設づくりへの発想の転換をはかります。
*“医療福祉・中小企業活性化特区”をめざし、活気あるまちをつくります。
*何でも相談できる「ナイス!ステーション(地域のための看護ステーション)」をつくります。
*(区内の)舎人・花畑・綾瀬に自転車優先道路をつくります。

●家計の負担を軽くします。
保育料・介護保険料・国保料の値下げをめざします。
*国民健康保険証の取り上げをやめます。
*子どもの医療費の無料化を進めます。
*住民生活に大切な部門の財政削減をやめます。

▽両候補の特色を比べてみると・・・愛憲派の宮崎候補

 ビラの最下段に以下のような8項目に関する両候補の特色を一口メモ風に浮き彫りにした比較表が載っている。

〈政治路線〉宮崎=無所属、しがらみなし。近藤=特定政党の推薦候補、しがらみ継続

〈前身〉宮崎=日本の訪問看護のビッグマザー。近藤=警察官

〈開発〉宮崎=地域密着型。近藤=駅前集中型

〈財政・行革〉宮崎=サービス向上の効果的財政出動、訪問看護制度をつくり拡充してきた経営・経験をいかす、国民健康保険料の値下げ。近藤=サービス低下の「行革」推進、都から区への補助金削減に都議として賛成

〈介護保険〉宮崎=保険料の値下げ・サービスの拡充。近藤=一部の人に保険料の返金

〈子育て〉宮崎=保育料の値下げ。近藤=学童保育を「民間塾」と統合

〈まちづくり〉宮崎=看護師・心理士等によるナイス!ステーション。近藤=民間警備会社と警察OB等による「地域治安協議会」

〈憲法〉宮崎=いのちと平和を大事にする愛憲派。近藤=改憲を進める自民党元都議

 以上の比較表を眺めていると、さまざまなことが読めてくる。
 まず政治路線では宮崎さんは特定政党の推薦を受けないで、広く市民・庶民派としての区長をめざしている。これに対し、近藤さんは自民・公明・民主3党の推薦を受けており、安倍政権の新自由主義路線(規制緩和、民営化、弱肉強食と自由競争の奨励)と同一線上にあることがわかる。都議のときに都から区への補助金削減に賛成したのも、「やはりそうか」と推察できる。

 政治姿勢として明確に異なるのが改憲問題である。宮崎さんは「いのちと平和」のための愛憲派の立場を鮮明にし、それを誇りとしている。具体的には憲法9条(戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認)と25条(生存権、国の生存権保障義務)で、これを守り、生かすことが大切であると考えている。前者の9条は外交、安全保障上の「いのちと平和」、後者の25条は国民の日常生活上の「いのちと平和」にそれぞれつながっているからである。

 これに比べると、平和憲法を改悪しようとする改憲派としての近藤さんは「いのちと平和」をどう考えているのか、について語ろうとはしない。こういう人に区政をゆだねて安心できるのか、という不安が消えない。9条と25条は相互に深く関連しており、もし9条を中心に憲法が改悪されれば、身近な区政にも大きく影響してくるからである。
 宮崎候補は、区長に当選すれば、9条と25条を軸に据えた「足立モデル」を構想し、実践することになるだろう。

▽「足立に住んでいてよかった」「足立だから住みたい」に変えよう!

 選挙戦初日の5月27日夕刻、北千住駅西口広場で宮崎候補が区民の大勢の支持者たちに訴えた。その際、「足立モデル」にも言及した。それに先立ち私(安原)が「足立の会」会長として以下のような趣旨の挨拶を行った。

 皆さん、足立区長にはどういうタイプの人が望ましいと思いますか。手あかの付いた政治家はもはや足立区長にはふさわしくないでしょう。地盤、看板、カバンを売り物にする時代はとっくに終わっています。その点、宮崎さんは政治には素人です。新人です。しかし活力いっぱいで存在感のある人です。だからこそ新しい発想で思い切ったことが期待できる人です。

 宮崎さんが心から大事に思っていることが二つあります。「いのち」です。そして「平和」です。「いのちと平和」です。だから現在の日本国憲法を守り、生かすことを考えています。具体的には福祉です。医療・介護です。教育です。これらを充実させます。さらに中小企業を応援します。

 「足立区に住んでいてよかった」、「足立だから住みたい」、「足立だからこそ行ってみたい」と東京中で、そして全国あちこちで評判になる足立づくりを実行します。ぜひ皆さんの一票で宮崎さんを区長に押し上げましょう。そして生き生きとした魅力あふれる足立に変えましょう。


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日米安保体制は時代遅れだ
アメリカからの内部告発

安原和雄
「戦後レジーム(体制)からの脱却」を旗印とする安倍晋三首相は平和憲法9条(=戦力不保持、交戦権否認)を改悪して日本を「戦争する国」に仕立て直す考えに執着している。憲法改悪のための国民投票法は2007年5月14日の参院本会議で民主、共産、社民、国民新の野党4党が反対したが、自民、公明の賛成多数で可決、成立した。いよいよ改憲に向けて動き出すことになるが、このような安倍政権の平和から戦争へ―という基本路線の旋回の背景に日米安保=軍事同盟が存在していることを見逃してはならない。

 この日米安保=軍事同盟体制は「平和のため」、「日本を守るため」と思いこんでいる人もいるが、本当にそうだろうか。「日米安保条約は時代遅れ」と断ずるアメリカ人の著作を手がかりに考えたい。これは日米安保体制に対するアメリカ国内からの内部告発ともいえるだろう。(2007年5月18日掲載。19日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載、ただし見出しは「C・ジョンソン『帝国アメリカと日本  武力依存の構造』 日米安保の時代錯誤を内部告発」に変更)

 著作は、チャルマーズ・ジョンソン著/屋代通子訳『帝国アメリカと日本 武力依存の構造』(集英社新書、2004年7月刊)。原文は「When Might Makes Wrong」など米国のイラク攻撃後に書かれた論文集。
 著者は1931年生まれ、国際政治学者。カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授、米国日本政策研究所所長で、東アジアの専門家としても知られている。本書は発刊後3年近く経っているが、今こそ手に取ってみるに値する作品だと考える。私(安原)のコメントつきで要点を紹介したい。

▽「力こそ正義」のアメリカに追随する日本

・米軍はいいかげん「家に」帰るべき時
 ソ連が消滅し、中国は商業戦略による経済発展に力を注いでいるとあっては、世界各地に駐留するアメリカ軍は、冷戦の終結とともに縮小されていて当然であった。米軍は東アジアに長居をしすぎている。いいかげん「家に」帰るべき時なのだ。
 アメリカの軍事力にいくら頼っても世界平和が実現するわけはなく、国際協調と外交によってのみ、それは達成されるのだ。イラク問題では日本が中立を保とうとせず、「力こそ正義」というアメリカの政策に同調したのは憂うべきことだ。しかも日本は、自国の憲法を侵してまでアメリカに追随した。これでは法による統治に重きを置かない国とみなされても仕方がない。

・時代遅れの日米安保条約
 日米安保条約はいまや冷戦時代の遺物だ。(中略)日本のかつての植民地であった朝鮮半島、あるいは中国本土に対して米軍が攻撃を仕掛けようとするとき、日本国内の軍事施設を利用できるなどと本気で信じ込むことができるのは、20世紀の東アジアの歴史に無知なワシントンの似非(えせ)戦略家くらいなものだろう。
 (中略)2000年6月のピョンヤン首脳会談(朝鮮半島の南北首脳会談)から始まった朝鮮半島の緊張緩和にともない、日米安保条約に基づく安全保障政策はまったく時代遅れになってしまったが、アメリカと日本はいまだにそこにしがみついている。一つには覇権主義の、また一つには従属関係のせいだ。

・日本は東アジアにおけるアメリカの第一衛星国
 東アジアの冷戦は、ソ連の消滅とともには終わらなかった。むしろアメリカは、古くさい冷戦構造を支えるべく日本と韓国をそのまま忠実で従属的な衛星国の地位に置きつづけた。つまりアメリカが長年東アジアに軍隊を配備しているのは、新しい形の帝国主義の一環である。旧ソ連が東ヨーロッパでヘゲモニーを握りつづけたように、アメリカは東アジアの国々に対する覇権を是が非でも保ちつづけようとしているのだ。
 日本は東アジアにおけるアメリカの第一衛星国であり、朝鮮半島やフィリピン、台湾海峡など東アジア各地に軍事作戦に繰り出すときの前哨基地として、思うがままに利用できる聖域だ。朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でもアメリカは日本をそのように使ってきた。

〈コメント〉有害無益な日米安保体制
 本書を読むと、アメリカ人の思考様式も親ブッシュ的思考から反ブッシュ的思考に至るまで多様であることが分かる。「日本はアメリカの従属的衛星国に成り下がっている」というのが本書の基本認識となっている。何のためにか。
 それは日米安保体制を背景に、アメリカが覇権主義を行使するために軍事作戦の前哨基地として日本列島を思うがままに利用するためである。これでは日米安保体制は日本の安全、平和のために戦争を防ぐのではなく、アメリカ主導の戦争のため以外の何ものでもないということになる。戦争を仕掛け、相手を攻撃するための装置である日米安保体制は、もはや有害無益の存在といえるだろう。

▽被害妄想をたきつけるための脅威論―軍産複合体の存在

・いわゆるテロとの戦いと先制攻撃
 2001年後半に、いわゆるテロとの戦いの時代がやってきて、アメリカはようやくソ連に代わる口実を見つけた。もう「不安定状態」などという曖昧模糊(あいまいもこ)としたものから東アジアを守るために軍隊を置いている振りをする必要がなくなった。
 いまや米国大統領は東アジアであれ世界のどこであれ、アメリカがそこにいるのは、テロリストのネットワークを叩きつぶすためであり、さらに大量破壊兵器を製造しようとする国はどこであろうと先制攻撃をする、そのためであると堂々と言っている。たとえ同じ兵器をアメリカが先に使うのを抑制するための配備であるのが明らかな場合であっても、斟酌(しんしゃく)されないのだ。
 「テロリズム」の脅威は、大半がでっち上げで、半永久的に臨戦態勢をとるのをアメリカ国民に納得してもらうために、ブッシュ大統領とその取り巻きが見出した最新版「赤の脅威」だ。

・軍産複合体などの自己利益追求の策略
 米国に対する「9.11テロ」(2001年)のあと、アメリカは2度、先制攻撃による戦争(アフガニスタンとイラクへの攻撃)を起こした。これはテロの脅威にことよせてアメリカの外交政策を牛耳り、自分たちだけの利益を追求しようとする一部勢力お得意の策略だった。
 この勢力には軍産複合体や職業軍人たち、イスラエルの政党クリードと親密な関係にある助言者と支持者、そしてアメリカ帝国を作り上げたい熱狂的な新保守主義者、いわゆるネオコンが含まれる。ワシントンの右派系財団やシンクタンクに集まるネオコンたちは、いわば「チキンホーク(軍隊や戦地での実戦経験のない軍事戦略家)」の戦争愛好者で、「9.11」以降の浮き足立った国民感情を利用し、ブッシュ政権を(中略)戦争ごっこに駆り立てていった。

 アメリカの軍産複合体は、冷戦を支え長引かせたのと同じ国民的な被害妄想をたきつけるために、「テロリズム」だの「ならず者国家」などといった抽象的な概念をことさらに脅威として言い立てている。

〈コメント〉「テロリズムの脅威」の発信元は軍産複合体
 軍部と兵器関連産業との融合体である軍産複合体がアメリカ社会の自由と民主主義にとって重大な脅威となっていることに警告を発したのは、アイゼンハワー米大統領が1961年ホワイトハウスを去る際に全米国民向けに行った告別演説であった。
 それから40数年経過した今日、軍産複合体は「軍産官学情報複合体」へと多様なメンバーを抱えて肥大化し、自己生存のために敵や脅威を仕立て上げ、それを世界に向かって発信していく装置にさえなっている。それが誇張された「テロリズムの脅威」である。脅威としての「敵」が消えてなくなれば、軍産複合体自体もその存在理由を失うから、常に脅威をかき立て、敵をつくる必要がある。日米軍事同盟にもそういう側面があることを見逃すべきではない。

▽弾道ミサイル防衛システムの脅威 

ブッシュ政権は戦争の恐怖を駆り立てるために「ならず者国家」に対して「弾道ミサイルによる防衛」で国を守らなければならない、と米国国民と他国に信じ込ませようとするプロパガンダを行ってきた。「ならず者国家」とは、経済力では取るに足らないイラン、イラク、リビアそして北朝鮮という4つの小国を暗に指す用語だ。
 中国は弾道ミサイル防衛システム(BMD)が本当は自国のささやかな核抑止力を無に帰することを狙っているのでは、と考えてこれに反対している。ロシアは、この構想が1972年に調印した弾道弾迎撃ミサイル制限条約と相容れないとしてはねつけている。米国の同盟諸国(NATO=北大西洋条約機構)はBMDがミサイル増強競争を誘発するのではないかと懸念して、双手をあげて同調しようとはしない。

 こうした反対にもかかわらず、ブッシュ政権は有効性も証明されていない、非常に不安定なシステムを断固として推し進めようとしており、「9.11テロ」以降の愛国心の高揚の中で議会はペンタゴンに要請されたあらゆる予算措置にゴーサインを出してしまう。
 ブッシュ政権はBMDを推進するにあたって、あらゆる手段を講じてシステムの不具合や危険性に関する公式の情報を隠そうとした。

〈コメント〉弾道ミサイル防衛に日本も本格化
 日本も2007年度当初から弾道ミサイル防衛システムを日米軍事一体化の下で導入する段階を迎えている。しかも06年夏以来の北朝鮮のミサイル発射実験、核実験をきっかけに前倒しの導入が進みつつある。
 導入に必要なコストは総額1兆円を超えるといわれ、巨大な資源と税金の浪費になる恐れが強いだけではない。日本国憲法が禁じている集団的自衛権の行使(米国が攻撃される場合、日米安保=軍事同盟の一員、日本が攻撃されなくとも、日本の軍事力行使によって阻止すること)につながるという重大な問題を提起する。なぜなら米国を狙った弾道弾が日本上空を通過すれば、日本が直接攻撃されたわけでもないのに、日本が弾道弾を迎撃することを目指そうとしているからである。
 久間章生防衛相は5月17日の参院外交防衛委員会で、弾道ミサイルが発射された直後に迎撃する航空機搭載レーザー(ABL)について「技術的研究はやぶさかではない」と前向きな考えを示した。(『毎日新聞』07年5月18日付)

▽アメリカはソ連崩壊に学ばないのか? 

・ソ連の崩壊とアメリカ単独の覇権
 ソ連が崩壊したのは、イデオロギーによって経済機構が硬直化したこと、帝国主義を拡大させすぎたこと、さらに改革する力がなかったことが原因だった。
 第二次大戦後の40年間、「ソ連の脅威」がアメリカにとって世界中で共産主義を撲滅する工作の多面的な展開を正当化する格好の口実になっていた。冷戦が終結し、アメリカ帝国を広げていく根拠が消えてしまったとき、アメリカは軍隊を引き揚げるどころか、同盟を強固にし、世界中に展開する軍事基地を強化した。(中略)国外での警察活動を要するような新たな脅威となる情勢を見つけ出そうとしてきた。北朝鮮に極端に挑発的な姿勢をとったり、「9.11テロ」のあと、大統領名でテロに対して宣戦布告をするという装いで、世界全体に対してアメリカ単独の覇権を主張するようになったのも、すべてその延長だ。

・帝国主義の過剰な拡大の危険、そして現代版ローマ帝国 
 アメリカは対テロ戦争を宣言したことで、帝国主義の過剰な拡大に大きく弾みをつけてしまった。危険なのは、アメリカが無意識のうちに、ソ連の轍を踏むことだ。冷戦の「勝ち誇り」に囚われていると、間違いなくその道へと突き進むだろう。
 アメリカはいまや現代版ローマ帝国は自分だという考えに有頂天で、「たとえ同盟国を怒らせることになろうとも」単独で行動すると決意しているのである。

〈コメント〉アメリカ帝国もソ連崩壊の後追いか
 帝国主義の過剰な拡大が危険そのものの道であることはソ連崩壊によって証明済みである。ところがアメリカは冷戦の「勝ち誇り」と対テロ戦争による覇権の追求によって、その道を猪突猛進している。しかもブッシュ大統領が「アメリカは現代版ローマ帝国」という自己陶酔に陥っているとすれば、もはや「付ける薬はない」といえるだろう。
 もっともローマ帝国も結局は滅びたのである。ニクソン大統領は1971年、「古代ローマが滅びたように現代アメリカもその過程に入りつつある」と洞察に満ちた演説をした後、敵対関係にあった中国を訪ね、歴史的な米中和解に踏み切り、世界をアッと驚かせた。ブッシュ氏もニクソン氏と同じ共和党の大統領ではあるが、器量の質的違いというほかない。

▽日本は米国との時代錯誤の関係を見直して、平和を
  
・日本は軍事拡張主義とは一線を画す外交政策を
 アメリカはこの先何十年も、あさはかで拙速な軍事行動のつけの支払いを味わわされつづけることだろう。イラク戦争による、思いもかけなかった悪影響があちこちに出てきている。
 アメリカは世界に手を伸ばしすぎている。日本は米国との時代錯誤の関係を見直して、アメリカの軍事拡張主義とは一線を画す外交政策によって平和を生み出す努力が必要である。

・日本は東アジアの「不沈空母」でありつづけるか? 
 控えめに言ってもアメリカはもはや日本が東アジアの「不沈空母」でありつづけるのを当てにできそうもない。日本の政治体制が刷新された暁には、人々の心にくすぶるアメリカへの反感が表に出て、東アジアにおけるアメリカの地位も揺らぎはじめるだろう。あたかもベルリンの壁が崩壊したときのソ連のように。

・アメリカと東アジアとの協定の変更を!
 アメリカはアメリカ軍を無期限に駐留させることなく、国家対国家の対等な同盟関係に転換していく必要がある。米軍を前進配備することは、それ自体紛争を誘発しかねず、東アジアの大きな不安定要因になっているからだ。
 東アジアの衛星諸国は早晩反旗をひるがえすだろう。東ヨーロッパのソ連衛星国が示してみせたように。そうなってはもう手遅れだ。西太平洋地域におけるアメリカ軍の存在によって得てきた何もかもが失われてしまっているだろう。

〈コメント〉アメリカ人・愛国者として、日本への忠告
本書の著者のような人物こそ真の愛国者ではないだろうか。アメリカが軍事拡張主義の道を突っ走ることによって衰退へと進むことを黙視できないという誠実さを感じる。
 愛国者面をして、国が破綻していくのを後押しするような輩 ― 最近日本ではこの種の自称・愛国者が急速に増えつつあるような印象がある ― は、真の愛国者とはほど遠い。
 覇権のためのミサイルも星条旗も早々と収めて、海外から軍事基地を含めて撤退し、「普通の国」になればいいのである。そのためには米国民がその意志としてブッシュ政権の先制攻撃論に待ったをかけ、その上、広く根を張っている軍産複合体をどう解体するかという難事業が待ちかまえている。

「米国との時代錯誤の関係を見直せ」、「軍事拡張主義とは一線を画す外交政策を」という指摘は、日本の針路に対する友人としての適切にして有り難い忠告と受け止めたい。
これを実現するには日米安保=軍事同盟体制を日本国民の意志としてどう解体し、破棄して、日米友好条約に衣替えするかという歴史的課題が控えている。

▽平和憲法体制と矛盾する日米安保体制

 ここで現行日米安保条約(正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」、1960年6月23日発効)の主要な条文(全部で10条)とその主旨を概略説明したい。

・第2条(経済的協力の促進)=両国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また両国間の経済的協力を促進する。
・第3条(自衛力の維持発展)=武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。
・第5条(共同防衛)=共通の危険に対処するように行動する。
・第6条(基地の許与)=日本国の安全、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、陸空海軍が日本国の施設、区域を使用することを許される。
・第10条(有効期限)=この条約が10年間存続した後は、いずれかが相手国に条約終了の意思を通告することができ、その場合、この条約は通告後1年で終了する。

 以上の条文からも分かるように第2条は日米経済同盟としての日米安保体制であることをうたっている。米国側の自由市場原理主義的な民営化、自由化などの対日経済的要求に日本が簡単に屈服する印象を与えている理由は、この第2条にある。
 一方、第3、5、6条は軍事同盟としての日米安保体制であることを明記している。特に第3条(自衛力の維持発展)は日本国憲法の第9条理念(戦力不保持と交戦権否認)と真っ向から対立し、矛盾しているが、「必要最小限度の自衛力は憲法違反ではない」という解釈改憲によって9条理念を事実上空洞化させ、安保体制にすり寄る形でつじつまを合わせてきた。

 さらに第6条から分かるように「日本と極東における平和と安全の維持」が当初の日米安保の適用範囲とされていたが、ここ数年来その範囲が「アジアと世界の平和と安全」に広がり、07年4月末の日米首脳会談でも「世界とアジアのための日米同盟」を改めて確認した。米国側の意向に沿う形で適用範囲を地球規模に広げてきたわけで、軍事同盟としての日米安保体制は海外での戦争を念頭に置いた危険な方向に大きく変質している。

 このような日米安保体制の変質ぶりを念頭に置いて、憲法9条を骨抜きにする改憲への動きが何を意味するかを考えると、それは地球規模で日米の軍事一体化の下に「戦争する国・日本」への仕上げを意味していることは明らかである。そういう日米安保体制を是認するのか、それとも拒否するのか―問われているのはこの一点に集約できる。

 第10条(有効期限)は、条約発効10年後の1970年以降にはいつでも主権者である国民の意志によって日米安保条約を破棄できることを明記している。憲法9条の理念を守り、生かすためには、この第10条を活用して主権者としての意志を明らかにするときである。


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憲法9条を掲げて国連安保理入りを
軍隊で平和を築くことはできない
               
安原和雄
 日本弁護士連合会(平山正剛会長)など主催のパネルディスカッション「世界から見た日本国憲法」が2007年5月12日、東京・霞ヶ関の弁護士会館で約240人の参加者を集めて開かれた。基調講演「国際紛争地域が求める平和の在り方」でジャン・ユンカーマン氏(映画監督)は「日本は憲法9条を掲げてこそ、国連安全保障理事会の常任理事国入りを主張すべきだ」と力説した。「軍事力は今や無力、無意味であり、軍隊で平和を築くことはできない」という認識が会場を支配した。
 参加者の一人として聴いたパネルディスカッションの内容(趣旨)を以下に紹介したい。(07年5月13日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
                         
 平山日弁連会長は開会の挨拶で「改憲論に対する私的見解」として「近隣諸国にとって9条は平和の旗である。その旗を改憲で降ろすのか」などと改憲論を批判し、「憲法改正手続き法案には最低投票率を入れなければならない」と主張した。

 パネルディスカッションはコーディネーター・鮎川一信氏(弁護士)のほか、パネリストはジャン・ユンカーマン氏、権 赫泰氏(韓国・聖公会大学日本学科教授)、ワカル・アブドゥ・カハル氏(イラクの女性医師)、吉岡達也氏(NGOピースボートの共同代表)という顔ぶれで行われた。

▽「日本は9条を掲げてこそ、国連安保理常任理事国入りを果たせ」

 ジャン・ユンカーマン氏は米国ミズーリ州出身で、05年制作の「映画 日本国憲法」では憲法制定の経緯や平和憲法の意義を分かりやすく描いている。現在、日米両国を拠点に活躍中。 基調講演(要旨)は以下の通り。

 9条改正問題は国内問題ではなく国際問題だ。なぜそういえるのか。
・9条の「交戦権の否認」の削除は、外国が相手になる問題だから
・9条こそが被害国への戦争犯罪に対する謝罪の表れであり、9条放棄は謝罪の放棄を意味するから
・9条の戦争放棄の理念は、世界の長い歴史の中で時代遅れではなく、今やっと世界がそれに追いついてきているから

 戦争は残酷であるだけでなく、無意味である。大国同士の戦争はもはやあり得ない。強い国と弱い国との間の戦争だけで、しかも強い国も勝てない。ベトナム戦争では米国が敗北、ソ連とアフガニスタンとの戦争ではソ連が敗北、今回のイラク戦争では米国が敗北している。海外での武力行使はもはや無意味となっている。しかし米国はこの教訓に学んでいない。

 大量破壊兵器の保有がイラク攻撃の口実だったが、その根拠がないことは今はっきりしている。にもかかわらず日本はその口実をいまなお否定しないまま、国際貢献の名のもとに海外での武力行使を念頭に置いて9条を改正しようとしている。米国の戦争についていくことになることを国民のみんなが分かってきている。改憲への意向が最近の世論調査では弱くなってきている。

 9条は、その理念を守るのではなく、生かすことが大切だ。9条があるから国連安保理常任理事国へ入れて貰えないと考えるのではなく、逆に9条があるからこそ安保理常任理事国入りする資格があると主張すべきだ。改正手続き法案が通過してもそれから3年間、9条を凍結して守っていくのではなく、9条の理念を市民の手で世界へ広げていくべきだ。

▽「日本は9条と平和を守ることによって笑顔を保ち続けて欲しい」

 ワカル・アブドゥ・カハル氏は疫学と地域医療を専門とする大学教授・医学博士。地域医療への戦争の影響を研究する分野の第一人者。2001年にアラブの女性では初めて国際アラブ賞を薬学の分野で受賞した。発言の趣旨は以下の通り。

 立派な憲法をなぜ変えようとしているのか、理解できない。平和は健康と同じで、健康だからこそ健康のありがたさがわかるように平和が続いてこそ平和のありがたさが分かる。9条と平和を守ることで笑顔をもちつづけられるようにしてほしい。

 2003年3月に始まった米国主導のイラク攻撃の前と後とを比較できる写真を示しながら、いかに戦争の被害が大きいかを説明した。博物館や街並みなどの破壊状況のほか、以下のような説明があった。
・戦争後にはガソリン価格は100倍に高騰し、しかも1㍑買うのに朝5時から20時間も行列を作って待つ。石油が高価なものであるとしても、一滴の血に勝るものではない。
・病院では病室のマットレスもなくなり、地面に寝たりしている。衛生面の悪化が進んでいる。
・バクダッド市街を流れるチグリス川は常に血に染まっている。

 以上のような沢山の写真説明の後、「日本の自衛隊は再建、復興のためにイラクへ来ているということになっているが、写真からも分かるようにどこに再建、復興があるのか」、「自衛隊は軍服を着ないで欲しい」と述べた。

▽「軍隊で平和を築くことはできない」

 吉岡達也氏はNGOピースボートの1983年創設時からのメンバー。キューバ、北朝鮮、イラク、リビア、アルジェリア、アフガニスタン、コスタリカなど世界80か国以上を訪問している。発言の大要は次の通り。

 米国の世界最強の軍事力をもってしても、イラクの中規模の都市の治安を維持できない。これは何を意味しているのか。それは軍隊で平和を築くことはできないということだ。

アフリカの人たちの話では、日本は米国に原爆を落とされたにもかかわらず、なぜ米国の手先になってPKO(国連の平和維持活動)としての軍隊をもってくるのか、と疑問に思っている。9条を守ることは、そういう対日イメージを変えるのに役立つ。
 アフリカの紛争地域の人たちは、本音では地域のこの戦争をなくしたいと思っている。市民たちにとって軍隊ほど怖いものはない。植民地時代の宗主国の利益を守るための軍隊としてつくられているという事情があるからだ。アフリカへの最大の国際貢献は軍隊派遣ではなく、「貧困対策」だ。

 アフリカの人々にとって米国のイメージは強大な軍事力をもって他国へ押し入らなければ、豊かな国になれないのか、であり、一方、日本は強大な軍隊をもたなくても、ゆたかな国になれるというイメージになっている。
 安全保障で重要なのは軍事力ではない。軍拡を進めると、共倒れになる。ソフトウェアが重要だ。紛争をどう予防するかが重要で、軍事力で介入するのではなく、対話、信頼醸成が不可欠だ。北朝鮮の脅威が強調されるが、弾道ミサイル・テボドンを飛ばさせないためにはどうするかを考えることが大事だ。

 さらに吉岡氏は次のように述べた。

 自衛隊をどう変えるかが課題である。具体案として自衛隊の半分を世界中の地雷を撤去する部隊に編成し直すことを提案したい。「自衛隊がノーベル平和賞を受賞する日」を期待している。
 ユンカーマン氏の「日本は9条をもっているから、国連安保理の常任理事国にせよ」という提案は十分実現可能だと思う。私は〈9条的世界〉はすぐそこまで来ていると認識している。

▽「日本が改憲すれば、朝鮮や中国は恐怖を感じざるを得ない」

 権 赫泰氏は日本に留学し、一橋大学から経済学博士号を取得、山口大学経済学部助教授を経て、現在、聖公会大学日本学科教授。最近韓国で「日本憲法を考える市民連絡会議(仮称)」という組織をつくり、東北アジアにおける憲法9条の意義を検証する作業を進めている。発言の要旨は以下の通り。

 沖縄に広大な米軍事基地があるのに「9条は素晴らしい」と言っていられるのか? 一方韓国の若い人が軍隊へ行くのと、日本の若い人が行かなくてもいいこととは関連があるのではないか。ただ「9条は素晴らしい」というだけでいいのか?
 いいかえれば、沖縄に米軍基地を押しつけることによって、また韓国の反共政権によって日本が守られてきたこと、つまり周りの犠牲によって9条が守られているという事情がある。しかしそれでも今こそ9条の価値を再認識しなければならない。

 改憲への動きの背景には、「戦力不保持」の9条下では日本の安全は保障されないという考えがある。これは日本には軍事力がないという錯覚である。現実には日本はすでに軍事大国で、軍事予算では世界第3位となっている。だからこそ9条は守る価値があるのだ。

 改憲してさらに強大な軍事力をもち、行使することになると、つまり(侵略の事実を反省しようとしない)今の間違った歴史認識の下に軍事大国になると、朝鮮半島や中国は恐怖を感じざるを得ない。それに対抗して軍事的に強くなるために朝鮮半島や中国のナショナリズムも強まってくる。日本はこれまで9条のお陰で果実だけをとって発展してきたが、ここへきて改憲し、民主と平和に逆行していくのでは納得できない。

 (「9条が東アジアで果たす役割はなにか」という質問に)日本の非核3原則は日本が米国の核の傘に入っているから成り立っている。(9条を生かして真の非核を実現するためには)東北アジア非核地帯構想の実現が不可欠だ。

▽「憲法9条の世界的価値」という共通認識で一致

 以下に安原の感想を述べる。

 ユンカーマン氏の「日本は憲法9条を持っているからこそ、国連安保理の常任理事国入りする資格がある」という発言は多くの日本人に発想の転換を迫るものではないか。この発言に会場では吉岡氏が早速賛意を表した。世界各国を飛び歩きながら、多くの市民の生の声を聞いて得た結論が「安全保障はもはや軍事力ではない。むしろ憲法9条の理念を生かす〈9条的世界〉はすぐそこまできている」である。これは理想というよりもむしろ現実そのものだと言いたいのだろう。

 強大な軍事力に固執する特殊な「米国の窓」から世界を観るのか、それとも軍事力に依存しない平和と安全な日常生活を心から願っている市民、民衆の目で世界を観るのか、そのどちらの視点に立つかによってまるで異質の世界像を結ぶことができる。そのことを理解させてくれるパネルディスカッションであった。

 写真によるイラクの目を覆うような惨状は改めて軍事力行使という戦争の残酷さを印象づけるが、同時にその軍事力行使が事態を打開する上でいかに無力、無意味であるかを参加者の心に焼き付けた。イラクからわざわざ来日した医師のカハル氏は、「日本の自衛隊は何か貢献したか」という会場からの質問に「もちろん、しかし軍服を着ないで欲しい」と明言した、その願望を日本人としては十分汲み上げる必要があるだろう。

 韓国の権氏は、「日本が改憲してさらに強大な軍事力をもち、軍事大国になると、朝鮮半島や中国は恐怖を感じざるを得ない」と指摘した。こういう視点もまた日本人の盲点になってはいないだろうか。
 日本では北朝鮮のミサイル発射や核実験を日本にとっての脅威と煽り勝ちであるが、むしろ核を含む世界最強の軍事力で武装した日米軍事同盟こそが相手側には恐るべき脅威と感じられるのである。その点を無視して「ミサイル防衛」を口実に財政上の巨額の浪費に走るのは、むしろ安全を損ない、ミサイル産業にとって新たな巨額の既得権益をつくり上げる結果になるほかない。

 いずれにしても今こそ「憲法9条の世界的価値」を認識し、生かすとき、という一点は参加者の間でほぼ共有できたように思う。

▽戦争放棄、戦力不保持を讃える文部省編『あたらしい憲法のはなし』

ここで「核保有する現代への至上の警句」と題する毎日新聞への投書(無職、78歳、千葉県)が憲法9条の「戦争放棄と戦力不保持」に触れているので、紹介したい。(07年5月13日付毎日新聞から)

 自民・公明党を中心に9条(「戦争放棄」、「戦力不保持」)を主とした憲法改正が急がれようとしています。(中略)今後の世界が、武力で事の解決を図るべきではないことは、イラク戦争一つとってみても明白です。(中略)憲法施行当時に文部省が著作発行した「あたらしい憲法のはなし」を改めて思い起こします。
 「みなさんはけっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことをほかの国よりさきに行ったのです(戦力放棄)。相手をまかしていいぶんをとおそうとしないで、おだやかにそうだんをしてきまりをつけようというのです(戦争の放棄)」
 数万発の核爆弾を保有する現代世界に対する至上の警句です。


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宮崎わかこさん、足立区長選へ
ナースの体験を生かすために 

 新人・「宮崎わかこ」さん(51歳・無所属)が東京都の足立区長選挙(2007年6月3日投票)に出馬することになった。すでに記者会見で出馬を表明した。訪問看護の開拓者として20年以上の実績を積み重ねており、その体験を生かして、魅力あふれる「足立づくり」が始まることを期待している。
 カネがらみの既成政治家が群れをなしている現状で、宮崎さんのような清新で心根がやさしく、しかも活力あふれ、存在感のある人こそが区政を担うのに最適任だと思う。足立の政治に新しい風を巻き起こしてくれることを足立区在住の一人として願っている。(安原和雄 07年5月9日掲載)

宮崎わかこさんのサイトは次の通り。
http://www.miyazaki-wakako.jp/nice.html

沢山ある著書の一つ、『家で死ぬのはわがままですか 訪問看護婦が20年実践した介護の現場から』(ちくま文庫、02年6月刊)を手がかりに、宮崎さんの人柄とナースとしての考え方を以下に紹介したい。
 本書の題名をみて、なぜ「わがまま」のすすめなのかに少し疑問を感じるかもしれない。しかし読み進むにつれて、その「新鮮な発想」になるほどと納得できるはずである。
 ここでの「わがまま」は介護を受ける人にとっては「当たり前の生活の要求」であり、一方、介護する人のやさしさ、思いやりそのものの実践なのである。ここには宮崎さんの人柄がそのまま映し出されており、それを実感させてくれる作品となっている。

▽本当に「わがまま」はよくないことなのか

 著書『家で死ぬのはわがままですか』が訴えたいものは何か。宮崎わかこさんの心情を以下に紹介したい。

 「わがまま」っていったいなんだろう?
私は、そういう疑問をずうっと持ちながら、在宅ケアの仕事をしてきた。現場では「わがまま」という言葉が意識しないでよく使われる。「あの人はわがままなのよ」「わがままばかり言わないで」と言い、だから「がまんしなさい」「そんなぜいたく言える立場ではないでしょう」などという言葉が返ってくる。
 そして介護を受ける側が小さくなって、自分の望みや要求を口にすることすら認められていない現実がある。

 しかし、このような「わがまま」は本当に「わがまま」なのだろうか。家族、本人、近隣の人が、またサービス提供者、そして行政も、社会全体が「わがまま」といって片づけてしまっている中に、実は大事な宝がたくさん隠れているのではないか。

 『大辞林』(三省堂刊)をみると、「我が儘、他人のことを考えず、自分の都合だけを考えて行動すること、身勝手・自分勝手、思い通りに贅沢をすること」と書いてあり、一般的にはいい意味では使われない。確かに社会一般では「わがまま」は、「自分勝手」「自己中心」「迷惑」など「悪」としてとらえられがちである。しかし、健康な人で自由に自分のことができる人にとってはそうかもしれないが、そうでない人にとってはどうだろうか。本当に「わがまま」は悪いことなのだろうか。

 本当にそうだろうかと感性を研ぎ澄まして考え直してみると、「わがまま」といわれていることはみな、実は「当たり前の生活の要求」「病気以前の普通の生活」であり、大事な「自己表現」「自己実現」である。「我がまま」の字のごとく、〈我のあるがまま〉ともいえる。

 以上のような考えに立って、本書ではさまざまな「在宅ケア」や「介護」の問題を「わがまま」というキーワードで見つめ直している。

▽こんな私はわがままですか

 本書から「小さなわがまま」の具体例をいくつか挙げてみる。
*わが家のおふろにタプンとつかりたい
*おむつに排尿するのはイヤ
*トイレでうんこしたい
*3度おいしい食事がしたい
*花屋への散歩なら行ってもいい
*酒のない人生なんてつまらない
*キスさせて、看護婦さん
*愛人宅で最期を迎えたい
*バラの香りに包まれて天国へ旅立つ
*家庭での介護者も週休2日制にして

 以上の見出しから、介護を受ける人の希望や心情がそれなりに想像できるだろう。なかには笑いを誘わずにはおかないような欲求もあるが、多くは「病気以前の普通の生活」であり、「当たり前の要求」にすぎない。決して「わがまま」とはいえない。

 「わが家のおふろにタプンとつかりたい」について宮崎さんは次のように書いている。
「看護や介護では、とかく体を清潔にすることだけを考えがちである。それだけでは十分ではない。ゆっくりおふろに入って、生き返るようだと感じたことはだれにもある。それがどんなに大きな喜びか教えられたような気がする。私たちが心しなければならないことだ。お湯につかってうれしそうにしていた顔が今も忘れられない」と。

「家庭での介護者も週休二日制にして」は32歳の女性の要求である。「母の介護は私がするけど、週末は自分の家族と一緒にのんびり過ごしたいので、介護は週休2日制にしたい。土、日の早朝からケアをお願いしたい」と。
 宮崎さんはこう答えている。「介護する人にも自分の人生があるのだ。わがままだといって無理をしていたら、介護も長続きしない。介護者の人生もわがままも大事にしなければならない。悪びれることなく、堂々と週休2日制を口にする若い世代に拍手を送りたい」と。

▽「わがまま」を「わがままでなくする」ために

 さて「それはわがままだ」という介護する側の勝手な思い込みをなくして、「わがまま」を「当たり前の生活の要求」にするためには何が必要だろうか。
 宮崎さんは次の4つの課題を挙げている。それぞれが当然の提案であり、特に4番目の「自己決定権の尊重」は、今後日本社会でのキーワードになるだろう。そして「わがままでいいじゃないか」と思ったときから、何かが始まるのではないか、と結んでいる。

1 行政サービスの充実
 まず行政の制度を見直してサービスの充実をはかること。
 お金のある人しか望むことができないとか、よく世話をする家族がいる人しか幸せになれないというのではなく、どういう条件の人でも、経済的に無理のない負担で望む暮らしができるようにするためには、行政の果たす役割は大きい。

2 市民の意識改革
 市民の側も「常識」を考え直し、意識改革をすること。
 現実はどんどん変化している。価値観も変化している。今まではそうだったかもしれないが、本当にそれでいいのだろうか、と問い直すことが必要ではないだろうか。

3 利用者のためのサービス
 サービス提供者は利用者の側に立って取り組むこと。
 「現在の状態を保持する」介護だけではなく、「改善」し、「望みをかなえる」ための技術の向上と熱意をつねに怠らないことが求められている。「利用者のために満足のいくケアをしたい」という、その初心につねに立ち返って、自らを見つめ直しながらケアしたいものである。

4 自己決定権の尊重
 何よりも重要なことは、ケアを受ける人が自己決定すること。
 自分で望むことは遠慮なく選択し、それをきちんと表現してもらいたい。言ってもらえれば、目標ができるし、それをかなえることもできる。自己決定権の尊重が非常に大事である。
 西洋の先人の言葉に「歴史の進歩とは、ただ一人の自由が全人類の自由に拡大されることである」がある。お金や権力を持っている人が「わがまま」を独占するのではなく、弱い立場の一人ひとりの市民が自由を獲得すべきだということだろう。

▽改革者・ナースが担う「足立づくり」

 大熊由紀子さん(元朝日新聞論説委員)は本書の解説で私の「理想のナース」として次の5つの条件を挙げている。
1 教科書から学ぶだけでなく、現場から、患者さんから学ぼうとするナース
2 常識をひっくり返す新鮮な発想をもったナース
3 「前例は破るためにある」と考え、行動するナース
4 行動を成功させるための説得力と表現力をもっているナース
5 目立つことをおそれない、度胸があるナース

つづいて以下のように書いている。

 宮崎さんはこの5つの条件を備えた、日本には珍しいタイプのナースです。「医者の言うことを素直に聞く、従順な女性」ではないのです。でも「白衣が似合う、綺麗な優しい女性」です。
 (中略)封建制度の化石がヤマほど残っている医療の世界では、ナースがわかこさんのように目立つことは、実に危険です。だからみんな臆病になってしまいます。でもそのようなスターがいて、ナースの仕事への一般の人々の理解も深まり、医師万能の医療の世界の改革にもつながるのだと思います。

 大熊さんの指摘するとおりである。宮崎わかこさんはこころ優しい改革者として足立区政を担おうとしている。「足立だから住みたい」「足立だから行ってみたい」「足立だから学ぶことが沢山ある」―と東京中から、いや日本列島ひいては海外のあちこちで評判になる「足立づくり」が始まる時がやってくることを期待したい。


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07年「憲法」社説を読んで
「権力批判」の精神はどこへ?

安原和雄
 現行日本国憲法は5月3日の憲法記念日で施行以来60年を迎えた。人間でいえば還暦にあたる。安倍首相は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を強調し、第9条を中心に憲法改悪をめざしている。権力の監視役としての責任を果たすべきジャーナリズムは安倍政権の憲法改悪論にどう立ち向かおうとしているのか。
 大手6紙の社説を読んだ印象からいえば、安倍政権の改悪論への追従論に終始するか、あるいは批判力の衰微を感じざるを得ない。これでは「国家権力への批判」というジャーナリズム精神はどこへ行ったのか? と問わないわけにはいかない。(07年5月4日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽意欲的でユニークな21本社説の一挙掲載

 まず大手6紙の社説(または主張)見出しを紹介しよう。
*読売新聞「憲法施行60年 歴史に刻まれる節目の年だ」(5月3日付)
*産経新聞「憲法施行60年 日本守る自前の規範を 新しい国造りへ宿題果たせ」(同)
*日本経済新聞「還暦の憲法を時代の変化に合う中身に」(同)
*毎日新聞「平和主義を進化させよう 国連中心に国際協力の拡大を」(同)

*東京新聞
「憲法60年に考える(上) イラク戦争が語るもの」(5月1日付)
「憲法60年に考える(中) 統治の道具ではなく」(同月2日付)
「憲法60年に考える(下) 直視セヨ 偽ルナカレ」(同月3日付)

*朝日新聞
「憲法60年 戦後からの脱却より発展を」(同月2日付)
「提言 日本の新戦略 憲法60年 地球貢献国家をめざそう 9条生かし、平和安保基本法を  論説主幹・若宮浩文」(同月3日付)
 論説主幹による上記の総論的解説のほか、以下のような21本の社説を8ページの紙面に一挙掲載している。しかも「新聞を開いた読者は驚かれることだろう。前代未聞の試みだ。新聞がもつ言論の役割を深く自覚したい。そんな決意の表れと受け止めていただきたい」と書いている。たしかに一瞬驚いた。意欲的でユニークな発想でもある。

1 地球貢献国家  世界のための〈世話役〉になる
2 気候の安全保障  「キョート」を地球保全の原点にする
3 省エネ社会  新技術を活用し、集中型から分散型へ
4 原子力と核  核廃絶と温暖化防止の二兎を追うべきだ
5 化石燃料  省エネと消費国の連携で、石油危機を防ぐ
6 食料の安全保障  貿易協定に日本への優先的供給義務づける条項を
7 アフリカ支援  置き去りにすれば、問題が世界に拡散する
8 経済のグローバル化  弊害と向き合い、上手に果実を増やす
9 通貨の安定  アジア版「ユーロ」を遠くに見据える
10 東アジア共同体  開かれた統合にし、アメリカとも連携する
11 アジア新秩序  日米中の首脳会談を定例化しよう
12 隣の巨人  「開かれた中国」へ、法治と透明化を
13 イスラムとのつき合い  「文明の対立」回避へ、日本の出番だ
14 日米安保  国際公益にも生かし、価値を高める
15 自衛隊の海外派遣  国連PKOに積極参加していく  
16 人間の安全保障  憲法前文にぴったりの活躍を
17 9条の歴史的意義  日本社会がつくりあげた資産
18 9条改正の是非  変えることのマイナスが大き過ぎる
19 自衛隊  平和安保基本法で役割を位置づける
20 ソフトパワー  ほっとけない。もったいない。へこたれない。
21 外交力  世界への発信力を鍛えていく

▽朝日新聞の主張には自己矛盾も―9条と日米軍事同盟は両立しない

 朝日の意欲的な社説の展開は評価したい。例えば「地球貢献国家をめざそう」には同感できる。しかし気になるのは、社説の主張のあちこちに自己矛盾が散在していることである。
 その一例を挙げると、「9条、平和ブランドを捨て去る理由はない」といいながら、その一方で「日米同盟を使いこなす。しなやかな発想」を掲げる。この二つが両立すると認識しているらしい。

 「9条の平和ブランド」について次の諸点を挙げている。
・9条は戦後の平和と繁栄の基盤である
・歴史を反省する、強いメッセージでもある
・軍事力には限界があり、9条の価値を発展させるべきだ
・自衛隊を軍隊とせず、集団的自衛権は行使しない
・非核を徹底して貫き、文民統制を機能させる

 これは「非武装」ではなく、「専守防衛」の枠組みを前提にした平和論である。その骨格は非核と9条の擁護、さらに集団的自衛権(注)の行使は容認できないという立場である。問題はこの控えめの専守防衛論が今日の日米安保=軍事同盟体制と果たして両立するのか、である。「日米同盟を使いこなす」と主張するからには、日米軍事同盟の盟主は日本で、軍事同盟の運営の実質的主導権を日本が握っているとでも思っているのだろうか。そういう認識だとしたら、これほどの「お甘ちゃん」はいないだろう。
 (注)集団的自衛権とは、日本が直接攻撃されていない場合でも、同盟国である米国が攻撃された場合、それを日本の軍事力で阻止する日本国家としての権利を指している。この権利は国連憲章や日米安保条約では認められているが、日本政府はこれまで国会答弁などで「憲法9条は、この権利行使を禁じている」と説明してきた。

 すでに日米安保=軍事同盟はアメリカ主導の下に著しく変質している。専守防衛の枠組みを大きく飛び越えている。4月27日の日米首脳会談で「かけがえのない日米同盟」を改めて確認し、しかも「世界とアジアのための日米同盟」と改めて位置づけもした。
 その一方で安倍政権は憲法9条の「非武装」、「交戦権の否認」条項を削除し、自衛隊を正式の軍隊にし、集団的自衛権も行使できるようにすることをめざしている。つまりアメリカが先制攻撃論で仕掛ける海外での戦争に追随して、日本も本格的に参戦していくことにほかならない。

 9条改憲の意図はここにあり、その背景にブッシュ政権からの強い要請もある。9条の平和理念を生かすことを本気で考えるなら、それと対立し、両立し得ない日米安保=軍事同盟をどういう形に変えていくか―私は長期的には軍事同盟解体、すなわち日米安保破棄が有力な選択肢と考える―が避けることのできない課題である。

▽集団的自衛権行使の肯定派は読売・産経・日経、中間派は毎日、批判派は東京

 安倍首相の訪米(4月26日)直前に事例研究のための有識者懇談会を設置した「集団的自衛権行使」について各紙はどういう主張を述べているのか。
 以下にみるように読売、産経、日経は防衛大臣の発言かと勘違いするほど似通った意見を掲げている。特に読売は明文改憲を待たずに当面は解釈改憲によって集団的自衛権行使に踏み切ることを提案している。安倍首相の見解そのままである。

 一方、毎日は集団的自衛権ではなく、個別的自衛権の範囲を拡大すれば、それで十分対応できるという主張であり、これでは集団的自衛権行使を容認するのと事実上大差ない。中間派的存在か。東京は解釈改憲で集団的自衛権行使に踏み切り、日米軍事一体化をすすめる危険性を示唆しており、批判派の立場である。

 読売新聞=集団的自衛権については、「持っているが、行使できない」という自己矛盾の政府解釈を変更すべきだ。日本を守るために活動している米軍が攻撃されているのに、憲法解釈の制約から、近くにいる自衛隊が助けることができないのでは、同盟など成り立たない。日本の安保環境や国際情勢の変化が日米同盟の強化を迫っている現状をみれば、憲法改正を待つことはできない。

 産経新聞=北朝鮮による弾道ミサイル開発や核実験は、日本の安全保障環境を一気に悪化させた。日米両国が協力し、ミサイル防衛(MD)システムを構築することが死活的に重要となった。ここでも米国向けのミサイルを日本が迎撃することが許されるかという9条の議論が発生する。集団的自衛権を保有しているが、行使できない、という政府の憲法解釈があるためだ。しかし集団的自衛権は行使を含めて認められると考えるべきである。日米安保体制もそれを前提に構築されている。

 日本経済新聞=北朝鮮の核開発やミサイルの脅威に直面するなど安全保障環境も激変している。憲法9条に関しては、政府が憲法解釈で禁じている集団的自衛権の行使を認める場合に、どこまで踏み込むのか。安全保障基本法の検討作業などを通じて、自衛隊の国際貢献のあり方や活動範囲の議論を詰める必要がある。

 毎日新聞=北朝鮮問題に対処するため、あわてて改憲する必要があるのだろうか。米国に向かうミサイルを日本周辺の自衛艦が撃ち落とせるかなど、集団的自衛権の行使に絡む問題が提起されている。現行憲法の認める個別的自衛権の範囲はかなり広い。北朝鮮の脅威に対処するのに十分な柔軟性があるのではないか。

 東京新聞=憲法解釈上禁じられている集団的自衛権行使の事例研究を進める有識者懇談会の設置が決まった。歴代内閣が踏襲してきた憲法解釈を見直すお墨付きを得る。日米同盟強化に向け、集団的自衛権行使の道を開くことに狙いがあるのは、メンバーの顔ぶれからも明らかである。憲法には手を触れず、日米軍事一体化への障害を解釈で切り抜ける。安倍晋三首相からブッシュ政権への格好の訪米土産になった。

▽アメリカから届いた「憲法9条守れ」の熱いメッセージ

 憲法9条を守るための「九条の会」は日本全国で次々と誕生し、すでに6000を超えているが、海外でも「日本国憲法9条は世界の宝」という声が少なくない。そういう事実をメディアがあまり報道しないのは公正な姿勢とはいえない。ここで海外からの熱いメッセージを紹介したい。

 アメリカから「第9条を愛する日本の友人の皆さんへ」と題する憲法9条擁護のためのメッセージが憲法記念日(5月3日)に寄せられた。発信者はオハイオ大名誉教授のチャック・オーバビー博士(81歳)で、アメリカにおける「9条の会」を1991年に創設した人物。第2次大戦中にアメリカのB29爆撃機パイロットであった。
 「平和と環境の政党」をめざす「みどりのテーブル」のほか、「コスタリカ平和の会」(略称)、「コスタリカに学ぶ会」(略称)などの会員からE・メールで転送されてきたもので、その大要は以下のようである。このメッセージと日本の主要紙の「憲法」社説とを読み比べて、どちらに軍配を挙げたらよいかを考えてみよう。

*アメリカは地球上で最も暴力的な国
 美しい第9条の知恵が施行されて60周年のこの日、この手紙を書くにあたり、私はとても残念で、悲しくて、そして本当に腹が立っています。それは、平和を愛した伊藤一長・長崎市長が暗殺されたことを知ったからです。何と愚かな惨事でしょう。ほぼ同じ時刻にアメリカで起きた、32名の学生と教員がバージニア工科大学キャンパスで殺害されるという、これも同じく愚かな惨事 ― にどこか似ています。

 バージニア工科大学での殺人は、アメリカ合衆国憲法の修正第2条と複雑に関連しています。修正第2条は以下のように述べています。

 「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」

 この修正第2条がのべている「民兵(a Militia)」は「国民軍という集団(a group)」を指す言葉であるのに、アメリカでは大変力のあるロビー団体の、全米ライフル協会(NRA)が、どんな個人でも、あらゆる種類の武器を、自由に無制限に、いくつでも欲しいだけ手に入れることが出来ることを保障するために利用しているものです。かくして全米至る所に銃があり、我々を地球上で最も暴力的な傾向の国にしています。

*第9条は日本だけでなく、全人類の宝
 私は、アメリカに住む我々にとって、第9条をお手本にした、合衆国憲法の新しい修正条項が絶対に必要だという強い思いを新たにしています。第9条は、人間が人間である以上避けられない紛争に我々が対処する手立てとして、戦争や暴力を防止すると共に、紛争を非軍事的、非暴力的に解決する方法が用いられなければならないと述べています。軍事的に解決できない世界の問題に、アメリカが傲慢な先制攻撃の軍事的反応をするのは、上に書いたようなアメリカの暴力性癖と複雑につながっています。

 戦争放棄の第9条(法の支配)を、私は、この地球上のほとんど全ての人類からの情熱的な声 ― 戦争という名のもっぱら男のわいせつを終わらせることを求める熱烈な声であると、理解しています。第9条は、ただ単に日本の宝ではありません。第9条は全人類のものです。私は、第9条の知恵が、あらゆる国の憲法の一部になることを待ち焦がれています。そうなれば、種としての我々は、長年の忌まわしい「戦争の支配」によってではなく「法の支配」の下に、お互いの差異を解決し、紛争を処理するようになるでしょう。

*ブッシュ大統領も安倍首相も「戦争を知らない」人
 残念なことに、今現在は、「法の支配」よりむしろ「戦争の支配」への強い欲望を見せている指導者に、日本の皆さんそしてアメリカの我々は苦しんでいます。私は、ブッシュ大統領と、日本の新しい総理、安倍首相を「経験として戦争を知らない」人たちであるとみなしています。2人とも、戦争の恐ろしい本質に関しては、ほんのわずかな認識すらも(個人的な理解として)持っていません。現ブッシュ大統領は、父ブッシュの権力に助けられ、ベトナム戦争の徴兵を忌避しました。

 第2次世界大戦と朝鮮戦争の退役軍人である私も含め何百万人の同胞はブッシュ大統領を「臆病者のタカ派(チキン・ホーク)― 他人がやるので戦争を愛するが、自分がやるのは嫌だという人」と呼んでいます。日本の安倍総理は第2次世界大戦の終了後に生まれました。ですから、国が、大都市の全てが焦土と化す ― その中の2つは核の雲の中で水蒸気になりましたが、その意味を彼個人は全く理解していないのです。

 かくして私達の国の指導者達は、どちらも同じ病気に苦しんでいるようです。どんな病気かといえば、「軍事力が問題解決のひとつの方法であるというイデオロギー的な信条」という病気です。種としての我々が直面している様々な問題 ― 例えば核の拡散、それから浪費ともいえる資源消費(例えば石油)、さらに地球温暖化、市民の薬物中毒の問題など、― 残念ながら、これらに軍事的な解決方法などはありません。しかしこういった問題の根本の原因が探求されることは滅多にありませんし、イデオロギーや信条ではなく、理性を用いて、人を、付随的損害として扱うのでなく、尊厳をもって扱うような有意義な解決を見出すということもほとんどありません。

*アメリカ政府の傲慢な振る舞いをどう軌道修正させるか
 第9条を愛する親愛なる日本の皆さん、この恐ろしい時代に、あなた方の課題は、非暴力の方法を見つけ、あなたとそして私の国の両政府に、あなたの国の素晴らしい戦争放棄の第9条を葬らせないことです。

 アメリカに住む私達は非暴力の方法で、この地球上で単独行動主義の、軍国主義的、ネオコン(新保守主義者)の、傲慢な振る舞いをとっているわが国政府の軌道を修正しなければなりません。創造性を持って非暴力で思慮深く協力的な相互作用を地球全体で行うものへと変えていかねばなりません。世界中で行われるアメリカの戦争に自衛隊を自由に使う、そのために第9条を破壊せよと、アメリカ政府は日本に圧力をかけていますが、この圧力は、我々の時代の最も悲劇的な忌まわしいことのひとつです。 (訳 たかだ洋子)


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