「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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知足の思想をどう広めるか?
貪欲から知足へ大転換を(つづき)

安原和雄
 私は07年2月20日国際文化会館(東京・港区六本木)で開かれた「グローバルジャパン特別研究会」(米欧亜回覧の会=泉 三郎理事長=主催)で「貪欲から知足へ大転換を―仏教経済思想に立って」というテーマで講話した(その内容は「貪欲から知足へ大転換を」と題して、07年2月22日仏教経済塾に掲載)。引きつづき講話をめぐって約1時間、活発な質疑応答が行われた。その〈Q&A〉の趣旨を以下に紹介したい。(07年2月25日掲載)

▽知足の思想を若者たちにどう広め、理解して貰うか?

Q 知足という考え方は今の時代に必要であり、これをぜひ広く普及させたいと考える。日本に昔からある考え方で、高齢者の間ではそれなりの理解があり、受けいれられやすいと思うが、若い人たちにはどうだろうか。果たして受けいれられるのかどうか、そこが気になるところである。どうしたらよいか。

A ご指摘の通りで、結論を一口にいうと、このまま貪欲路線を突っ走って、もう一度日本は滅びる以外にないのかな、という印象、思いもある。小泉純一郎前首相は「自民党をぶっ壊す」と言った。これが大きな反響を呼んだが、安倍晋三現首相の場合、日米一体化路線をこのまま進めば、「日本をぶっ壊す」結果となり、非常に危険な人物になるのではないかという危惧がある。

 安倍政権は教育基本法はすでに改悪したし、やがて憲法9条も改悪して、正式の軍隊を持ち、「世界の中の日米軍事同盟」の一翼を担って海外派兵も辞さない方針である。これは世界の中で孤立するほかない選択であり、これをどう避けるかが大きな課題である。
ここで見逃せないのは、若者たちの間にも時代を見据えた考え方がみられることである。悲観一方になる必要もないような気もする。

 以前、慶応大学で「いのちの尊重と仏教経済思想ー地球環境時代に生きる智慧」というテーマで講義をしたことがある。講義を聴いて書いた学生の感想文によると、女子学生の一文に「仏教経済思想は初めて聴いたが、これからの時代に合っている」とあった。概して女子学生の感想文に未来に生きる意欲を感じさせるものが多かった。私は「21世紀は女性の時代」という印象を抱いている。

 それに私は歴史は激変するということを時折考える。個人の経験からいうと、東西ドイツを分断していたベルリンの壁が崩壊したのが1989年で、その前年に西独政府の招待でベルリン等を訪ね、政府関係者に「東西統一の可能性」について聞いたことがある。その答えは「近い将来とても考えられない」だったが、1年後にベルリンの壁が壊れ、やがて統一も実現した。大方の予測を超えるスピードで歴史は望ましい方向に激動したのである。

 日本の歴史をみても、激変の具体例は少なくない。幕末に坂本龍馬らがいち早く幕藩体制の崩壊を予測し行動したが、それは民衆多数派の支持があったからではない。また太平洋戦争の敗北後に平和憲法体制ができることを戦争末期に日本人の誰が予測しただろうか。
 要するに時代の変わり目には多くの人々にとって予見できない、予想外の事態が発生して新しい時代に変化すると、急速に少数派が多数派に変化する。知足への自覚と実践も急速に広がる可能性もあり、そう悲観する必要もないようにも想う。

▽少子化問題は仏教経済思想ではどう理解するのか?

Q 少子化によって日本人口が減少するという予測が一般的になっている。少子化が進むと、労働人口の減少のほか、高齢者に対する若年層の比率が低下し、高齢者の年金を誰が負担するのかなど問題が少なくない。仏教経済思想ではこの問題をどう考えるのか。

A これは仏教経済思想が家庭や仕事をどのように考えるかという問題とつながっている。柳沢厚生労働相が女性を「子どもを産む機械」と発言して批判を浴びた。この「機械」発言は論外であるが、仏教経済思想は家庭の役割を重視していることを指摘したい。
 ドイツの経済思想家、シューマッハーの著作『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫、原文=英文は1973年刊)は仏教経済学を論じながら次のように述べている。

 「会社や工場で婦人が大規模に雇用されているのは、経済運営の重大な失敗のしるしとみられる。とりわけ幼い子どもを放任して、母親を工場で働かせるのは、熟練労働者を軍人として使うのが現代経済学者の目に不経済に映るのと同様に、仏教経済学者からみて不経済である」と。

 いいかえれば仏教経済思想は女性が子どもを産み、育てることは女性にとって誇るべき偉大な仕事であると理解している。この点は男性にとっては逆立ちしても女性には敵わないところである。いうまでもなく仏教は男女平等の原則を堅持し、女性の社会進出も是認し、歓迎する。さらに夫婦そろって子育てに取り組むことも重要だと考える。しかし他方で男女それぞれの特性、差異をも重視する。

 さて仏教経済思想は仕事をどのようにとらえているか。著作『スモール イズ ビューティフル』は、仕事の役割について仏教的観点から次の3点を指摘している。
①人間にその能力を発揮・向上させる場を与えること
②仕事を他の人々と共にすることを通じて自己中心的な態度を棄てさせること
③まっとうな生活に必要な財とサービスを造り出すこと

これが人間を生かす仕事本来の望ましい姿といえよう。しかし現実は大きく異なる。同著作は次のように述べている。
 「仕事を労働者にとって無意味で退屈で、いやになるような、ないしは神経をすりへらすようなものにすることは、犯罪すれすれである。それは人間よりもモノに注意を向けることであり、慈悲心を欠くことである」と。
 文中の「人間よりもモノに注意を向ける」の「モノ」の代わりに「利益」を置き換えれば、成果主義、サービス残業、労働強化を背景に過労死、ノイローゼ、転職が多発している我が国昨今の職場実態と余りにも似通ってはいないだろうか。

 少子化に伴う人口減少に企業などが懸念を抱いているのは、労働力不足となって、賃金コストの上昇を招くからだろう。労働力過剰の状態がつづけば、失業者は高水準となり、それが賃金や労働条件の低下、悪化をもたらす誘因となる。これが競争激化、弱肉強食を必要と考える自由市場原理主義者たちの望むところだろう。しかしこのような利益中心の企業の都合を優先させて、少子化、人口減少問題を取り上げるのは適切ではない。

 もはやかつての戦前のような「産めよ、増やせよ」という時代ではない。自己決定権は夫婦にあり、結果として人口減少となっても、それを問題視するのはおかしい。年金問題は、企業の定年延長などによって元気な高齢者に就業機会を保障すれば対応できるのではないか。
 ただ子どもを産みたくても産める社会的環境にないという背景からくる昨今の少子化問題は、決して好ましいこととは考えない。

▽中国、インドの高度経済成長路線をどう考えるか?

Q 最近の中国、インドの経済成長、経済発展はすさまじいものがある。まさに貪欲路線を突っ走っているといっても過言ではないだろう。日本だけがいくら貪欲から知足への大転換を図っても、この両国が路線を変えない限り、効果は期待できないのではないか。このままでは地球も人類ももたない。

A まさにご指摘の通りだと思う。2020年のGDP(国内総生産)は中国が米国を抜いてトップに躍り出るし、インドは日本を追い越して3位に急上昇するという予測もある。この両国は人口大国(中国人口13億人、インド人口10億人)であり、かりに米国並みの消費主義にとりつかれたら、地球環境破壊が深刻になるのは避けられないどころか、地球がいくつあっても足りないとさえ言われている。

 ただ若干の救いがあるのは、中国自身が環境問題の深刻さに気づいて、対応策に乗り出そうとしていることだ。それぞれの国が自国の針路のあり方、そして路線転換には責任を持つべきだろう。日本としては率先垂範を実践すべきで、貪欲から知足への大転換の日本モデルをつくりたい。それを日本の責務と考えたい。

 問題は米国ではないか。ブッシュ政権になってから、地球温暖化防止のための国際取り決めである京都議定書へのサインを拒否し、離脱した。貪欲そのものの身勝手な振る舞いで、ここから米国の世界の中での孤立化が顕著になってきた。軍事力依存症のブッシュ政権が歴史の大道をいかに踏み外しているかを世界に印象づけたともいえる。

 ただ米国内にも期待すべき要素はあちこちにみられる。一例をあげれば、米国ワールドウオッチ研究所編『地球白書2004~05』(家の光協会)が「知足の心」の重要性を説いていることである。次のように指摘している。

 「消費者の選択とは、個々の生産物やサービスの間の選択ではなく、生活の質を高めるための選択を意味する。個人にとって真の選択は、消費しないことの選択も含まれる。すべての人は重要な問いの答えをみつけることを学ばなくてはならない。それは〈どれだけあれば足りるのか〉という問いである。考慮に値する一つの指針は、中国の哲学者、老子の〈足るを知る〉という教えである」と。
 貪欲なブッシュ政権の面々に比べ、知足、簡素を尊び、実践する市民レベルの消費行動が米国内で静かに広がりつつあることに目を向けたい。

▽人口急増、飢餓、貧困に悩む発展途上国での知足のあり方は?

Q 世界全体の人口は急増している。主として発展途上国での急増で、先進国の多くでの少子化現象とは対照的である。しかも発展途上国では飢餓、貧困が広がっている。こういう状況下では知足はどう考えたらよいか。

A 飢餓に苦しむ人々は発展途上国を中心に世界全体で8~10億人といわれる。全世界で7人のうち1人は飢餓に苦しんでいる。しかも貧困に陥っている状態ではもちろん知足は必要ではない。
 貪欲を否定し、一方、知足を是認し、勧めるといっても、何を基準に貪欲あるいは知足を判断するか、ここが問題である。政策論として考える場合、単に欲望のあり方として「知足=これで十分」、「貪欲=まだ足りない」と認識するだけでは心の問題、精神論の域を出ない恐れがあるだろう。

 私は「持続的発展=持続可能な発展」(Sustainable Development)を示す多様な条件を客観的な判断基準に据えて、それを否定したり、はみ出すのが貪欲、一方それを肯定したり、その範囲内に収まっているのが知足、と捉えるのが合理的ではないかと考える。

 持続的発展の内実を示す多様な条件のうち、いくつかをあげると、次のようである。
*地球上の生きとし生けるもののいのちの尊重
*長寿と健康な生活(食料、住居、健康の基本的水準)の確保
*基礎教育の達成
*就業機会の保障と人的資源の浪費の解消
*特に発展途上国の貧困の根絶
*経済成長それ自体を目標にする呪縛からの解放
*持続不可能な生産・消費・廃棄構造の改革と廃止
*核兵器の廃絶、軍事支出の大幅な削減、軍事同盟の解消

 以上の諸条件を応用する具体例をあげると、飢餓や貧困は「長寿と健康な生活の確保」、「発展途上国の貧困の根絶」にはほど遠い状況で、知足を実践しなければならい段階に至ってはいない。だから飢餓や貧困に苦しむ人々に知足を強いるのは、見当違いである。

 一方、知足の実践が必要不可欠なのは米日欧の先進諸国である。米国に象徴されるように「いのちの尊重」を無視して、軍事力による殺戮を続けるのは、犯罪そのものの貪欲である。
 「経済成長それ自体を目標にする呪縛からの解放」、「持続不可能な生産・消費・廃棄構造の改革と廃止」、「核兵器の廃絶、軍事支出の大幅な削減、軍事同盟の解消」という条件のいずれにも不熱心なのが特に日米である。貪欲そのものであり、時代の要請から大きくずれている。日米が世界の中で孤立しつつある背景には根深いものがあるといわなければならない。
(以上、仏教経済塾への掲載に当たって説明に加筆補正した)


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貪欲から知足へ大転換を
仏教経済思想に立って                   

安原和雄
 私は2007年2月20日、国際文化会館(東京・港区六本木)で開かれた「グローバルジャパン特別研究会」(米欧亜回覧の会=泉 三郎理事長=主催)で「貪欲から知足へ大転換を―仏教経済思想に立って」と題して講話した。
 その趣旨は、(1)軍事力依存症にかかった米国のブッシュ政権、それに追随する日本の安倍政権は共に世界の中で孤立しつつあること、(2)そこから脱出するための針路として従来の貪欲執着路線から知足追求路線への大転換が不可欠であること、(3)望ましい日本の路線選択として石橋湛山の小日本主義に学び、それを継承発展させること―などである。(07年2月22日掲載、同月24日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽仏教経済思想の8つのキーワード=いのちと知足と持続性と

 仏教経済思想を最初にかなり詳しく論じたのは、ドイツの経済思想家、E・F・シューマッハー著『スモール イズ ビューティフル』(邦訳は講談社学術文庫、原文=英文の著作は1973年に出版)の第4章仏教経済学においてである。シューマッハーは仏教経済学の特質について「仏教抜きの経済学は、愛情のないセックスと同じだ」と喝破した。

 私の唱える仏教経済思想は、釈迦の教えやシューマッハーに学びながら現代経済思想(ケインズ経済学、昨今流行の自由市場原理主義など)への批判から出発して、次の8つのキーワードからなっている。(かっこ内は現代経済思想の特質を示している)

*いのち尊重(いのち無視)
*知足=これで十分(貪欲=まだ足りない)
*簡素(浪費、虚飾)
*非暴力=平和(暴力=戦争)
*多様性(画一性)
*共生(孤立、孤独)
*利他主義=利他的人間観(利己主義=利己的人間観)
*持続性=持続可能な「発展」(非持続性=持続不可能な「成長」)

 以上の「いのち尊重」をはじめ8つのキーワードに相当するものは、現代経済思想には欠落しているのであり、昨今の暴力や利己主義横行による世の乱れの一半の責任は現代経済思想そのものにもあることを強調したい。
(詳しい説明は「21世紀の持続的経済社会とは」=仏教経済塾に07年1月19日掲載、「なぜ〈仏教〉経済学なのか?」=同06年7月26日掲載、「緑の政治がめざす変革構想」=同06年7月24日掲載、などを参照)

▽貪欲(=非持続型社会)から知足(=持続型社会)への大転換

 「持続的発展=持続可能な発展(Sustainable Development)」という概念は1992年の第1回地球サミット(国連主催)で打ち出されたもので、私は以下の3つの特質から成り立っていると考える。単に経済発展と環境保全との両立、をめざすものと捉えるのは狭すぎる。

1)「量の拡大」から「質の充実」への転換=貪欲から知足への転換
 プラスの経済成長、つまり経済活動の量的拡大を追求するのは、貪欲経済路線にほかならず、これでは地球環境、資源エネルギーの有限性からみて破綻に見舞われるほかない。いいかえれば持続的発展は期待できない。持続的発展のためには、量的拡大を伴わない経済生活の質の充実(自然環境保全、安全・安心、連帯感、健康、文化中心)をめざす知足経済路線への転換が不可欠である。知足こそが持続型社会を保障する。

2)一切の暴力の拒否=非暴力、簡素、知足、利他のすすめ
 平和=非戦、という平和観が日本では多いが、これは狭い平和観である。平和=非暴力という広い平和観が必要である。
 ここでいう暴力は多様で、戦争(軍事力の保有自体も含む)、紛争、テロはもちろん、そのほか人間の活動による地球環境の汚染・破壊(地球温暖化、異常気象など)、資源エネルギーの収奪・浪費、凶悪犯罪、交通事故、貧困、飢餓、食料・水不足、感染症などの疾病、文盲、失業、人権侵害、不公正(勝ち組・負け組による格差拡大など)―などを指している。
 こういう多様な暴力は貪欲の表れであり、それを抑制・拒否することは、簡素、知足・利他のすすめにほかならない。

3)動植物、人間を含む地球上のすべてのいのちの尊重=人間中心主義から生命・地球中 心主義への転換
 人間中心主義(ヒューマニズム)は、その人間尊重の精神は是認できるものの、人間が自然よりも上位にあり、自然、動植物を支配するのは当然という発想になりやすいところに弱点がある。これでは人間活動による地球環境の汚染・破壊に歯止めがかからない。生きとし生けるものすべてのいのちを平等に尊重する生命・地球中心主義に立ってこそ初めて人間と自然との多様性、共生を重視し、知足、利他の実践も可能となる。

 以上のような持続的発展の原理が貪欲と知足を分ける基準として活用できる。持続的発展の枠を超えるのが、貪欲であり、一方、持続的発展の枠内に収まっているのが知足である。経済成長でいえば、プラスの経済成長に執着するのは貪欲であり、一方、ゼロ成長、マイナス成長は知足の実践である。貪欲路線にこだわり続けると、地球環境、経済活動さらに人間の暮らしも持続性を失い、破局に落ちこむ。それを避けるにはどれだけ多くの人が貪欲の愚かさ、そして知足の智慧に日常感覚として気づくことができるかにかかっている。

 さて残念ながら日米両国は世界の中で孤立への道を進みつつあるというのが私の現状認識である。孤立を避けるためには何をなすべきなのか。

▽「9.11テロ」(2001年)と「もう一つの9.11テロ」(1973年)について

 米国での「9.11テロ」(2001年の同時多発テロ)について当時の多くの新聞は、「文明への攻撃」と断じた。私はその直後の講演で「新聞は自殺した」と論じた。それは自ら言論の自由を投げ捨てたという意味である。なぜか。9.11テロを文明への攻撃だと認識すれば、そのテロ集団への武力行使は容認せざるを得ないことになる。事実、その後のアフガニスタン、さらにイラクへの米国主導の攻撃を多くの新聞は容認し、自縄自縛に陥り、自由な言論を封じる結果となった。

 ここで考えてみるべきことは、米国の軍産複合体を含む米国の国家権力集団こそ世界最大のテロリスト(国家テロ)集団ではないか、である。第2次大戦後米国による大量殺戮の事例に事欠かない。その米国にテロを断罪する資格が果たしてあるのだろうか。
 例えばベトナム侵略(1975年米軍の敗走によって戦争は終結)である。米軍も5万人を超える犠牲者を出したが、ベトナム側の犠牲者は300万人、しかも米軍が空から撒いた猛毒・枯れ葉剤による後遺症でいまなお呻吟し、生活権を奪われているベトナム人は多数にのぼっている。

 さらに「もう一つの9.11テロ」を挙げる必要がある。南米のチリで民主的に選出されたアジェンデ社会主義政権が1973年9月11日、ピノチェト将軍率いる軍事クーデターによって倒された。アジェンデ大統領が殺害されたほか、数千人の支持者たちが虐殺されるか、今なお行方不明のままとなっている。この軍事クーデターを裏で後押ししたのが米国CIA(中央情報局)とされている。

▽アメリカ「帝国」の崩壊過程と5つの敗戦、進む日米の孤立化について

 米国は世界最強の軍事力と自由市場原理主義のグローバル化によって世界の覇権をめざしているのだから「帝国」と呼んで差し支えないだろう。しかしその帝国の影響力が急速に低下しつつあり、事実上崩壊過程に入っている。何よりも米国の5つの敗戦がそれを物語っている。

 第1はベトナム戦争の敗戦、第2は「9.11テロ」(01年)を強大な軍事力をもちながら防げなかった敗戦、第3は独仏のイラク攻撃への拒否、そしてイラク攻撃の挫折、第4は1100人を超える死者を出した大型ハリケーン「カトリーナ」襲来(05年夏)による米国南部の破壊、第5は米国の裏庭、南米における左派政権の台頭と反米・反自由市場原理主義の動き―である。

 共通しているのは軍事力偏重による大義の喪失であり、軍事的暴力と報復の連鎖であり、さらに貧困と暴力の悪循環である。特に第5の敗戦には米国流自由市場原理主義への反乱という要素が濃厚にみえてくる。
 以上の敗戦は、世界における米国の孤立化が顕著になってきたことを示すもので、その米国と軍事、経済面での一体化を強化しつつある日本もこのままでは孤立化への道を進むほかないだろう。

▽非武装の中米・コスタリカと公正・平和をめざす世界社会フォーラム

 以上のような日米の孤立化の路線とは異質の針路が現実にあることに着目したい。
 一つは非武装中立の平和外交を進める中米・コスタリカで、1949年の憲法改正で軍隊を全廃し、今日に至っている。
 コスタリカは軍事力を捨てたお陰で浮いた軍事費を自然環境の保全、平和・人権教育、社会保障などに回して、安心・安全で豊かな国をつくりあげている。「軍事力つまり暴力を持たず、行使しないからこそ、外国からの侵略つまり暴力を招く恐れもない」というのがコスタリカ国民の平和・安全保障観になっている。大いに学びたいところである。

 もう一つは世界経済フォーラム(通称「ダボス会議」)に対抗する世界社会フォーラムの動向である。前者は米欧日を中心とする世界の政治経済リーダー、エコノミストたちの集まりで、スイスの観光地、ダボスで毎年1月下旬に開かれる。07年1月には約2000人が集まった。同フォーラムはグローバル化と自由市場原理主義の推進本部ともいうべき存在である。
 これに対し、後者の世界社会フォーラムは市民、民衆が主役で、「もう一つの世界」つまり自由市場原理主義に反対し、公正で平和な社会づくりをめざす運動である。07年1月にはケニアの首都ナイロビで開かれ、世界各国のNPOなど約6万5000人が集まった。

▽日本の望ましい路線選択 ― 石橋湛山の小日本主義に学んで

 世界の中で日本が孤立化への道を進むのを避けるためにはどういう路線選択が望ましいだろうか。蔵相、首相を歴任した石橋湛山(日蓮宗の信徒)の小日本主義に学び、継承発展させる必要があると考える。
 湛山の小日本主義論の特色は次の5つにまとめることができる。
1)領土拡大をめざす戦前の大日本主義のアンチ・テーゼであること
2)軍備拡張は亡国への道であると認識していること
3)平和憲法第9条「戦争放棄と戦力不保持」を世界に先駆けた理念としてきわめて高く評価していること
4)平和憲法と日米安保条約(日本の自衛力の維持発展を明記)とは矛盾しており、平和憲法の理念を優先させ、それに立脚すべきであること
5)世界とアジアの平和のために「日中米ソ平和同盟」の締結を提唱したこと

 これを地球環境時代にふさわしく修正しつつ、継承発展させて、21世紀における望ましい日本の路線選択―「従来の貪欲路線から知足路線への大転換構想」として次の3つをあげたい。
1)知足・非暴力・簡素な経済への構造転換
2)平和憲法理念の活用と「持続的発展」条項の導入
3)自衛隊の非武装「地球救援隊」(仮称)への全面改組

▽知足・非暴力・簡素な経済への構造転換を進めること

 簡素な経済への構造転換策として以下の4本柱を提案したい。これらがすべてではないが、重要な柱になり得る。
*循環型社会づくり(5Rの実践=Reduce・削減、Reuse・再利用、Repair・修理による長期使用、Rental・レンタル利用、Recycle・再生利用)
*財政・税制のグリーン化(軍事費の撤廃、消費税の廃止と高率環境税の導入など)
*脱「車」社会の構想(自家用車中心から公共交通・自転車・徒歩中心への転換)
*農業の再生と食料自給率の向上(地産地消、旬産旬消の感覚を取り戻そう)

 湛山は昭和20年代の敗戦後経済の復興にケインズ経済学の立場から蔵相として取り組んだ。戦時経済から平和経済への転換には功績があったが、今日、もはやケインズ経済思想に学ぶところは少ない。ケインズ自身「貪欲が必要」といっており、ケインズ経済学は貪欲の経済思想だからである。

 ここでは農業再生と食料自給率向上の重要性に言及したい。わが国の食料自給率は先進国では極端に低い40%にすぎず、残りの60%を海外に依存している。これは何を意味するか。食料はいのちの糧(かて)だから、日本人はいのちの60%を海外、いいかえれば地球全体に依存し、預けていることを意味する。しかも地球温暖化、異常気象を背景に近未来の水・食料不足が大きな懸念材料になってきた。

 こういう現実を踏まえれば、日本人に必要なのは、安倍首相のお好きな「戦争のために命を捨てる狭い愛国心」ではなく、地球全体への愛を意味する「愛球心」ではないか。食料自給率を高めることと愛球心を育てることーこれが今後の日本の生存条件の有力な柱になるだろう。

▽平和憲法に「持続的発展」条項を追加すること

 以下の追加条項は試案にすぎないが、「持続的発展」を憲法に盛り込むことは、世界でも前例がないはずであり、平和憲法の理念を一層活力に満ちたものにするだろう。湛山は9条の平和理念を高く評価し、日米安保条約よりも優先させるべきだと説いた。その精神を21世紀に継承発展させることにつながる。

*9条(戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)への追加条項=「日本国民及び国は、世界の平和と持続的発展のために、世界の核を含む大量破壊兵器の廃絶と世界の通常軍事力の顕著な削減または撤廃に向けて努力しなければならない」
*25条(生存権、国の生存権保障義務)への追加条項=「すべての国民、企業、各種団体及び国は生産、流通、消費及び廃棄のすべての経済及び生活の分野において、地球の自然環境と共生できる範囲内で持続的発展に努めなければならない」

▽自衛隊を非武装「地球救援隊」(仮称)に全面改組すること

 東西冷戦の終結後、地球環境問題が最重要課題となっている今日、軍事力はもはや有効ではないどころか、むしろ巨大な軍事力そのものが脅威となっている。軍事力は「百害あって一利なし」である。しかも国民に不必要な消費税などの増税を強いる。
 そこでコスタリカの非武装中立路線に学びながら、日本としても平和憲法の理念を生かすための非武装化の構想を模索すべき時である。これは簡素な経済への構造転換の柱の一つ、財政・税制のグリーン化として「軍事費の撤廃、消費税の廃止」を提案していることと連動している。

 ただし自衛隊の非武装「地球救援隊」への全面改組には日米安保=軍事同盟の解体と東アジア平和共同体の結成が必要不可欠である。
 湛山は首相退陣後、岸信介・池田勇人首相時代に「日中米ソ平和同盟」の締結を提唱した。これは日米間の日米安保条約を中国、ソ連にも広げ、相互安全保障条約にするという構想である。当時のフルシチョフ・ソ連首相は「原則的に賛成」と回答し、周恩来中国総理も「私も以前から同じようなことを考えていた。中国はよいが、問題は米国だろう」と言ったという湛山の証言が残っている。
 
こういう湛山の平和構想を今日の地球環境時代にふさわしく継承発展させるのが非武装「地球救援隊」の構想である。
(「地球救援隊」のより詳しい説明は「緑の政治がめざす変革構想」=仏教経済塾に06年7月24日掲載を参照)


 なお講話の後約1時間、質疑応答が行われた。その〈Q&A〉の内容(趣旨)は「知足の思想をどう広めるか?―貪欲から知足へ大転換を(つづき)」と題して仏教経済塾に2月25日掲載した。

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ぼけたらあかん、長生きしなはれ
〈折々のつぶやき〉27

安原和雄
 「ぼけたらあかん、長生きしなはれ」と題した一文を近隣の寿司屋さんでお土産として貰った。今回のお土産話は「つもり違い十ヶ条」(06年11月29日掲載)につづく第6話。〈折々のつぶやき〉27回目。(07年2月12日掲載)

 この一文は、俗世間の生き様を映し出していて、人情の機微をついているところがおもしろい。「ごもっとも、ごもっとも」というのが率直な印象である。「昨今、ボケとは言わない。認知症だ」などといわないこと。「ぼけたらあかん」は自戒の言葉なのである。以下に紹介したい。(かっこ内は安原のコメント)

(一)年を取ったら出しゃばらず  憎まれ口に泣き言に
 人のかげ口 愚痴いわず  他人のことは褒(ほ)めなはれ
 聞かれりゃ教えてあげてでも  知ってることでも知らんぷり
 いつもアホでいるこっちゃ

(「いつもアホでいるこっちゃ」は口で言うのは簡単だが、日常感覚で実践するのはむずかしい。ついつい「俺はバカではない。何でも知っている」と構えたくなるもので、実はこういう人こそ残念ながらバカの類なのだろう。「わてはアホじゃ」に徹しきれば、仏教でいう「大愚」、つまり悟りに近い心境に達する。皆さん、ひとつ実践してみましょう)

(二)勝ったらあかん負けなはれ  いずれお世話になる身なら
 若いもんには花持たせ  一歩さがってゆずるのが
 円満にいくコツですわ  いつも感謝を忘れずに
 どんな時でもへえおおきに

(弱肉強食の無慈悲な論理の貫徹によって勝ち組、負け組への区分けが横行しているご時世に「勝ったらあかん負けなはれ」と仮に企業のトップが社員に訓示したらどうなるだろうか。そういう度量の大きい社長をいただく企業は隆盛間違いなし、と想像する。なぜなら社員一同、一丸となって感謝感激の涙で仕事に精励するだろうからである)

(三)お金の欲を捨てなはれ  なんぼゼニカネあってでも
 死んだら持っていけまへん  あの人はええ人やった
 そないに人から言われるよう  生きてるうちにバラまいて
 山ほど徳を積みなはれ

(「お金の欲をすてなはれ、死んだら持っていけまへん」は客観的な真理である。一万円札をトラックに積み上げて三途の川を渡っても無価値である。「地獄、極楽はこの世に在り」というから、現世でどう使い切るか。これを誤ると、相続をめぐって血の雨さえ降りかねない。それにしても一度でいいからバラまいてみたいもんですね)

(四)というのはそれは表向き  ほんまはゼニを離さずに
 死ぬまでしっかり持ってなはれ  人にケチやといわれても
 お金があるから大事にし  みんなベンチャラいうてくれる
 内証やけれどほんまだっせ

(最後の「内証やけどほんまだっせ」には思わず笑ってしまうが、腹の底から大笑できないところに「ゼニカネの現世」の悲しいまでの一面が浮き彫りになっている。そういえば、カネにまつわる言葉がいろいろありますね―。「地獄の沙汰もカネ次第」、「時は金なり」、「金が敵(かたき)」、「金の切れ目が縁の切れ目」、「金に糸目はつけぬ」などなど)

(五)昔のことはみな忘れ  自慢ばなしはしなはんな
 わしらの時代はもう過ぎた  なんぼ頑張り力(りき)んでも
 体がいうことききまへん  あんたはえらいわしゃあかん
 そんな気持ちでおりなはれ

(「あんたはえらい、わしゃあかん」という心境になりきれば、世の中に口論、争いはなくなるに違いない。まあ平穏、平和になるということですか。ところが現実はそうは問屋が卸さない。「私が」、「おれが」と小我を張り合うから始末が悪い。体が健在で、十分いうことをきくうちに「あんたはえらい」と言い合う―そういう競争もいいですね)

(六)わが子に孫に世間さま  どなたからでも慕(した)われる
 ええ年寄りになりなはれ  ボケたらあかんそのために
 頭の洗濯 生きがいに  何か一つの趣味持って
 せいぜい長生きしなはれや

(「ボケたらあかん、長生きしなはれ」が生きがいを感じながら実現できれば、人生の理想だろう。某銀行頭取の「大企業社長が部下に〈私がボケてきたら、注意してくれよな〉と頼んだ。これじゃ、この社長すでにボケてる」という実話を聞いたことがある。さてこの社長、なぜすでにボケてるのか? ボケ防止のために自分の身になって考えましょう)


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ペコちゃん、さようなら
ブレーキの壊れた企業経営

安原和雄
企業の不祥事、不始末が後を絶たない。なぜ企業体質を思い切って変えられないのか。(07年2月5日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 ペコちゃん、ポコちゃん人形で知られる大手洋菓子メーカー、不二家が品質管理の不始末から消費者離れに見舞われている。すでにペコちゃん、ポコちゃんの人形は店頭から消えた。先日東京・銀座を散策していたら、「ペコちゃん、さようならー」という小学生らしい女の子の声が聞こえてきた。声の方角に目をやると、不二家銀座店の店頭に寂しそうな表情で立っている。

 店頭のお詫び文に「皆様から不二家の企業体質が問われている」とある。問われているのは不二家に限らない。怒りや不信の矢を浴びている企業は「今日もまたか」というほど続発している。その背景に何があるのか。分かりやすくいえば、「ブレーキの壊れた企業経営」の姿ではないか。
 いずれにしても日本社会の未来を支える子どもたちを悲しませるような企業に未来はない。

▽新聞投書にみる不二家への要望と励まし

 毎日新聞掲載の不二家関連の3つの投書(要旨)を紹介しよう。

*捨てるべき物まで捨てずに使っていたのか(07年2月4日付)
不二家の工場で去年12月、クリスマスケーキ製造のアルバイトをしたとき、感心したのは、廃棄物がほとんど出なかったこと。廃棄物を出さいことに単純に感激し、家族や友達にも機会ある度に話していた。そこに今回の不祥事の発覚。開いた口がふさがらない。消費期限切れの原料で捨てるべき物まで捨てずに使っていたのですね。(主婦、50歳、栃木県)

*品質管理は企業の良心(同年1月28日付)
人の健康、大げさに言えば命まで預かっているのだから、品質管理にはどんなに注意しても注意しすぎることはない。それが企業の良心だ。利益追求よりも安全な製品を作ることを第一に考えてくれるといいな、と思う。(高校生、16歳、大阪府箕面市)

*初心に戻ってペコちゃん守れ(同上)
 経営者は創立者の初心を忘れてはならない。不二家のマーク、「ペコちゃん」は、全国のファンが熱い思いを込めて応募した中から選ばれたと記憶している。ペコちゃん人形が消えないよう、初心に戻って復活してもらいたい。(無職、71歳、静岡県)

 以上の投書からもうかがえるように厳しい企業批判ばかりではない。励ましの声も寄せられているのである。だからといって、それに甘えてはならない。

▽本田宗一郎のユニークな発想

 企業の不始末、そして望ましい企業経営のあり方が話題になる度に私が思い出すのは、本田技研の経営トップで、人を食ったそのユニークな言動で知られていた本田宗一郎(1906~1991年)の存在である。
 常識を超えた発想をひとつ紹介したい。彼は次の質問を得意としていた。
 問い:車のブレーキは何のためについているか?

 私は大学での「生きた経済」の講義でこの質問を学生たちによく試みた。決まって「いざというときに車を止めるため」という答えが返ってくる。これが常識だろう。しかしこの答えは間違いではないが、正解ではない。

 さて本田の考える正解は?
 「順調に車を走らせるため」である。マイナス思考ではなく、プラス思考の見本といってもよい。こう言われてハッと気づかないようでは経営者失格というべきだろう。
 ブレーキが壊れていると知った上で車に乗る人はいない。逆にいえば、車を自由に乗り回すためにはブレーキがちゃんと利くことが前提である。こう考えれば、ブレーキは「順調に車を走らせるため」にあることが納得できよう。

 企業経営も同じである。順調な企業経営を続けるためにはブレーキ機能が企業体質の根幹に組み込まれていなければならない。不祥事や事故が起こってから「企業体質が問われている」などと暢気(のんき)なことを言って、壊れたブレーキ機能をあわてて点検しても遅すぎる。

▽望ましい企業のブレーキ機能は何か。

 企業が備えるべきブレーキ機能の第一は「利益よりも安全重視」を厳守すること。
 紹介した新聞投書で高校生が言っているではないか。「利益追求よりも安全な製品を作ること、それが企業の良心だ」と。「利益、利益」とコストダウンや売り上げ増に血眼になると、肝心の安全確保がお留守になる。その事例は数知れない。企業外部の有識者なる種族を集めて「○×委員会」をつくるよりも、時には高校生からも教わった方がよい

 第二は自由市場原理主義を疑問視すること。
 企業の効率・利益第一主義を奨励し、弱肉強食、格差拡大(一部の勝ち組と大多数の負け組)を招く自由市場原理主義が昨今、まかり通っている。成長戦略を掲げる安倍政権も根本ではこの自由市場原理主義に立っている。

 この主義にこだわる限り、人間は効率、利益、経済成長のための機械的な手段になるほかない。労働者は「利益を産む機械」、いいかえれば企業の奴隷であり、消費者は「商品を浪費する機械」、いいかえれば商品の奴隷にされる。だから柳沢伯夫厚生労働相の「女性は子どもを産む機械」という発言は、自由市場原理主義者としての本音をしゃべったのであり、口がすべったのではない。
 この立場では暴走するほかなく、ブレーキの壊れた企業経営しか期待できない。堅実な企業経営を望むのであれば、企業経営者は、自由市場原理主義そのものを疑問視し、それにブレーキをかけながら対応する以外に妙手はないだろう。

▽渋沢栄一の先見性に学び、実践すること

 第三は渋沢栄一の「論語と算盤」、「論語講義」に学ぶこと。
日本資本主義の父ともいうべき存在だった渋沢栄一(明治・大正時代の実業家、1840~1931年)の経済・経営観の基本が「論語と算盤」説、つまり「片手に論語、片手に算盤」の思想で、利益追求のみに走るのではなく、企業活動の成果の社会還元こそ重要だと説いた。
 一方、著作『論語講義』(講談社学術文庫)では論語の「君子は義に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利に喩る」(大意=君子、つまり立派な人物は何が正しいかを中心に考え行動するが、小人、つまりつまらない輩は私欲を中心に行動する)を引用して、「君子の経営」の重要性を力説している。

 渋沢の主張は、今日の「企業の社会的責任論」の源流であり、自由市場原理主義の貪欲な欠陥を半世紀以上も前に洞察していたともいえるのではないか。利益に目がくらんでいる企業経営者たちは、渋沢の先見性に学び、実践する必要がある。これを怠れば、ブレーキの壊れた企業経営は、今日もそして明日も後を絶たない―と断言できる。


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