「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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なぜ〈仏教〉経済学なのか?
仏教経済学とみどりの思想(つづき)

安原和雄
 私は「平和・環境の党」結成をめざす「みどりのテーブル」の政策研究会(06年7月22日東京都内で開催)で「仏教経済学とみどりの思想」というテーマで講話した(その内容は「緑の政治がめざす変革構想」と題して、06年7月24日仏教経済塾に掲載)。引きつづき講話をめぐって参加者との間で質疑応答が行われた。〈質疑応答=Q&A〉の要旨を以下に紹介したい。(06年7月26日掲載)

▽経済の目的は民衆を幸せにすること

Q 現代経済学には数理経済学もあり、全体としてどういう学問なのかが素人にはどうもはっきりしないところがある。経済学者やいわゆるエコノミストたちが未来を含め、どんな問題に対しても発言しているが、その真意がはっきりしない。経済とはそもそも「経世済民」ではないのか。
A その通りで、英語のEconomyの訳語として「経済」があてられた。これは中国の経世済民(世を整え、民を救う)あるいは経国済民(国を整え、民を救う)という用語から「経」と「済」を抜き出してつくったものである。つまり経済の目的は「民」すなわち民衆を救うこと、いいかえれば、民衆を幸せにすることにある。数理経済学者などは数字をいじくり回している間に、この経済本来の目的を忘れてしまったのでないか。

 仏教経済学は、「民」を幸せにするには何が大事か、何をしなければならないか、を考える。しかも大切なことは、理念にとどまるのではなく、実践に取り組むことである。そのためには矛盾に満ちた現状の変革が必要である。

▽シューマッハーの仏教経済学に学ぶ

Q なぜ仏教経済学に関心を抱くようになったのか。
A 私は新聞社在職中、大蔵省(現財務省)、通産省(現経済産業省)、外務省、日本銀行、財界などの担当経済記者として取材に走り回っていた頃、現代経済学の影響下にあった。しかし特にあの1980年代後半のバブル期(地価、株価の急騰期、ただし物価水準は全体としてはそれほど上昇しなかった)と90年代のその後遺症は余りにも深かった。

 世を挙げて拝金主義が横行(銀行に巨大な不良債権が累積されたのも、拝金主義の成れの果て)し、その甚大な「負の効果」として企業倒産、失業、自殺が増大した。バブルに乗って失敗し、自らいのちを絶った知人も何人かいる。
 このため現代経済学はもはや経世済民という経済本来の目的を追求する経済学ではないことを経済の現場で実感するほかなかった。

 しかも時代は経済成長時代から地球環境時代へと急転回していた。地球温暖化に伴う異常気象はその具体例であり、現代経済学は、そういう新時代の矛盾打開に対応できないのが現状である。一方、地球規模でみると、飢餓に苦しむ人が10億人、安全な水を飲めない人が10億人と極端な貧富の格差が広がっている。これでは現代経済学は、もはや破綻というほかない。

 1990年春、仏教系の足利工業大学に転じた。同時に駒沢大学仏教経済研究所主催の仏教経済研究会にも参加するようになった。これが転機となって私の経済学観が急速に変わりはじめた。現代経済学を批判し、それを克服し得る新しい経済思想として私の目の前に登場したのがシューマッハー(ドイツの経済思想家、1911~1977年)の仏教経済学である。

 彼は著作『スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学』(講談社学術文庫1986年刊、英語版1973年刊)の中で次のように述べている。
 「仏教の八正道(注)の一つに〈正しい生活〉がある。したがって、仏教経済学があってしかるべきである」と。
(注)八正道=正しい見解、正しい決意、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思念、正しい瞑想―である。

 また次のようにも指摘している。
 「仏教を選んだのは他意あってのことではなく、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のいずれの教えでも、ないしはその他の偉大な東洋の伝統的英知でもさし支えない」と。

 シューマッハーが言いたいことは、仏教経済学でなくても、キリスト教経済学あるいは東洋経済学でもよい、といえるが、それでもやはり仏教経済学が適切ではないか、であろう。
 こういう彼の思考の背景には早くから東洋思想やガンジー思想に惹かれたり、1955年ビルマ(現ミャンマー)政府の経済顧問として招かれ、3か月の滞在中、仏教信者と交友を深めたりしたこと―などが考えられる。
 仏教経済学の今後の課題は、シューマッハーの仏教経済学に学びながら、それをさらに発展させることにあると考えている。

▽本名は仏教経済学、別称が「知足の経済学」

Q 仏教経済学は宗教と経済学を結びつけようということのようだが、なぜ仏教でなければいけないのか。ほかの宗教ではダメなのか。
A そういう疑問はいろんな人から聞いているが、やはり仏教経済学という名称にはこだわりがある。仏教は執着を排し、「こだわるな!」と説いているが、ここではこだわってみたい。
 ただ私は仏教経済学の別称として「知足の経済学」、現代経済学の別称として「貪欲の経済学」を掲げている。後者について現代経済学者の一人、ジョン・M・ケインズ(1883~1946年。イギリスの経済学者で、主著は『雇用、利子および貨幣の一般理論』)が「(経済成長のためには)貪欲を神としなければならない」と述べているからである。この飽くなき欲望そのものの貪欲に対し、仏教は「もうこれで十分」という知足を対置しており、「知足の経済学」と呼ぶこともふさわしい。

 しかし知足は仏教経済学の八つのキーワード(注)の一つにすぎない。だから本名は仏教経済学、別称が「知足の経済学」と思っている。
(注)仏教経済学の八つのキーワード=いのち、知足(=足るを知る)、簡素、非暴力(=平和)、多様性、共生、利他、持続性

▽釈尊の教えに還り、大乗仏教の精神を摂取し活かしていく

Q それにしても、どうも仏教経済学という名称が気になる。仏教と聞いただけで、仏教経済学の入り口のところで拒否反応を示す人もいるのではないか。
A 仏教とは一定の距離を置きたいと考えている人が少なくないことは承知している。こういう拒否反応は当然でもある。なぜなら現下の仏教が本来の「仏の教え」を忘却して、多くのお寺、坊さんが葬式仏教にうつつをぬかして、お布施稼ぎに忙しいからである。これは坊さんたちの怠慢というべきだ。仏教の日常化の努力が不足している。

 しかしお寺さんたちが仏教経済学を担っていくわけではない。またお寺のための仏教経済学でもない。仏教界の現状への批判をそのまま、仏教経済学に向けられるのは筋違いであり、勘違いでもある。

 仏教経済学は現代経済学批判から出発してそれに取って代わる新しい21世紀の経済思想を構築することをめざしている。その場合、釈尊の教え(いのち尊重、少欲知足、平等、非暴力など)に還り、そこから出発して大乗仏教の精神(利他主義、共生、衆生済度など)を取り入れて、それを実践し活かしていく。誤解を恐れずにあえていえば、私は仏教の人文・社会科学化が求められていると考える。その重要な柱が仏教経済学の構築である。

▽神道やキリスト教と経済学との関係は?

Q 仏教経済思想の中身はよいように思えるが、神道と経済学との関係はどうか。
A 神道と仏教との違いについてまず説明したい。ひろ さちや著『仏教と神道』(新潮選書)によると、仏教は世界宗教、神道は民族宗教であり、その民族宗教の特色は以下の諸点である。
*自然発生的に成立した宗教
*特定の教祖はいない
*教義よりも祭祀・儀礼が重視されている
*政治的・軍事的支配者が、同時に宗教的支配者である
*個人の救済よりも、共同体の利益が優先される

 私は神道は、仏教のような広く深い教義がなく、一つの思想体系をなしてはいない点に着目したい。しかも神道は明治以降、国家神道として国家権力の管理下にあった。だから宗教と新しい経済学を結びつけるとき、神道を持ち出すのは適切とはいえない。

Q キリスト教経済学は考えられないか。
A シューマッハーも指摘しているように「キリスト教でもよい」といえる。ただ仏教とキリスト教との基本的な違いが一つある。
 それは仏教は「人間は自然の一員」にすぎず、この地球上の生きとし生けるものすべてのいのちは平等、対等であると考える。人間だけが格別上位にあって偉いわけではない。ところがキリスト教では人間は万物の霊長で、動植物など他の生き物より上位に位置づけられ、自然を支配、征服するのは当然と考える傾向がある。

 こういう違いがある以上、自然環境の保護、保全を重視する地球環境時代の21世紀にはキリスト教思想よりも仏教思想に立った仏教経済学の方がふさわしいと考えたい。

▽「仏教抜きの経済学は愛情のないセックスと同じだ」

Q 仏教という表現を使わないで、たとえばエコロジー経済学、共生経済学などはどうか。
A 環境経済学と称する経済学はすでにある。エコロジー経済学、共生経済学にしても一つの思想体系としてみた場合、視野が狭すぎるような気がしている。仏教経済学の一つの分野としてエコロジー経済学、共生経済学を位置づけることはできるが、その逆はあり得ないのではないか。

 繰り返しになるが、仏教経済学は現代経済学批判から出発している。その現代経済学はそれなりの体系をもっている。例えば人間観として利己主義的人間を想定して、理論をつくりあげている。これに対し仏教経済学は利他主義の人間を重視する観点から体系化を考える。
 エコロジー経済学にそういう体系化が期待できるだろうか。また共生経済学の共生は、上述したように仏教経済学の八つのキーワードの一つにすぎない。

Q 仏教経済学に代わる新しい経済学の可能性はないのだろうか。
A シューマッハーは仏教経済学について次のように喝破している。「仏教抜きの経済学は、愛情のないセックスと同じだ」と。
 最近の若者には「セックスになぜ愛情が必要なのか?」と思う人がいるかも知れない(このとき、「そんなことはないですよ」と若者の間から声が挙がった)が、それはともかく干からびた現代経済学と違って、仏教経済学は魂、思いやり、慈悲のこもった経済思想だとシューマッハーは強調したいのだろう。このように仏教経済学は現代経済学を超える次元で構想しており、すでに十分新しいのである。

▽仏教思想まで乗っ取られることを憂う

A ここで指摘したいことは、経済学史上、偉大な3人の経済学者と称される人物のことである。
 それはアダム・スミス(18世紀のイギリスの経済学者で、主著は『道徳感情論』、『国富論』)、カール・マルクス(19世紀のドイツの経済思想家、革命家で、主著は『資本論』)、そしてジョン・M・ケインズ(20世紀のイギリスの経済学者)の3人で、ともにそれぞれの時代が提起した課題に正面から取り組み、打開するための処方箋と未来図を描いた。そこに独創性、先駆性があった。だからこそ歴史に名を遺している。
 仏教経済学もそれなりに21世紀の課題―いのち尊重を第一とする地球環境時代の課題―に挑戦しようという気構えである。

 もう一つ指摘しておきたいことがある。それは21世紀が求める新しい経済思想でまたしても欧米人にしてやられるのではないかという懸念である。上述の偉大な3人の経済学者はいずれもヨーロッパ人である。まあそれはよいとして、例えばアメリカ人の自然環境保護の思想家には仏教に理解の深い人が登場してきている。

 明治維新以来すでに約140年経つが、日本は概していまだに欧米思想の後追いの域を脱出できないままである。このように我々日本人が欧米思想の後塵を拝したままの現状に甘んじて、仏教への前向きの理解をもう少しもたないと、このうえさらに日本の仏教思想まで欧米人に乗っ取られる可能性なしとしない。

 仏教に根ざした日本文化ともいうべき「もったいない」という言葉にしても、ケニアの自然環境保護活動家のマータイ女史(04年ノーベル平和賞受賞)が世界中に広める役割を担ってくれている(06年7月24日仏教経済塾に掲載の「緑の政治がめざす変革思想」参照)。これは日本人としてむしろ恥ずかしいことと言わねばならない。
 こういう体たらくが続くようでは、地球上での日本人の存在価値と貢献は果たしてどこまで可能なのか―このことを憂慮しないわけにはいかない。


(以上は仏教経済学をめぐる質疑応答に限った。しかも仏教経済塾への掲載に当たって説明に若干加筆補正した)

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「緑の政治」がめざす変革構想
仏教経済学とみどりの思想

 安原和雄
 「みどりのテーブル」(環境・平和の「緑の政党」結成をめざす組織で、共同代表は小林一朗、稲村和美の両氏)主催の政策研究会(2006年7月22日東京都内で開催)で私(安原)は「仏教経済学とみどりの思想」というテーマで講話の機会をもった。出席者は市民派活動家、弁護士、大学院生ら「みどりのテーブル」会員が中心であった。
 私は仏教経済学の立場から「みどりのテーブル」、すなわち「緑の政治」がめざすべき構造変革と未来設計について次の3分野に絞って提案した。
 (1)脱「経済成長」下での雇用とワークシェアリング、(2)車社会の構造改革と健康づくり、(3)「いのちの安全保障」をめざして―非武装の「地球救援隊」(仮称))をつくろう―で、3つとも小泉改革とは180度異質の変革構想である。(06年7月24日掲載、同月25日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽仏教経済学のキーワード―いのち、知足、簡素、非暴力など八つの柱

 まず現代経済学(注1)と対比しながら、仏教経済学の特質にふれたい。仏教経済学の八つのキーワード―いのちの尊重、知足、簡素、非暴力(=平和)、多様性、共生、利他、持続性(=持続可能な発展)―を中心に概略説明したい。(仏教経済塾に7月19日更新の「仏教経済学と八つのキーワード」参照)

(注1)現代経済学は大学経済学部で教えられている主流派経済学で、ケインズ経済学(注2)、いわゆる小泉改革の経済学的裏付けとなっている自由市場原理主義などが含まれる。
(注2)イギリスの経済学者ジョン・M・ケインズ(1883~1946年)は、主著『雇用、利子および貨幣の一般理論』で財政支出拡大などによる不況克服策を唱えた。

*いのちの尊重
 仏教経済学の第一のキーワードは、いのちの尊重である。このいのちは人間に限らず、自然の動植物のいのちも視野に入れる。人間と自然との関係では、人間は自然の一員にすぎず、すべてのいのちは平等、対等と考える。これに対し、現代経済学にはいのちの尊重という思想はない。いのちを無視している。しかも人間は万物の霊長で、一段と上位にあり、自然を征服、支配、破壊しても当然とさえ考える。

*知足、簡素と非暴力(=平和)
 仏教経済学は欲望について知足(足るを知ること)、簡素を旨とし、「足るを知る経済」すなわち脱「石油浪費経済」(=脱「経済成長」)の構築をめざす。だから別称「知足の経済学」ともいえる。
 知足と簡素は非暴力(=平和)の土台となる。
非暴力すなわち平和とは、単にテロ、紛争、戦争がない状態を指しているだけではない。多様な自然、資源、エネルギーに対する収奪、浪費さらに人間性の否定とは無縁の行為、状態でもあることを仏教は教えている。ここでは平和すなわち非暴力の基礎は「簡素な経済」(シンプルエコノミー)であることを強調したい。

 これに対し現代経済学は貪欲すなわち「もっともっと欲しい」という欲望の肥大化を是認する。貪欲は浪費、暴力(=戦争)を求める。それは同時に石油浪費経済(=「経済成長至上主義」)につながる。
 ケインズは貪欲のすすめを説いており、「地震や戦争も富の増進に役立ち得る」とさえ述べている。地震は新たな復興需要をもたらし、戦争は兵器生産などを通して軍需景気を促し、それが生産増大、経済成長を可能にするだろうと言いたいのである。だから現代経済学を別称「貪欲の経済学」と呼んでも決して誇張ではない。

*多様性と共生
 仏教経済学は多様性と共生とを重視する。人間も自然も本来多様性そのものである。だからこそそれぞれに存在価値がある。そこから共生が生まれてくる。人間同士だけでなく、人間と自然との共生も重視する。
 これに反し、現代経済学には多様性、共生という感覚は欠落している。人間はそれぞれが孤立・分断された個人にすぎない。また人間と自然とは切り離された状態にある。

▽利他主義という人間観と持続性

*利他主義という人間観
 人間観も大きく異なっている。現代経済学は利己主義、すなわち個人や企業の自己利益を優先させる人間観を前提にして理論をつくりあげている。たしかに自分さえよければそれでよいという、身勝手な人の群れがあふれている。これは犯罪に走り勝ちな拝金主義にもつながっている。昨今、世の乱れは目を覆うものがあるが、その一半の責任は現代経済学の利己主義にあることを強調したい。
 これに対し仏教経済学は「世のため、人のため」を重視する利他主義という人間観を前提に構想する。仏教では「自利利他の調和」(浄土真宗の開祖、親鸞)、すなわち利他主義が結局、自利、すなわち自分の活力、安心をもたらすと説く。

 NHKテレビの朝のドラマ「純情きらり」の次のセリフが記憶に残っている。これは「自利利他の調和」の一例であろう。
 「自分が幸せになりたいと思っても幸せになれるわけではない。他人を幸せにしてあげることによって自分も幸せになれる」(06年6月15日放映)

*持続性(=持続可能な発展)―環境保全と質の充実と平和と
 持続可能な発展(Sustainable Development)は、国連主催の第1回地球サミット(1992年ブラジルのリオで開催)が打ち出して以来、広く世界で知られてきた概念、思想で、そのポイントは次の3点に集約できる。

①生活の質的改善を、生態系など自然環境の収容能力・自浄能力の限度内で生活しつつ、達成すること=量の拡大(経済成長至上主義=石油浪費経済)から質の充実(脱「経済成長主義」=脱「石油浪費経済」)への転換
②動植物、人間すべてのいのちからなる生命共同体を尊重すること=21世紀の平和観
③「戦争は、持続可能な発展を破壊する性格を有する。平和、発展および環境保全は相互依存的であり、切り離せないこと」(リオ宣言)=戦争、テロなど一切の暴力を拒否

 具体的には長寿・健康・教育さらに政治的自由、人権保障、生産・消費の抑制と廃棄物の削減(=脱「石油浪費経済」)、失業の解消、所得格差の是正、軍事支出の削減、軍事同盟の解消―などが「持続可能な発展」という概念に含まれる。

 以上のような仏教経済学のキーワードは、「みどりのテーブル」(注)がめざす「緑の政治」の五つのキーワード―環境、非暴力・平和、社会の公正、草の根民主主義、持続可能な社会―と重なり合っている。
 従って仏教経済思想の視点も加味しながら、「緑の政治」がめざすべき構造変革と未来設計はどう構想したらよいだろうか。

(注)「みどりのテーブル」は、中村敦夫・前参議院議員らの「みどりの会議」を引き継ぐ新しい草の根民主主義の組織で、平和・環境の「緑の政党」結成をめざしており、07年夏の参議院選挙に10名の立候補者を予定している。06年7月22日現在の会員数は393人で、このうち県議、市議ら地方議員は50余名を数える。

▽「いただきます」「もったいない」などを日常の暮らしに復活・普及させよう

*「いただきます」について
・動植物のいのちをいただくという意味である。
 多くの人は「食事をいただく」と理解しているが、それは正しくない。人間は動植物のいのちをいただいて自分のいのちをつないでいる。それを毎日実感することは「いのち尊重」の心を育て、そこに感謝の気持ちが生じる。
・食べ残しは、いのちを粗末にすること
 大量の食べ残しはいのちをゴミと同じ感覚で捨てることを意味するから、ひいては人間のいのちをも粗末に扱うことになる。戦後の高度経済成長と使い捨ての時代になって以降、「いただきます」の意味を理解した上で食事を摂っている人が少なくなった。
・いのちを生かすこと
 もう一つ大事なことは、折角いただいたいのちをどう活かすかである。もちろん「世のため、人のため」に活かすことであり、これが利他主義の原点となる。

 以上のような「いただきます」の含意を正しく理解することは、いのちの尊重、節約の心、さらにモラルの再生のためにも不可欠である。

*「もったいない」(勿体ない)について
・大切に使う心。節約し、無駄をなくすこと。
・滋賀県知事に当選した嘉田 由紀子さんのスローガンが「もったいない」。「もったいない」が当選したも同然で、その意義はきわめて大きい。
・ノーベル化学賞受賞の島津製作所の田中耕一さんの座右銘も「もったいない」。
・毎日新聞社の招きで、05年2月に来日したケニアの環境保護活動家でノーベル平和賞(04年)を受賞したワンガリ・マータイ女史は東京、名古屋、京都を訪ね、「日本語の〈もったいない〉という言葉を世界語にしたい」と繰り返し説いた。国連本部など世界の各地でも説いている。
 地球環境保護のために資源・エネルギーを節約するには、日本文化に根づいた〈もったいない〉ほど簡潔にして適切な言葉はない、という認識からである。06年2月にも来日した。

*「お陰様で」について
・われわれ一人ひとりは、誰のお世話にもならず、独力で生きていると考えている人が多いが、それは錯覚である。独力ではなく、地球、自然、社会、他人様によって生かされていること、つまり相互依存関係の中で生かされているという客観的な真理をつかみ、それに感謝する心を表現する言葉である。

 以上の3つの仏教に根ざした日本文化ともいうべきこころと言葉を日常生活の中に復活させ、普及させることが緊急の課題となってきた。これは一人ひとりの意識改革、自らのライフスタイルの変革を意味しており、これを抜きにしては、以下に述べるシステム、制度上の構造変革も魂のこもった生きた構造変革にはならないだろう。

▽「緑の政治」がめざすべき構造変革と未来設計

(1)脱「経済成長」下での雇用とワークシェアリング
 もはや「経済成長=雇用増」は成り立たない。
 21世紀は脱「経済成長」の時代であり、かりに一時的な景気回復によって経済成長がありえても、現状では雇用の増加にはつながらない。なぜなら利益至上主義の企業経営にとってはコスト削減、人減らしあるいは雇用増の抑制による利益確保が中心課題となっているからである。

 そこで失業解消の決め手としてワークシェアリング(労働時間短縮と仕事の分かち合いによる就労機会の確保)の導入が浮かび上がってくる。
 「オランダモデル」がよく知られている。パートタイム雇用を増やし、時短を進める方式で、フルタイム労働者とパートタイム労働者の賃金、社会保障面の差別を撤廃し、国全体の実質賃金水準は維持する。これによって失業率は大幅に削減された。
 新しい「日本モデル」として、労働時間短縮による自由時間のゆとり享受、選択的な定年の大幅延長(高齢化・少子化対策)、労働差別(男女別、正規・非正規別)の廃止、全体の実質賃金水準の維持―などが考えられる。

 自由市場経済下で失業、格差拡大、労働時間の増大など多様な「負の効果」をもたらした政府、企業はその改善策実施に責任をもたねばならない。
 まず政府は、増えている労働時間の思い切った短縮―週35時間労働(1日7時間、週休2日制)などの法制化に取り組むべきである。労働時間短縮の法制化が先行しなければ、日本版ワークシェアリングも絵に描いた餅に終わるだろう。
 さらに強調したいのは、企業は、その社会的責任(CSR・Corporate Social Responsibility、企業市民としての責任=株主重視からの転換)としてワークシェアリングに取り組むことである。環境保全と並んで、そういう努力を重ねる企業こそ、優良企業という折り紙をつける社会的評価基準を導入する必要がある。

(2)車社会の構造改革と健康づくり
 車社会の構造改革と健康づくりを結びつけて総合的にとらえる視点が必要になってきた。自動車への依存症が環境汚染・破壊をもたらし、しかも運動不足による糖尿病など生活習慣病を招いていること―を考えると、双方の同時解決策を工夫する必要がある。
 そのための望ましい制度改革、政策はなにか。具体策は以下の通り。

*現行のマイカー中心型(いのち・環境破壊型)の交通体系から公共交通(鉄道、バス、路面電車など)中心型(いのち尊重と環境保全型)への大転換
*高率環境税(汚染税)の導入と消費税の廃止
*新型の道路づくり(自転車道の併設など)、料金体系の改革(マイカーに比べ鉄道運賃を割安にし、鉄道利用者を増やす)、地域でのコミュニティ・バスの積極的活用、自転車と徒歩による「さわやか交通」の重視
*「医療改革」の改革=従来の治療モデル(負担増が中心)から予防モデル(健康づくりに重点)への転換と健康奨励策の導入
・年間一度も健康保険を使わなかった者は健康保険料の一部返還請求権をもつ
・小学校時代からの食育(地産地消、旬産旬消の学校給食の全国化、防腐剤など食品添加物の全廃)のすすめ

*21世紀版「養生訓」を実践すること
 貝原益軒著『養生訓』(注)は、身体とこころの養生を以下のように説いた。要するに今日版「養生訓」の実践は、病気になってから病院に駆け込むのではなく、予防第一を心掛けること、そのためには「走る車文明」から「歩く文化」への転換、つまりできるだけ車を捨てて、大いに歩くことにほかならない。
(注)貝原益軒(1630~1714年)は、江戸時代には珍しい85歳という長寿を全うした。医者ではなく、儒者として執筆したのが、83歳の時で、その高齢で虫歯が一本もなかったといわれる。

・「食事は腹八分がよくて、腹いっぱい食べてはいけない」と「腹八分」をすすめた。
・「養生の根本は発病する前に予防すること」と予防第一を主張した。
・「畏(おそ)れを実践すれば、生命を長くたもって病むことはない。(中略)畏れるということは、身を守る心の法である。(中略)人間の欲望を畏れ慎んで我慢することである」と「養生は畏れの一字」であることを力説した。
・「毎日少しずつ身体を動かして運動するのがよい」と運動のすすめを説いた。

(3)「いのちの安全保障」をめざして―非武装「地球救援隊」をつくろう
 世界を底知れぬ脅威と収奪と破壊に追い込む「軍事力中心の安全保障」はすでに時代錯誤と化している。21世紀の時代が求めているのは「いのちの安全保障」、すなわち武力を捨てて、地球の生命共同体としてのいのちをいかに生かすかを中心課題とする新しい安全保障観であり、そこから登場してくるのが非武装の地球救援隊構想である。
 これは平和憲法9条の非武装理念を活かし、自衛隊を全面改組し、新たに創設しようというものである。

そのための必要条件として次の3つを挙げたい。
*資源エネルギー(石油など)貪欲・浪費型の世界規模の経済(暴力=戦争志向型)から知足・簡素型の地域重視の経済(非暴力=平和追求型)への転換
 すでに指摘したように「知足(足るを知ること)と簡素は非暴力(=平和)の土台となる」という仏教経済学の基本テーゼを改めて強調したい。逆に「貪欲と浪費は暴力(=戦争)をそそのかす」のである。石油浪費経済を追求する米国と日本が石油確保を狙いの一つとして産油国・イラクを攻撃する上で共同戦線を張ったのは、その具体例といえる。

*日米安保体制=日米軍事同盟の解体、防衛庁の廃止と平和省の創設
 日米安保=軍事同盟は、「世界の中の安保」を掲げて、軍事的脅威を演出し、武力行使を辞さない危険な軍事的根拠地となっている。「いのちの安全保障」実現のためには日米安保の解体、平和省の創設が不可避となってきた。

*東アジア平和同盟(軍事同盟の解体、核兵器の廃絶、通常兵力の顕著な軍縮)の結成
 第一回東アジアサミット(=首脳会議、05年12月マレーシアのクアラルンプールで開催)が平和共存を旗印として「東アジア共同体」結成へ向けて歴史的な第一歩を踏み出したことを評価したい。これが将来の東アジア平和同盟の結成へと発展していくことを期待したい。

 さて地球救援隊構想の概要は以下の通りである。
*地球救援隊の目的は軍事的脅威に対応するものではなく、地球規模の非軍事的な脅威(大規模災害、感染症などの疾病、不衛生、貧困、劣悪な生活インフラなど)に対する人道的救助・支援さらに復興・再生をめざすこと。
*地球救援隊の積極的な活用によって、国と国、人と人の間の対立と不和を除去し、信頼感を高め、軍事的脅威の顕著な削減を実現させること。
*活動範囲は内外を問わず、地球規模であること。

*自衛隊の全面改組を前提とする構想だから、自衛隊の装備、予算、人員、訓練、教育などの根本的な質の改革を進めること。
具体的には次のようである。
 装備は兵器を廃止し、人道救助・支援に必要なヘリコプター、輸送航空機、輸送船、食料、医薬品、建設資材・機械類などに切り替える。特に台風、地震、津波など大規模災害では陸路交通網が寸断されるため、空路による救助・支援が不可欠となる。それに備えて非武装の「人道ヘリコプター」を大量保有する。
 防衛予算(現在年間約5兆円)、自衛隊員(現在定員約25万人)を大幅に削減し、地球救援隊のために組み替える。訓練は戦闘訓練ではなく、救助・支援・復興のための訓練に切り替える。
 特に教育は大切で、いのちの尊重、利他精神の涵養、人権感覚の錬磨に重点を置き、「いのちの安全保障」を誇りをもって担える人材を育成する。

*必要な新立法を行うこと。例えば現行の自衛隊法は自衛隊の主な行動として防衛出動、治安出動、災害派遣の3つを定めているが、このうち災害派遣を継承発展させる方向で新立法を行う。従来の自衛隊法、有事関連諸法は廃止すること。


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仏教経済学と八つのキーワード
新たに「多様性」を加える

 安原和雄
 「仏教経済塾」としては、やはり仏教経済学とはなにか、を説明する必要がある。仏教経済学の話をすると、「仏教経済学ってなに?」と聞かれることが多い。私はこれまで仏教経済学のキーワードとして、いのちなど七つを挙げて説明してきた。
 しかし最近「多様性」を新たに加えて八つのキーワードにするのが適切だと考えるようになった。実はこれは6月末に発表された日米首脳会談の共同文書「新世紀の日米同盟」への批判ともなっている。このように時代の動きを観察しながら、仏教経済学を育ててゆきたいと考えている。(06年5月26日掲載の「仏教経済学ってなに?」を06年7月19日更新、7月21日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽「いのちの尊重」をキーワードに

 私は仏教経済学のキーワードを一つだけあげれば、それは「いのちの尊重」だと答えることにしている。そして大学経済学部で教えられている主流派経済学である現代経済学には、この「いのちの尊重」という概念、思想はない、とつけ加える。
 いいかえれば、現代経済学は戦争(=暴力)を好む―「好む」という表現が気に入らない人には、戦争に「反対しない」と言い直しておきたい―ところに特色がある。大学の経済学者で例えばアメリカの不当なイラク攻撃に「反対」を叫んでいる人は、実はほんの少数なのである。

 こういう説明に「なるほど」とうなずく人もいるが、なかには依然、「なぜわざわざ仏教を持ち出さなければならないのか」という疑問が消えないらしい。

 私は仏教経済学の特質に新たに「多様性」を加えて次のように説明したい。
1)仏教経済学は次の八つのキーワードからなっていること
 いのち、平和(=非暴力)、簡素、知足(=足るを知る)、共生、利他、持続性それに多様性―の八つである。これらの理念、実践目標は仏教の根幹をなしている。

2)仏教経済学は新しい時代を切りひらく世直しのための経済思想であること
 仏教の開祖・釈尊の教えを土台にすえて、21世紀という時代が求める多様な課題―地球環境問題から平和、経済社会のあり方、さらに一人ひとりの生き方まで―に応えることをめざしている。その切り口となるのが、仏教の重視するいのち・簡素・知足など八つのキーワードで、これらの視点は主流派の現代経済学には欠落している。だから仏教経済学は現代経済学の批判から出発しており、その現代経済学に取って代わる新しい経済思想である。

3)仏教経済学? それとも知足の経済学?
 もう一つの課題は、名称である。仏教経済学という名称は適切なのか? という疑問はいろんな人からいただいている。私は仏教経済学を「知足の経済学」とも呼んでいる。なぜなら仏教は知足(=足るを知ること)を重要な理念としているから。一方の現代経済学は「貪欲の経済学」と名づけることもできる。「もっともっと欲しい」という貪欲を前提にした経済思想だからである。

▽なぜいま「多様性」が求められているのか

さて従来の7つのキーワードになぜ「多様性」を新たに加えるのか。
 理由の第一は仏教は地球上の生きとし生けるものすべての「いのち」や人間の生き方の多様性を重視してきた。釈尊の「対機説法」、つまり一人ひとりの個性、能力は多様に異なっており、それにふさわしい説法を試みたことからも多様性を重視していたことが推測できる。

 第二に日米首脳会談後に発表された共同文書「新世紀の日米同盟」(06年6月29日発表)は、「自由、人権、民主主義、市場経済、法の支配、平和」を繰り返し、指摘しているが、「多様性」という文言はついに出てこない。これは従来の数ある日米共同声明でも同様である。なぜなのか。
 多様性は、特に米国の覇権主義、単独行動主義とは相容れないからである。多様性を重視すれば、複数主義、多元主義の容認、つまり異質の思想、行動を認めざるをえなくなる。
ところが現実は日米首脳たちの独断的なスタイルの自由、人権、民主主義、平和などの押しつけとなっている。米国主導のイラク攻撃とその後の民主化などは、その具体例であるだろう。
 だからこそ独断、押しつけを排して、真の自由、人権、民主主義、平和を実現するためには多様性をキーワードとして位置づける意義が今日きわめて大きくなった。ここに着目したい。

 第三に「八つのキーワード」の八という数字は末広がりを示しており、豊かな未来性を感じさせる。現代経済学が滅びゆく過去の経済思想であるのに反し、仏教経済学はこれから大きく育っていく未来の経済思想であることを示す「八」といえる。


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MDでほくそ笑む「軍産複合体」
北朝鮮ミサイル「脅威」の陰で

 安原和雄
 北朝鮮が7月5日に合計7発のミサイルを発射し、すべて日本海に着弾した。その1つは米国のアラスカあたりに届く長距離弾道ミサイル「テポドン2」といわれる。「テポドン2」が本来の長距離を飛ばず、日本海に落ちたのは失敗、ともいわれるが、ともかく「日本の安全保障にとって脅威」という大合唱が新聞、テレビなどのメディアで奏でられている。
 「北朝鮮の脅威」が誇張され、喧伝されるほどに、ミサイル防衛(MD=Missile Defense)が加速され、その陰で喜ぶものは誰か。兵器ビジネスの肥大化にソロバンをはじき、ほくそ笑む「軍産複合体」―という構図が浮かび上がってくる。今こそ「軍産複合体」なるものの存在とその策動に着目する必要があることを強調したい。
 以下は、「日米首脳会談とミサイル防衛協力」(06年7月3日掲載)に次ぐ日米ミサイル防衛協力に関する2回目の報告である。(06年7月13日掲載、同月14日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽「米朝間の非対称的な軍事力の示威」

 「北朝鮮の脅威」をはやし立てることは、一方的な脅威の誇張といえる。なぜそういえるのか。「北朝鮮の武力示威だけが問題なのか」と題するソ・ジェジョン米コーネル大学教授の次のような分析と視点に注目したい。(7月9日付インターネット新聞「日刊ベリタ」=要旨から)

 北朝鮮のミサイル打ち上げによって、朝鮮半島の安保危機が再び高まっている。多くの人たちは現在の状況を「北朝鮮のミサイル発射事件」としているが、朝鮮半島の安保状況を大局的に見ると、現状は「米朝間の非対称的な軍事力の示威」であるといえる。

 アメリカ太平洋司令部は 6月19日から23日までグアム近郊の海域で空母3隻を動員した大規模合同軍事訓練「勇ましい盾 2006」を行った。 この訓練には3つの空母戦団と275機以上の航空機を含む、およそ2万2000人の兵士が参加した。 
 
 環太平洋合同演習(リムパック2006)は、6月26日から7月28日までハワイ近郊でアメリカ海軍主催により、アジア太平洋沿岸8カ国の艦船などが参加して実施されている。この演習には米海軍 1万1500人と原子力空母エブラハム・リンカーン号と中心とする総1万9000人の兵力と、戦闘艦35隻、潜水艦6隻、戦闘機160機などが動員される。 

▽「北朝鮮への攻撃のシナリオ」ともみえる米国主導の軍事訓練  

 この訓練では、ミサイル発射及びミサイル迎撃訓練が行われることはもちろん、7月17日からは仮想国「オレンジ」国が「グリーン」国を転覆させようとする試みを破壊する、仮想戦闘訓練が行われる予定だ。 この戦争シナリオは「オレンジ」と 「グリーン」が元々一つの国家だったが分断され、「オレンジ」は自由民主主義国である「グリーン」を転覆させ、国家再統一を果たすためにはテロも辞さないという設定になっている。
 もちろん仮想のシナリオだが、南北朝鮮の状況と似ているし、見方によっては北に対する攻撃のシナリオであると見ることもできる。
 
 日本は海上自衛隊の最新鋭、イージス護衛艦・きりしまを含む戦闘艦4隻、戦闘機8機など、1250名の軍事力を今回の訓練に派遣した。韓国も重要な役目を果たしている。戦闘艦、潜水艦を投入した。 
 
 現在の朝鮮半島をめぐる安保は、朝鮮半島を想定したアメリカの大規模軍事力の示威とそれに対抗する北朝鮮のミサイル発射に象徴される。 両者がそれぞれ自分の訓練は防御のためだと主張するが、北朝鮮のミサイル発射が韓国とアメリカなどに与える脅威に比べれば、北がアメリカの軍事訓練に対して感じる危機感はもっと深刻なものだと推測される。 最新武器を動員した大規模軍事訓練とミサイル数基を動員した軍事訓練のアンバランスさは、誰が見ても明らかであるからだ。これが現状を「米朝間の非対称的な軍事力の示威」と定義するゆえんである。 

 以上のような米国主導の仮想敵国・北朝鮮をにらむ大規模の軍事訓練はほとんど日本国内では報道されない。ところが北朝鮮のミサイル発射はテレビはもちろん、新聞は号外を発行してまで大々的に伝える。ニュースの報道の仕方までが一方に偏した非対称的なスタイルとなっている。

 もちろん北朝鮮のミサイル発射を容認することはできない。問題は「けしからん」という感情論に立った非対称的スタイルが日本の将来にどういう「マイナス効果」をもたらすかである。ここでどうしても見逃せないのは、「軍産複合体」の存在とその策動である。

▽ミサイル防衛の加速と「軍産学複合体」の高笑い

 「核とミサイル防衛にNO!キャンペーン2006」という名の以下のような趣旨のE・メールが7月7日、「みどりのテーブル」(注)会員向けに流された。
 (注)「みどりのテーブル」は、中村敦夫・前参議院議員らの「みどりの会議」を引き継ぐ新しい草の根の組織で、「平和・環境」の政党結成をめざしている。
 
 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による「ミサイル発射危機」、及び発射実験の強行は、米日政府にミサイル防衛(MD)配備を加速させる願ってもない口実を与えている。「軍産学複合体」の高笑いが聞こえてくる。
 年内とされていた米PAC3ミサイル(地対空ミサイル)の嘉手納基地への配備は7月中にも前倒しされつつある。SM3ミサイル(海上配備型ミサイル)を搭載したイージス巡洋艦「シャイロー」の横須賀配備も当初の8月予定から早まりそうである。そして、06年度末からは自衛隊のPAC3配備(入間を本部とする第一高射群が皮切り)も始まる。

 MDなど最先端の軍事技術開発に深く関わる科学者や企業は、戦争を推進する「軍産学複合体」の一角を占めながら、その加害性は不問にされ、免責されてきた。「06年度キャンペーン」は、MDを批判する際に避けて通れない科学者・企業の社会的責任(=戦争責任!)というテーマに迫りたい。

 池内了著『禁断の科学~軍事・遺伝子・コンピューター』(NHK出版)は、「現在では、世界中で50万人ともいわれる科学者が軍事専門研究所の所員として、専ら兵器開発(のみならず、戦略や戦術の考案、軍事行動のための備品の整備、戦場の地勢・気象・病気の研究、軍人や戦場地の住民の心理分析など)に当たっている」と指摘している。
 強まる科学の「軍事化」や影響力を増す戦争の黒幕=「軍産学複合体」に対して、私たちはどのように向き合うべきか。

 以上のようなE・メールの末尾で指摘されている「戦争の黒幕=軍産学複合体にどう向き合うべきか」というテーマは、ややもすれば見逃されて盲点となっているが、今日、的を射た問題提起というべきであろう。

▽ミサイル防衛促進をはやす大手メディア

 大手メディアのうち、毎日、読売、日経、産経の4紙が「社説」あるいは「主張」で「北朝鮮の脅威」論に関連してミサイル防衛に言及している。各紙の見出しとミサイル防衛に関する記述の内容を紹介したい。

*『毎日』(7月6日付)「ミサイル発射 国際社会は北の挑発を許すな」=ミサイル防衛を進める日米は結束を強め、脅威に対抗しようとするはずだ。(中略)北朝鮮の弾道ミサイルの脅威には各国がスクラムを組んで対抗しなければならない。
*『読売』(7月7日付)「北朝鮮ミサイル 安保理決議がゴールではない」=日米同盟の強化とともに、北朝鮮の核、ミサイルの脅威に対抗できる有効な防衛手段を整備していくことが緊要だ。
*『日経』(7月6日付)「北朝鮮のミサイル発射に強く抗議する」=日米協力によるミサイル防衛システムの整備も一層重要になる。
*『産経』(7月6日付)「貧窮国家の<花火>を嗤(わら)う 愚かな国の脅威にどう対抗」=日米同盟関係の強化が日本の命綱である現実を見据えたい。一方でミサイル防衛の前倒しなど、日本の防衛力を万全にするよう政府は最大限の努力を続けてほしい。
『産経』(7月8日付)「北朝鮮 恫喝に国の守りを固めよ」=額賀福志郎防衛庁長官がミサイル防衛システム導入の前倒しを表明したことを支持したい。

 一番熱心なのは産経で、2度にわたって論じ、ミサイル防衛システム導入の前倒しを積極的に支持している。飛来する弾道ミサイルを迎撃するというふれこみのミサイル防衛を無批判に「ヨイショ」と持ち上げる各紙の論説人は確信犯なのか、それとも単なるお人好しなのか。いずれにしても軍産複合体の提灯持ちと化した印象がある。

▽「軍産複合体」なるものの正体はなにか?

 さてその「軍産複合体」なるものは、一体どのような存在なのか。
 ここで「アイクの警告」を思い出したい。1961年1月、アイクこと軍人出身のアイゼンハワー米大統領がその任期を全うして、ホワイトハウスを去るにあたって全国向けテレビ放送を通じて、次のような趣旨の有名な告別演説を行った。
 「アメリカ民主主義は新しい巨大で陰険な勢力によって脅威を受けている。それは軍産複合体(Military Industrial Complex)とでも称すべき脅威であり、その影響力は全米の都市、州議会、連邦政府の各機関にまで浸透している。これは祖国がいまだかつて直面したこともない重大な脅威である」と。

 古典的ともいうべきこの軍産複合体は軍部と産業(主として兵器産業)との結合体を指しており、それがアメリカの自由と民主主義にとって巨大な脅威となっているという警告を発したのである。

 この警告から半世紀近くを経て、昨今の軍産複合体は新たに科学者や研究者を加えて「軍産学複合体」とも称されるが、私はアメリカの場合、さらに肥大化して、いまでは「軍産官学情報複合体」と呼ぶべきではないかと考える。
 その構成メンバーは「ネオコン」と称する新保守主義者たちが陣取るホワイトハウスのほか、保守的議員、ペンタゴン(国防総省)と軍部、国務省、CIA(中央情報局)、兵器・エレクトロニクス・エネルギー・化学産業などの軍事産業群、さらに新保守主義的な研究者・メディアを一体化した巨大な組織となっている。

 これがアメリカの覇権主義に基づく身勝手な単独行動主義を操り、世界に人類史上例のない災厄をもたらしている元凶である。
 昨今の軍産複合体は、軍事力の増強と「終わりなき戦争」のお陰で戦争ビジネスが拡大し、国家財政を食い物にする巨大な既得権益を保持して、笑いが止まらないだけではない。「テロとの戦争」を口実に、アイクの警告すなわち「軍産複合体の脅威」を増幅させる形で自由と民主主義を蔑ろにしている。(安原和雄著『平和をつくる構想』澤田出版=参照)

▽日米連合型軍産複合体をどう封じ込めるかが課題

 そういうアメリカの軍産複合体という権力集団に追随し、支援しているのが実は日本版軍産複合体といえるのではないか。日本版軍産複合体はアメリカほど巨大ではないが、その構成メンバーは、首相官邸、国防族議員、防衛庁と自衛隊、外務省、エレクトロニクスを含む多様な兵器メーカー、保守的な科学者・研究者、さらに大手新聞・テレビを含むメディア―などである。一口にいえば、日米安保体制=軍事同盟推進派のグループである。しかも日米安保体制=軍事同盟を軸に日米の軍産複合体は連合体となっているところに特色がある。

 ミサイル防衛のほか、憲法9条の改悪(非武装平和の理念を放棄し、自衛軍の保持へ転換)、防衛庁の省への格上げ、教育基本法改悪による愛国心教育―などが実現すれば、日米連合型軍産複合体の肥大化にはずみがつくだろう。こうした日米連合型の手足を縛って、その野望を封じ込めることができるか。これはいままで経験したことのない新しく、かつ巨大な挑戦的課題というべきである。

 封じ込めるためには、以下のような課題を重視する必要がある。
1)軍産複合体が演出する脅威論に幻惑されないこと
2)軍産複合体は軍備拡大に伴う計り知れない浪費を好み、「平和と安全を守るために」を名目にして、そのツケを国民に回す悪癖があり、それを拒否すること
3)「敵基地攻撃論」は破滅への道であることを認識すること

 以下に若干の説明を加えたい。
1)軍産複合体が演出する脅威論に幻惑されないこと
 軍産複合体にとっては常に「敵の脅威」が存在することが不可欠である。なぜなら敵や脅威がなくなれば、兵器ビジネス拡大の機会が保障されないだけではなく、軍産複合体そのものの存続に疑問符を投げかけられるからである。いいかえれば日米安保=軍事同盟は「百害あって一利なし」であり、不要ではないか、という世論が高まってくるだろうからである。

 そこで軍産複合体は巧みに「敵の脅威」を演出する。今回もハワイ沖などで米軍主導の大規模軍事訓練を実施し、北朝鮮を挑発したのは、その1例とみたい。このような演出される「北の脅威」という側面を見逃して、メディアが単純な脅威論に相乗りするのは、軍産複合体の戦略本部からみれば、「わが方に好都合なお人好しの広報マンたち」と映ってはいないだろうか。

▽巨大な浪費と破滅への道を進むのか

2)軍産複合体は計り知れない浪費を好み、そのツケを国民に回す悪癖があり、それを拒否すること
 ミサイル防衛システムの精度について「迎撃能力に疑問符」(『毎日』7月6日付)、「迎撃に不安」(『朝日』7月11日付)と報道しているように、ミサイル防衛そのものが実際には役立たずに終わり、俗にいう「将軍が弄ぶ玩具」となり果てるのではないか。

 ミサイル防衛システムの開発・配備の最低コストは1兆円ともいわれ、そのコストがどこまで膨れあがるか、わからない。このほかに在日米軍再編に要する費用が3兆円とされる。そのツケは国民の莫大な税負担増となってはね返ってくる。小泉政権後の消費税引き上げの動きを、そういう文脈でとらえないと、消費税引き上げの狙いがどこにあるかを見誤る恐れがある。

3)「敵基地攻撃論」は破滅への道であることを認識すること
 額賀防衛庁長官は北朝鮮のミサイル発射に対し、「限定的な敵基地攻撃能力をもつのは当然」という趣旨の発言を行ったと伝えられる。これに安倍晋三官房長官、麻生太郎外相ら次期首相候補とされる面々も同調している。戦争をテレビの中のゲームと勘違いしているのではないのか。思考の次元が「義」を忘却して、「利」に傾斜しすぎてはいないか。これでは戦争を好む将軍にはなりえても、平和をつくるべき首相の器量とは到底いえない。

 敵基地攻撃論は、相手が攻撃してくる前に相手を叩く、いわゆる先制攻撃論につながるもので、抑止力になるどころか、東北アジアでの核兵器を含む軍拡競争へと駆り立てずにはおかないだろう。利優先の軍産複合体にとっては歓迎できるとしても、国民にとっては破滅への道となることを自覚したい。


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日米首脳会談とミサイル防衛協力
「新世紀の日米同盟」の危険な選択 

安原和雄
 小泉純一郎首相とブッシュ米大統領は2006年6月29日(現地時間)、ワシントンのホワイトハウスで首脳会談を行い、「世界の中の日米同盟」を明記した「新世紀の日米同盟」と題する共同文書を発表した。9月に退陣する小泉首相にとっては最後の日米首脳会談であるが、共同文書に盛り込まれた日米同盟の将来図は何を示しているのか。
 私(安原)は、さり気なく記されている「ミサイル防衛協力」に特に注目したい。これは今後の国民負担増を招くだけではない。核・ミサイル軍拡を誘発し、平和を脅かす危険な選択といわざるを得ない。(06年7月3日掲載、同月4日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽共同文書「新世紀の日米同盟」のポイント

 まず共同文書「新世紀の日米同盟」の中から私が重要とみる要点を以下に紹介したい。
1)両首脳は、日米関係が歴史上最も成熟した二国間関係の一つであるとの見解で一致した。双方の指導の下で、より広範でより強化された協力関係が同盟の下で達成されたことを大いなる満足の意をもって振り返り、21世紀の地球的規模での協力のための新しい日米同盟を宣言した。

2)両国はテロとの闘いにおける勝利、地域の安定と繁栄の確保、市場経済の理念・体制の推進、人権の擁護、シーレーンを含む航海・通商の自由の確保、地球的規模でのエネルギー安全保障の向上といった利益を共有している。

3)日米の安全保障協力は、弾道ミサイル防衛協力や日本における有事法制の整備によって、深化してきた。

4)大統領は、アフガニスタン及びイラクにおける日本の人道復興支援、ならびにインド洋での多国籍軍に対する日本の支援を称賛した。

5)両首脳は、「世界の中の日米同盟」が一貫して建設的な役割を果たし続けるとの認識を共有した。両首脳は、日米間の友好関係や地球規模での協力関係が今後ともますます発展していくことを希望した。

▽なぜ大統領はインド洋での日本の支援を称賛したのか

 若干の解説を加えよう。
*「新世紀の日米同盟」あるいは「世界の中の日米同盟」とは、日米同盟の地球規模での軍事的、経済的な協力関係を指している。いいかえれば、米国の地球規模での覇権主義的・単独主義的行動に日本が協力を惜しまないことを意味している。
 共同文書は小泉首相の私的文書ではない。日本政府の公的な誓約である。だから小泉首相が退陣した後も、日本がこの文書を破棄しない限り、日本は「ポチ」よろしく忠実に米国に従っていくことを約束したともいえる。

*市場経済の理念・体制の推進、シーレーン(海上交通路)の確保、地球規模でのエネルギー安全保障の向上―などは何を意味しているか。
 以下のような含蓄であることを読み取りたい。
・新自由主義とも称される市場原理主義による公的規制の緩和・廃止、自由化、民営化を眼目とするいわゆる小泉改革路線は今後も継続すること
・経済成長に必要な原油などエネルギーの安定的な確保をめざすこと。日本が米国主導のアフガニスタン、イラク攻撃に協力したのは、中東地域の原油確保のためには軍事力(=暴力)行使も必要と判断したこと
・経済成長に不可欠な資源・エネルギーの安全輸送(原油の場合、中東から東南アジア海域を経て日本に至る海上交通路の確保など)のために、在日米軍の再編による日米軍事力の一体化と実戦能力の強化を活用すること

*大統領が「インド洋での多国籍軍に対する日本の支援を称賛した」のはなぜなのか。
 日本はインド洋に常時2隻の自衛艦を配置し、主として米軍に対するいわゆる「後方支援」として石油を供給してきた。日本では後方支援を戦争とは別物とみる見方が一般的だが、これは間違っている。
 日本の石油補給(国民の税金が注ぎ込まれている)がなければ、米軍はイラクへ侵略し、虐殺を繰り返すことはできなかった。いいかえれば、日本は後方支援によって米軍の侵略と虐殺を手助けし、幇助(ほうじょ)罪に相当するという見方も有力である。ドイツ、フランス、ロシア、中国などがイラク攻撃に「ノー」と異議を唱え、孤立感を深めた米大統領にしてみれば、小泉政権の戦争協力に感謝しないわけにはいかないだろう。

▽東京新聞のみがミサイル防衛協力に言及

 弾道ミサイル(BM=Ballistic Missile)防衛協力が何を意味するかをみる前に、ここで大手6紙の社説(7月1日付)が今回の日米首脳会談と共同文書をどのようにとらえているかに触れたい。まず見出しは以下の通りである。

朝日新聞「同盟一本やりの危うさ」
毎日新聞「<盟友>依存超えた関係構築を」
読売新聞「『同盟の深化』で広がる外交戦略」
産経新聞「<民主主義>支援は当然だ」
日経新聞「最良の瞬間を演出した日米の首脳」
東京新聞「安保だけが同盟ではない」

 日米安保・軍事同盟を根本から批判する社説はいまや皆無である。ただ毎日、読売、産経、日経4紙が微妙な差があるとはいえ、同盟肯定論あるいは賛美論を展開しているのに対し、朝日、東京は批判派に属している。しかし共同文書に記された「弾道ミサイル防衛協力」に言及したのは東京新聞1紙のみである。次のように述べている。

 「共同文書に<憲法>の文字が見あたらないことも気になる。今後、在日米軍再編やミサイル防衛協力などの作業を進めていく場合でも、日本には踏み外せない枠がある。米国が過大な期待を抱かないよう、その念押しをすべきではなかったか」と。

▽ABM条約を脱退した米国、ミサイル防衛協力に積極的な日本

 さて共同文書に盛り込まれた「日米の弾道ミサイル防衛協力」というテーマは今回初めて登場したわけではない。これまでのいきさつに若干触れておきたい。2005(平成17)年版『防衛白書―より危機に強い自衛隊を目指して』(防衛庁編)は「弾道ミサイル攻撃への対応」というテーマで10ページにわたって詳細に記している。
 その要旨を紹介したい。

*ブッシュ米政権は弾道ミサイル防衛を国防政策の重要課題として位置づけ、02(平成14)年6月、対弾道ミサイル・システム制限(ABM=Anti-Ballistic Missile)条約から脱退し、ミサイル防衛体制の構築を推進している。

*政府は03(平成15)年12月、安全保障会議と閣議で弾道ミサイル防衛(BMD=Ballistic Missile Defense)システムの導入を決定し、04年度(約1068億円の予算を計上)からその整備を開始している。

*わが国が整備を進めているBMDシステムは、自衛隊のイージス艦(注1)とペトリオット・システム(注2)の能力を向上させ、両者(イージス艦による上層での迎撃とペトリオット・システムによる下層での迎撃)を統合的に運用し、迎撃する多層防衛の兵器システム。これに加えてわが国に飛来するBMを探知・追尾するセンサー、さらに迎撃兵器とセンサーを効果的に連携させてBMに対処するための指揮統制・通信システムから構成されている。

(注1)イージスはギリシア神話に出てくる胸甲のこと。高性能のレーダーコンピューターによって、敵対する複数の目標を同時に探知し、迎撃ミサイルなどの発射・誘導を自動的に行う防空システムを装備した軍艦をイージス艦と呼ぶ。
(注2)ペトリオット・システムは空からの脅威に対処するための防空システムの1つ。ペトリオットは地上配備型の地対空ミサイルの名称。

*ミサイ防衛協力の今後の見通しはどうか。05年版防衛白書は次のように述べている。
 「日米防衛協力の強化は、わが国のBMD能力の向上につながるだけではなく、世界におけるBMの拡散や使用を強く抑制するものであると考えており、防衛庁は引き続き積極的に進めていく」と。
「積極的に進める」とは、BM技術の先進化(相手国の迎撃回避措置など)に対応した能力向上を継続的に図っていくこと、さらに防護範囲の拡大や迎撃確率の向上などに取り組むことを指している。

*06年5月1日、日米間で合意された在日米軍再編「最終報告」は、「再編案の実施により、同盟関係における協力は新たな段階に入る」と指摘した上で、重要な柱であるミサイル防衛について次のように述べている。
 「双方が追加的な能力を展開し、それぞれの弾道ミサイル防衛能力を向上させることに応じて、緊密な連携が継続される」と。

▽巧みに演出されるミサイルの「脅威」と「抑止力」

 以上のようなこれまでの経過と今後の展望を概観すると、飛来するBM(弾道ミサイル)を撃ち落とすための日米ミサイル防衛協力は、いまさらニュースとして報道する価値はないと一般メディアはとらえているのかも知れない。
 しかしそれはいささか浅慮とはいえないか。多くの人が気づかないような形で書き込まれたミサイル防衛協力に着目すべき理由は何か。
 まず「飛来するミサイルの脅威」と「迎撃ミサイルの抑止力」が用意周到に演出されていることを指摘したい。

 1998(平成10)年8月に北朝鮮が日本上空を超えるBM(テポドン1・注1)の発射を行ったため、当時「北朝鮮脅威論」がしきりに喧伝され、同年政府はBMDに関する日米共同技術研究に着手することを決めた。その時の内閣官房長官談話(同年12月25日)は次の諸点を指摘した。
・近年BMが拡散している状況にあること
・BMDシステムがわが国国民の生命・財産を守るための純粋に防衛的な手段であること
・本年9月衆議院でなされた北朝鮮によるミサイル発射に関する国会決議で「政府は国民の安全確保のためのあらゆる措置をとる」べきこととされていること
(注1)テポドン1は射程約1500キロ以上で、日本列島を越えて三陸沖に落下した。

 そして今回の日米首脳会談を前に「北朝鮮、BM(テポドン2・注2)発射の準備」が米国発の情報に始まって、日本でも一般メディアでにぎにぎしく報道されたことを思い出したい。もちろん北朝鮮が実験試射にせよ、長距離BMを発射し、周辺諸国を刺激する行為は決して歓迎できることではない。
(注2)テポドン2は、北朝鮮が開発中といわれる新しい長距離弾道ミサイル。射程は3500キロから6000キロで、アラスカなど米本土の一部に届く可能性もある。

 ただ注意すべきことは、北朝鮮脅威論が日米間の弾道ミサイル防衛協力という「負の選択」あるいは「マイナス効果」に対し、目くらましの効果をもつことである。つまり「ミサイル防衛協力も必要」とする空気を演出するための北朝鮮脅威論、という側面も否定できないだろう。

 しかも以下のようなニュースが日米首脳会談の直前に米国発で流れてきた。
 「米国防総省ミサイル防衛局は6月22日、ハワイ沖で行った海上からの弾道ミサイル迎撃実験に成功したと発表した。日本の自衛隊も参加しての初の実験である。北朝鮮の弾道ミサイル・テポドン2号の発射問題とは無関係と説明しているが、弾道ミサイルへの抑止力をアピールする狙いもある」と。

日米首脳会談の直前とは、いささかタイミングがよすぎないか。弾道ミサイルに対する迎撃ミサイルの迎撃確率には疑問があり、迎撃ミサイル・システムの開発、装備それ自体が巨大な浪費にもつながりかねない。「実験成功」をことさら宣伝するのは、その懸念解消をねらう演出とはいえないか。

 そういう状況下で日米首脳会談におけるミサイル防衛協力推進が確認された事実について、ジャーナリズムが横を向いているとすれば、ジャーナリズムとしての責任放棄といわなければならない。

▽ 巨大な「負の選択」として暮らし、平和を脅かす危険

 何よりも重要な点は、ミサイル防衛協力が、実は小泉政権後の日本だけではなく、世界にとっても巨大な「負の選択」として暮らし、平和を脅かす危険があることで、これを見逃すことはできない。

 ミサイル防衛協力に必要な日本側の費用は約1兆円ともいわれる。しかもすでにみたように「技術の先進化に継続的に対応」していくのだから、その費用は膨れ上がることはあっても、減る可能性はないだろう。

 一方、在日米軍再編のための日本側負担は約3兆円とされており、双方あわせて4兆円である。巨額の借金を抱えた国家財政のどこからひねり出すのか。4兆円は消費税2%程度に相当する。小泉政権後の消費税引き上げは、国民の日常の暮らしを直撃するが、そういう増税を日米同盟推進(ミサイル防衛協力、在日米軍再編など)のコストとして容認するのかどうか、の選択を迫られるだろう。日米同盟の賛美論者たちは同時に増税推進派でもあることを認識しておく必要がある。

  日米の弾道ミサイル防衛協力が 世界の平和と安全に寄与するだろうか。答えは「ノー」であろう。
 1995年ノーベル平和賞受賞者のジョセフ・ロートブラット氏(英国)は「世界平和のためにはBMD計画を放棄させることが不可欠」と次のように述べている。

 「BMDが世界をより安全にすると示唆することは間違いである。それどころか、世界の安全を危機にさらすだろう。(中略)私たちは世界の安全をいまだ核抑止に依存しているようにみえる。しかし米国がBMDシステムによって守られたら、ロシアと中国は抑止力を失い、核軍備を増大すること、すなわち新たな核軍備競争によって均衡を回復せざるをえなくなるだろう」と。

 また次のようにも指摘している。
 「もちろんBMDは公式には、ロシアや中国ではなく、<問題国家>から自国を守ることを意図している。しかしこの口実は馬鹿げている。弾道ミサイルによるいかなる攻撃も、そうした国家にとって自殺行為である。(中略)
 ともかく<問題国家>や核保有国からの核の脅威に対処するための代替策は存在する。それは核兵器のない世界をつくることである」と。正論であり、賛成したい。
(東西の専門家20人の批判的見解を載せた『ミサイル防衛―大いなる幻想』=高文研、2002年=参照)

 日米のミサイル防衛協力が引き金となって、再び世界の核軍拡を促進するとすれば、「新世紀の日米同盟」は危険な新冷戦時代の可能性を示唆してはいないか。地球と人類が滅びないための予防策は「核の廃絶」、思い切った「ミサイル軍縮」しかありえない。日米のミサイル防衛協力は邪道である。そのことを今回の日米共同文書の行間から読みとりたい。


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