FC2ブログ












「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
くるま依存症と成人病の増加
〈折々のつぶやき〉17

 安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。<折々のつぶやき>17回目。(06年6月8日掲載)

心療内科医の海原 純子さんの次のような一文が目にとまった。

 車社会になり、歩かなくなると脚力は衰えるし、成人病が増加する。軟らかい食べ物ばかり食べる子どものあごが細くなってきたのも、よく知られている。何かに頼りすぎたり、使わない部分があるとどんどん委縮していくのだ。(中略)私は自分の力を衰えさせないようにしっかり使うことが、病気の予防に必要だと思っている。(中略)
自分が持って生まれてきた体や頭や感性を使おうということを時代遅れと冷笑しないでほしい。(『毎日新聞』2006年6月4日付「日曜くらぶ」から)

 特に「歩かなくなると脚力が衰えるし、成人病が増加する」という指摘には120%同感である。私は、(財)日本万歩クラブ発行の『帰れ 自然へ』(03年9月号)に〈歩くことと「社会の健康」〉と題するささやかな随想を寄せたことがある。その趣旨は次のようである。

 歩く健康には「個人の健康」と「社会の健康」の2種類があり、何よりも社会が健康でなければ、個人の健康もままならない。
 個人の健康でいえば、わが家は最寄りの駅まで徒歩で15分ほどなので、晴天なら原則として歩く。最近、エスカレーターを設置する駅が増えたが、私はそれに頼らず、階段利用派であるよう心掛けている。
 私の観察によると、9割近い人がエスカレーター依存症である。楽ができて便利だという感覚だろうが、私は「お気の毒に。寝たきり予備群か」(普通「予備軍」というが、ここでは「群れ」をなしているという意味もこめて、あえて「予備群」と呼ぶ)とつい思ってしまう。日頃歩くことを怠って、高齢者になって脚力が弱ってくれば、その先には寝たきりが待っている確率はかなり高いからである。

 さて歩くことと社会の健康がなぜ密接な関係にあるのか。それは歩くことが地球環境も含めて身近な環境の保全、美化、健全化すなわち社会の健康に貢献するからである。
 クルマで移動することは、排ガス(地球温暖化の原因である二酸化炭素=CO2など)をまき散らすだけでなく、事故による死傷、騒音、渋滞など社会的なマイナスが大きい。環境省によると、1人の輸送に必要なエネルギー消費量は、鉄道1に対し、バス2、マイカー6の比率である。つまりマイカーは交通機関の中では最多のエネルギー浪費型であり、最多の汚染ガスを排出し、環境悪化の元凶ともいえる。

私はマイカーを持っていないし、それでも一向に不便を感じない。むしろクルマ依存症を拒否することによって、ささやかながら社会の健康に貢献できると思えば、歩き甲斐を実感できる。その上、社会の健康が確保されれば個人の心身の健康にもプラスになって還ってくるはずだから、歩くことは健康に貢献する素敵な道楽とはいえないか。

以上の私の一文にみる感覚は、これからこそ日常の暮らしに必要であると信じている。残念ながら地方では「くるま社会」が構造化しているが、東京のような大都市では車依存症にかかると、かえって不便である。
 もっとも最近はバス利用が増えたが、歩くことを大切に思う心に変わりはない。そういう簡素な暮らし―それが豊かな暮らしでもある。豊かであるためにはなによりも健康であることが必要である。だから歩き、健康に留意する簡素な暮らし方は豊かさそのものともいえよう。


(寸評、提案を歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です)
スポンサーサイト