「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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広島県からの宅配便
 地産池消と食育のススメ 

 安原和雄
 広島県広報室発行のグラフ誌『すこぶる広島』(2006年 春号)が特集「食育のススメ」を組んでいる。郷里が広島県であるためであろう、東京暮らしの私に毎号が届けられる。地産地消(輸入食品に依存しないで、その地域で育てた食材を大切に使い切る「農」と「食」の生活)や食育にはかねてから関心を抱いてきたので、今回の特集は興味深く読んだ。(06年4月26日掲載)

 特集は冒頭、「食育のススメ」について「食べることは生きること。正しく食べることは、子どもたちの健康な心と体をつくることにつながる。<食>の大切さを、食生活の乱れが指摘される今こそ見直してみたい」と指摘している。同感である。
以下に具体例を紹介したい。

▽地産地消の給食で元気な体をつくります!(豊平南小学校発)

 県北西部のソバの里として知られる北広島町の豊平地区にある豊平南小学校のランチルームで学校栄養職員の有馬久美子先生が話した。
 「今日のレンコンは都志見(つしみ)の林さんが冷たい水につかりながら皆さんのために収穫してくださいました。感謝して食べましょう」と。一斉に「いただきます!」という声がこだました。
 ご飯は町内産のコシヒカリ、旬の野菜は無農薬栽培である。地域の安全な食材を使おうと、歴代の学校栄養職員が地域の農家に掛け合ってネットワークを広げ、調達してきた。また献立は、健康につながる「噛む力」をつけさせるため和食が中心となっている。

 3、4年生の総合学習時間では地元特産のソバを種まきから打つまでを体験する。指導するのは地元の「豊平手打ちそば保存会」の人たちである。

 沖政節子校長はこう語っている。
 「昔から五里四方のものを食べるのが体に良いとされています。子どもたちには地産地消の給食を通して健康な体をつくるのはもちろんのこと、ふるさとの食の豊かさを知ってほしい。飽食の時代だからこそ、感謝と誇りを持ってほしい」と。

 ここには食育のススメとして大切な言葉(キーワード)が沢山出てくる。
感謝、いただきます、無農薬栽培、噛む力、地産地消、誇り―など。飽食の中で忘れていたか、または軽視してきた心、感覚、姿勢である。

▽学校と家庭がスクラムを組んで基礎体力を上げます!(東城小学校発)

 県東北部の庄原市東城町にある東条小学校で今年も恒例の「給食まつり」が行われた。テーマは「子どもたちの体は手作りごはんから」。
給食まつりは、保護者から、わが家の人気料理、スピード料理、ひと工夫料理を事前に出品してもらい、その作品から人気の高かった料理を学校でつくって子どもたちと一緒に食べるという試みである。好評だった料理は「具だくさんそぼろどんぶり」、「揚げ餅サラダ」、「ミートボールの白菜スープ煮」、「ホカホカ白菜ベーコン」、「冷めた方がおいしいとりの唐揚げ」など。

 給食まつりは16年も前からはじまった。ねらいの一つは子どもたちの運動能力の向上につなげることである。全国的に小学生の基礎的な運動能力が低下しているからである。
 栃木孝一校長は次のように語っている。
 「こんなに食の豊かな時代なのになぜと、すごく衝撃を受けましたし、危機感も持ちました。そのためには、きちんとした生活習慣を身に付けさせるために、学校と家庭が一つになって取り組まなければと思ったのです。幸い、この地区は保護者も地域も熱心に協力していただけますから、取り組みも効果的に進んでいると思います」と。

キーワードは、学校と家庭のスクラム、手作りごはん、運動能力の向上―など。

▽料理教室から「食」の自立をめざします!(大竹小学校発)

 西の山口県に隣接する大竹市の大竹小学校では昨年(05年)から「チャレンジ! キッズクッキングスクール」をはじめた。学校栄養士でもあった泉谷昌子教頭がその仕掛け人である。
 スクールがめざすものは、第一に子どもたちに「食」の興味をもたせること。まず野菜を洗ったり、ちぎったりして素材に触れさせる。次に包丁を使って野菜を切らせてみる。さらに子どもたちの成長に合わせて、郷土料理の「もぶりご飯」という混ぜご飯などさまざまな料理を体験させる。
 第二にめざすものは、子どもたちが「自分で考えて作って食べる」という「食」の自立である。これをきちんと身に付ければ、大人になってからも規則正しい食生活が送れるだろうという期待がある。

 泉谷昌子教頭はこう語っている。
 「最近ではだいぶ<食>に興味がわいてきているようですし、作ったものは必ずきれいに食べています。食べ物に感謝する心が芽生えているのもうれしい。これまではいかに学力をつけるかが中心の教育でした。でも学力を身に付けるには、まずそのためのエネルギー、つまり食べて体力をつけることが必要です。食べることは生きること。その根源的な部分が大切にされていけば、学校がめざすさまざまな目標もスムーズに進むのではないでしょうか」と。

キーワードは、「食」の自立、食べ残しをしないこと、食べ物に感謝、食べることは生きること―など。

▽農業体験を通してふるさとに誇りをもってほしい!(西志和小学校発)

 広島市街地から自動車で40分ほどの距離にあって、のどかな田園風景が広がる東広島市志和町の西志和小学校では5年生の総合学習時間に農業体験を取り入れている。春にはもち米作り、秋にはネギ作りに取り組んでいる。
 その目的としているところは、農業離れが進んでいる中で自分たちの町にはどういう特産物があって、それはどんな風に育てられるのかを学び、体験することで、地域やふるさとを愛する心を育てようということである。
 同小学校では、地域の人たちから地域のことを学ぼうと、ネギ作りなどいろんな分野のプロを「マイタウンティーチャー」として招いているのも新しい試みといえる。

 郷土愛や愛国心は教科書によって上から押しつけ、教え込むものではないことを示す具体例とはいえないか。

 担任の竹内史雄先生は語っている。
 「農業体験の時間、子どもたちは実に生き生きとして、すごく楽しそうなんです。そして不思議なことに、野菜が嫌いな子どもでも、自分で育てたものならちゃんと食べるのです。この冬の農業体験で印象に残ったことがありました。去年10月に植えたネギが早く育つようにと年末にビニールをかけました。ところが大雪の重みでビニールがネギを押しつぶしそうになったんです。すごく寒い日だったのですが、みんな外へ出て雪かきをしてくれたのです。食べ物を大切にしようという心も芽生えているのかなと思いました」と。

キーワードは、特産物の手作り、食べ物を大切にする心、地域・ふるさとを愛する心―など。

 さて、わが国の食料自給率はわずかに40%(カロリーベース)で、先進国では最低であり、一方、食料輸入率は60%で、この高い海外依存度は異常である。参考までにいえば、先進国では日本以外の食料輸入国は英国(自給率74%)、ドイツ(自給率91%)で、一方、米国、フランスは自給率100%を超えており、食料輸出国である。
 折しも近未来に地球規模の食料不足に見舞われる恐れが広がりつつある。異常気象、発展途上国での人口急増、地球規模での食料生産力の伸び悩み―などが背景にある。日本としての対策はなにか。自給率を高める以外に妙策はないだろう。
 そこに浮かび上がってくるのが「地産地消のススメ」である。紹介した広島県のような事例は、日本列島のあちこちで多様な試みとして実践されているはずである。このような「農」、「食」、「育」の輪がもっともっと広がっていくことを願っている。


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映画『蟻の兵隊』を観て
 戦争という国家の狂気

 安原和雄
 事実は小説よりも奇なり、という。正気では想像できない事実がある。それは次のような史実である。(06年4月20日掲載)

 旧日本帝国陸軍の北支派遣軍第一軍団は1945年(昭和20年)8月、中国山西省で終戦を迎えたはずだった。ところがその将兵約2600人が、武装を解除されることもなく、残留し、軍上層部の命令で中国国民党軍に引き渡され、第2次大戦後4年間、中国共産党軍と戦い、550人が戦死、700人以上が捕虜として抑留されたのである。兵士たちは、戦後もなお「天皇陛下万歳!」と叫びながら死んでいった。

▽狂気に踏み潰された蟻のような兵隊たち

 この事実をいまこの時点でどれだけの日本人が認識しているだろうか。なぜこのような事態が生じたのか。そもそも戦争とは何なのか。敗戦から60年を経た現在、「テロ」「ならず者国家」からの脅威を口実に日米安保・軍事同盟下で戦争への道が着々と地ならしされつつある。だからこそ、この奇怪な事実を闇の世界に封じ込めることなく、光の世界に浮かび上がらせなければならない。

 池谷薫監督のドキュメンタリー映画最新作、『蟻の兵隊』試写会に参加して、この映画に込められた想いを私はそう感じとった。「蟻の兵隊」とは、「戦争という国家の狂気に踏み潰された蟻のような兵隊たち」という意味である。

▽私を殺人者にしたあの戦争とは何だったのか

 映画に登場する主役は、俳優ではない。初年兵として中国侵略戦争へ駆り立てられ、残留兵のひとりとなって、今も体内に無数の砲弾の破片を残している奥村和一さん(80歳)その人である。

 奥村さんは「私を殺人者にしたあの戦争とは何だったのか。なぜ戦後も残留させられたのか」―こう自問しながら、国家権力による侵略戦争という巨大な犯罪の真相を求めて日本国内だけでなく、中国本土のかつての戦場跡を訪ね歩く。

 高齢ながら国内でいまも暮らしている元総司令部参謀は奥村さんの質問に「60年も昔のことだから、記憶にない」を繰り返すだけで、具体的な証言は得られない。
 奥村さんが最近の中国行脚で発見したものは、残留部隊の総隊長が書いたとされる命令書で、それには部隊残留の理由は「戦争を続行し、皇国を復興する」とある。そういう名目で、実は戦犯逃れを画策する日本軍司令官と、中国共産軍攻勢による中国内戦に恐れをなした中国国民党司令官との密約によって国民党軍に日本軍を引き渡すという、いわば「売軍行為」にほかならなかった。

▽性暴力を受けた中国人女性の証言

 奥村さんが訪ねた戦場跡で出逢った人は、戦争中の少女時代に多数の日本軍から言語に絶する性暴力を受けたと証言する中国人女性である。静かに回顧する彼女のひと言、ひと言が侵略軍日本兵たちが振る舞った戦場での集団的狂気ぶりを浮き立たせる。
 犠牲者となるのは戦場周辺の住民、老若男女だけではない。実は人間性を失って、殺人鬼のように振る舞うことを余儀なくされた兵士たちも、戦争中にはその自覚はなかったにせよ、犠牲者としての一面をもっているのではないか。

 以上は決して過去の物語でもなければ、歴史の単なるエピソードでもない。奥村さん自身、「初年兵教育」の名の下に何の罪もない中国人を銃剣で刺殺するよう命じられた「殺人の記憶」はいまなお脳裏から離れない。この21世紀に同じような残虐行為が米国侵略軍の手でアフガニスタン、そしてイラクで繰り返されている。

▽戦争がどれほど人間から理性を剥奪していくか

 奥村さんは映画の中で次のように語っている。
「戦争がどれほど人間から理性を剥奪していくか、その事実を明らかにしたい」
「私は兵士を神様として祭る靖国神社には参拝しない。侵略して人殺しをした者は神ではない。私はそういうごまかしを認めるわけにはいかない」と。

 13人の元残留兵が2001年、軍人恩給の支給を求めて東京地裁に提訴、04年の一審判決は原告側が敗訴した。原告側は「当時の軍司令官が祖国復興の名目で残留を画策した。命令で残留させられた」と主張、これに対し被告側の国は「自らの意志で残り、勝手に戦争を続けた」とみなし、戦後補償を拒否している。
 原告7人が控訴したが、原告たちの想いは「今さら恩給が欲しいわけではない。戦争がいかに悲惨であるかを多くの人に知って貰いたい」―に集約できる。

▽まず映画『蟻の兵隊』を観に行こう!

 奥様から「頑固な人」と評される奥村さんは、高齢ながら、いのちある限り、今日も戦争の中に隠蔽された真実を探しだし、白日の下にさらすための行脚をつづける。「あの戦争とは何だったのか」、「これほど残酷な現実がほかにあるだろうか」と繰り返し自分の胸に問いかけながら・・・。

 情熱と執念の人、奥村さんのいのちを振り絞るような努力を少しでも支援するためには、まず映画を観ることからはじめたい。
 映画は2006年7月下旬からロードショーがはじまる。「戦争と平和」にたとえ関心が薄くても、血も涙もあるひとりの人間として生きたいと願っている方々には必見の作品ではないかと思っている。

『蟻の兵隊』のサイト http://arinoheitai.com もぜひご覧下さい。

なお上記の記事は、このサイトを参考にし、試写会に参加し、映画を観た感想を中心にまとめた。


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囲碁にみる人それぞれ
<折々のつぶやき>14

 安原和雄
 「人生いろいろ」という。人それぞれでもある。私は囲碁を多少たしなむが、盤上の勝負にそれぞれの人柄が映し出されて、「この人はこういうタイプなのか」と想いながら、囲碁のそれなりの世界を経営してみるのもまた一興というものである。今回の<折々のつぶやき>は14回目。(06年4月16日掲載)

 NHK杯囲碁トーナメント(毎週日曜日、NHK教育テレビで放映)は楽しめる番組である。石田芳夫9段と中野泰宏9段の対戦(06年4月9日放映)を観ていて仰天した。信じられないような一手が出たのである。

 終局直前に中野9段が自分の石が当たりになる一着を打って、生きている石10数目が死んでしまった。大逆転である。もちろん中野9段は失着にすぐ気づき、苦笑していた。素人のザル碁なら、「待った、待った」というところだが、プロの世界ではそうはいかない。相手の石田9段も一瞬「えっ? 本当にそこに」という表情になったが、これまた微苦笑しながら相手の石を打ち上げた。

 アマでも有段者なら、こういうポカはなかなかお目にかかれない。ましてプロの世界では珍事というほかない。
 解説者の小林光一9段も「こういうこともあるんですねー」と驚いていた。「プロとしてはありえないこと。恥ずかしいですね」と言葉を続けるのかと思ったら、そうは言わなかった。神ならぬ身のプロ棋士仲間への思いやり? だろうか。「石田9段も最後まで粘ったのがよかった」と妙なほめ方をしていた。今度は観戦者のこちらが苦笑する番である。

 私自身、盤上での勝負が好きでもある。生きた、死んだ、といってもしょせんゲームでのこと。日本記者クラブでは囲碁月例会があり、私も時に参加する。プロ棋士の指導碁もある。かつて月例会の後、数人で石田9段を囲み、プロ棋士の舞台裏をあれこれ聞いたことがある。ざっくばらんな話しぶりに親近感を覚えもした。それだけに今回の一局の行方には関心ひとかたならぬものがあった。

 この勝負では最初に石田9段が見損じた。観ていた私が「えっ?」と驚くような単純な見損じで、石田9段、ぼやくことしきりであった。一度ミスがあれば、もはや挽回は不可能というのが、プロの世界での相場であろう。だから中野9段の必勝という流れだったが、最後に同じ場所で中野9段が予想外の一手を打ったのである。「お互い様」といえば、それまでだが、盤上での奇妙な因縁といえるかも知れない。

 私の尊敬する数少ない経済学者のひとり、都留重人・元一橋大学長(06年2月、93歳で逝去)と月例会で一戦交えたことがある。朝日新聞論説顧問であったこともあり、日本記者クラブのメンバーだったのだろう、月例会にはしばしば顔をみせられた。
 私との対戦では、50手くらい打って中盤に入ったばかりの局面で、「安原君、もう負けた、負けた」と勝負を投げられた。「まだまだ、これからでしょう」と応じたが、「いや、もういい」という潔さに驚いたことがある。
 先生の最後の著作、『市場には心がない―成長なくて改革をこそ』(06年2月、岩波書店刊)も含めた多数の名著に共通している深い学識と透徹した洞察力さらに反国家権力的着想、その一方で持続力の不足ともいえる、この潔さとはどう並存しているのか。たどり着くだろう先行きがみえすぎるのだろうか。いまもなおひとつの謎のままである。

 かつて経済記者として財界担当だった頃、今は亡き永野重雄・日本商工会議所会頭(新日本製鐵名誉会長)とお手合わせを願ったことがある。私が「2段程度です。何子置いたらいいですか」と聞いたら、即座に「4子でどう」といわれた。「そんなに強いの」と内心思ったが、打ち進むにつれ、その強さがわかってきた。早打ちで、それでいてつぼを外さず、当方の大敗に終わった。
 永野さんは財界の重鎮として政界首脳とも緊密な関係にあり、しかも世界を股にかけた機敏な行動力と大局観で知られていた。「なるほど碁の世界と重なっているな」と感じ入った記憶がある。

 囲碁は単に勝ち負けを競うだけの場ではない。人間同士が触れ合いながら、それぞれ人間探求を模索する機会でもある。いいかえれば、それぞれの人生観、生き方までが表現される場でもある―と私は考えている。参考までにいえば、私の棋力は現在アマ5段程度にすぎない。


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足利知足塾の近況報告(1)
 いのち交流の輪と和

 安原和雄
 足利知足塾(塾長・柿澤さな江さん)が発足(2005年7月、栃木県足利市大岩町428の蕎麦(そば)屋さん「だいかいど大海戸」=店主・柿澤一雄さん=にて発足会を開催)してから10か月ほど経った06年4月上旬、交流会が開かれた。
 集まったのは「食と農」に大いなる関心を抱き、ゆったりと充実した時間を楽しむスローライフを実践している人たちを含めて約20名である。同塾顧問の私(安原)も久し振りに足利を訪ねて参加、「大海戸」店主の手打ちそばのほか、タンポポなど野草の天ぷらに舌鼓を打ちながら賑やかなひとときを共有した。この機会に塾の近況を報告したい。

▽足るを知る生活の実践
 塾長の柿澤さな江さんは挨拶で「会員は24名ほどにのぼっている。勉強会も大事だが、それだけではなく、知足、すなわち足るを知る生活を実践してゆきたい。足るを知る生活とは、自然から与えられるもので十分、と受け止め、感謝することではないかと思う」と語った。
 私流に翻訳すれば、「自然からの恵みは豊かであり、それ以上のものを貪欲に求めないこと―それが足るを知る生活の実践」と理解したい。

 柿澤さんは、そば屋と並んで、自宅周辺の自然を生かした農園・「柿の実農園」を経営しており、鶏などいのちを育てることに取り組んでいる。こうして農園が知足を暮らしの中で実践し、生かす舞台にもなっている。塾の会報、「野の花通信」最新号に「びっくりしました!」と題して次のような面白いニュースが載っている。

 ほぼ1か月行方不明だった鶏が突然もどってきました。お彼岸でお昼を食べにきてくださったお客様にその話をすると、「ねえ、いままでどこへいっていたの?」と真剣にニワトリさんに聞いていました。鶏は心の中で『わたしゃ、3歩歩けば忘れちゃうのよ。ごめんなすって』といっていたのでしょうか? ただひたすら残り物のそばのかすを食べておりました。すると、お客様は、「わかった! そばが食べたくて戻ってきたのよ」とご自分の質問に答えをみつけ納得したご様子でした。それにしてもめでたいことでした。

▽<いただきます>を復活・普及させよう!
 以上のような話題はほんの1例にすぎない。この足利知足塾の周辺には「いのちといのちの交流の輪と和」ともいえる心ぬくもる話題が尽きない。食事懇談会の席では「最近、子どもたちから日常の挨拶がなくなった」、「食事前の<いただきます>もいわなくなった。どうしたのか」―など人間と自然、人間同士のいのちの交流が薄れていく現状をどうしたらよいかに関心が集まった。

 食事前の<いただきます>をぜひ復活・普及させたい。<いただきます>には2つの意味が含まれている。まず何をいたただくのかといえば、それは動植物のいのちをいただくのである。お米、魚、そば、さらに野菜にも野草にもいのちが宿っている。そのいのちをいただいて、人間は自分のいのちをつないでいる。だから感謝とともに食事をいただく必要があるのではないか。
 もうひとつは、いただいたいのちをどう生かすかである。無駄にしてはならない。まず食べ残しをしないこと。食べ残しは食に含まれているいのちを生かし切っていないことを意味する。さらに少しでもいいから「世のため、人のため」にお役に立つこと。これがいただいたいのちを生かすことにつながる。そうしなければ折角のいのちに申し訳ないし、「もったいない」所業といえる。
 こういう感覚が共有されれば、生きとし生けるもののいのちを大切にしようという共感の輪が広がり、そこに和が生まれ、その結果、最近多発している、無造作に人のいのちを奪うような凶悪犯罪も少なくなるのではないか。
―以上は私(安原)の考えるところであり、発言でもある。

▽21世紀は「いのちの安全保障」の時代
 もうひとつ、席上、私は最新論文「<いのちの安全保障>を提唱する―軍事力神話の時代は終わった」(足利工業大学研究誌『東洋文化』第25号、06年1月刊に掲載)を皆さんに配った。ここでも「いのちをどう生かすか」がテーマである。論文の骨子は目次風に並べると、次のようである。

*世界が直面する多様な脅威―気候変動は核戦争に次ぐ脅威、危機にさらされる食料安全保障
*有害な軍事中心の安全保障―日米安保体制と平和憲法との矛盾、軍事同盟は敵と脅威を求める
*重要な「人間の安全保障」観―国家ではなく人々を中心とした安全保障、セン博士(ノーベル経済学賞受賞者)の唱える「人間の安全保障」
*「守る平和」から「創る平和」へ―平和的共存権への道、平和をつくるための構造変革
*21世紀は「いのちの安全保障」の時代―「人間の安全保障」を超えて
*いのちの安全保障と仏教思想―いのちの尊重と非暴力=平和、知足・共生・中道の実践
*いのちを生かす「地球救援隊」構想―なぜ非武装なのか、日米安保体制の解体を

▽いのちを生かす手作りの活動計画
 この日の交流会では次のような塾の今後の活動計画が提案され、実行していくことになった。ここでも自然を含めた多様ないのちを生かす手作りが中心テーマとなっている。
+農業=ソバ、夏野菜(スイカなど)、イモ類(サトイモなど)などの栽培
+加工品=どくだみ採り(お茶用)、シソジュースや干し柿つくり、手作りこんにゃく
+文化=手作り人形講座(ピエロの人形)、野の花の生け花、スケッチ会(野菜、野の花の絵)、ローソク作り(蛍見物用)
+交流=読書会など

 昨年(05年)の足利知足塾発足会の席では安原が「21世紀は知足の時代」と題して講話を行った(講話の要旨は同じ題名で「安原和雄の仏教経済塾」に掲載)が、今回の交流会では塾生たちの創意工夫と手作りによる活動が広がりつつあることを印象づけられた。
 今後、このような知足塾が全国のあちこちに誕生し、発展してゆくことを願っている。


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リーダー不在の集団行動
<折々のつぶやき>13

 安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。<折々のつぶやき>13回目。(06年4月9日掲載)

 今春、雪山登山での遭難が相次いだ。なぜこういう悲劇が生じたのかをめぐって登山仲間からメールがいくつも寄せられた。これを読みながら、私はかねてから感じている「リーダー不在の集団行動」の落とし穴を改めて考えてみたい。

 最初に断っておきたいが、私の登山レベルは、山歩き程度で、雪山を踏破するための技量は身につけていない。だから雪山に登ったこともないし、登りたいと思ったこともない。私の関心事は登山に限らず、さまざまな集団行動のあり方である。

 さて集団行動にともなう落とし穴にすべり落ちるのを防ぎ、難事、悲劇を避けるためにはなにを心掛けたらよいだろうか。日頃、心掛けるべきことについて自分の頭や心で想定問答を繰りかえしていることが必要だが、その要点をいくつかあげたい。

▽自己責任感覚
 最近、たとえば交差点で赤信号を無視して渡る若者が多い。交通事故に遭えば、それは自己責任というものである。趣味の範囲を出ない登山も、自由意思で実行しているのだから自己責任原則が基本である。登山による遭難を美化する風潮もあったが、それは過去の話である。悲劇を乗り越えることができるかどうかは自己責任であることを多くの人は忘れてはいないだろうか。

▽ベテランの失敗
 山での遭難には、それなりの登山技術を身につけた経験豊かなベテランが意外に多い。周囲の人は「あのベテランがなぜ・・・」という疑問の声をあげる。しかしあえていえば、ベテランだからこそ失敗したのではないか。
 「おれはプロだ」と慢心しているとすれば、その人は限りなく、悲劇に近づいている。ベテラン、プロの最低必要条件は絶えざる自己鍛錬、いいかえれば自分との競争である。「自分との競争」にはこれで十分、という限界はない。自然を甘く見てはいけない。自然は本来畏敬すべき対象である。

▽「饒舌こそ金」
 「沈黙は金」はもはやカビが生えている。独りよがりの勝手主義とは異質のいい意味での自己主張、問題提起、具体的な提案が集団行動には不可欠である。私はこれを「饒舌(じょうぜつ)こそ金」と呼びたい。自慢にもならない苦い体験を1つ披露しよう。
 かつて30名ほどの寄り合い集団行動に参加したことがある。みなさん、立派なサラリーマンたちである。企業内ではおそらく優秀な人材なのだろう。ところが企業外での集団行動となると、途端に物言わぬ「烏合の衆」(もっとも本物のカラスたちは騒々しいですが)となる。ウロウロしていて定刻を大幅に過ぎてやっと目的地に到着する、また相手との約束時間に遅れそうになる―などが重なり、我慢強い私もついに「饒舌は金」を実践する羽目となった。山中ではなく、都市でのことである。
 連絡係としての幹事はいたが、司令塔としてのリーダーが不在であったために生じた不手際であり、舵を失った船のように蛇行を繰りかえした。残念ながらこの種の集団行動が後を絶たないのは日本社会の特色の一つである。

▽思い込みはいのち取り
 数年前の夏のこと、たしか神奈川県下の河原でキャンプ中の親子たち約10名が夜中の増水のため、「気づいたときは、時すでに遅し」で川岸に戻れず、犠牲になった事故がある。前夜の雨のため増水の危険があるとの警告が出されたにもかかわらず、彼らは「私たちは毎年来ており、事情はよく分かっている」と言って避難しなかったと、当時報道された。
 「これまでは大丈夫だった」という成功体験、だから「今回も大丈夫」という根拠なき思い込みが悲劇の原因であろう。気象条件を含む多様な状況のちょっとした変化に敏感になること―思い込みや成功体験を捨てることは自己否定を意味するから、現実にはむずかしいとしても―微妙な変化を察知することは、わが身の安全を守るためには必要不可欠である。

▽自覚なきリーダーたち
 リーダーでありながら、その自覚をもてない名目だけのリーダーが多すぎるのではないか。「まあまあ・・・」、「なんとかなる」式の発想で、想像力・危機意識を欠いた馴れ合い型集団行動から抜け出せず、いざという大事、危険に直面しても有効打を放てず、悲劇を招く。
 今春の雪山遭難例の1つ、ベテラン揃いの9人のパーティのうち最後尾にいた女2人組が取り残されたが、その前の男7人はそれに気づかず、先へ進んでしまったのが女2人が凍死した悲劇の原因らしい。前方組にいたリーダーは折々になぜ振り向かなかったのか。視界不良だったらしいが、それならなおさら振りかえり、待つ、あるいは戻って隊列を組み直す配慮が必要なことは素人でもわかる道理である。

▽夏目漱石の警句
 明治の文豪、夏目漱石は「専門家は自分の専門以外のことはなにも知らない。針の先で井戸を掘るようなことをしている。深いことは深いが、いかんせん面積が非常に狭い」と言った。いいかえれば専門家と専門バカ(一分野だけの専門家であるために視野が狭いこと)との差は紙一重でもある。
 私はこの漱石の警句を「小さな専門家よりも大きな素人をめざせ」と読み替えている。想像力豊かな全天候型で、しかも「人の和」をつくることができる「大きな素人」こそリーダーの必要条件― 十分条件ではないとしても ―ではないかと考える。もっとも「小さな素人」では困りますね。


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真面目な僧侶との対話
<折々のつぶやき>12

安原和雄
 しばらくインターネットとは無縁の田舎へこもっていたため、つぶやくことを忘れていました。今回は「<つぶやき>9の葬式仏教」につづいてお寺の話題です。
 仏教界の前途に大きな懸念を抱くQさんは、浄土真宗の僧侶Aさんと最近葬式仏教について対話する機会がありました。その体験からいえば、この世には<つぶやき>9で紹介したような横柄な坊さんだけではなく、真面目で腰の低い坊さんもいることが分かったといいます。以下はその対話のあらましです。(06年4月2日掲載)

Q:最近葬式仏教の評判が急角度で低下しつつあります。宗派によっては横柄な態度で葬式のお布施を一方的に要求します。これはおかしい。これでは寺への批判、不満は高まるばかりで、坊さんが自ら墓穴を掘っていることに気づいていないようですね。
A:たしかにひどい宗派があります。お布施が高すぎるのではないでしょうか。

Q:真言宗の場合など葬式に最低3人の坊さんがやってくる。地域によって違うのかもしれませんが、1人でお願いしようとしても、3人が決まりだという。お客さんである遺族
の気持ちなど無視するという結果になっていますね。近隣の寺から3人が集まってくるわけで、これでは寺の談合ではないでしょうか。
A:1人に比べ、3人だと当然お布施も高くなります。それに戒名料が高いのではないでしょうか。戒名に「院」の号を使うと、さらに高くなります。

Q:戒名に「院」を使うかどうかで戒名料が異なるのも勝手な話です。仏教の基本思想として「万人平等なり」と唱えた釈尊がいま健在なら何とおっしゃるだろうか。決して「結構、結構」とは言わないはずでしょう。
A:真宗では戒名に院号をつけるかどうかはお客さんに聞くことにしています。亡くなった人の性格などもよく聞いて、戒名を考える場合が多い。また無理に戒名をつける必要もないでしょう。俗名のままでもよい。希望があれば、そのようにしており、費用も少なくて済みます。

Q:横柄な僧侶が多いのは、江戸時代以来の檀家制度のうえにあぐらをかいているからでしょう。お寺側が増長していると、檀家制度もそのうち壊れてくるのではないでしょうか。
A:とくに東京辺りでは最近いろんな宗派の人が集まっているから、特定の宗派にこだわって葬式を出すのがむずかしくなってきています。他宗派の人が真宗式の葬式を希望すれば、もちろんそれに応じています。注文を受けてあちこちに出張する「出前僧侶」への需要はこれから大いに伸びると思いますよ。

Q:葬式仏教の自由化のすすめということになりますか。いま政・官・財(業)界はもちろん、教育、医療の分野でも改革の波に洗われていますが、今度はお寺さんの改革ということでしょう。当然の成り行きといえますね。ただ鈍感な「井の中の蛙」のような坊さんが少なくないようですから、時代の新しい足音を聴きとるだけの器量があるかどうか、そこが問題ですね。
 そういえば、最近若手の僧侶らの間で次の言葉が流行していると伝えられます(『朝日新聞』06年3月19日付天声人語)。「ボーズ・ビー・アンビシャス」(坊さんよ大志を抱け)と。古い因習を突き破ろうとする若手の革新的な坊さんたちに期待しましょう


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