「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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冷水摩擦の効用
<折々のつぶやき>5

 安原和雄
 新年になって、想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。今回は5回目。(06年1月29日掲載)

半世紀も昔の敗戦直後のこと、私が中学3年生だったころ、母に心配顔でこう言われた記憶がある。「頼むからそんなに勉強しないで欲しい」と。
これだけで話が終わったのでは誤解されるので、背景説明が必要である。高校受験に備えて多分夜遅くまで勉強していたこともあったのだろう。母が心配したのは、実は私の健康であった。

どういうわけか小、中学生のころ、病弱であった。冬にはきまって風邪を引き、それがもとで1か月以上学校を休むことも珍しくなかった。今でいう寝たきりの状態を何度も経験した。当時は自宅療養が普通で、両親がわが枕元で涙に暮れていたことを覚えている。「息子の寿命もこれまでか」と観念していたのかもしれない。

さてどうするか。高校に進学した4月、とにかく身体を鍛えなければならないとぼんやり考えていた。ある日、父が「冷水摩擦をやってみないか」とつぶやいた。「なるほど」と感じ入ったかどうかは記憶にないが、その日から直ちに実行したことは覚えている。

早朝、タオルを水に濡らして、よくしぼって、ピンク色に染まるくらいに全身を摩擦する。昔の田舎のことだから、井戸は戸外にあった。真冬の雪の降る中でも風さえ吹かなければ、苦にはならなかったが、寒風は肌を突き刺してきた。
それでも一日も休まず、励行した。高校3年間、ウソのように風邪も引かず、病魔が私から逃げ去った。別人のような自分を感じもした。

それから半世紀以上、冷水摩擦は洗顔と同じような感覚の日課となっている。お陰でわが体質の構造改革ができたように思っている。これはやはり冷水摩擦の効用と感謝せずにはいられない。
重要なことは継続する意志であろう。病気になったら病院へ駆け込めばいいという考えの人が案外多いが、病院のお世話にならずに済むのが望ましいことはいうまでもない。
必要なのは「医師」よりも「意志」である。薄手のタオル一本(「もったいない」の精神ですり切れるまで使いこなせば、半年はもつ)と継続する意志さえあれば、それで十分足りる。カネもかからない。

大学の経済学講義の中の「低負担型高齢社会の設計」というテーマでわが体験を踏まえて学生たちに冷水摩擦のすすめを説いたが、本気で関心を示す者はいなかった。
どうも最近の若者には自らを鍛え、いかに健康を保持するか、という感覚が乏しいのではないだろうか。社会全体として食のあり方、暮らし方も含めて健康づくり、病気予防をもっともっと重視する必要がある。これこそが真の構造改革で、これに取り組まなければ、「高負担型高齢社会」は避けられないだろうという想いがある。

今にして思えば、母の思いやり、 父のひと言がきっかけで私自身の毎日の生き方に変化が生じた。そして現在ただ今の私がここにある。父母の愛情、親の恩(この恩という言葉も最近は使わなくなった)とは、何気ない言葉、行為の積み重ねではないかと来し方をしみじみ想う。


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BSRのすすめ
<折々のつぶやき>4

 安原和雄
 新年になって、想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。〈折々のつぶやき〉と名づける。今回は4回目。(06年1月22日掲載)

BSRって耳にしたことありますか? 多分ないと思います。というのはこれは私の直近ホヤホヤの新造語ですから。最近、浄土宗の『鎌倉通信』に私が書いた次の一文を読んでくだされば有り難く思います。

企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)が厳しく問われるようになった。「企業は貪欲に利益を追求するだけでよいのか。もっと顧客、取引先、地域、従業員などに企業活動の成果を還元してはどうか」という声が高まってきた。名門企業を含む日本企業の不祥事が相次いでいる今日、CSRは日常用語になった観がある。

 仏教が社会的存在である以上、企業同様に社会的責任が問われるべきではないか。「お寺のお布施もカネ次第になっている。仏教はどこまで有効なのか」という疑問の声が広がりつつあることを横目でみているわけにはいかない。

 私は企業のCSRにヒントを得て、仏教の社会的責任を意味するBSR(Buddhist Social Responsibilityの略語)という新語をつくり、大いに普及させる必要があると考えている。ではBSRとは、何を意味するのか。

 端的にいってお布施のあり方を再検討すべきだと思う。お布施には大別して法施(法=真理の施し)、財施(モノ、カネの施し)、無畏施(不安や恐怖を取り除く施し)の3つがあると理解している。現在、寺への財施が中心になっている。お坊さんたちはもっと法施、無畏施にも精進を重ねて貰いたい。衆生済度の思想を生かして現世での人助け、世直しのために貢献することこそBSRの実践とはいえないか。

 夜討ちをかけられ、深い傷を負った父が臨終の際、枕辺に九歳の勢至丸(法然の幼名)を呼んで言い聞かせた。「敵人を怨むことなかれ。(中略)もし遺恨をむすばば、そのあだ、世々に尽きがたかるべし」と。

 この遺言は法然にとって生涯忘れることができなかったと伝えられるが、今日風にいえば、徹底した平和思想である。戦争はもちろん、地球環境の汚染・破壊、凶悪犯罪、人権抑圧、社会的不公正などは広い意味の暴力といえる。こういう暴力とは無縁の平和をどうつくっていくか。これがBSRの柱となることを願っている。(以上)

 以上のように、BSRは、「仏教の社会的責任」を意味しています。法然(1133~1212年)は浄土宗の開祖、法然上人のことです。日本仏教には沢山の宗派があります。念のためいえば、わが家は真言宗です。どの宗派も創業者はつねに偉大ですが、昨今のお寺さんは財施(主としておカネ)本位のお布施依存症に陥っているという世間の声は少なくありません。

 不祥事や犯罪を重ねる企業への風当たりは大型台風の如きものがありますが、葬式仏教にいささか偏しているお寺さんにも烈風が吹きつけています。企業同様にお客様のことを忘れてはいけませんね。お客様あっての寺です。いや、このお説教は「釈迦に説法」でした。


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三丁目の夕日
<折々のつぶやき>3

 安原和雄
 新年になって、想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。〈折々のつぶやき〉と名づける。今回は3回目。(06年1月13日掲載)

 つい先日、感動、また感動の映画を久しぶりに観ました。「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画です。何しろ舞台設定が今から半世紀も昔の昭和33年(1958年)なのです。私が大学を卒業した年です。これでは観ないわけにはゆきません。

昭和33年はどういう年だったのでしょうか。まず東京タワーが完成し、テレビが普及し始めた頃です。テレビを買い備えた家は珍しかったため、何十人という街の人たちが押すな押すなとばかりに観に集まってきたという、今では想像もできないような頃です。「もはや戦後ではない」が流行語にもなっていました。

映画に出てくる東京の風景をいくつか紹介すると―
まず上野駅に入ってくる汽車は石炭を燃やす蒸気機関車に引っ張られています。街では都電が走り、自動車の姿はまばらです。まだマイカー時代ではなかったわけです。
西の空に沈み行く夕日はあくまでも美しく、夜空には無数の星が輝いていました。今と違って大気汚染もなく、きれいな空でした。

私自身の当時の記憶をたどってみると―
*東京・新宿駅西口の焼鳥屋で焼き鳥1串10円、熱燗1合60円
*東京から郷里の福山(広島県)までの国鉄乗車券が500円、所要時間は約17時間
*大学(国立)授業料は年間6,000円、奨学金が月額2~3,000円。当時はかなりの学生が奨学金のお世話になった。お陰様で貧農生まれの私も大学へ進学できた。家庭教師の謝礼が月額3,000円程度。必要な書籍は大学図書館か古本屋に頼った。
*初任給(月額)1万4,000円―などなど。

今のようにモノがあふれているわけではなく、収入も庶民レベルでは決して多いわけではありません。街並みは雑然としており、雑草も生い茂っている。貧しかったといっていいでしょう。にもかかわらずほのぼのと心温まる映画に仕立てられている。なぜなのか、豊かさとはなにか?―映画を観ながら考えていました。

乱暴も働く。しかし自分が間違っていると気づいたら「悪かった」と潔く非を認め、頭を下げて謝る。モノを大切にしたい気持ちの表現である「もったいない」が日常会話の中でさり気なく出てくる。猫は悠々と日向ぼっこ、犬は自由に走り回っている。犬や猫をいじめる者はだれもいない。

未来への夢と希望があった。だから現状打開意欲もそれなりに持ち合わせていた。生一本で燃えやすいが、心底は真面目な人間たちの心の優しさ、思いやりがあふれている―多くの日本人が忘れかけているこのことに気づいて、そこに感動が生まれるように思います。

一杯飲み屋の若いおかみ役を演じた小雪は、映画で描かれている人間関係について、インタビューに次のように答えています。
「ステキですよね。人と会うことを避けがちな、今の時代ではありえない関係ですから。人って一人で生まれて一人で死んでいくものですけど、周りの人に助けられたり元気づけられたりしながら生きていくわけで、何かが生まれてくるのは、やっぱり人と人とのつながりの中からだと思うんです。現代社会って一人に一つずつ部屋があり、テレビも一台ずつあるのが珍しくないけど、この時代は家族が一つの部屋に集まって団欒(だんらん)していた。そういう温かさはかけがえのないもので、新鮮な感じすら受けます」と。

あの夢と希望はどこへ消え失せたのか。人と人とのつながりが切れたままの乾いた砂のような現実を無視して、勝ち組、負け組の区分けと囲い込みが進行中です。一握りの勝ち組がカネまみれの夢と希望を奏でながら進むのが、小泉流改革であるとしたら、それとは180度異質の改革によって人と人とのつながりをどう再生させるかを考えるときです。

豊かさとは、モノやカネがあふれていることではない、日常生活の中で心と心の結びつきを実感できるかどうかでは―、「三丁目の夕日」を観ながらのつぶやきです。


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生き物といのち
<折々のつぶやき>2

毎日新聞の沢田 猛記者が「大切にしたい同じ命」という見出しで、次のようなコラム記事を書いていた。(05年12月22日付『毎日新聞』)

「子猫を飼っていた近所の住民が引っ越しの際、猫を置き去りにして行ってしまった。その猫は他の猫からいじめ抜かれ、見かねて飼うことになった。(中略)深夜帰宅する私をガラス戸越しに目を凝らし、玄関先に現れる私を待っていることもある。〈地域〉に生きているのは人間だけではない。同じ命を持つ猫もいるのだ」と。

最近、「地域猫」があちこちで話題となっているらしい。捨て猫を周辺住民が協力し合って飼う試みを指している。こころ和(なご)む話題である。

犬や猫は嫌い、という人も少なくない。好き嫌いの感情はやむを得ないことと一応しておこう。ただ「害心を持って眺めれば、犬も吠える」という言葉がある。これは「あの人間は自分を嫌っているな。あんな人間はこちらも好きになれないよ!」という犬の気持ちを表現したものである。犬は犬なりに人間をしっかり評価していることをお忘れなく。

イルカ解放事件をご存じだろうか。もう30年も前のこと、1977年ハワイのオアフ島で、ハワイ大学の心理学教授が8年間訓練していたイルカのカップルを2人の大学生が逃がした事件である。2人は他人の私有物に対する重窃盗罪で懲役6か月、執行猶予5年の刑となった。

しかし有罪判決を受けた2人のセリフがカッコいい。
こうのたもうたのである。「解放されたイルカはたしかに旅立ち、ついに自由を得た」と。言うことがしゃれてるね。2人は犯罪者どころか、一転して解放者、自由の戦士となり、ハワイで一躍名士に祭り上げられたという次第である。

人間様だけが特別偉いわけではない。犬(そういえば今年は戌年ですね)も猫もイルカも、そして人間も、いのちの価値は等しく尊いのである。少なくともお釈迦様はそう考えた。こういう考え方が広がって、犬、猫などいき物のいのちが大事にされれば、人間が人間のいのちを粗末にしすぎる昨今の風潮に少しは歯止めがかかるのでは、と想うのですが、いかが?
  (06年1月8日掲載)

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06年元旦「社説」を読んで
日米同盟の呪縛から脱却を

 安原和雄
ジャーナリストの一人として06年元旦の大手メディア6紙の社説を読んだ。その印象は「日米軍事同盟はいつから批判を許さぬ聖域となったのか」である。
元旦の社説は新聞社としての基本的な主張を明示する場でもある。目を皿のようにして繰り返し読んだが、日米安保体制、日米軍事同盟の賛美論に対抗して、批判する主張はついに発見できなかった。
これでは「権力の監視役」としてのメディアの存在感を高めるどころか、維持することすら困難になるのではないか、それを憂慮する。
これからの日本のあるべき針路を真面目に考えるからには、安保体制、日米同盟を避けて通るわけにはいかない。私は「日米同盟の呪縛から脱却しよう」と呼びかけたい。(06年1月2日掲載)

メディアの論調地図の現状を理解するために、20年も前の私事にかかわる『週刊ポスト』(1984年11月2日号)の記事を以下に紹介したい。

「〈新聞戦争〉が新たな局面を迎えている。そのことは、日本新聞協会の機関誌である『新聞研究』(8月号)で、毎日新聞編集委員兼論説委員・安原和雄氏が次のように書いていることからもわかる。<・・・いうまでもなくサンケイ、日経、読売の3紙が(防衛費1%枠の)見直し派であり、これに対して東京、朝日、毎日の3紙が堅持派とでもいえようか。このように大手新聞のGNP1%枠に関する論調は完全に二分されている・・・>(『防衛費1%枠を守る視点』より)。こうした大新聞の二極化は、防衛費1%枠に限らず、安全保障問題全般、行政改革、中曽根政権支持問題・・・に対する論調など、現在の政治情勢全般にわたって対立的立場を次第に鮮明にしているかにみえる」

当時は中曽根政権時代で米国の要請を受け容れて日本の防衛費を増やし、GNP(国民総生産)比1%枠を突破させるかどうかが焦点となっていた。1%枠堅持派、つまり軍拡反対派は東京、朝日、毎日の3紙で、片や産経、日経、読売の3紙が突破派、つまり軍拡容認派という布陣であった。ただ念のため指摘しておくと、軍拡反対派といえども、同時に必ずしも安保、軍事同盟反対を明示していたわけではない。参考までにいえば、結果として1%枠は1987年度政府予算で突破された。

▽腰が引けてきた軍拡反対派

さて06年元旦の社説から判断すると、上記の3対3の布陣が大きく変化している。結論を急げば、右旋回への流れが見られる。まず6紙の見出しを紹介しよう。

東京新聞「年のはじめに考える 日本の出番なのに・・・」
朝日新聞「2006謹賀新年 武士道をどう生かす」
毎日新聞「ポストXの06年 壮大な破壊後の展望が大事 結果責任負ってこそ名首相」

産経新聞「新たに始まる未知の世界 アジア戦略の根幹は日米同盟」
日本経済新聞「人口減に克つ(1) 成長力を高め魅力ある日本を創ろう」
読売新聞「人口減少時代へ国家的対応を 市場原理主義への歯止めも必要だ」

これらの見出しからは、多様な意見の百貨店、という印象を受けるが、日米安保体制、日米同盟、軍事という共通項を尺度に読み直してみよう。そこから見えてくるものは、かつての軍拡反対派は主張に明確さが欠けて、腰が引けてきており、一方かつての軍拡容認派は日米軍事同盟推進へ一段とのめり込みつつあるという新しい論調地図である。

▽東京新聞、健在なり

東京新聞は次のように指摘している。
「中国の軍事力増強が〈脅威〉という見方もあるが、軍拡競争はおろかである。軍事力行使を抑制する地域の枠組みづくりなど、外交による対応が必要である。反目はお互いの不利益にしかならない」と。
軍拡の愚かさを指摘しているのは東京新聞1紙のみである。「東京新聞、健在なり」と評価したい。

朝日新聞の「武士道をどう生かす」というタイトルの社説はつい読んでみたくなるような魅力がある。
「子供のけんかをやめて、大国らしい仁や品格を競い合うぐらいの関係に持ち込むことは、アジア戦略を描くときに欠かせない視点である」という主張は作文としては結構である。しかし「大国らしい仁や品格」とは具体的に何を意味するのか。安保体制、日米軍事同盟下で巨大な在日米軍基地を許容し、イラクへの不当な米国の戦争を支援しているこの現実は「仁や品格」にふさわしいといえるだろうか。そういう指摘はどこにも見出せない。

毎日新聞の場合、不思議といえば不思議な社説である。次のように書いている。
「小泉改革の結果がどうなるか実はすべて不明である。(中略)ポスト自衛隊サマワ派遣の影響が見えない、ポスト米軍再編協力のバランスがわからない、ポスト靖国参拝で日本と中国の関係、アジアにおける日中の力関係が全然見えない」
見えにくい、わかりにくいことを掘り下げてそれなりに解き明かし、主張を展開するのがジャーナリズムの仕事ではないのか。それともこの社説は読者の想像力を試してみたいという意図でもあるのだろうか。こういう論説は署名入りで書いて、責任の所在を明らかにして欲しい。

▽日米同盟推進派の中で突出する読売新聞

日米同盟の積極的肯定論で終始しているのが産経新聞である。以下のように述べている。「日米同盟の死活的重要性もアジア外交の重要性に勝るとも劣らない。いや、アジア外交を進める上でも、根幹にあるのは日米同盟である。(中略)中国が危険な方向へ向かわぬよう抑止力としての日米の戦略的提携・協調はますます重要度を増すだろう」と。
文章中の「同盟の死活的重要性」「抑止力」というアメリカ仕込みの専門的な安全保障用語に出くわすと、すでに10年以上も前に終わったはずの東西冷戦時代に逆戻りしたような錯覚にとらわれる。

日本経済新聞は経済専門紙らしく「人口減に克つ」というテーマで社説での連載が始まった。相変わらず経済成長節を奏でており、安保、軍事同盟の話は皆無だが、元旦前日の社説が「一歩進んだミサイル防衛」(12月31日付)である。
これはミサイル防衛システムの日米共同開発を06年度から着手するもので、日米軍事同盟強化の重要な柱とされている。それを評価するのだから日米同盟の積極的推進派の立場を堅持していることがうかがえる。

日米同盟推進派の中でも突出しているのが読売新聞である。次のように論じている。「政治・軍事面では、中国に国際ルールを守らせるよう、絶えず抑制していかなくてはならない。しかし、それは日本単独で出来る話ではない。日米同盟の重要性はここにもある」と。かつての米国主導の「中国封じ込め政策」を思い起こさせるような主張である。
またこうも指摘している。「日本が国際協力をするに際して、足かせになっているのが、集団的自衛権の<行使>問題である。いつまでも国際的責任から逃げていてはならない、憲法改正を待たず、政府解釈の変更によって対応すべきである」と。
 
自民党新憲法草案(05年10月28日正式決定)は、改憲によって集団的自衛権(注)を行使できる方向を打ち出している。これに対して読売新聞は改憲などという面倒な手続きは省いて、政府の独断的解釈によって集団的自衛権を行使したらよい、という主張である。超法規的な国家体制でも造り上げようという意図なのか。

(注)集団的自衛権は、日本が軍事的侵攻を受けなくとも、同盟相手国の米国が侵攻に見舞われれば、それを軍事的に支援するもので、従来の政府解釈では現行平和憲法の下では行使できないとされている。ところが集団自衛権行使を容認することになれば、先制攻撃論に基づく米国の世界規模での軍事力行使に日本は付き合うことになりかねない。これは多少の想像力があれば、小学生にも分かる道筋であろう。

▽日米安保体制、日米軍事同盟は「諸悪の根源」

新聞の主張、そして読者の側のその読み方はいろいろあっていい。自由な社会では当然のことである。しかし私は日米安保、軍事同盟を批判する立場にこだわりたい。なぜなのか。日米安保、軍事同盟こそ「諸悪の根源」であり、それを無批判に聖域視することは、自由社会の基本原則を踏み外し、日本の針路を誤らせると認識しているからである。なぜ「諸悪の根源」といえるのか。

いつなんどきあなたの身近で起こるか分からない1つの具体例を挙げたい。
最近「米兵ひき逃げ、釈放 3男児けが <公務中>地位協定で」という大きな見出しで報道されたニュースがあった(毎日新聞、05年12月29日付)。
これは東京都八王子市で米軍厚木基地(神奈川県)所属の女性水兵がひき逃げ(小学生の男児3人が重軽傷を負った)の容疑で警視庁に逮捕されたが、「公務中」を理由に日米地位協定に基づき即日釈放された、という内容である。この種の事故、事件は特に沖縄を中心に日常茶飯事となっている。

問題は日米地位協定なるものは何かである。日米安保条約に基づき在日米軍人・軍属の日本での法的地位を定めた協定(1960年締結)で、米兵の公務執行中の犯罪などは米軍が裁判権を行使する優先権が規定されている。いいかえれば「公務中」を理由にすれば、日本に裁判権はないという不当な協定であり、しかもそれが日米安保体制に基づく不平等協定だということである。
(上記のほか日米安保体制がなぜ「諸悪の根源」なのかについては、「仏教経済塾」に掲載の「平和をつくる4つの構造変革」(05年11月28日付)などを参照)

▽肝心要の所が見えてこない物足りなさ

ここで元旦に届いた賀状のうち2つを紹介したい。
1つは出版経営者からで、「<この国のかたち>はいまだ不透明のままで、時代状況に<危うさ>を感じざるを得ない」とある。憲法改悪を含む小泉改革路線なるものは国民に大きな懸念を抱かせており、日本の望ましい針路、未来の設計図とはいえないという主張と受け止めたい。
もう1つは防衛官僚OBからの賀状で、「ブッシュ政権はトラブル・メーカーである。これに隷属している政府、自衛隊が情けない」と書いてある。同感である。この注釈は不要であろう。

私には2つの賀状から、勝ち組・負け組をつくり出す小泉改革路線、「世界の宝」という評価の高い平和憲法9条(戦力不保持、交戦権の否認)の改悪、さらに戦争基地としての日米安保体制の強化― への「不信・不安の声」が聞こえてくる。

実はこの小泉改革路線、憲法9条の改悪そして日米安保体制強化の3つは三位一体関係にあり、それを全体として認識しなければならない。特に日米同盟への呪縛から脱却しなければならない。そうでなければ日本が<危うさ>そのものの路線へと猛スピードで誘(いざな)われつつあることが見えてこない。
元旦の各紙社説を読んでみて、肝心要の所に的が絞られていないもどかしさ、物足りなさが拭えない。「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」とはこのことだろう。
以上
異風・年賀状
〈折々のつぶやき〉1

 安原和雄
 新年を迎えて、想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。〈折々のつぶやき〉と名づける。手はじめは「異風・年賀状」。(06年元旦掲載)

 謹 賀 新 年

 2000年元旦
 良き新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
 さて20世紀最後の今春、小生、統計上の高齢者の仲間入りと相成る次第です。万般の感慨抑え難きものがありますが、とりわけ吉田兼好の『徒然草』の心境にこころ惹(ひ)かれるところがあります。

 「人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙(もだ)し難きに随(したが)ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさえられて、空しく暮れなん。日暮れ、途遠し。(中略)諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり」(第百十二段)

 『徒然草』は21世紀にもなお日本文化の中に生き続けるに違いないとの感を深くしますが、その兼好の意にあやかって愚考するところあり、新世紀の明年から賀状を欠礼させていただきます。ご無礼の段、ご寛恕下さい。

 とは申しても、諸縁をすべて放下し、世捨て人になろうという気は毛頭ありません。今後とも21世紀の日本はいかにあるべきかに私なりに問いかけていく所存です。一期一会の精神を忘れず、人生道に精進を続ける気構えに変わりはありません。自由闊達な談論もよし、盃を傾けるのもまたよし。その機会あれば、万難を排して馳せ参じます。
 皆様のご多幸とご自愛専一を祈り上げます。   安原 和雄

▽世間の枠から飛び出してみる

 冒頭の「2000年元旦」は「2006年元旦」が正しいのでは? という疑問を持たれた方はきっとしっかり読んで下さるはずです。いや、間違いではありません。実は6年前の、世間様とはいささか異なる私の年賀状です。
 こころ惹かれるのは「諸縁を放下すべき」です。「もろもろの縁を棄ててしまえ」という意味ですから、浮き世の横並びのしがらみから自分を解放してみたら、という助言と受け止めました。

 こちらから賀状を出さなかったのに戴いた人々には、上記の賀状を次の添え書きとともに封書で送りました。 

 「吉田兼好にあやかって、いわゆる世間の枠をほんの少し飛び出してみました。決して早々と人生の手仕舞いをしようというわけではありません。毎年数百枚の賀状を1枚々々手書きすると、約1週間はかかります。年末の1週間を拘束されることから脱却してみたいとかねがね思っていました。
 来年が新世紀(2001年)という節目、今春、私が高齢者の仲間入りするという節目、つまり今年しかないこの節目を逃してはチャンスは2度と巡ってはこないと考え、思いついたことです。意のあるところをお汲みとり下されば、幸甚に存じます。
 賀状にもあるように、世捨て人になろうというわけではありません。必要に応じて手紙、ファックス等で相互接近を図ることに躊躇するものではありません」と。

 文中に「手紙、ファックス等で・・・」とあります。当時、私はまだE-メールとは無縁でした。時代の変化を感じます。

▽「やられた!」という感想も

 さて異風・年賀状への反応は?
 1つは「やられた!」で、これは少数派です。ある友人は「自分も欠礼の方向で考えていたが、踏み切れなかった。先を越されて残念」と口惜しがっていました。
 「なるほど、これもひとつの見識だな」もありました。

 次は「1年に1度のことだから、賀状交換くらいは続けてもよいのではないか」という横並びの常識派です。これが多数派です。「君がくれなくても、私は出すよ」と言った友人もいましたが、やがて音沙汰なし、となりました。
 3つ目は、無反応という反応で、結構多い。

 なかには「世捨て人になったの」というコメントもありました。賀状に「世捨て人になるつもりはない」と明記してあるにもかかわらずです。こういう反応をみると、賀状は多くの場合、読むのではなく、眺めるだけに終わっているな、と感じました。

 あれから6年、新しい友人もできました。以前に比べれば賀状は減りましたが、なお沢山届きます。
 返信を出すか、それとも?
 吉田兼好(鎌倉末期の歌人・随筆家)が今健在なら、なんとコメントするでしょうか。「諸縁の放下そのままに」でしょうか。あなたならどうしますか。


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