「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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平和をつくる4つの構造変革
平和をつくる4つの構造変革

安原和雄
「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」(略称・コスタリカに学ぶ会)主催の対話・討論集会「平和をどうつくるか」が2005年11月27日東京・足立区内で約90名を集めて開かれた。パネルディスカッションのコーディネーターは弁護士・中山武敏氏、パネリストは作家・早乙女勝元氏、ジャーナリスト・齋藤貴男氏、それに私の3人である。

冒頭、映画「軍隊を捨てた国・コスタリカ」の要約版ビデオの上映があり、映画企画者の早乙女氏の次のような解説が印象に残った。
「軍隊を持たないで、他国に侵略される恐れはないのか、という疑問を我々は抱きやすいが、コスタリカの人々は、こちらから攻撃をしないのだから、攻撃されることもないと確信している。一般に〈備えあれば憂いなし〉というが、〈備えがないのが最強の備え〉ともいえるのではないか。〈軍隊がなくても平和たり得る〉のではない。〈軍隊がないからこそ平和たり得る〉と考えたい」と。         
以下はパネリストとしての私の主張「平和をつくる4つの構造変革」である。時間の制約上、説明不十分だったところは補足した。

▽「平和=非暴力」が広い平和観
 平和とはなにか。「平和の再定義」が必要と考える。一般に「平和=非戦」すなわち戦争がない状態が平和だと理解されている。もちろんこの平和観は重要だが、これでは「戦争反対」「平和を守れ」という視野を出ない。今やこういう平和観は狭い平和観といえる。
「平和=非暴力」と定義し直し、広い平和観をつくる必要がある。「平和=非暴力」とは、すべての暴力がないことを指している。すなわち究極の国家的暴力である戦争がないことはもちろんのこと、その他の多様な暴力もあってはならない。
 多様な暴力とは、いのちを無造作に奪う日常的な凶悪犯罪、自殺、交通事故死、人権抑圧、教育への不当な介入、不当な増税、福祉の軽視、自然・エネルギーの収奪・浪費、雇用機会の削減、家庭内暴力、企業犯罪、社会的不公正―などを指している。地球規模でみれば、これに貧困、飢餓、地球温暖化、異常気象、自然大災害、砂漠化、各地での軍事的紛争―などが加わる。

 日本列島上ではたしかに戦争はない。しかし平和だろうか。我が子を惨殺された親が「日本は戦争をしていないから平和だ」と思うだろうか。地獄へ堕ちた思いではないだろうか。
日本列島は今や多様な暴力があふれている事実上の「戦場」と化していると考える。多様な暴力がない状態をどうつくるか、それが平和をつくるということである。

 以上のような広い平和観に立って、以下に4つの提案を行う。
 中華人民共和国初代の国家主席、毛沢東は「敵の武器を奪って戦え」といったというが、先の「9.11衆院総選挙」で成功を収めた小泉首相の「単純なスローガン」戦法をこの際借用したい。4つの提案の単純なスローガン、キーワードは、次の通りである。

1)安保解体
2)地球救援隊
3)平和同盟
4)シンプルライフ

1)安保解体
当面の目標として、憲法9条の改悪を阻止し、在日米軍再編による安保の強化を拒否し、さらに長期目標として「安保解体」をめざすこと

▽なぜ9条改悪阻止が必要なのか
自民党新憲法草案(05年10月28日正式決定)によると、憲法改悪のポイントは9条2項の「戦力不保持」「交戦権の否認」の削除、その一方で正式の軍隊として「自衛軍の保持」を明記する。
これは戦争を行うための軍隊をもつことであり、米国の海外での戦争に公然と日本の軍隊が参加すること、つまり海外での日米共同の殺戮作戦に参加することにつながる。

この結果、なにが起こるか。米国のイラク攻撃に参戦したイギリス、スペインが本国でテロ攻撃を受け、多くの犠牲者が出たように日本も、例えば新幹線がテロ攻撃に見舞われ、一挙に数百人が犠牲になる可能性がある。
予想されるこの惨事を避けるためにも、当面の目標は9条改悪阻止である。

▽在日米軍再編―安保強化の拒否
平和をつくるためには9条改悪阻止と並んで、まさに今進められようとしている在日米軍再編、つまり日米安保体制の強化を拒否することである。

在日米軍の再編はなにを意味するのか。在日米軍基地の永久化を含めて日米軍事協力の一体化、緊密化を一層進めようというもので、「世界の中の日米同盟」としての機能、役割の強化をめざしている。
このような日米軍事協力が進めば、憲法9条の条文をそのまま守ることができたとしても、自衛隊の海外派兵が実質上促進されるだろう。
一方、憲法9条が改悪されれば、日本列島はこれまでのような米国の戦争への支援基地から日米共同の出撃基地へと質的な変化を遂げることになる。

▽日米首脳会談と「世界の中の日米同盟」
05年11月16日、京都で開かれた日米首脳会談は注目に値する。「世界の中の日米同盟」を再確認したからである。
日米安保、日米同盟はすでに1990年代後半から「世界の中の日米同盟」に変質―これを「安保の再定義」という―していることを見逃してはならない。ソ連崩壊、東西冷戦終結後、米国が突出した軍事力と身勝手な先制攻撃論を背景に打ち出した覇権主義、単独行動主義に対する補完・支援の役割を日本が世界的規模で担うこと―、それが「世界の中の日米同盟」にほかならない。

▽平和のための変革の本丸は「安保解体」
1960年の現行日米安保条約調印に全国規模で反対運動を展開したときのスローガンは「安保反対」だった。それから45年経ったいま、スローガンは「安保解体=アンポカイタイ」である。単なる「反対」ではなく、「解体」である。「自民党をぶっ壊す」とのたまう小泉首相流にいえば「安保をぶっ壊す」でなければならない。
平和をつくる長期目標として、日米安保体制そのものの解体、日米軍事同盟の解消を明確に掲げるときがきた。平和をつくるための本丸は、なぜ「安保解体」なのか。

*日米安保体制、日米同盟が世界最強の軍事力で武装した「世界の中の日米同盟」として世界に軍事的脅威を与える存在というだけでなく、すでに軍事力行使同盟になっているからである。ブッシュ大統領の表現を借りれば、日米安保こそ「悪の枢軸」(「9.11同時多発テロ」の翌年・02年1月の一般教書)であろう。

*日米安保体制は、日米のいわゆる軍産複合体(注)にとって巨大な既得権益であり、戦争ビジネスの豊富な機会を保障してくれる。だから日米安保は世界平和のための安全保障ではなく、日米軍産複合体のための安全保障の役割を果たしている。
(注)軍人出身のアイゼンハワー米大統領が1961年、全国向けの演説で「軍産複合体(巨大な軍事組織と大軍需産業の結合体という新しい現象)が経済的、政治的、精神的に強力かつ不当な影響力を行使しており、自由と民主主義を破綻させる可能性がある」と警告を発した。これをきっかけに軍産複合体の存在が表面化した。その後、軍産複合体は肥大化し、軍事的脅威の巧みな演出者にもなっている。今ではかつての単なる「軍産複合体」から、構成メンバーも多様化した巨大な「軍産官学情報複合体」として道理なき影響力を持ちつづけている。

*平和をつくるためには平和憲法9条の「戦力不保持」、「交戦権の否認」の理念を活かすことが不可欠である。
ところがこの平和理念は日米安保体制(安保条約第3条で日本は自衛力の維持発展を、第6条で軍事基地の許与を、それぞれアメリカに約束している)を背景に空洞化している。歴代保守政権は安保体制を優先し、一方、平和理念をないがしろにし、「解釈改憲」という手法を駆使して、9条の理念を骨抜きにしてきたからである。

 だから平和理念を取り戻し、実効あるものに育てるには日米安保と軍事同盟を解体するほかない。

▽安保解体は可能か
安保条約第10条(有効期限)は「相手国に条約を終了させる意思を通告した場合、その後1年で条約は終了する」と定めている。安保の呪縛から自らを解放し、自立した日本人となって、この条文の意味をしっかりと受け止めたい。国民、市民一人ひとりの変革への意志を結集できれば、「安保解体」は可能である。

2)地球救援隊
自衛隊を全面改組し、非武装の「地球救援隊」(仮称)をつくること

「安保解体」から「軍事力解体」へ、が次の戦略的目標である。そこへ登場してくるのが非武装の「地球救援隊」構想である。(詳しい内容は「安原和雄の仏教経済塾」に掲載の「説法・日本変革への道」全容を参照)

地球温暖化に伴う異常気象、自然大災害(巨大台風・ハリケーン、大地震、巨大津波など)、感染症の猛威、水・食料不足、飢餓、貧困、社会的不公正―など地球規模の非軍事的脅威、いいかえれば非軍事的暴力が多様化し、世界を苦しめている。これらの非軍事的暴力に地球規模で取り組むのが地球救援隊である。
この構想も軍隊を捨てたコスタリカに学び、平和憲法の理念を具体化させる日本の知恵であり、これこそが世界から期待される望ましい国際貢献である。

3)平和同盟
東アジア平和同盟(仮称)の結成に積極的に取り組むこと

東アジア平和同盟は東アジアにおける日米同盟など2国間の軍事同盟に代わる非軍事的な新しいタイプの集団安全保障体制である。自衛隊を全面的に改組して非武装の「地球救援隊」をつくるためには、このような集団安全保障体制の結成が不可欠である。

東アジア平和同盟のメンバーは、日本、中国、韓国、北朝鮮、東南アジア諸国連合(ASEAN=加盟国はタイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、シンガポールなど10か国)が考えられる。
この平和同盟は05年12月中旬マレーシアで開かれる第一回東アジア首脳会議が出発点となることを期待する。近未来に北朝鮮も含めて相互不可侵の誓約、核廃絶、顕著な軍縮の実現、経済的・人的交流の促進―などをめざす東アジア平和同盟(「東アジア共同体」など呼称は多様)へと発展させるよう努力する。

ここでもコスタリカに学ぶ姿勢が大切である。コスタリカは米州機構(OAS=05年6月の総会で内政不干渉の原則を確認)などの集団安全保障体制に加盟している。それが非武装中立国・コスタリカの安全保障の基礎にもなっている。

4)シンプルライフ
簡素な暮らし・経済へ変革すること

我々は日常生活で無造作に石油を浪費する暮らし方、いいかえればシンプルライフとはほど遠いを生き方を繰り返してはいないだろうか。これが実は戦争や暴力とつながっていることを理解する必要がある。なぜなら石油浪費型の暮らしや経済は資源エネルギーの暴力的確保(例えば米国のイラク攻撃と日本の攻撃支援の背景に中東石油の確保がある)を必要とするからである。
石油は、有限でしかも地球上の一部地域(例えば日本は石油の9割を中東地域に依存している)に偏在しているという特性がある。このため石油の確保をめぐって戦争など暴力沙汰を引き起こしやすい。

ノーベル平和賞受賞者のマータイ女史(ケニアの自然環境保護活動家)は05年2月来日、日本語の「もったいない」(MOTTAINAI)に出会い、世界共通語にしようと国連をはじめ世界各地で訴えてきた。そのマータイ女史は「多くの戦争は資源をめぐって起こる」と指摘している。
日本文化ともいうべき「もったいない」の精神を活かして大量生産ー大量流通ー大量消費ー大量廃棄の浪費的経済構造に別れを告げ、簡素な暮らし・経済へ転換させることが実は平和構築にとって不可欠なのである。

「憲法9条を守れ」、「戦争反対」を叫ぶだけでは、今や平和=非暴力をつくることはむずかしい。日常生活を石油など資源エネルギーの浪費につながらないシンプルなものに変えていくことが求められる。
例えば近い将来、地球温暖化、異常気象、水不足などを背景に世界的な食料不足時代がやってくるだろう。それがまた地球規模での暴力沙汰を誘発する引き金になることは間違いない。ではどうするか。まずは食べ残し、食べ過ぎを止めることである。これなら一人ひとりに今日ただいまからでも実行できるのではないか。それが平和をつくる行為である。

〈仏教経済学ってなに?〉
 その7つのキーワード=いのち・平和(=非暴力)・簡素・知足(=足るを知る)・共生・利他・持続性

 上述の記事、提案は仏教経済学〈別称「知足(ちそく)の経済学」〉の視点から書いている。仏教経済学とはなにか。
 新しい時代を切りひらく世直しのための経済思想である。仏教の開祖・釈尊の教えを土台にすえて、21世紀という時代が求める多様な課題―地球環境問題から平和、さらに一人ひとりの生き方まで―に応えることをめざしている。その切り口がいのち・平和・簡素・知足・持続性など7つのキーワードで、これらの視点は主流派の現代経済学〈別称「貪欲(どんよく)の経済学」〉には欠落している。だから仏教経済学は現代経済学の批判から出発している。
以上
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古稀を境に過激に生きる
古稀を境に過激に生きる

安原和雄
 私の生き方について書いてみる。今年(2005年)古稀を迎えたが、できるだけ過激に生きることを心構えとしたい。そう考えたのは、ザ・ボディショップ創業者のアニータ・ロディックさん(63歳)の座右の銘「老いてますます過激になる」(『朝日新聞』05年11月19日付be版)を目にしたのがきっかけである。

 ザ・ボディショップは日本も含めて53カ国に店舗があり、世界的に知られる天然化粧品企業である。その経営方針は利益第一主義を排し、動物実験反対、環境保護、人権擁護、従業員の個性尊重であり、創業者の彼女自身が社会活動家でもある。私はこの経営方針に以前から注目し、足利工業大学教員時代に経済学講義で企業の社会的責任というテーマで何度も取り上げた。
 日本の明治財界の指導者、渋沢栄一は自ら「論語・算盤」説、つまり企業にとって利益追求よりも企業活動の成果の社会還元こそ重要だという経営方針を実践したことで知られる(「安原和雄の仏教経済塾」に掲載の「企業人はカネの奴隷か」参照)。ロディックさんは、「おんな渋沢栄一」という印象がある。

▽「おもしろく」生きた高杉晋作
 過激に生きるとは、どういう生き方なのか。歴史上の人物として例えば幕末の長州藩志士、高杉晋作をあげたい。高杉は29歳という短い生涯だったが、その辞世の句は「おもしろきこともなき世をおもしろく」である。知友が見守る中で、こう書いて息絶えたというが、ここには混乱、激動、変革の幕末期を精一杯「おもしろく」生き抜いたという心情がよく表れている。
 この句をおもしろいと思うのは「楽しく」といわずに「おもしろく」という表現を使ったことである。楽しくとおもしろくはどう違うのか。

 「楽しく」は安全地帯に身を置いた保守、受身、消費を連想させる。すでに出来上がっているものを楽しむという発想である。一方、「おもしろく」は危険をも辞さない自由、挑戦、創造のイメージがある。そこにはロマン、志、さらにまだ出来上がっていないものを新たにつくっていく未来志向をうかがわせる。
 高杉がこの違いを意識してあえて「おもしろく」といったかどうかは分からない。しかし幕藩体制という既存の秩序をたたき壊すことに挑戦し、新しい日本を創造するために生きたことは、たしかにおもしろい人生であり、「わが人生に悔いなし」と思ったに違いない(拙著『遊びの人生経済学』参照)。これが過激に生きた人物の一例である。

▽日米安保の呪縛を超えて
 さて今日の21世紀に日本人の一人として過激に生きるとはなにを意味するのか。
 あえて一つだけ挙げれば、日米安保体制の呪縛から自らを解放することである。いいかえれば米国離れを促進させることである。これは反米を意味しない。真の意味での日米友好関係を新たにつくっていくことを意味する。もし高杉晋作が今健在であれば、こういう風に構想するのではないかと想像する。

 端的にいえば、日米安保体制はいまや「諸悪の根源」であり、「百害あって一利なし」である。自民党新憲法草案(10月28日正式決定)が国会で承認されれば、それは決定的となる。なぜそういえるのか。

*日米安保条約は日本の自衛力増強を明記しており、平和憲法の誇るべき理念と矛盾している。にもかかわらず戦後の保守政権は憲法の平和理念をないがしろにし、安保条約を優先させて、軍事力を増強してきた。
*安保条約によって日本列島に巨大な在日米軍基地網がつくられており、こうして日本列島が米国の大義なき戦争を自動的に支援する不沈空母としての機能を果たしている。
*自民党の新憲法草案によると、憲法前文の「平和共存権」、9条2項の「戦力不保持」「交戦権の否認」を削除し、「自衛軍」という名の正式の軍隊をもつことをめざしており、その結果、今後は日本が公然と戦争を行うことができるようになる。
*日米安保体制を背景にいわゆる米軍再編が実現すれば、日米軍事の一体化が急速に進む。米国のイラク攻撃に日本は自衛隊派兵によって軍事協力をしているが、改憲後は戦闘部隊を公然と派兵し、日米一体で戦争に参加することになる。これまでも日本は在日米軍基地を許容することによって、米国の海外での大量殺戮に間接的に手を貸してきたが、改憲後は日本自らが殺戮作戦に加わることになる。

 以上は日米安保体制の一端を描いたにすぎない。しかしいのち、非暴力、平和を尊ぶ仏教経済学の立場からはとても容認できるものではない。過激の英訳radical は根源という意味だから、過激に生きるとは、呪縛、固定観念、常識にとらわれず、自由な境地になって根源を問い直しながら生きようと精進を重ねることである。それほど大仰なことではない。
 
 これは私なりの「21世紀版ご奉公」のつもりである。もちろん米国の国家権力とそれに追随する者たちへの奉公ではない。平和を愛し、暴力を排し、簡素な暮らし・経済のありようを心から願っている人々へのご奉公である。

〈仏教経済学ってなに?〉
 その7つのキーワード=いのち・平和(=非暴力)・簡素・知足(=足るを知る)・共生・利他・持続性

 上述の記事、提案は仏教経済学<別称「知足(ちそく)の経済学」>の視点から書いている。仏教経済学とはなにか。
 新しい時代を切りひらく世直しのための経済思想である。仏教の開祖・釈尊の教えを土台にすえて、21世紀という時代が求める多様な課題―地球環境問題から平和、さらに一人ひとりの生き方まで―に応えることをめざしている。その切り口がいのち・平和・簡素・知足・持続性など7つのキーワードで、これらの視点は主流派の現代経済学<別称「貪欲(どんよく)の経済学」>には欠落している。だから仏教経済学は現代経済学の批判から出発している。
禁煙促進のために増税を
 時代は禁煙を求めている

 安原和雄
 大阪府立健康科学センターの調査によると、喫煙者の7割がニコチン依存症に悩んでいる(2005年11月7日付朝日新聞)。喫煙は単に本人の健康を害するだけではない。タバコを吸わない周囲の人までが、いわゆる受動喫煙(間接喫煙)によって健康を損ねるなどの弊害が少なくない。禁煙を促進するために仏教経済学の視点から何ができるだろうか。タバコの大幅増税など喫煙者への思い切った負担増を提案したい。


「安原和雄の仏教経済塾」に10月28日「説法・日本変革への道」を掲載、その中で「健康のすすめ」の医療改革案を提案した。その柱のひとつが生活習慣病の場合、医療費の本人負担を5割に引き上げるというものである。これに対し読者から次のコメントが寄せられた。

 「喫煙者は、自分と他人のいのちを粗末にすることであり、仏教経済学のいのち尊重と非暴力の考えに反する。本気で禁煙を奨励するのであれば、生活習慣病と同じように喫煙者の保険の本人負担を引き上げるとか、タバコ税を増税して、福祉に回すことを検討してはどうか」と。適切な意見と評価したい。

 時代の流れは禁煙へ、嫌煙へと向かっている。日本たばこ産業(JT)の「平成17年全国調査」によると、成人でタバコを吸う人の割合は男性45.8%、女性13.8%で、全体としては漸次低下の傾向にある。しかし20歳代、30歳代の若い女性の喫煙率が2割強と高い水準にあることは軽視できない。

 新幹線では禁煙車両が増えている。関東の私鉄大手は全面禁煙になっている。受動喫煙の防止を法律上義務づける健康増進法が03年5月から施行されたのがきっかけである。同法は次のように定めている。強制ではないが、対象施設では全面禁煙を促進することをめざしている。

▽多数者が利用する施設を管理する者は、受動喫煙防止に必要な措置を講ずるよう努めること。怠っても罰則はないが、努力義務とされている。
▽対象となる施設は、学校、体育館、病院、劇場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店など。「その他」としてバス、タクシー、航空機、駅、商店、旅館、金融機関、美術館などが明示されている。

 なぜ禁煙は望ましいのか。
 第一は他人の健康を害する権利はないこと。
もちろん本人の健康上、著しくマイナスという弊害は軽視できない。しかしそれ以上に受動喫煙による他人の健康被害を無視できない。「喫煙は嗜好の問題であり、自分の健康は自分の責任で対応する。私の勝手でしょ」という認識がまだ根強いが、これは間違っている。誰も他人の健康を害する権利は与えられていない。喫煙は嗜好の問題ではなく、いまや一種の犯罪であることを自覚したい。

 第二に喫煙者には自己管理能力が欠如していること。
アメリカでは喫煙者は自己管理能力がないと判断され、特に企業経営者の場合、失格という認識が広がっていると伝えられる。自己管理能力が欠落した人物が多数の従業員を抱える企業の管理能力を発揮できるとは考えられないからである。それにアメリカではタバコによる健康被害を理由に賠償・補償を求める訴訟が起こっており、円に換算して「兆」単位の支払いを命じる判決も少なくないと伝えられる。
日本でもやがて企業が喫煙者を「自己管理能力=仕事力・競争力」の不足とみて、雇用に消極的になる時代がやってくるのではないか。「失業したくなかったら、禁煙を」がキャッチフレーズになるのもそう遠い先のことではないだろう。

 第三に禁煙は商売上もむしろプラスであること。
例えば飲食店などでは喫煙者を迎え入れるために禁煙にしていないところがまだ少なくない。喫煙者に敬遠されては「商売不振」という懸念が根強いからである。しかし禁煙に消極的な店から逆に客足が遠のく時代はすぐそこまで来ているとみたい。
神奈川県のひとりの医師は新聞投書で次のように記している。
「あるイタリア料理店では迷った揚げ句、完全禁煙にしたら、売り上げが10%増えたと経営者は驚いている。別の日本料理店は従業員の健康に配慮して完全禁煙にしたら、心配していた客足は伸びたそうだ」と。投書氏は「おいしい料理は、空気の澄んだ店で食べたいものだ」と結んでいる。もう30年も前にタバコを捨てた私としては結びのことばに全面的に賛意を表したい。

 大阪府立健康科学センターの調査では「禁煙したいですか」という質問に「はい」と答えたのは、ニコチン依存症と判定された人のうち6割強である。また7割強が「今までに禁煙を試みたことがある」と答えている。禁煙がなかなか簡単ではないことは、かつて喫煙者であった私としても承知しており、心情を理解できるが、支持することはできない。

 ここでは禁煙に努力する人の背中を押す意味で少々過酷な手法かもしれないが、次のような新たな負担を提案する。
▽喫煙は生活習慣病の一種だから、喫煙に伴う病気は本人負担を5割に引き上げる。
▽タバコ税の大幅増税を実施する。日本のタバコの価格は他の先進国に比べ安すぎるので、少なくとも一挙に2倍に値上げし、値上げ分をそのまま増税分とする。この程度の増税は、他人の健康損害料、迷惑料として当然と考える。

 私は小泉改革路線に大筋では賛成できないが、例の「抵抗勢力」という用語は、この際借用したい。禁煙という時代の流れに「抵抗勢力」として頑迷に踏みとどまるのは、時代感覚から大きくずれている。「無駄な抵抗は止めなさい」と。以上
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