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「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
企業人はカネの奴隷か
企業人はカネの奴隷か
                               
安原 和雄
新興のIT企業や投資ファンドが他社の株を大量に取得するケースが相次いでいる。インターネット商店街最大手の楽天(三木谷浩史会長兼社長)が民放TBSの株を大量に取得したことが05年10月13日表面化した。阪神タイガースの親会社、阪神電鉄の筆頭株主に躍り出て話題を呼んでいる投資ファンド(通称・村上ファンド)を率いる村上世彰氏もかなりのTBS株を取得した。半年前のライブドア(堀江貴文社長)によるニッポン放送株買い占め騒動はまだ記憶に新しい。

仏教経済学の視点に立つと、これら一連の動きからなにがみえてくるか。それは「企業人たちよ! カネの奴隷になりたいの?」という疑問である。

▽カネ欲は望ましくない欲望
 仏教のキーワードの一つは少欲知足である。釈迦は次のように説いている。 
 「少欲の人は無求(ぐ)無欲なれば、患(うれ)へなし・・・」
 「苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。・・・知足の人は貧しといえどもしかも富めり」と。
 欲望肥大症は身を滅ぼす。人生の苦悩から抜け出したいのであれば、知足、すなわち「もうこれで十分」という足るを知るこころを持ちたい。そういう生き方のできる人こそ実は豊かな人、という意である。

ただ仏教は欲望すべてを否定しているのではない。欲望には望ましい欲(求道の精神、歴史の大道に沿った改革への志、世のため人のために尽くしたいという利他の精神など)と望ましくない欲(物欲、カネ欲、権力欲、名誉欲など)の2つがあると教える。前者は大欲、後者は小欲(=小さな低次元の欲望で、少欲すなわち知足とは異なる)ともいわれる。前者の望ましい欲望まで失ってしまっては生き甲斐も消えていく。
 もちろんカネは現下の市場経済、貨幣経済の下では大切であるが、カネはあくまでも手段であり、増殖を目的とすべきものではないと仏教経済学は考える。

▽渋沢栄一、伊庭貞剛に学ぶこと
 日本資本主義の父ともいうべき存在であった渋沢栄一(1840~1931年)は実業界から引退するまでに500余の企業設立にかかわったほか、教育分野では一橋大学の創設にも力を尽くした。渋沢は経済・経営観として「論語・算盤」説、つまり利益追求よりも企業活動の成果の社会還元こそ重要だと説き、その指針としたのが論語の次の言葉である。

 「君子(くんし)は義に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利に喩る」
 立派な人物はつねに義にかなうかどうかを中心に考え、行動するが、つまらない人間は万事につけ利益本位に打算し、義に背くかどうかなど考えもしない、という意である。

 渋沢は必要な事業を盛んにするために多くの企業を設立したが、株が騰貴することを目的に株を持ったことはないと著書『論語講義』(講談社学術文庫)で語っている。
一方、伊庭貞剛(1847~1926年)は、渋沢と同時代に生きて「東の渋沢、西の伊庭」ともうたわれた存在で、住友財閥の重鎮として多くの業績を残した。伊庭の座右の銘が仏教の禅の言葉である。

 「君子財を愛し、これを取るに道あり」
 立派な人物は財を尊重して、手に入れるにも道に沿って行う、つまり道義に反していないかどうかをまず考える、という意である。 

 また彼の口癖に「金というものは儲けられるもんじゃない。授かるものだ」、「武力、財力、智力、意力など〈力〉は貴いが、所詮手段じゃ。〈力〉を導くものは、〈道〉の外にない」があった。住友グループの経営理念、「浮利を追うなかれ」はここから生まれた。
 2人の大先達の経済・経営観を今日風に翻訳すれば、企業人たちよ、カネの奴隷にならないよう自らを戒めよ、ということだろう。

▽マネーゲーム主役たちの金銭感覚
 モノづくりの実業を軽視して、カネの増殖に狂奔するマネーゲーム騒動が目立つ昨今だが、株買い占めの主役たちはどういう金銭感覚を持っているのか。
 ライブドアの堀江貴文氏は「カネで買えないモノなどあるわけない。買えないモノがあれば、教えて欲しい」と言ったことがある。これには次のように答えたい。「両親からいただいた自分のいのちもカネで買ったのか」と。市場経済の外に目を向ければ、カネでは買えない貴重なモノが沢山あることに気づくだろう。

 村上ファンドの村上世彰氏は小学生の頃から株運用に興味を持っていたといわれる。彼の行動指針は「おもしろいこと、もうかること、フェアなこと(法に従うこと)」であり、株を買い占めた阪神電鉄を「投資家にとってこんないい会社はない」と評価していると伝えられる。いいかえれば、違法でないかぎり、株でもうけることほどこの世でおもしろいことはないという金銭感覚であろう。

 一方、楽天の三木谷浩史氏は「地方の活性化、さらに日本を変えることに貢献したい。重要なことは経営に正義心があるかどうかだ」と経営理念を語っている。この発言からみるかぎり、ITを足場にした新事業そのものへの意欲を感じさせる。その手段としての株買い占めであれば、事業の拡大策ではあるが、買い占めた株の値上がりを待って、利ざやを稼ぐために売り逃げるというマネーゲームの印象は薄い。

 ともかく今後とも盛んになるだろうマネーゲームは何を意味しているのか。英国の経済学者、スーザン・ストレンジが著書『カジノ資本主義』(岩波書店)でマネーゲーム化した資本主義に次のように警告を発したのはもう20年も前のことである。
 「西側世界の金融システムは急速に巨大なカジノ以外のなにものでもなくなりつつある。(中略)このことは深刻な結果をもたらさざるをえない。将来何が起きるかは全くの運によって左右されるようになり、熟練や努力、創意、決断、勤勉がだんだん評価されなくなる。(中略)いまや運が怠惰や無能と同じように仕事を奪うかもしれない。不確実性の増大が我々を賭博常習者にしてしまっている」

▽勝利したはずの資本主義の腐朽性
マネーゲームの主役たちは、カネを自在に操っているつもりかもしれないが、実はカネに操られ、自らの意に反してカネの奴隷と化している。資本主義経済が実業本位からマネーゲーム本位へ、つまりギャンブル化していくことは資本主義が健全性を失い、腐朽性を強めていくことにほかならない。かつてのソ連型社会主義の崩壊とともに、資本主義の独り勝ちになったと有頂天になっている見方が少なくないが、実は勝利を収めたはずの資本主義の土台そのものが汚染され、崩壊しつつあることに気づくときであろう。

 バブル崩壊後の1990年以降、名門企業も含めてどれほど多くの企業人が、不正会計操作、自己利益の飽くなき追求などマネーゲームまがいの経営で道を踏み外し、刑務所送りとなったことか。その都度、腰を90度曲げて陳謝する異様な光景はいまでは珍しくもない。
 渋沢、伊庭の大先達が、もし生存していたら、何というだろうか。「資本主義の精神もここまで堕ちたか」と慨嘆するにちがいない。
以上
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