「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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足利知足塾が発足
21世紀は知足の時代      
         
 足利知足塾という名の新しい知足塾が全国で初めて発足(05年7月、栃木県足利市大岩町の蕎麦屋さん「だいかいど大海戸」=店主・柿澤一雄さん=にて発足会を開催。20名の市民が集合)しました。以下はその発足会の席で安原が「21世紀は知足の時代」と題して行った講話です。これをきっかけに知足塾が全国のあちこちに誕生することを願っています。


1)仏教経済学―「もったいない」を心に
  キーワード:もったいない、知足と共生、貪欲を超えて

 赤穂浪士四十七士が吉良邸討ち入り前夜に集合したのはたしか蕎麦屋でした。歴史に残るような重要な会談や会合はしばしば蕎麦屋か温泉で行われてきました。今日のこの会合も開催場所は蕎麦屋であり、今後どこまで発展するか楽しみです。

 さて仏教経済学といってもまだ馴染みにくいところがあるでしょうが、そうむずかしい話ではありません。分かりやすくいえば、仏教を経済に活かそうという新しい考え方です。だから大学の経済学部で教えている従来の現代経済学とは異質のものです。
 
 では仏教を経済にどういう風に活かそうというのでしょうか。仏教の今日的なキーワードである「知足」(=足るを知ること)と「もったいない」の心、精神を経済や日常の暮らしの中に組み込んで、経済のあり方(生産、流通、消費、廃棄のあり方)、その経済を担う人間様一人ひとりの生き方、暮らし方を変えてみようという話です。

 仏教というと、あの世で地獄ではなく、極楽へゆくためのお説教くらいに考えている人が多いと思いますが、それは誤解であり、錯覚です。仏教は現実のこの世で地獄に堕(お)ちないで、極楽に生きるにはどうすればよいかを説く教えです。しかも仏教は十の理屈よりも一つの実践を重視します。だから仏教経済学はこの世で極楽、幸せを築くには経済や暮らしの変革をめざして実践することを重視します。

2)少欲知足の説法について
▽釈迦(仏教の開祖)の説法『遺教経』(ゆいきょうぎょう)
・少欲=「多欲の人は、多く利を求むるが故に苦悩もまた多し。少欲の人は求むることなく、欲なければ、この患(わづら)いなし」
・知足=「不知足の者は富めりといえども、しかも貧し。知足の人は貧しといえども、しかも富めり」
▽老子(中国古代の哲人)が説いた『老子』=「足るを知る者は富む」
▽兼好法師(鎌倉末期の歌人、随筆家)の『徒然草』=「四つの事(食、着、居、薬)倹 約ならば、誰の人か足らずとせん」
▽3代将軍家光と親交を深めた江戸初期の臨済宗禅僧、沢庵=「食は朝に一粥、暮れに一粥にて足ることを知る」

 ここでは知足(少欲知足と表現されることも多い)が歴史上の人物によってどのように説かれたかをみましょう。知足の最初の提唱者である釈迦(今のネパール南部、インド)と老子(中国)は国は違っても、共に西暦前5世紀前後の同時代に生きていましたが、「足るを知る者こそ豊かな人」という同じような考えだったことは興味深いことです。兼好法師や沢庵は知足の精神を後世の日本に引き継いだ無欲、すなわち大欲の賢人で、日常の知足の生き方、暮らし方が見事な人生哲学として身についていたことをうかがわせます。

3)少欲知足は実は大欲である
人間の欲望には小欲、少欲、大欲、貪欲、知足、無欲などさまざま種類の欲望があります。これらの欲望は相互にどのような関係にあるのでしょうか。図で示すと、以下のようになります。
<大欲=無欲>
    |
<少欲=知足>
    |
<小欲=貪欲>

 若干の説明が必要です。小欲と少欲とは同じ発音ですが、どう違うのでしょうか。間違えやすいところですが、小欲はつまらない欲望で貪欲と同じ意味です。人間の煩悩の3毒(貪=むさぼり、瞋=いかり、痴=おろかさ)、さらに金銭、地位、権力などへのむさぼり、執着心を指しています。

 一方、大欲は、我欲(=小欲への執着心)を捨てた無欲に根ざしています。仏教でいう「大」は「小」と比較する「大」ではなく、「絶対」を表すことばで、仏教では仏道に生きることがすなわち大欲です。
 参考までにいえば、仏教用語は普通の言葉とは逆の意味に用いることが多いのです。例えば「あなたは無学だね」といわれると、大概の人は馬鹿にされたと怒るでしょう。しかし仏教用語の無学は最高の褒(ほ)め言葉です。なぜなら無学とは、もうこれ以上学ぶものは何もないほど学問を究めたという意味だからです

 さて肝心の少欲と知足はどう考えたらよいのでしょうか。少欲すなわち知足であり、少欲知足は、「もっともっと欲しい」とむさぼる貪欲と違って「もうこれで十分」と受け止める感謝の心構えといえます。だから少欲知足は小欲(=貪欲)を制し、大欲(=無欲)実践へのバネになり得えます。こうも言えます。少欲知足は「欲望を無理に我慢する」というマイナス思考ではなく、むしろ大欲へつながるプラス思考である、と。

4)地球環境時代に少欲知足をどう実践するか
少欲知足と大欲の実践
大欲は仏道に生きることと述べました。しかしお坊さんになるという意味ではありません。全員が大欲をめざしてお坊さんになったら日本社会はもちません。大欲とは少欲知足の精神を生かし、「世のため、人のため」つまり利他主義に尽力し、人生を積極的にいきいきと生きようとする姿勢であり、その行動・実践です。利他主義は仏の心、仏の道の実践を意味します。この利他主義が仏教経済学の重要な柱のひとつです。 
 自分のことしか考えない利己主義では世の中がもちません。「私の勝手でしょ、自分の腕で稼いだカネを自分の好きなように使ってどこが悪いの」などと考える人が最近増えましたが、それは勝手な思いこみであり、間違っています。こういう考え方、生き方は自己破滅への道です。

 考えてもみましょう。この世に自分一人の力で生きている人はいません。今朝あなたは何を食べましたか。コメですか、それともパンですか。どちらも農業者は別にして多くの場合、自分で作ったコメやパンではないでしょう。他人様のお世話になっているのです。 「いや自分のカネで買った」といいたいのでしょう。

 しかしお金って何でしょうか?あの紙切れが5000円も、1万円もの値打ちがあるのは、政府や中央銀行(日本の場合は日本銀行)が間に入って信用できることを約束しているからです。いいかえれば人と人との約束事なのです。つまり人間同士のつながり、社会的共同体の中でのみお金は価値をもってくるのです。このことはコンビニもファミリーレストランもない絶海の孤島に独り取り残された場面を想定すればよく理解できます。トランクに1万円札を一杯詰め込んでいても、そのお金が何の役にも立たず、無価値であることが分かるはずです。

 このように人間は「お陰様」という利他主義の精神で生きるほかないです。こういう世の成り立ち、社会のあり方を理解して感謝の心で生きることが少欲知足の実践であり、大欲の生き方につながります。

非市場価値の尊重 
仏教経済学は経済価値を市場価値(=貨幣価値)と非市場価値(=非貨幣価値)の2つに大別します。前者の市場価値はお金と交換してマーケット(コンビニなど)で購入できる商品、サービスです。お金がものをいう市場経済の世界です。一方、非市場価値はお金との交換で手に入れることのできない価値です。いくらお金を積んでも、そのお金が威力を発揮できない分野です。具体例をあげると、以下のようです。

*市場価値(=貨幣価値)―衣食住などの個人消費のほか、企業活動、公共投資、福祉、教育など。
*非市場価値(=非貨幣価値)―地球、自然の恵み、いのち、いのちあるものすべてとの共生、簡素な暮らしを大切に思う価値観、愛、やさしさ、品性、徳など。

既存の現代経済学は前者の市場価値しか視野にありませんが、仏教経済学は後者の非市場価値も視野に入れて、それを重視します。特に今日のような地球環境時代(いのち、地球自然環境の保全、簡素な暮らしの尊重が求められる時代)には後者の非市場価値の重視が大切だと考えます。それが少欲知足の経済・暮らしにつながります。しかもそれは地球環境時代にふさわしい生き方であり、政治・経済社会の変革をめざして生きることにほかなりません。

日本文化の伝統的な少欲知足の精神を表す次の3つのことばの復活・普及
*「いただきます」=いのちの尊重、感謝
*「もったいない」=モノやいのちを大切にする心
*「お陰様で」 =自然や祖先への畏敬の念、感謝、連帯感

地球救援隊(仮称)の創設を提唱
 戦争は貪欲(=資源エネルギーの暴力的確保への理不尽な欲求など)に根ざしています。05年2月に来日したケニアの副環境相、04年度のノーベル平和賞受賞者、マータイ女史は日本語の「もったいない」を世界語にしたいと地球規模で普及活動に取り組んでいます。そのマータイ女史がこう言っています。「そもそも戦争は資源の争いから始まる」と。暴力に走る貪欲を捨てて、平和を希求する知足の心をどう活かすか、その着想から生まれたのが「地球救援隊構想」です。 

 平和憲法第9条(戦力の不保持)の理念を活かして、自衛隊を戦力なき「地球救援隊」(仮称)に全面改組することを提唱します。
 テロ制圧と自由・民主主義を目標に掲げたアメリカ主導のアフガニスタン、イラクへの戦争はアメリカの覇権主義に根ざした武力行使ですが、その狙いの一つは石油確保にあります。さらに戦争は人命、生活、自然環境を破壊する元凶そのものです。こういう戦争に正義はないし、「人道支援」という名目にせよ、日本の自衛隊を派兵しなければならない正当な根拠はありません。同時に平和憲法第9条(戦争放棄、戦力不保持)を改悪しようとする動きが自民党を中心に顕著になりつつあることは見逃せません。

 まず強調したいのは第9条は海外で評価が高く、改悪に反対の声が高まっていることです。一例を挙げれば、元上智大学長、イエズス会神父のヨゼフ・ピッタウ師(イタリア人)は「日本の平和憲法は宝。改憲はとんでもない」という意見の持ち主です。平和憲法の理念を活かすためには、ミサイル防衛など戦力の質的増強を図る自衛隊を戦力なき組織に全面改組することが求められます。

 次に地球環境時代の脅威は多様であり、例えば地球温暖化―異常気象によって多数の犠牲者が続出するという非軍事的脅威こそ主要な脅威であり、外国からの軍事的脅威は決して主要な脅威ではないことを認識する必要があります。いいかえれば地球環境時代の主要な脅威にはミサイルや戦闘機は無力です。従って地球環境時代にふさわしい救援組織の創設が急務です。

 さらに既存の現代経済学、すなわち「貪欲の経済学」は「戦争は富の増進に役立つ」として武力行使を容認します。しかし仏教経済学、すなわち「知足の経済学」は、いのち・自然を尊重する立場から武力行使を含む暴力を拒否します。こういう仏教経済学の考え方から自衛隊の戦力なき組織への全面改組という方向が必然的に導き出されてくるわけです。

 さて戦力なき地球救援隊構想の概要は次の諸点からなっています。
*地球救援隊は軍事的脅威に対応する組織ではなく、非軍事的脅威(大規模災害、感染症などの疾病、水不足、不衛生、飢餓、貧困、劣悪な生活インフラなど)に対する人道的救助・支援をめざすこと。
*活動範囲は内外を問わず、地球規模であること。特に海外の場合、国連主導の国際的な人道的救助・支援の一翼を担うこと。
*自衛隊の戦力なき「地球救援隊」(仮称)への全面改組であること。従って地球救援隊と自衛隊とが共に併存するものではないこと。

*自衛隊の全面改組を前提とする構想だから、自衛隊の装備、予算、人員、教育、訓練などの質の改革を進めること。
 ・装備は戦闘機、ミサイル、武装ヘリコプター、戦車、護衛艦、潜水艦、対潜哨戒機、弾丸などの兵器は廃止し、人道救助・支援に必要なヘリコプター、輸送航空機、輸送船、食料、医薬品、建設資材・機械類などに切り替える。特に台風、地震、津波など大規模災害では陸路交通網が寸断されるため、空路による救助・支援が不可欠となる。それに備えて非武装の「人道ヘリコプター」を大量保有する。
 ・防衛予算(現在年間約五兆円)、自衛隊員(現在定員約二五万人)を大幅に削減し、訓練はもちろん戦闘訓練ではなく、救助・支援・復興のための訓練とする。
 ・特に教育は重要で、利他精神の涵養、人権尊重に重点を置き、いのちの安全保障を誇りをもって担える人材を育成する。

*NPO(非営利団体)、NGO(非政府組織)などと緊密な協力体制を組むこと。
*必要な新立法を行うこと。例えば現行の自衛隊法は自衛隊の主な行動として防衛出動、治安出動、災害派遣の3つを定めているが、このうち災害派遣を継承発展させる方向で新立法を行う。自衛隊法ほか有事関連法は廃止する。

 以上のような地球救援隊構想にはイメージとして宮沢賢治(注)の「雨ニモマケズ」の慈悲と利他の心が込められています。
(注)詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)は岩手県生まれで、花巻で農業指導者としても活躍し、自然と農業を愛しました。日蓮宗の信徒として仏教思想の実践家でもありました。

 「雨ニモマケズ」の大要を紹介しましょう。
   雨ニモマケズ          風ニモマケズ 
   慾ハナク          イツモシヅカニワラッテイル
   (中略)
   東ニ病気ノコドモアレバ     行ッテ看病シテヤリ
   西ニツカレタ母アレバ      行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
   南ニ死ニサウナ人アレバ     行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
   北ニケンクワヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
   (中略)
   サウイフモノニ         ワタシハナリタイ
   
 この詩を地球規模の視野に立って、21世紀版「雨ニモマケズ」として読み替えれば、何がみえてくるでしょうか。「南ニ死ニサウナ人アレバ」は発展途上国の栄養失調、病気、飢餓、劣悪な生活インフラで苦しんでいる10億人を超える人々のことであり、「北ニケンクワ(喧嘩)」とはアメリカ(北米)主導のアフガニスタン、イラクへの攻撃を指しています。たしかに「ツマラナイカラヤメロ」という声は地球上を覆いつつあります。

 最後の「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」は「そういう国に日本を変えましょう。それを私はお手伝いします」と読み直します。宮沢賢治が今生きていれば、そう詠い直すに違いないでしょう。賢治の深い仏の心と詩情が戦力なき地球救援隊の創設をしきりに促していると受け止めたいと思います。こういう道を大胆に選択することこそが地球環境時代に生きる智慧といえるのではないでしょうか。

以上                            
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