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「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
平和する国・コスタリカ
戦争する国・アメリカ

安原和雄
 小出五郎著『戦争する国、平和する国』(07年9月、佼成出版社刊)は、平和をどうつくっていくかに関心を寄せている人々にとって学ぶところが多い労作である。「平和する国」のモデルは中米の非武装国コスタリカであり、一方、「戦争する国」の典型はいうまでもなくアメリカである。(08年3月5日掲載)

 本書のタイトル、『戦争する国、平和する国』がなかなかユニークである。「戦争する国」のマイナスのイメージは、「テロとの戦い」を「正義のための戦争」という旗印を掲げて、強行し、多くの犠牲を強いる今のアメリカをみれば、よく分かる。
 しかし「平和する国」とはどういう意味か。「戦争以外の方法で平和を実現するという動詞として〈平和する〉という言葉を使いたい。もしかしたら戦争するよりも険しく、継続的な忍耐と努力が必要だ」と著者は解説している。

 本書は1987年にノーベル平和賞を受賞し、現在2回目のコスタリカ大統領の座にあるオスカル・アリアス・サンチェス氏とのインタビューを軸にまとめたコスタリカ・リポートである。筆者の小出氏は科学ジャーナリストで、元NHK解説委員。

▽非武装国コスタリカの利点、そして多様性の尊重
 
中米の小国、コスタリカ(人口は北海道より少ない430万人ほど)は世界で注目される国である。なぜか。本書の「はじめに」に「非武装中立、環境保全、教育重視を国の基本政策とし、政策実現のために熱心に発言し行動している国」とある。

大統領との会見内容のほんの一部を紹介しよう。
 小出「コスタリカの特徴をキーワードで表現すれば、何か」
 大統領「『平和の国』。50年以上前(1949年)に軍隊を廃止し、世界に平和を宣言した国。複数の政党があり、つまり話し合いを大切にする国、寛容の国、穏やかな国、中米地域に平和を実現するための労を惜しまなかった国」と。
具体的には「1980年代、超大国の冷戦の影響で、隣国のグアテマラ、エルサルバドル、ニカラグアは内戦が続いていた。コスタリカはこれらの国に平和を実現するには武力ではなく、対話をすべきだと大胆に持ちかけ成功させた。武器を沈黙させることができたのだ」と。
 しかもこう言い切っている。「今は、希望を持って未来を見つめることができる国」と。未来を見失っている我がニッポンとの隔たりが大きすぎるのではないか。大統領がノーベル平和賞を受賞したのも、この中米和平実現の功績が評価されたためだ。

 軍隊を廃止した利点は数多い。大統領は語っている。「軍隊廃止で財源が浮けば、まず教育に、福祉に、住宅建設に回すことができる。私たちが誇りにしていることだが、コスタリカの子どもたちは戦車や戦闘機を見たことがない。コスタリカは今、ラテン・アメリカ全体で一番社会的不平等が少ない国だ」と。

 平和と並ぶもう一つのキーワードが「多様性」で、大統領は「コスタリカの生物多様性法では多様性を環境保護だけでなく、平和、民主主義、人権尊重、経済活動、教育などすべてを含む価値観にしている」と解説している。いいかえれば多様性の尊重こそが平和をつくるのであり、他国の言い分を聞き入れないアメリカ的単独行動主義を排するというメッセージだろう。

 本書の読後感をいえば、小国コスタリカは「経済力は豊かではないとしても、未来に生きるモデル国」として魅力的である。軍事力はもはや万能ではない。軍事同盟に執着する大国の時代は急速に遠のき、非武装の小国が世界をリードする時代がすぐそこまで来ている、という希望が湧いてくる。

(以上は【「コスタリカに学ぶ会」(正式名称=軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会)つうしん=第24号、08年3月1日発行】に安原が書いた書評の趣旨で、ここに転載した)

▽戦争の「正義」と「戦争プロパガンダ10の法則」

 著書『戦争する国、平和する国』はつぎのようにも指摘している。

 戦争する国は、つねに「正義のための戦争」と主張する。イラク戦争でアメリカのブッシュ政権は「テロとの戦い」を正義の旗印として掲げた。
 しかし、正義とは何だろうか。
 正義とは、実はつくられるものなのだ。
 自国の正義を正当化するために、世論を誘導して国民の同意をとりつける。(中略)反対できない雰囲気をつくりあげる。このように情報によって世論を誘導することをプロパガンダ(propaganda)という―と。

 ここでは同書から「戦争プロパガンダ10の法則」を紹介しよう。この法則はブッシュ政権が「テロとの戦い」という「正義」を振りかざして実行してみせた。

①「われわれは戦争をしたくない」
②「しかし、敵側が一方的に戦争を望んだ」
③「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
④「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
⑤「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為に及んでいる」
⑥「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
⑦「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
⑧「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
⑨「われわれの大義は神聖なものである」
⑩「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 若干の解説を加えると―、
 ③の「悪魔」について
 ブッシュ大統領が「9.11テロ」(2001年9月11日ニューヨークの世界貿易センタービルなどが航空機の自爆攻撃を受け、約3000人が犠牲となった)翌年の一般教書(02年1月)で「悪の枢軸」(Axis of Evil)として「北朝鮮、イラン、イラク」を名指しで非難したことはまだ記憶に新しい。最近の一般教書(07年1月)でもEvilは2回出てくる。法則通り「悪魔」を口実にしているわけで、「戦争する大統領」の面目躍如(?)というところだろうか。

④の「偉大な使命」について
 イラク攻撃の場合、「国内では残虐非道、人権無視の独裁的な恐怖政治を行い、一方では核兵器、生物兵器、化学兵器を製造、保有し、世界の平和を脅かしている。だからサダム・フセイン大統領を倒すこと」が正義であると宣言し、開戦した。
 しかしこれらの大量破壊兵器は見つからなかった。根拠なき「偉大な使命」というほかない。

 ⑧の「戦いの支持者」について
 お膝元のアメリカのメディアに限らず、日本のメディアもブッシュ大統領の開戦、侵略を批判しなかった。むしろ「テロは文明への攻撃」と断じて「ブッシュの戦争」を支持した。
 もちろんテロは容認できないが、テロを批判するのであれば、まずアメリカの「国家テロ」こそ断罪されるべきである。一例を挙げると、1975年春終結したベトナム戦争ではアメリカの侵略によって約300万人のベトナム人が犠牲となった。そのアメリカにテロを批判する資格はない。

▽戦争プロパガンダへの5つの対抗手段

 さて戦争プロパガンダにはどう対応したらいいだろうか。本書が掲げる5つの対抗手段を紹介しよう。
①「法則」を知っている
②数字と予測は不確実
③多様な側面から考える
④選挙にはきちんと参加する
⑤やはり、「知は力なり」

 ひとつだけ紹介すると、《①「法則」を知っている》ことが大切である。たとえば《法則⑩》に「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」とある。対外的な緊張が高まると、反対者を「非国民」「愛国心がない」と非難する声が高まる。
 法則⑩を知っていれば、「敵」を非難する方法は、プロパガンダの定法であることが分かり、戦争勢力が意図的に流す「偽」の情報をチェックすることができる。だから簡単に乗せられて後悔する愚を避けることができる。


〈ご参考〉「正義とPeaceとWar 〈折々のつぶやき〉29」(ブログ「安原和雄の仏教経済塾」に07年3月31日付で掲載)

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コメント
この記事へのコメント
平和同盟への夢
「平和する国・コスタリカ、戦争する国・アメリカ」というタイトルが気に入りました。

アメリカが「正義の戦争」という旗を掲げて、実は覇権主義と石油のために侵略しているという事実は、多くの人が気づいていると思います。そう思いたいのですが、それでも今なお「戦争する国」を支持する人々が日本に存在しているという事実は否定できません。
ご指摘の「悪魔」という戦争プロパガンダが効いているのでしょう。

一方、平和する国・コスタリカの存在感は日本でもかなり知られてきましたが、まだまだ「小国だからできること」という捉え方が少なくないように思います。
しかしなぜ大国にはできないのでしょうか。「○×、総身に知恵が回りかねる」のたぐいでしょうか。

21世紀は、あの「9.11テロ」(2001年9月11日アメリカで起こった同時多発テロ)で幕を開けましたが、この「テロ」の金縛りにあって、自由な思考が停止状態となっているようです。例の思考停止病です。
しかし少し視点を移動させると、別の座標軸が浮かび上がってきます。それは「テロか正義か」という二者択一の視点から「平和する国か戦争する国か」という新たな視点への転換ではないでしょうか。
もちろん「平和する国」の旗は平和憲法9条(軍備と交戦権の拒否)であるはずです。その具体的な実践例が非武装中立国・コスタリカなのでしょう。

日本とコスタリカが軍事同盟を打破する平和同盟を結ぶときは案外早いかも知れないーと夢みる想いです。

2008/03/10(月) 17:41:03 | URL | 平和希求者 #-[ 編集]
大国は小国に学べ
 前回はろくにあいさつもせずに自分の意見だけを書き殴り失礼いたしました。
以前からずっと拝読していてしばしばコスタリカの名前を見かけていましたが
各方面でいつもコスタリカは現実が分かっていない、だとか
コスタリカの名前を出すやつは信用できない、とかろくな評価を下そうとしない
「武力依存症」患者の悲しい視野の狭い言い分が目につきます。
戦争する国・アメリカと歩調を合わせているニポンはことあるごとにアメリカに学ぶことが
正義だと錯覚していることに気付かされます。
逆にコスタリカや他の(経済的に小さい)国には何も学ぶことはない、と
見栄を張っているのがよく分かるようになりました。
経済規模だけが国の指標だけではないですから「平和する」貢献度では
コスタリカは世界一、アメリカ・ニポンは最下位に甘んじているといっても過言ではないでしょう。
こういうときだからこそ謙虚に小国から学ぶ姿勢は大切にしたいですよね。
2008/03/11(火) 00:20:15 | URL | Rated-H2O #MLEHLkZk[ 編集]
「平和する」貢献度
Rated-H2O さん、今回もまた適切なコメントを頂戴しました。

結論部分でご指摘の《「平和する」貢献度では コスタリカは世界一、アメリカ・ニポンは最下位に甘んじているといっても過言ではないでしょう。・・・だからこそ謙虚に小国から学ぶ姿勢は大切にしたいですよね》には同感です。

日米は「武力依存症」にとどまらず、「大国錯覚症」にも蝕まれているといえます。なるほど図体は大きいとしても、その中身は弱肉強食、貧富の格差、不公正と腐敗の拡大、誇りを失った人間集団―などのために残念ながら空洞化が進んでいます。
これはいわゆる新自由主義路線(=市場原理主義)の悪しき産物といえますが、これをどう転換していくか、現下最大の課題ではないでしょうか。
2008/03/11(火) 12:55:26 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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