「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。あと10年で日本はどこまで幸せをとりもどせるのか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。
21世紀版・小日本主義の勧め
今、石橋湛山に学ぶこと
  
安原 和雄
 第二次大戦前から「大国主義」を捨てて、その代わりに「小日本主義」への転換を唱えたことで知られる石橋湛山は戦後、首相の座を病のためわずか2か月で去らざるを得なかった「悲劇の宰相」ともいわれる。その湛山がいま、もし健在であれば、日本が選択すべき針路としてどういう構想を提示するだろうか。
 やはり21世紀版「小日本主義」を勧める構想以外には考えられない。敗戦直後の改正憲法案の9条(戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)をみて「痛快きわまりない」と叫んだ湛山である。その湛山に学びながら、21世紀版「小日本主義」の構想について憲法の平和理念をさらに発展させ、具体化させる方向で考える。(08年5月16日掲載)

 私(安原)は2008年5月14日、東京・千代田区一ツ橋、如水会館で開かれた水霜会(徳田吉男会長=一橋大学、神戸大学出身者の会)の例会で「21世紀版・小日本主義の勧め ― 今、石橋湛山に学ぶこと」と題して講演した。以下にその大要を紹介する。

 まず講演の3つの柱は以下の通り。
(機鵬燭問題なのか? ―世界と日本を混乱と破壊に追い込むものは
(供砲匹Δ靴燭蕕茲い里? ―湛山の小日本主義に学ぶ
(掘砲匹Δいζ本に変革できるのか? ―21世紀版小日本主義を実践して

(機鵬燭問題なのか?―世界と日本を混乱と破壊に追い込むものは
 その要旨は以下の通り。

▽ 世界最大のテロリスト集団は誰か ― もう一つの「9.11テロ」

アメリカはテロとの戦いを名目に今なおアフガン、イラクで戦争・占領を続けている。イラクでは日本も事実上参戦している。しかし世界最大のテロリスト集団は一体誰なのか。この真相を認識することが先決である。

*チリのアジェンデ政権を銃で転覆
 まず2001年米国を襲った「9.11テロ」とは別のもう一つの「9.11テロ」をご存じだろうか。
 1973年9月11日、南米チリのアジェンデ政権(当時、民主主義と社会主義を標榜し、民主的選挙で選ばれた)が銃によって転覆された。首謀者はピノチェト将軍で、それを支援したのがアメリカの外交政策とCIA(中央情報局)であった。これがもう一つの「9.11テロ」といわれる。

*米軍によるソンミ村の大虐殺
 私(安原)はベトナム解放30周年記念の年、2005年4月、作家の早乙女勝元氏を団長とするベトナム・ツアーに参加し、米軍のベトナム侵略による被害の実態をみた。
 ベトナム人の犠牲者は300万人にのぼる。しかも米軍が空から撒いた枯れ葉剤の後遺症で今なお苦しみにあえいでいる人も沢山いる。

 米軍の大虐殺として知られるベトナム中部のソンミ村を訪ねた。村人たちがまだ眠っている早朝、武装ヘリで襲い、504人が虐殺され、わずか8人だけが生き残った。米兵たちは村人1 人を殺害する度に、「一点」、「もう一点」と叫んだという。殺人ゲームそのものである。

 第二次大戦後、米軍の直接の軍事力行使あるいはアメリカ製兵器による犠牲者は世界で数千万人に上るという指摘もある。
 こうみると、アメリカ国家権力とその背後に存在する軍産複合体(軍部と兵器メーカーなどとの複合体)こそ世界最大のテロリスト集団といっても差し支えないだろう。
 アメリカの著名な言語学者、ノーム・チョムスキー教授はその著作『覇権か、生存か』(集英社新書)で「ホワイトハウスは世界残虐大賞に値する」と指摘している。

▽日米安保体制の負の効果 ― アメリカと無理心中の懸念も

 日米安保体制(=日米同盟)について正確な認識を共有することが不可欠と考える。多くのメディアでは日米同盟を肯定する傾向があるが、私はむしろその負の効果、いいかえれば危険な特質に着目する必要があると考える。
 日米安保体制(=日米同盟)は軍事同盟と経済同盟からなっている。

*日米軍事同盟に執着し、孤立へ
 まず日米軍事同盟について考える。その法的根拠である日米安保条約の第3条は日本の「自衛力の維持発展」を明確にうたい、ここから特に憲法9条2項(軍備及び交戦権の否認)の骨抜きが始まった。第5条(共同防衛)、第6条(基地許与)によって沖縄を中心に日本列島上に米軍基地網が張りめぐらされ、日本列島は米軍の出撃基地と化している。
 しかも1990年代後半から「世界の中の安保」に変質し、世界中至る所に米軍が出撃し、それを自衛隊が補完する体制が出来上がっている。その典型例が自衛隊のイラク派兵で、名古屋高裁判決(08年4月17日判決、その後確定)は9条違反と断じた。
 しかしこのような日米一体化での軍事力行使がかえってアフガンやイラクで混乱と破壊をもたらしている現状からみれば、軍事力はもはや無力となっている。にもかかわらず日米軍事同盟と軍事力行使に執着し、そのため世界の中で孤立を深める結果となっている

 日米経済同盟もまた危険な選択といえる。日米安保条約第2条(経済協力の促進)に「日米両国は、国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また両国の間の経済的協力を促進する」と定めている。これは具体的に何を意味するのか。一つは米国を源流とする新自由主義(=市場原理主義)の日本への導入で、それは弱肉強食の自由競争の激化、貧富など格差の拡大、後期高齢者の医療費負担増など税・保険料負担の増大を招いている。
それに食料・エネルギー危機さらにサブプライム・ローン(低信用者向けローン)の破綻が重なって、新自由主義路線も危機に陥っている。これが世界や日本を混乱と破壊に追い込んでいる。

*泥船の運命共同体からどう脱出するか
もう一つ、指摘すべきことはドル暴落が日本に及ぼす打撃である。
 見逃せないのは、日本は米ドルの日本銀行による大量買い支えによってドル崩落の防止に一役買っており、さらにドルの買い支えなどによって増えた外貨準備(ドルが中心で、08年初頭現在で約1兆ドル=100兆円超)は米国債(ドル建て財務省証券)の大量購入によって運用され、米財政赤字の穴埋めをしている。
 大量の米国債購入は、アメリカのイラク攻撃に要する巨額の戦費調達を間接的に支援しているが、一方では近未来にも不可避とされるドル暴落によって10兆円単位の巨額の為替差損をこうむる可能性がある。

 こうみると、日米は軍事、経済両面で、いわば泥船に乗った「運命共同体」であり、このままでは無理心中となりかねない懸念が強い。ここからどう脱出するか。アメリカを支えてきた敗戦国、日独の2大国のうちドイツはイラク戦争に「ノー」を突きつけ、すでに脱出したことを想起したい。

(供砲匹Δ靴燭蕕茲い里? ―湛山の小日本主義に学ぶ

 ジャーナリストの大先達、石橋湛山(1884〜1973年、元首相、日蓮宗の信徒)は首相就任祝賀会でつぎのように述べた。「私は自分で総理になろうという考えはない。ただ日本を立派な国にしたいという一念に燃えている」と。今どきの政治家と違って立派である。ただわずか2か月(1956年12月から翌年2月まで)で病のため首相の座を去った。

 軍事力行使を中心とする大国主義が打開力を失っている今こそ、湛山が唱えた小日本主義に学ぶ必要がある。小日本主義の特質はつぎの5本柱からなっている。 
*植民地、領土拡大をめざす大日本主義のアンチ・テーゼ 
大正10年(1921年)頃から「大日本主義は幻想」であるとして、政治的、経済的、軍事的に意味がないという理由から当時の朝鮮、台湾、満州(現在の中国東北部)、樺太(現在のサハリン島の南半分)などの植民地を捨てよ!と説いた。

*軍備拡張は亡国への道
 「わが国の独立と安全を守るために軍備拡張という国力を消耗するような考えでは、国防を全うできないだけでなく、国を滅ぼす。軍備拡張という考えを持つ政治家に政治を託するわけにはいかない」と1968年に論じた。

*9条は世界に先駆けた理念として高く評価
新憲法改定案が公表されたとき、9条(戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)をみて、「世界にいまだ全く類例のない条規である。独立国たるいかなる国もかつて夢想したこともない大胆至極の決定だ。痛快きわまりない」と『東洋経済新報』誌(1946年)で評した。

* 平和憲法と日米安保条約は両立不可能で、憲法理念を優先
 「日米安保条約と憲法は明らかに矛盾している。(中略)日本政府の取るべき態度はきわめて簡単明瞭に自国の憲法に立脚すればよい。これは当然である」と1960年8月の朝日新聞で論評した。

* 世界とアジアの平和のために「日中米ソ平和同盟」締結を提唱
 「今日の日米安保条約は日米間だけのものだが、これを中国、ソ連にまで広げ、相互安全保障になしうれば、ここに初めて日本も安心できるし、米国、中国、ソ連とも仲良くしてゆける」と論じた。
 湛山の打診に対し、当時のフルシチョフ・ソ連首相は「原則的には全面的に賛成」と回答、周恩来中国総理は、「私も以前から同じようなことを考えていた。中国はよいとしても、米国が問題でしょう」と答えたいきさつがある。(『石橋湛山全集』第十四巻・参照)

(掘砲匹Δいζ本に変革できるのか?― 21世紀版小日本主義を実践して

 海外版小国主義=コスタリカ・モデル(軍隊の廃止、自然環境の保全、平和・人権教育)に着目するときである。コスタリカは世界でもユニークな「1949年現行憲法」で軍隊を廃止し、今日に至っている。しかも1983年「中立宣言」を行った。その柱は非武装中立、永世中立、積極中立の3つである。このうち積極中立とは、決して一国平和主義に閉じこもらないで、紛争の絶えない近隣諸国に積極的な平和外交を展開することを指しており、事実その成果として自国の平和確立、戦争拒否を貫いてきた。

 21世紀版小日本主義を構想する以上、大国主義路線(新自由主義=市場原理主義の強行、さらに憲法9条改悪による軍事国家化の推進)からの構造転換が不可欠である。その柱として以下の3つを構想する。
*「持続可能な発展」を日本がめざすべき外交、政治、経済上の新しい戦略目標として導入すること
*日米安保体制(日米軍事・経済同盟)の解体と「東アジア平和同盟」の構築を図ること
*自衛隊を全面改組し、戦力なき「地球救援隊」(仮称)を創設すること 

▽「持続可能な発展」を憲法に追加条項として盛り込む

 「持続可能な発展」(=持続的発展 Sustainable Development)を憲法に追加条項として盛り込むのは、憲法の平和理念をさらに強化するためである。
 ここでの「平和理念」とはどのような意味合いなのか。平和とは、広い意味の「非暴力」、「反暴力」のことである。戦争、紛争、テロ、殺戮がない状態は平和にとって基本的に重要だが、それだけを指しているのではない。人間性や生の営みの否定ないしは破壊、例えば自殺、交通事故死、凶悪犯罪、人権侵害、不平等、差別、失業、貧困、病気、飢餓―などが存在する限り平和とは縁遠い。さらに貪欲な経済成長による地球上の資源エネルギーの収奪、浪費とそれに伴う地球環境の汚染、破壊が続く限り、平和な世界とはいえない。 いいかえれば以上のような多様な暴力を追放しない限り、平和の実現は夢物語に終わることを強調したい。

 このような多様な暴力を否定し、つまり地球上の生きとし生けるもののいのちを等しく尊重し、真実の平和を確保するためのキーワードが持続的発展である。従って平和憲法が真の意味で平和の確保をめざすのであれば、憲法の中に「持続的発展」という文言を追加条項として織り込むことが必要である。

 具体的試案は以下の9条と25条の2つである。
 ●9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)に関する追加条項
 「日本国民は、世界の平和と持続的発展のために、世界の核を含む大量破壊兵器の廃絶と世界の通常軍事力の顕著な削減に向けて努力する責務を有する」を新たに追加する。

 戦争、軍備と対立する概念である持続的発展を新たにうたうことによって「戦争放棄、軍備・交戦権の否認」という先駆的な理念の強化を図り、日本国民の国際貢献のあり方として核兵器の全面的廃絶と顕著な軍備縮小に取り組む姿勢を明示する。

 次の点を補足しておきたい。
 一つは湛山が現行憲法9条と日米安保体制(=日米軍事同盟)とは矛盾するという観点から、9条を生かすことを優先させるべきだと説いたことである。湛山の9条尊重論が小日本主義と結びついていることはいうまでもない。9条に持続的発展を新たに盛り込むことは湛山の小日本主義の今日的発展を意味する。

 もう一つ、9条の世界的意義は世界のさまざまな人びとによって高く評価されていることである。日本人の多くが考えている以上に9条堅持とその理念の積極的活用に対する海外の期待は大きい。
最近の事例としては「9条を世界に広めよう」を合い言葉とする「9条世界会議」が08年5月4〜6日開催された。主会場の千葉・幕張メッセには海外からも含めて約2万人、このほか広島、大阪、仙台で計1万人、総勢3万人超が集まり、「9条世界宣言」を世界に向けて発信した。

 ●25条(生存権、国の生存権保障義務)に関する追加条項
 「すべての国民、企業、各種団体及び国は生産、流通、消費及び廃棄のすべての経済及び生活の分野において、地球の自然環境と共生できる範囲内で持続的発展に努める責務を有する」を新たに追加する。

 この追加条項は従来の経済成長路線(=大量生産・消費・廃棄→地球環境の汚染・破壊→生命共同体の崩壊)、さらに拝金主義という名の「貪欲(=暴力)路線」との決別を明確にし、新たな「持続的な経済」を志向する。これは同時に脱・成長経済、脱・石油浪費社会、すなわち簡素な経済を意味しており、地球環境の保全、資源エネルギーの節約などの「知足(足るを知ること=非暴力)路線」をめざす。

 この脱・石油浪費社会、脱・成長経済は、「持続的な経済」(=簡素な経済)の2本柱であり、従来の経済構造を根本から変革することをめざすものである。
 誤解が予想されるので、若干補足すると、持続的な経済、すなわち脱・成長経済は決して貧困への道ではない。逆にむしろ従来型の成長経済こそが量的過剰のなかの質的貧困を意味している。
 なぜならGDP(国内総生産)で計る成長経済はモノやサービスの量的拡大(廃棄物、ごみの大量生産などを含む)を意味するだけで、そこに質的豊かさ(いのちの尊重、自然の豊かさ、ゆとり、安らぎ、人と人との絆、人間としての誇りなど)は一切含まれないからである。持続的経済は経済成長率を高めることは追求しないが、質的豊かさの実現を重視する。

 9条が追加条項も含めて安全保障、外交上の平和(=非暴力)を志向するのに対し、25条の追加条項は経済社会の平和(=非暴力)の構築を意図している。

 以上2つの追加条項は、憲法前文にすでに明記されている平和的生存権(注)と一体となって、持続的発展を軸に据える「平和環境立国・日本」としての戦略目標を世界に向けて宣言するものである。この新しい憲法理念は、21世紀版小日本主義の大枠であり、その土台となる。
(注)憲法前文は平和的生存権として「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とうたっている。恐怖とは戦争であり、欠乏とは貧困であり、このような暴力から免かれることが平和を意味する。イラク派兵を憲法9条違反としたあの名古屋高裁判決は、この平和的生存権について「すべての基本的人権の基礎にあって、その享受を可能にする基底的権利」と認めた。

▽ 日米安保体制(=軍事・経済同盟)の解体、「東アジア平和同盟」の構築

 憲法9条の平和理念は日米安保体制(=日米軍事同盟)の戦争志向とは根本的に矛盾・対立している。したがって9条を守り、その理念を取り戻すためには日米安保体制を解体することが前提となる。
 念のためつけ加えれば、日米安保条約10条(条約の終了)は「いずれの締約国も、条約終了の意思を通告することができ、その通告の1年後に条約は終了する」と定めている。つまり国民の意思で日米安保を解体することができる。

 しかもアジアと世界の平和を確かなものに創るためには「東アジア平和同盟」の結成が不可欠である。これは湛山の「日中米ソ平和同盟」構想の21世紀応用編である。
 東アジア平和同盟のメンバーは日本、中国、韓国、北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国、東南アジア諸国連合(ASEAN=加盟国はタイ、マレーシア、フィリッピン、インドネシア、シンガポールなど)などが考えられる。これは「東アジア共同体」構想(04年11月、ASEANプラス日中韓の首脳会談で確認)を土台とするもので、湛山の「日中米ソ平和同盟」のメンバーと同一ではない。

 日米安保の解体と東アジア平和同盟の結成はなにをもたらすか。
・東アジアからの米軍基地撤退と東アジア非核化を可能にする
・長期的にはコスタリカ方式の「非武装・積極中立」を視野に置く。
・日米軍事同盟の仮想敵は目下のところ、北朝鮮だから、南北朝鮮の統一ができれば、日米軍事同盟の存在意味がなくなる。

▽ 自衛隊の全面改組、戦力なき「地球救援隊」(仮称)の創設  

 慶応大学で04年12月、「仏教経済学と地球環境時代」というテーマで講義をしたとき、「地球救援隊」の構想を提案したら、ある女子学生は「私も同じことを考えていた」と感想文に書いた。

 なぜ非武装の地球救援隊なのか。
 第一は今日の地球環境時代における脅威は多様である。脅威をいのち、自然、日常の暮らしへの脅威と捉えれば、主要な脅威は、地球生命共同体に対する汚染・破壊、つまり非軍事的脅威である。非軍事的脅威は地球温暖化、異常気象、大災害、疾病、貧困、社会的不公正など多様で、これら非軍事的脅威は戦闘機やミサイルによっては対応できないことは改めて指摘するまでもない。
 第二は世界の軍事費は総計年間1兆ドル(約100兆円)を超える巨額に上っており、限られた財政資金の配分としては浪費の典型である。この軍事費のかなりの部分を非軍事的脅威への対策費として平和活用すれば、大きな効果が期待できる。にもかかわらず巨額の軍事費を支出し続けることは、軍事力の保有による軍事的脅威を助長するだけでなく、むしろ戦争ビジネスに利益確保の機会を与える効果しかない。

 以上から今日の地球環境時代には軍事力はもはや有効ではない。そこから登場してくるのが戦力なき地球救援隊構想である。その概要は次の諸点からなっている。
・地球のいのち・自然を守るために平和憲法9条の理念(戦争の放棄と戦力の不保持)を生かす構想であること。
・地球救援隊の目的は非軍事的な脅威(大規模災害、感染症などの疾病、不衛生、貧困、劣悪な生活インフラなど)に対する人道的救助・支援をめざすこと。
・活動範囲は内外を問わず、地球規模であること。
・自衛隊の全面改組を前提とする構想だから、自衛隊の装備、予算、人員、訓練などの質の改革を進めること。
 兵器を廃止し、人道救助・支援に必要なヘリコプター、輸送航空機、輸送船、食料、医薬品などに切り替える。特に台風、地震、津波など大規模災害では陸路交通網が寸断されるため、空路による救助・支援が不可欠となる。それに備えて非武装の「人道ヘリコプター」(注)を大量保有する。
 防衛予算(現在年間約5兆円)、自衛隊員(現在定員は約25万人)を大幅に削減し、訓練は戦闘訓練ではなく、救助・支援の訓練とする。

 (注)ミャンマーを襲った超大型サイクロンと中国四川省の大地震
 08年5月2日夜から3日にかけてミャンマー中・南部を直撃した超大型サイクロンの被害は死者10万人説、食料不足数百万人、コメ産地壊滅によるコメ価格急騰(平年の2倍に) などと伝えられる。
 一方、5月12日発生した中国四川大地震では15日現在、被災者1000万人超、このほか死者5万人超、生き埋め、行方不明者合わせて10万人を超えた。
 2つの大災害ともに「道路寸断、救援届かず」と報じらたことからも分かるように空路救援のための多数の「人道ヘリ」が必要である。

 このような地球救援隊の創設は、軍隊を捨てたコスタリカ・モデル応用の日本版である。
武装組織である自衛隊の全面改組を前提とするこの構想が実を結ぶためにはアジア、中東における平和、すなわち非戦モデルの構築が不可欠であり、そのためには日米安保体制の解消、東アジア平和同盟の締結が前提となる。
 日本国憲法9条の平和理念に対する世界の期待が大きい折だけに、この構想の具体化は日本が世界の対立と恐怖を超えて、和解と共生を促す先導的役割を果たすことにもなるだろう。


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保身と無責任か、それとも
〈折々のつぶやき〉37

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉は37回目。題して「保身と無責任か、それとも」です。(08年5月12日掲載)

▽ 新入社員に贈る出世心得10カ条

 最近の朝日新聞夕刊(東京版)のコラム「素粒子」は大変興味深く読んでいる。4月の某日、つぎのような一文が載っていた。

新入社員に贈る出世心得10カ条
(歐箸般祇嫻い魎里北辰困戮
⊆最圓倭粥覆垢戞砲涜梢佑里擦い砲擦
5供覆)なくば会社は立たずと考えよ

ぐ任醗砧呂砲箸海箸鷆すべし
ニ,篋枷十蠅量仁瓩鰐技襪擦
β召竜劼量堆任鯊莪譴帽佑┐
Юご屬糧稟修貿麓東風であれ

╂亀全兇箋す、見識は捨てよ
悪事には見て見ぬふりをせよ
つねに尻尾(しっぽ)を振るポチであれ
(以上を守れば諸君も役員に)

〈安原のコメント〉 失望?
 こういう輩が最近たしかに目立つ。もちろん反面教師として描いているのであり、これとは「正反対の人物」待望論が素粒子・筆者の真意であろう。なぜこのような輩がはびこっているのか。やはり弱肉強食、私利第一主義の市場原理主義の横行が背景にある。
5月11日の「サンデープロジェクト」(朝日テレビ)を観ていたら、中曽根康弘元首相がおもしろいことを言っていた。「市場原理主義が経済だけでなく、教育、道徳の分野にまで入ってくるのは弊害をもたらす」と。

 ほぼ同感である。ただ中曽根さんはその市場原理主義の日本への導入者である。顕著になったのは小泉首相時代だが、1980年代の中曽根首相の時から「小さな政府」論と自由化・民営化路線、すなわち市場原理主義が広がり始めた。
 この「弊害」発言は、それに対する反省の弁だったのか、それとも自分が導入者だという自覚はないのか、本音を聞いてみたい。
 
 勝ち組のつもりらしいが、その実、市場原理主義の囚われの身となっている現代版奴隷の群れと評するほかない連中がのさばっているからといって、日本の現状と将来に失望するのはまだ早すぎる。

▽ 運転手さんとおばさんと

 ここでメディアから2つの記事(要旨)を紹介したい。
一つは毎日新聞「日曜くらぶ」に連載の「心のサプリ」(筆者は心療内科医・海原純子さん)で、「他人を守る人たち」(5月11日付)と題する記事である。つぎのように書いている。

 高速道路を走るトラックの車輪がはずれて、対向車線のバスを直撃するという事故が起こった。最初このニュースをきいた時、なぜバスが横転しなかったのだろうと疑問がわいたが、後でこのバスの運転手がブレーキを踏み、サイドブレーキまで引いて止めたということを聞き、胸が熱くなった。運転手はタイヤの直撃を受けていたのである。
 人間はとっさの時、無意識に身を守る。危険を避ける反射が起こるはずなのだ。
(中略)
 自分を守るのではなく、乗客を守った。もし自分を守っていたら、多分命を落とすことはなかっただろう。しかし乗客の多くがケガをしたり、場合によっては亡くなる人もいただろう。
 乗客の話によると、バスは静かにゆるやかに停車した。運転手の方は何十年も無事故で、運転を指導する立場にいらしたという。職業意識もさることながら、とっさの時に自分を守るのを忘れ、人を守るというのは、その方の普段の生き方の反映なのだろう。
(中略)
 「死んじゃったらおしまいさ、人はすぐ忘れてしまう」などと言う人もいるだろう。でも、そうではない。私はそうした人たちの心を忘れたくない。他人を助けるために命を落としてしまう警官や学生もいる。みな声高に自分の行動をひけらかさない。見返りも求めない。すべて普段の心の反映なのである。(後略)

 もう一つは朝日新聞「声・若い世代」欄に載った「あのおばさん 一生忘れない」(5月11日付)というタイトルの投書(小学生 11歳)である。その趣旨は以下の通り。

 雨の日の夜、僕は塾の帰りに自転車置き場で手がすべり、自転車の鍵をなくしました。木の根元をおおった網の中に落としてしまったのです。
 雨が激しく降ってきてびしょびしょになるし、ダンゴ虫もいっぱいいて、泣きそうになってしまいました。そうしたらお母さんよりちょっと年上のおばさんが、通りすがりに「どうしたの?」と声をかけてくれました。
 おばさんは自分のかさで取ろうとしてくれましたが、なかなか取れません。近くのお店から懐中電灯、長い定規などを買ってきて、ようやく鍵を取ってくれました。おばさんの手は土だらけ、身体も雨でびしょぬれでした。
 僕は名前を聞くのも忘れ、ただ「申し訳ありませんでした」「本当にありがとうございました」としか言えませんでした。
 僕はそのおばさんを一生忘れないと思いました。これから僕も人を助ける心の優しい人になりたいと心の中で決心しました。

〈安原のコメント〉 希望へ
 以上の2つの事例にみる運転手さんとおばさんの行為は、保身と無責任、私利第一主義の対極に位置する思いやり、利他行為ではないだろうか。小学生は「これから僕も人を助ける心の優しい人になりたい」と決心したわけで、どこまで大きく成長していくのか楽しみである。これだから日本の将来も棄てたものではない。混乱の中の現実に希望を見出した気分になっている。


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武力によらない平和を地球規模で
戦争廃絶を願う「9条世界宣言」

安原和雄
 「日本国憲法9条を世界に広めよう」を合い言葉に08年5月4〜6日、千葉市の幕張メッセで日本列島の隅々から、さらに世界中から約2万人の人々を集めて開かれた「9条世界会議」は最終日に「9条世界宣言」などを採択して、世界に向けて発信した。その骨子は「9条世界会議は戦争の廃絶をめざして、9条を人類の共有財産として、武力によらない平和を地球規模で呼びかける」と強調している。
 この世界会議は幅広い多数の市民に支えられた初めての試みである。日米両政府によって9条の「戦争放棄、軍備及び交戦権の否認」という理念は事実上空洞化されてきているが、その理念をよみがえらせ、活性化させて、人類の共有財産にまで広めるための大きな第一歩を踏み出した。(08年5月7日掲載、同月8日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 この世界会議には初日の全体会は1万2000人、2日目の分科会は6500人が参加した。満席のため会場に入れなかった人たちは初日に3000人、2日目に500人いた。海外からの参加者は31カ国150名に上った。
 吉岡達也さん(「9条世界会議」日本実行委員会共同代表、国際交流NGOピースボート共同代表)の開会宣言につづいてマイレッド・コリガン・マグワイアさん(北アイルランド、1976年ノーベル平和賞受賞)、コーラ・ワイスさん(アメリカ、「ハーグ平和アピール」国際市民会議」の呼びかけ人)が基調講演を行い、日本国憲法9条の世界的意義を強調した。

 2日目の分科会はシンポジウムだけでも「世界の紛争と非暴力」、「アジアの中の9条」、「平和を創る女性パワー」、「環境と平和をつなぐ」、「核時代と9条」、「9条の危機と未来」など。このほかパネル討論では「グローバリゼーションと戦争」、「軍隊のない世界へ」が多数の参加者を集めた。
 「軍隊のない世界へ」では軍隊を廃止したコスタリカのカルロス・バルガスさん(国際反核法律家協会副会長、国際法律大学教授)がコスタリカが軍隊を廃止した背景や意義、さらにコスタリカと9条をもつ日本との市民レベルの連帯が重要であることを力説した。

▽「G8に対する声明」と「核不拡散条約再検討委員会に対する声明」

 最終日に「9条世界宣言」のほかに「G8に対する9条世界会議声明」が採択された。
その骨子は以下の通り。
 G8サミットが日本の北海道・洞爺湖で7月開催されるにあたり、以下の事項について検討するよう求める。
*G8諸国は世界の軍事費の70%を支出している。軍事費を大胆に削減するとともに、その資源を平和、開発、環境保護のために転換すること。
*アメリカが主導する「対テロ戦争」は、恐怖と抑圧を生み、憎悪と暴力を世界中に助長している。「対テロ戦争」を終わらせ、テロリズムの根源となっている要因について人権を尊重し国際法を活用しつつ、国際協力によって対処すること。
*平和、人権、環境保護を含む企業の社会的責任を支えるための仕組みを構築し、実行すること。

 さらに「核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会に対する声明」も採択された。その骨子はつぎの通り。
*NPT加盟の核保有国は核兵器廃絶への交渉を直ちに開始し、核軍縮と核兵器廃絶のプロセスを再生すること。
*膨大な軍事費の口実になっている核兵器の研究、設計、開発、製造およびミサイル防衛計画を即時に止めること。
*ミサイル禁止条約および宇宙兵器の禁止のための即時交渉開始を支持すること。

▽ 「9条世界宣言」(08年5月4〜6日 9条世界会議)

 ここでは「9条世界宣言」の大要を収録し、そのコメント、感想を最後に述べたい。その内容は以下の通り。なお理解を助けるために必要な(注)は安原がつけた。

 日本国憲法9条は、戦争を放棄し、国際紛争解決の手段として武力による威嚇や武力の行使をしないことを定めるとともに、軍隊や戦力の保持を禁止している。このような9条は、単なる日本だけの法規ではない。それは、国際平和メカニズムとして機能し、世界の平和を保つために他の国々にも取り入れることができるものである。9条世界会議は、戦争の廃絶をめざして、9条を人類の共有財産として支持する国際運動をつくりあげ、武力によらない平和を地球規模で呼びかける。

 1945年の国連憲章は、明確に定義された異常事態の場合を除いては「武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならない」ことを加盟国に義務づけた。
 日本によるアジア太平洋への侵略戦争と広島・長崎への原爆投下の後に1947年に施行された日本国憲法9条は、武力の行使を認めるいかなる例外ももたないという点で、世界平和のための国際規範の発展におけるさらなる一歩前進である。この日本の動きにつづいて、コスタリカは1949年、軍隊や自衛隊をもたなくても国家は平和的に存在できるという例を示した。
 9条の精神は、すべての戦争が非合法化されることを求めている。そしてすべての人々が恐怖や欠乏から解放され、平和のうちに生きる固有の権利を有することを世界に投げかけている。

(注・安原)日本国憲法(1947年施行)とコスタリカ憲法(1949年改正)
* 日本国憲法9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)
‘本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
∩姐爐量榲を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

*コスタリカ憲法12条(常備軍の禁止)
常設の組織としての軍隊はこれを禁止する。公の秩序の監視と維持に必要な警察力はこれを保有する。大陸内の協定または国内防衛のためにのみ軍事力を組織することができる。

〈今日の世界における9条〉
 しかし今日の世界は、武力紛争、大規模な貧困、格差の拡大、武器の拡散、地球規模の気候変動に覆われている。アメリカによる全面的な「テロとの戦い」は、戦争をもたらし、国連の役割を台無しにし、地球規模の軍備競争を復活させ、世界中で拷問を助長し、人権をむしばんでいる。
 紛争が民間人、とりわけ女性、子ども、高齢者たちに与える影響に対する関心が高まっているにもかかわらず、戦争で殺され傷つき避難を余儀なくされる民間人の割合は、空前の高さに達している。
 このような絶望的な状況は、イラクにおける戦争と占領にはっきりと示されている。平和や民主主義が武力によってもたらされないことは、もはや明白である。こうした世界的な流れのなかで、9条の原則を保持し、地球規模の平和と安定のための国際メカニズムとして強化することが、かつてないほど重要になっている。

 それにもかかわらず日本は、憲法9条の義務を果たしていない。さらに9条の存在自体がいま脅かされている。今日の日本の自衛隊は世界最大規模の軍隊の一つであり、アメリカは日本中に軍事基地をもっている。日米軍事協力がますます強化されるなか、日本の現実は憲法9条の精神からの乖離をいっそう深めている。
日本によるアメリカへの全面的軍事支援を可能にさせるために憲法を改定しようという動きは、日本国内、アジア近隣地域、そして国際社会で不安をかきたてている。日本は近隣諸国への戦争責任を果たしておらず、和解はいまだなされていない。東北アジアには不安定な冷戦構造がいまだに残されている。

〈9条と地球市民社会〉
 歴史的には、国家のみが国際関係の主体であると考えられてきた。しかし市民の運動が重要な役割を果たしてきたこともまた事実である。1990年代より地球規模の市民社会が、草の根レベルで国境をこえて団結し、人類の将来の決定に参加するようになってきた。平和、人権、民主主義、ジェンダーおよび人種の平等、環境保護、文化的な多様性などの課題について主要な役割を果たすようになってきた。

 1997年の対人地雷禁止オタワ条約、1999年の「ハーグ平和アピール」国際市民会議、2002年の国際刑事裁判所の設立、2003年のイラク戦争に対する空前の世界的反戦運動といった例は、いずれも地球市民社会が変革の主体としての力を明確に示したものだった。さらに今、クラスター爆弾の禁止や小型武器の管理を求める運動、核兵器の非合法化を求める運動、また地球規模の平和と経済的・社会的正義を求める運動が広がっている。いまこそ地球市民社会は、9条の条項とその精神に着目し、その主要な原則を強化し、地球規模の平和のためにそのメカニズムを生かしていこう。

〈9条の約束を実現する〉
 9条の主要な原則を国際レベルで実行するためには、大国から小国まですべての国々は、暴力紛争の発生を予防する責任を果たし、いかなる状況下でも武力による威嚇や武力の行使を放棄しなければならない。そして安全保障を人間の観点またジェンダー・バランスの視点から見直す必要がある。
 貧困と不平等が紛争の根源的要因になっている。現在のグローバリゼーションは、南北格差をさらに深刻にしている。各国政府は、国連ミレニアム開発目標の達成を第一歩として、すべての人々にとっての持続的繁栄と社会正義を築くために資源を使わなければならない。

(注・安原)国連ミレニアム開発目標
 国連ミレニアム開発目標(MDGs:Millennium Development Goals)は2000年9月開催された国連ミレニアム・サミット(加盟189か国から150人以上の元首・首脳が参加し、21世紀を前に世界共通の課題を話し合った)で採択された。次の8つの目標を掲げている。
 ゞ謀戮良郎い筏臆遒遼侈如弊こΔ韮影1ドル以下の所得しかない人々、飢餓に苦しんでいる人々の比率を2015年までに半減させること)、⊇蘚教育の完全普及、ジェンダーの平等、女性の地位向上の達成、て幼児死亡率の削減、デセ塞悗侶鮃の改善、Γ硲稗屐織┘ぅ此▲泪薀螢△覆匹亮隻造量延防止、Щ続可能な環境づくり、発展のためのグローバル・パートナーシップの推進。

 以上の目標を掲げた背景には次のような国際社会の深刻な現実があり、この目標達成は05年9月の国連創立60周年記念の首脳会議で再確認された。
・世界の人々の5人に1人は、1日1ドル未満で生活している。
・1999年には約1000万人の5歳未満の乳幼児が防止可能であったはずの病気で死亡した。
・毎年50万人を超える女性が妊娠中に、または出産によって死亡している。
・約1億1300万人の児童が小学校に通っていない。(以上は注)

 9条は人間の発展のための革新的な資金メカニズムを創ろうとする努力を後押しするものである。それは軍備を規制し世界の資源の軍事費への転用を最小化すると定めた国連憲章26条を補完している。

 9条の精神は小型武器、地雷、クラスター兵器、核兵器、生物・化学兵器などを含むあらゆる軍備の拡大、拡散や、軍事産業の活動を否定する。さらに核兵器への依存を拒否し、核兵器の非合法化と廃絶を求めている。

 世界的に軍事費を削減し、限られた資源を持続可能な開発に振り向けることは、地球規模で人間の安全保障を促進し、軍事活動による環境への悪影響を軽減することにつながる。2005年7月、「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)」の世界提言は「9条はアジア太平洋地域全体の集団的安全保障の土台になってきた」と指摘した。すなわち9条が、この地域の安定に重要な貢献をしており、包括的かつ持続的な平和の構築に大きな潜在力をもっていることを認知した。東北アジアでは9条が地域の平和的統合の土台になりうる。
 市民社会は暴力に対する平和的オルタナティブをつくり出し、地元、国内、地域、世界におけるネットワークを通じて平和を構築する力をもっている。軍事主義を止め、将来の戦争を予防するために、市民社会の力を発揮していこうではないか。

 これらの目標達成のため、9条世界会議に参加した私たちは、以下の通り提言する。

(1)私たちは、すべての政府に以下のことを求めます。
*国連憲章、ミレニアム開発目標、国際人権法、核不拡散条約をはじめとする軍縮条約など、すべての国際的誓約を実行すること。
*平和のうちに生きる固有の権利認め公式化すること。平和のうちに生きる権利なしには他の人権も実現しえない。また人権侵害に対する責任および補償メカニズムを強化すること。
*平和的手段による紛争予防、平和構築、人間の安全保障のための取り組みを支持し、資金を投入すること。
*軍事費を削減し、それらの資金を、保健、教育、持続可能な社会開発に振り向けること。
*包括的で効果的な武器貿易条約を成立させること。不可逆的な軍縮をすすめる第一歩として非武装地帯を設置すること。
*平和をつくる主体として女性が果たす重要な役割を認識するとともに、あらゆる意思決定と政策策定の場に女性の完全かつ積極的な参加を相当数保証すること。
*2000年の核不拡散条約再検討会議最終文書における「明確な約束」にしたがって、すべての核兵器を廃絶するための誠実な交渉を即時に開始し、妥結すること。
*核兵器廃絶の段階的措置として、非核兵器地帯の設置をすすめること。
*地球規模の気候変動に対処することを誓約するとともに、戦争と軍事のもたらす環境への負の影響を転換すること。「国際持続可能エネルギー機関」の設立に向けて投資すること。
*国連をさらに民主的に改革するために、拒否権を廃止し、総会の役割を再活性化すること。
*日本憲法9条やコスタリカ憲法12条のような平和条項を憲法に盛り込み、戦争、国際紛争解決のための武力による威嚇と武力の行使を放棄すること。

(2)私たちは、日本政府に以下のことに取り組むことを奨励します。
*憲法9条の精神を、世界に共有される遺産として尊重し、保護し、さらに活性化しつつ、国際平和メカニズムとしての潜在力を実行に移すこと。
*軍事化の道を歩まず、東北アジアにおける不安定な平和を危機に陥れるような行動をとらないこと。
*世界各地における持続可能な開発のための人間の安全保障に注力するとともに、ミレニアム開発目標の達成という経済大国としての責任を果たすことによって、国際社会で主導的な役割を果たすこと。

(3)私たち市民社会は、以下のことに取り組むことを誓約します。
*9条の主要な原則の維持・拡大を地球規模で促進していくことに真剣に取り組み、平和の文化を普及していくこと。

 上記の誓約を含め、9項目にわたって列挙されているが、(1)、(2)の内容と重複するところもあるので、紹介するのを割愛する。

▽「平和の文化」について

 上記の(3)に「平和の文化を普及していくこと」という文言が出てくる。「平和の文化」(英文の「9条世界宣言」ではa culture of peace)は、日本では常用されてはいないように思うが、どういう意味なのか。
 私(安原)は2003年に初めてコスタリカを訪ね、コスタリカの人々と対話したとき、彼等がこの言葉を「環境の文化」と並んで多用するのに驚いた経験がある。「平和の文化」とは、「平和と文化」ではなく、「平和という文化」の意味と理解したい。いいかえれば、理念、目標としての観念的な平和ではなく、生活様式として、すなわち文化として日常的に定着している実質的な平和を指しているといえるのではないか。

 同様に「環境の文化」も「環境という文化」のことで、自然環境、地球環境を大切にすることが日常生活の中に定着しているという意味であろう。
 1949年の憲法改正によって軍隊を廃止し、浮いた財政資金を平和や環境や教育や福祉の充実に回し、大切にしているコスタリカだからこそ、こういう「平和の文化」、「環境の文化」という言葉が抵抗感なしに語られているのではないか。日本も一日も早く憲法9条の理念を丸ごと実現させて、上記の用語を日常化させたいものである。

▽「持続可能な開発」について

 「9条世界宣言」ではSustainable Developmentの日本語訳として「持続可能な開発」があてられている。しかしこの訳語はいささか疑問である。5日の分科会「シンポジウム・環境と平和をつなぐ」でもそういう疑問が出された。「開発」ではなく、「発展」の訳語の方がふさわしいと考える。

 その理由はつぎのようである。(拙著『知足の経済学』(ごま書房、1995年4月刊・参照)
 「持続可能な開発」という訳語にはつぎのような反論がある。
 つまり「開発・成長の経済学」の観念の強い日本では開発が成長と混同されやすいし、しかも「ゴルフ場の乱開発」という表現にみられるように開発によって自然破壊を連想しやすい。英語のDevelopmentがもっている「包括的な経済社会の発展」、「生活水準、福祉の向上」(健康、栄養状態、教育の達成度、基本的自由、公正な所得分配などを含む)というニュアンス、意味が開発という表現からは理解されにくい。
 ちなみに経済成長とはGNP、GDPの量的増加を指しており、広い意味の発展とは質的に異なる ― と。

 このSustainable Developmennt は1992年の第一回地球サミットのリオ宣言に盛り込まれ、地球環境時代のキーワードとして今日に至っている。当時は「開発」という訳語が多かったが、最近では「発展」が多用されている。

▽平和憲法と日米安保体制との矛盾

 「9条世界宣言」は全体として優れた宣言であることは間違いない。私(安原)は初日と2日目に参加したが、新しい歴史の息吹き、さらに胎動を肌で感じた。これまでとは質的に異なる時代が始まりつつあることを実感させてくれる世界会議であり、宣言ともいえる。しかし若干の物足りなさが残る。それは平和憲法と日米安保体制との根本的矛盾を明示していない点である。

 宣言はつぎのように指摘している。
 今日の日本の自衛隊は世界最大規模の軍隊の一つであり、アメリカは日本中に軍事基地をもっている。日米軍事協力がますます強化されるなか、日本の現実は憲法9条の精神からの乖離をいっそう深めている ― と。その通りである。

なぜ「日本の現実は憲法9条の精神からの乖離をいっそう深めている」のか。ここが問題である。「乖離」の背景には日米安保体制という軍事同盟が存在している。これは否定できない事実である。
 日米安保条約第3条(自衛力の維持発展)は「武力攻撃に抵抗する能力を維持し発展させる」と規定し、軍事力増強を明確にうたっている。これが9条の精神を蔑ろにして「自衛隊は世界最大規模の軍隊」にまで肥大化させた要因である。
第6条(基地の供与)が「アメリカは日本中に軍事基地をもっている」現実の法的根拠である。さらに「日米軍事協力がますます強化される」背景には「世界の中の安保」へと日米安保条約自体が変質・強化・拡大してきたことが挙げられる。

 憲法前文の平和生存権と9条を事実上骨抜きにしているのは、この日米安保の存在にほかならない。にもかかわらず宣言から「軍事同盟」あるいは「日米安保体制」という文言を見出すことはできない。党派を超えて幅広い平和・環境勢力を結集する ― という配慮からだとすれば、その心情が分からないわけではない。
 しかし今や軍事同盟自体が平和・環境重視の観点に立って地球上から解消されつつある時代である。「平和(=反戦と非暴力)のための地球市民社会の構築をめざす」と宣言しながら、これでは戦略の重要なひとつの柱を欠く結果となったとはいえないだろうか。

名古屋高裁の判決(4月17日)が「自衛隊のイラクでの活動は憲法違反」と断じたのに対し、自衛隊幹部の一人は「そんなの関係ねえ」と言ったことを思い出したい。「9条世界宣言? そんなの関係ねえ」という冷ややかな笑い声が聞こえてきたら、それをどう封じ込めるか。戦術のない戦略は無力になりがちだが、一方、戦略を欠いた戦術は方向性を見失う懸念がある。


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08年「憲法」社説を読んで
9条と25条と平和生存権と

 2008年5月3日は憲法施行以来61年目の憲法記念日である。大手6紙の憲法社説を読んだ。昨年は9条(軍備と交戦権の否認)改憲派の安倍首相時代であり、9条がらみの社説が多かったが、今年は一転して9条を正面から論じる社説は少ない。むしろ平和的生存権(前文)、25条(生存権)に言及する主張が目立つ。
 折しも5月4日からノーベル平和賞受賞者らも海外から参加して市民レベルの「9条世界会議」が日本で開かれる。9条を軸にして25条、平和的生存権も論議の対象になるだろう。この機会に9条の存在価値を改めて評価すると同時に25条、平和的生存権を表裏一体の関係として捉え、どう生かすかを考え、深める時ではないか。(08年5月3日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 まず大手各紙の社説(5月3日付)の見出しと内容(要旨)をそれぞれ紹介しよう。

▽東京新聞=憲法記念日に考える 「なぜ?」を大切に(主見出し)

 忘れられた公平、平等(小見出し)
 全国各地から生活に困っていても保護を受けられない、保護辞退を強要された、などの知らせが後を絶たない。憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な生活を営む権利を有する」とあるのにどうしたことか。
 最大の要因は弱者に対する視線の変化だ。
 行き過ぎた市場主義、能力主義が「富める者はますます富み、貧しい者はなかなか浮かび上がれない」社会を到来させた。小泉政権以来の諸改革がそれを助長し、「公平」「平等」「相互扶助」という憲法の精神を忘れさせ、25条は規範としての意味が薄れた。
年収二百万円に満たず、ワーキングプアと称される労働者は一千万人を超える。

 黙殺された違憲判決(小見出し)
憲法には25条のほかに「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」(27条)という規定もある。
 「戦力は持たない」(9条第2項)はずの国で、ミサイルを装備した巨船に漁船が衝突されて沈没した。「戦争はしない」(同条第1項)はずだった国の航空機がイラクに行き、武装した多国籍兵などを空輸している。
 市民の異議申し立てに対して、名古屋高裁は先月17日の判決で「自衛隊のイラクでの活動は憲法違反」と断言した。「国民には平和に生きる権利がある」との判断も示した。しかし政府は判決を黙殺する構えで、自衛隊幹部の一人は「そんなのかんけえねえ」と言ってのけた。

 国民に砦を守る責任(小見出し)
 憲法を尊重し擁護するのは公務員の義務(99条)で、国民には「自由と権利を不断の努力で保持する」責任(12条)、いわば砦(とりで)を守る責任がある。
 その責任を果たすために、一人ひとりが憲法と現実との関係に厳しく目を光らせ、「なぜ?」と問い続けたい。

〈安原のコメント〉
 一番明快ですっきりした社説という印象である。
日本国憲法の重要な条項を以下のように網羅的に取り上げて、その理念と現実との間の大きな隔たりに「なぜ?」と問い続けたい、と主張している。中学、高校の憲法学習に最適の教科書としても活用できるだろう。

*「国民には平和に生きる権利がある」(前文)
*「戦争放棄、軍備及び交戦権の否認」(9条)
*「国民の自由と権利の保持義務」(12条)
*「生存権、国の生存権保障義務」(25条)
*「労働の権利・義務」(27条)
*「憲法尊重擁護義務」(99条)
 上記の要旨では紹介しなかったが、社説で言及している条項としてつぎの三つがある。
*「主権在民」(前文)
*「公務員は全体の奉仕者」(15条)
*「表現の自由」(21条)

▽朝日新聞=日本国憲法―現実を変える手段として(主見出し)

 豊かさの中の新貧困(小見出し)
 9条をめぐってかまびすしい議論が交わされる陰で、実は憲法をめぐってもっと深刻な事態が進行していたことは見過ごされがちだった。
 従来の憲法論議が想像もしなかった新しい現実が、挑戦状を突きつけているのだ。たとえば「ワーキングプア(働く貧困層)」という言葉に象徴される、新しい貧困の問題。

 東京でこの春、「反貧困フェスタ」という催しがあり、そこで貧困の実態を伝えるミュージカルが上演された。狭苦しいインターネットカフェの場面から物語は始まる。(中略)
 最後に出演者たちが朗唱する。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。生存権をうたった憲法25条の条文だ。
 憲法と現実との間にできてしまった深い溝を、彼らは体で感じているように見えた。

 「自由」は実現したか(小見出し)
 民主主義の社会では、だれもが自分の思うことを言えなければならない。憲法はその自由を保障している。軍国主義の過去を持つ国として、ここはゆるがせにできないと、だれもが思っていることだろう。だが、この袋にも実は穴が開いているのではないか。そう感じさせる事件が続く。

 名門ホテルが右翼団体からの妨害を恐れ、教職員組合への会場貸し出しをキャンセルした。それを違法とする裁判所の命令にも従わない。
 中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国」は、政府が関与する団体が助成金を出したのを疑問視する国会議員の動きなどもあって、上映を取りやめる映画館が相次いだ。

 憲法は国民の権利を定めた基本法だ。その重みをいま一度かみしめたい。人々の暮らしをどう守るのか。みなが縮こまらない社会にするにはどうしたらいいか。現実と憲法の溝の深さにたじろいではいけない。
 憲法は現実を改革し、すみよい社会をつくる手段なのだ。

〈安原のコメント〉
結びの「憲法は現実を改革し、すみよい社会をつくる手段なのだ」に異論はない。その通りである。そういう文脈で「生存権」(25条)さらに「表現の自由」(21条)の重要性を力説している。これも同感である。

 しかし気になるのは、冒頭の「9条をめぐってかまびすしい議論が交わされる陰で、憲法をめぐってもっと深刻な事態が進行していたことは見過ごされがちだった」という分析である。誰が見過ごしたのか。一般国民か、それとも朝日新聞か。そこをはっきりさせなければ、新聞の責任という問題が雲散霧消する。

小泉政権で顕著になったいわゆる構造改革、すなわち市場原理主義(=新自由主義)が自由化、民営化をテコに弱肉強食、効率一辺倒、大企業利益を優先させる路線であることは、当初から分かっていた。多くのメディアはこういう視点を見逃していた。

▽毎日新聞=憲法記念日 「ことなかれ」に決別を 生存権の侵害が進んでいる(主見出し)

 憲法の保障する集会の自由、表現の自由が脅かされている。「面倒は避けたい」と思うのは人情だ。しかし、このとめどもない「ことなかれ」の連鎖はいったいどうしたことか。意識して抵抗しないと基本的人権は守れない。
 NHKが5年ごとに「憲法上の権利だと思うもの」を調査している。驚いたことに「思っていることを世間に発表する」こと(表現の自由)を権利と認識するひとの割合が調査ごとに下がっている。73年は49%だったのが、03年は36%まで落ち込んだ。表現の自由に対する感度が鈍っているのが心配だ。

 イラクでの航空自衛隊の活動に対する名古屋高裁の違憲判決(中略)は「バグダッドは戦闘地域」と認定し、空輸の法的根拠を否定した。対米協力を優先させ、憲法の制約をかいくぐり、曲芸のような論理で海外派遣を強行するやり方は限界に達している。そのことを明快に示す判決だった。

 この判決の意義はそれにとどまらない。憲法の前文は「平和のうちに生存する権利」をうたっているが、それは単なる理念の表明ではない。侵害された場合は裁判所に救済を求める根拠になる法的な権利である。そのような憲法判断を司法として初めて示したのである。
 ダイナミックにとらえ直された「生存権」。その視点から現状を見れば、違憲状態が疑われることばかりではないか。

 4月から始まった「後期高齢者医療制度」は高齢の年金生活者に不評の極みである。無神経な「後期高齢者」という名称。保険料を年金から一方的に天引きされ、従来の保険料より高い人も多い。「平和のうちに生存する権利」の侵害と感じる人が少なくあるまい。

 憲法で保障された国民の権利は、沈黙では守れない。暮らしの劣化は生存権の侵害が進んでいるということだ。憲法記念日に当たって、読者とともに政治に行動を迫っていく決意を新たにしたい。

〈安原のコメント〉
 名古屋高裁の違憲判決に立って、「ダイナミックにとらえ直された「生存権」。その視点から現状を見れば、違憲状態が疑われることばかりではないか」という分析、認識には賛成である。ここには「平和のうちに生存する権利」(前文)と生存権(25条)とを連結させて捉えようとする視点がうかがえる。これには大賛成である。

 結びに「憲法記念日に当たって、読者とともに政治に行動を迫っていく決意を新たにしたい」とある。その言やよし、である。
 それなら一つ問いたい。社説が高く評価するところの平和生存権と日米安保体制(今や「世界の中の安保」へと変質している)は両立するのか、どうか ― と。この一点を回避するようでは、遠からずメディアとしての責任を問われるときが来るだろうと考えるが、いかがだろうか。

▽読売新聞=憲法記念日 論議を休止してはならない(主見出し)

 この国はこれで大丈夫なのか ― 日本政治が混迷し機能不全に陥っている今こそ、活発な憲法論議を通じ、国家の骨組みを再点検したい。
 昨年5月、憲法改正手続きを定めた国民投票法が成立し、新しい憲法制定への基盤が整った。

 ところが、同法に基づいて衆参両院に設置された憲法審査会は、衆参ねじれ国会の下、民主党の消極的姿勢もあって、まったく動いていない。
 超党派の「新憲法制定議員同盟」(会長・中曽根元首相)が1日主催した大会に、顧問の鳩山民主党幹事長らが欠席したのも、対決型国会の余波だろう。
 大会では、憲法改正発議に向けて憲法問題を議論する憲法審査会を、一日も早く始動させるよう求める決議を採択した。これ以上、遅延させては、国会議員としての職務放棄に等しい。

 与野党は、審査会の運営方法などを定める規程の策定を急ぎ、審議を早期に開始すべきだ。憲法審査会で論じ合わねばならぬテーマは、山ほどある。二院制のあり方も、その一つだ。

〈安原のコメント〉
 「論議を休止してはならない」という見出しからして、すでに曖昧である。言論界の改憲派、特に9条の改定に積極的な姿勢だった読売新聞にしては腰の引けた社説と読んだ。社説全文を一読したが、9条には一切言及していない。
 読売の4月初めの世論調査によると、憲法改正反対派が賛成派を15年ぶりに上回り、逆転した。その理由は「世界に誇る平和憲法だから」が53%で、最も多かった。
 さらに朝日新聞の全国世論調査(5月3日付)によると、9条改正反対が66%、賛成が23%で、その差は拡大している。さすがの読売も世論を無視してまで、自説を貫く気骨はなかったということなのか。

 真意はそうではないだろう。上記の社説で「新しい憲法制定への基盤が整った」、「遅延させては、国会議員としての職務放棄に等しい」などと論じているところをみると、執念は捨ててはいない。

さて日経と産経は、以下の見出しから分かるように9条、25条さらに平和的生存権と密接につながる主張ではないので、要旨紹介もコメントも割愛する。
*日本経済新聞=憲法改正で二院制を抜本的に見直そう
*産経新聞=憲法施行61年 不法な暴力座視するな 海賊抑止の国際連帯参加を

▽武力で平和はつくれない―9条の実現こそ平和への道

 5月3日付の読売新聞と東京新聞に「市民意見広告運動」(事務局のTEL/FAX:03−3423−0266、03−3423−0185)による一頁全面広告が載った。上段の大見出しが「武力で平和はつくれない」であり、一方、下段の大見出しが「9条の実現こそ平和への道です」である。この意見広告は賛同者の賛同金によって実現したもので、賛同者総数は8535件(08年4月12日現在)である。広告資金となる賛同金には限りもあり、広告掲載メディアとして、改憲派で全国最大の発行部数を誇る読売と、一方、護憲派の代表的存在である東京新聞を選択したのではないかと推測する。

 「9条世界会議」(スローガンは「世界は、9条をえらび始めた」、主催は「9条世界会議」実行委員会=TEL:03−3363−7967)が5月4、5日幕張メッセ(千葉県)、5日広島、6日大阪・仙台でそれぞれ開かれる。意見広告は、この「9条世界会議」に賛同する立場をとっている。

 この世界会議にはノーベル平和賞受賞者3人がかかわっている。
 その1人は北アイルランドのマイレッド・マグワイアさん(1976年受賞)。「紛争は暴力ではなく、対話によって解決する。日本の9条はそのような世界のモデルになる」が持論で、初日の5月4日基調講演を行う。
つぎはケニアの環境運動家で、日本語の「もったいない」を世界中で提唱しているワンガリ・マータイさん(04年受賞)。「戦争のない世界へ。すべての国が憲法9条を持つ世界へ」というメッセージを会議に寄せている。
 3人目はアメリカの地雷禁止国際キャンペーンのジョディ・ウイリアムズさん(05年受賞)。「地球市民の一人として、9条を支持する。9条を日本から取り除くのではなく、世界へ広げるキャンペーンをしていこう」というメッセージを会議に届けている。

 意見広告の内容(要点)を以下に紹介する。

 日本はギョーザ(食糧)からガソリン(エネルギー)まで輸入に頼っている国です。足りなくなったら戦争で奪ってきますか? そのためにあなたは戦争に行きますか?

 こういう文章で始まる意見広告はつぎのような柱を立てて、一つ一つ説明している。
*日本は戦争しないと決めた国です
*イラク・インド洋での戦争加担は9条違反です
*自衛隊を海外に派遣する「恒久法」に反対します
*貧困社会と戦争国家は表裏一体です
*「平和を愛する諸国民」は戦争を望みません
*あなたの平和への意思が問われます

 末尾の「平和への意思」はつぎのような文である。
 憲法を変えるための「国民投票法」が2010年5月に施行されます。(中略)平和憲法を変えさせない力は私たちにあります。一人ひとりがあらゆる機会を活かし、主権者として9条改憲反対の意思を示しましょう。

▽9条と25条と平和的生存権とを結びつけ、生かす視点を

 平和憲法の中でも、今日特に重要な条文は9条、25条、さらに前文の「平和的生存権」である。しかもこの3つは相互に連関し合っており、それをどう生かすかという視点を打ち出すことが重要である。

 まず9条と25条はどのようにつながっているのか。上記の意見広告の「貧困社会は戦争国家と表裏一体」という柱に注目したい。なぜ表裏一体なのか。
 つぎのように述べている。
 「福祉予算が削られ、最低限度の生活を保障する憲法25条は実現されていない。社会的弱者や高齢者をいためつける政治がまかり通り、貧困という言葉が日常的になっている。このうえ9条を変えて自衛軍をつくり、軍事予算を増やすことなど、とうてい認めることはできない」と。

 つまり限られた財政資金の配分として「戦争国家として軍事費を優先」すれば、福祉予算は削減され、25条は空洞化し、貧困社会へ転落していく。逆に9条を生かすことによって軍事費を大幅削減ないしは全廃することによってのみ、25条の生存権は保障できることを意味している。 
 この実例は、軍隊を廃止した中米のコスタリカである。浮いた軍事費を教育、社会保障、自然環境保全に回すことによって人づくり重視、国民生活尊重の国づくりをすすめている。

憲法前文の平和的生存権とはどう結びつくのか。前文はつぎのように述べている。
 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と。
 「恐怖」とは国家権力による戦争をはじめ、多様な恐怖を指している。一方、「欠乏」とは分かりやすくいえば、貧困にほかならない。さらに人間の尊厳の否定でもある。そういう意味の恐怖と欠乏から免れることが、すなわち平和にほかならない。注意すべきは平和とは単に戦争がない状態のみを指しているのではない。恐怖と欠乏を含む多様な暴力を否定するところから平和は始まる。

 名古屋高裁のイラク派兵違憲判決は「前文の平和的生存権はあらゆる人権の基底的権利」と認めた。これは抽象的な権利ではなく、訴えを起こす根拠になる具体的な権利として認めたことを意味する。この違憲判決を尊重する視点に立てば、平和的生存権は9条、25条と連結し、相互に補完し合う関係といえる。逆にいえば、平和的生存権、9条、25条それぞれを切り離して実現させることは難しいことを意味している。


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市場原理主義者よ、腹を切れ
世界の食料危機に直面して

安原和雄
 地球規模の食料危機が深刻な局面を迎えている。しかし日本の食料自給率は先進国のなかで異常な低水準に落ち込んでおり、危機への対応力を失っている。今日の食料危機は10年以上も前から予測されていたにもかかわらず、その備えを怠ったのはなぜか。市場開放と市場原理を万能視する市場原理主義が横行したためである。
 適切な対応策を打ち出すためにはまず責任を明らかにする必要があるだろう。私は「市場原理主義者よ、腹を切れ」と言いたい。さらに自給率を引き上げていくために「食料主権の確立」と「田園価値の再生」の2本柱を掲げる時だと考える。(08年4月26日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽「緊急事態」となった世界の食料危機

 世界の食料危機についてこの20日間にメディアで報じられた記事や論評を以下にいくつか紹介する。国連事務総長は「緊急事態」との危機感を繰り返し示している。

(1)コメ急騰で「自国の食」確保の動き
・コメ先物、最高値更新続く シカゴ市場
・コメ急騰 最大輸入国フィリピンを直撃 
 世界最大のコメ輸入国フィリピンでは、今年になって国際市場での価格急騰などの影響でコメ価格が約30%も上がり、国民生活を直撃している。1000万トンの国内生産だけではまかなえず、コメ消費量の20%を輸入に依存している。
 市民行動党の下院議員は「コメの国内生産量は減っていない。農産物の市場開放一辺倒を改め、〈食料主権〉確立をめざす政策に転換せよ」と訴えている。
・ベトナムのコメ輸出制限 「自国の食」確保第一に
・輸出大国タイでコメ不足
 世界最大のコメ輸出国タイで輸出削減をしていないため、国内でコメ不足の懸念が強まっている。

(2)食材急騰が貧困層を襲う
・国際市場価格の高騰ぶり
 小麦=3.3倍(過去3年間で)
 この1年で60〜80%値上がりし、貧困層が困窮に追い込まれている。
 大豆=2.5倍 (同)
 トウモロコシ=2.5倍(同)
 コメ=2倍(この3か月で)
・穀物急騰 途上国を直撃 暴動で死傷者多発 広がる「自国分確保」
・食材高騰 貧困層襲う 米国学校給食ピンチ
 米メディアによると、給食の値上げを発表する学校が全米各地で相次いでいる。貧困問題を抱える米国にとっては、学校給食が子どもたちの命綱ともなっている。
・中南米諸国、食料値上げ 新たに極貧状態1500万人 国連ラテンアメリカ・カリブ海経済委員会(ECLAC)が警告

(3)飢えたる者たちの反乱も
・食料高騰 国連世界食糧計画(WFP)が警告
 30か国が食料危機になり、うち23か国が「深刻な情勢」と警告を出している。また世界的な食料価格の高騰を「静かな津波」と警告する声明を発表した。声明は「価格高騰はWFPの45年の歴史で最大の課題だ。静かな津波はすべての大陸で1億を超える人々を飢餓に陥れる恐れがある」と述べている。
・飢えたる者たちの反乱
 世界中でコメや小麦、トウモロコシの価格が過去最高になっている。数百万の人々が飢える一方で、価格高騰を招いた要因は何一つとして解決される気配がない。食料価格の高騰は各地で社会不安の引き金になりつつある。日々のパンを手に入れることができない持たざる者の怒りは、政府を倒しかねない。
・食品高騰 貧しい人々への「大量殺人」
 国連特別報道担当官は、経済のグローバル化による富の独占や多国籍企業による投機を「構造的暴力」と批判した。食品高騰で貧しい国が苦しんでいる現状について「飢餓はマルクスが考えたように、避けられない運命というわけではない。むしろ犠牲者の背後に殺人者がいるというべきだ」と指摘した。さらにいつの日か、飢えに苦しむ人々は、その迫害者に対して立ち上がるかもしれないとして、「これはフランス革命が可能だったように可能だ」と述べた。

(4)食料サミットの開催へ
・食料への投機禁止を 研究者が英紙へ寄稿
 ロンドン大学の世界保健研究所長は、ガーディアン紙につぎのように書いている。「食料価格高騰は、農産物市場への投機がつくりだした。食品は投機の対象から外されるべきだ。市場の変動で儲ける者は、多数の母親やこどもたちの命を犠牲にしている」と。
・バイオ燃料の増大が貧困層の食料脅かす FAOが警告
国連食糧農業機関(FAO)の中南米地域会議は「エタノールなどバイオ(生物)燃料への農作物(サトウキビ、トウモロコシ、大豆など)利用が急速に進めば、食料生産にマイナスとなり、食料不安の恐れがあり、貧困層の食料入手が脅かされる」と警告している。
・国連、食料サミットを検討 価格急騰の混乱で
 国連は食糧価格の急騰による世界的な混乱を受け、国連事務総長が、世界の首脳らを集めて対策を話し合う「食糧サミット」の開催を検討していることを明らかにした。事務総長は「緊急事態」との危機感を繰り返し示している。
・食糧問題も洞爺湖サミットの主要議題に

〈安原のコメント〉
多様なメディアをまとめて目を通してみた印象は、食料危機の深さと広がりが予想を超えて進みつつあるということである。「構造的暴力」、「飢えたる者たちの反乱」、さらに「フランス革命の二の舞」という認識さえうかがうこともできる。需要供給のアンバランス、という市場原理主義的な捉え方ではつかめない危機といえる。
 現存秩序の根っこからの改革なしに修復は難しいという印象がある。危機を経て、新しい未来を創造するための歴史的かつ地球規模の陣痛が始まっているのではないか。

▽食料危機は10年以上も前から予測されていた

 私(安原)は今から13年前の1995年はじめの時点で拙著『知足の経済学』(ごま書房、1995年4月刊)で「自給率の低下と世界的な食糧不足」という見出しでつぎのように指摘(趣旨)した。

 日本はすでに食糧輸入大国であり、その結果、食糧自給率がいちじるしく低下している。無神経に自給率の低下を放置してきたのは先進国では日本だけである。
 このように日本の食糧自給率が低下しているときに、実は世界的な食糧不足が急速に進行しつつある。暖衣飽食の中で大量の食べ残しを平然とやってのけるのが当たり前の風景になっている多くの日本人には想像を絶することであるにちがいないが、世界的な食糧危機はすでに始まっている。阪神大震災が突如襲ってきたきたように食糧不足もある日突然日本列島に襲いかかってくるかもしれない。

 世界の1人当たりの穀物生産は、1984年を境に減少に向かっている。穀物生産の伸び悩みは決して一時的な現象ではない点に深刻な問題がひそんでいる。なぜなら大気汚染、土壌浸食、地下水の消耗、土壌有機物の減少、潅漑地の塩害などを背景に耕地の生産性向上が頭打ちになっているからである。いわば地球規模大の環境破壊が穀物生産に深刻な影を投げかけているともいえるのである。
 近い将来、飢餓に苦しむ人々が大群となって越境移動する可能性もすでに指摘されている。対応策は、先進国での1人当たりの穀物消費量を大幅に削減し、食生活の水準を落とす以外にない。いまのところ先進国とりわけアメリカと日本では飽食、片や発展途上国では欠食というアンバランスの状態になっているが、先進国だけがいつまでも安閑としていられる状況にはない。やがて地球上のあちこちで食糧争奪戦が始まる可能性があるといっても過言ではない。

〈安原のコメント〉
 以上の記述は私の独断ではなく、当時、世界の心ある人々は指摘していた。しかし飽食の最中にあり、しかもバブル経済の後始末でウロウロしていた当時の日本では多くの人の耳には届かなかった。末尾の「地球上のあちこちで食糧争奪戦が始まる可能性」はすでに現実化している。私に悔いが残るのは、「もっと大きな声で警告すべきであった」に尽きるような気がしている。

▽自給率の異常な低水準を招いた責任を問う

 日本の食料自給率(カロリーベース)は1965年の73%から低下し続け、2006年以来39%という先進国では異常な低水準で推移している。また穀物自給率(重量ベース)は1965年の62%から06年には27%にまで落ち込んでおり、これも人口1億人以上の国の穀物自給率としては最低である。最下位から2番目のメキシコが64%で、日本の2倍以上となっている。

 なぜこのような異常な低水準を招いたのか。その責任は市場メカニズムを万能視し、農畜産物の市場開放に積極的に動いた政治家、経済人、官僚、研究者ら一群の市場原理主義者にあるといえる。
 
 日本は1995年にコメの部分開放(注)へ政策転換した。
 (注)部分開放の内容は、コメの自由化を猶予される代わりにとりあえず95年からミニマム・アクセス(最低輸入義務量)として国内消費量約1000万トンの4〜8%に相当する外国産米を輸入するというものである。

 当時のコメ開放に関する市場原理主義者(=市場開放論者)の言い分は以下のようであった。
*コメの開放は経済合理性に基づいた当然の政策である。国内産のコメが海外に比べて割高である以上、安い外国産を輸入するのは合理的である。
*コメに限らない。他の食糧についても海外から輸入した方が目先き有利であれば、大いに輸入し、その結果、食糧自給率が低下しても当然である。
*国際化(海外からの自由化の要求)への対応こそ重要である。日本は工業製品の輸出によって巨額の貿易黒字を稼いで、海外の市場開放の恩恵を受けているのに、一部にせよ、自国の市場を閉鎖状態にして置くことはもはや通用しない。

 こういう考え方は、米国をはじめとする海外からの日本に対する農産物市場の自由化(=開放)要求を受け容れるのに都合のいい理屈であった。しかもカネの裏付けのある有効需要、つまり輸入需要があるかぎり、海外からの食料供給は無限であろうということを暗に前提にしている。
しかしこの前提条件が最近の食料危機で崩壊してきた。食料輸出国では「自国分」の確保を最優先する動きが高まってきているからである。こういう事態は予測できたにもかかわらず、市場開放論者すなわち市場原理主義者は無視した。その責任は甚大だというべきである。

 私は「市場原理主義者よ、腹を切れ」と言いたい。この一見過激にみえるが、実は至極もっともな言い分は、私の独創ではない。奥田硯・前日本経団連会長、現トヨタ自動車相談役が日経連会長、トヨタ自動車会長だった頃、「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ」(『文藝春秋』1999年10月号)と論じた。私はこの論文を読んで、「経営者にも骨のある人物がいるのか」と企業の安易なリストラ(人員削減)旋風が吹き荒れていた当時、感銘したのを今思い出している。その言い分にあやかったにすぎない。
 ただ市場原理主義者の責任を追及するだけで事足れり、とするわけにはゆかない。自給率を向上させ、食料危機を乗り越えるには何が求められるのか。必要不可欠な条件として「食料主権の確立」と「田園価値の再生」を掲げたい。

▽「食料主権の確立」をめざして

 食料主権(Food Sovereignty)という概念は、1996年世界食料サミットにおけるNGO・世界フォーラムの声明で初めてうたわれた。「すべての国は、自国にとって適切と考えられるレベルの食料と栄養価を自給する権利を有し、それによっていかなる報復もこうむるようなことがあってはならない」と。
 こういう食料主権が打ち出された背景にはつぎのような事情があった。
*地球上における8億5000万人の飢餓・栄養不足人口の存在
*その背後にある伝統的小農業・家族農業の解体、自給の崩壊、農民の土地からの引き剥がし
*世界貿易機関(WTO)発足によって自由貿易がすべてに優先する体制へ転換

 さらに世界の社会・民衆運動の一つ、「農業改革と農村の発展に関する国際会議」(2006年3月開催)に提出された文書、「食料主権に基礎をおいた農業改革」は「政府がやるべきこと」(公正な政策)としてつぎの諸点を挙げている。
*すべての農漁民に十分で適切な価格を保障する。
*安い輸入農産物から国内産を守る権利を行使する。
*国内市場で生産を調整する。
*農業生産の永続性を壊し、不公正な土地保有形態を推し進めたり、資源や環境を壊すような国内補助金を削減する。(以上は、ブログ「大野和興の農業資料室」から)

 日本消費者連盟編『食料主権』(緑風出版、2005年刊)はつぎのように述べている。
 「食料主権には、食物を作る権利だけでなく、選ぶ権利、安全に食べる権利など生存権ともいえる幅広い権利が含まれる。グローバリゼーションにより農業生産や食料への企業支配が強まった結果、自然・生命・人権の侵害が起きて貧困は拡大している。世界の農民・消費者運動が多国籍企業やWTOなどに対抗するために掲げ、追求しようとしているのが食料主権である」と。

 国連人権委員会が採択した食料主権に関する決議(2004年)はつぎのように指摘している。
 「各国政府に対し、人権規約に従って〈食料に対する権利〉を尊重し、保護し、履行するよう勧告する。〈食料に対する権利〉に重大な否定的影響を及ぼし得る世界貿易システムのアンバランスと不公平に対しては、緊急の対処が必要である。〈食料主権〉のビジョンが規定しているように、食料安全保障と〈食料に対する権利〉に優先順位を置くような農業と貿易のための新たな対抗モデルを検討すべきである」と。
 この決議はWTOや多国籍企業が求める市場原理主義的な自由化に反旗を掲げている。この決議に反対したのは市場原理主義の総本山、米国だけで、日本政府は賛成している。

 食料主権は、一見してかつての農業保護論に逆戻りするための権利かという誤解を招くかもしれない。そうではない。強調したいのは工業はいのちを削る産業だが、農漁業は本来いのちを育てる産業であるという特質の違いである。工業と違って効率一辺倒では育たないことを指摘したい。農漁業はそもそも弱肉強食のすすめを根幹に据える市場原理主義とはなじまない。そういう配慮を怠った結果が日本の自給率の異常な低下である。食料主権をどう広げ、定着させていくかが緊急の課題となってきた。

▽多面的な「田園価値」の再生に取り組むとき

 水田、畑、里山、森林、湖沼、河川などからなる広い意味の田園には2つの役割がある。
 1つはコメ、野菜、果物、山菜、酪農品など市場価値の生産・供給である。これは食料の供給基地としての役割である。
 もう1つは私が「田園価値」と呼んでいるもので、食料のような市場価値とは違って田園が本来持っている非市場価値を指している。この田園価値は市場での交換価値はないが、一人ひとりの生活にとってなくてはならない貴重な価値である。そういう田園価値は、田園の多面的機能あるいは外部経済機能(=「外部経済」効果、つまり市場メカニズムを経ないで暮らしや経済活動に及ぼすプラスの影響、効果)ともいわれるもので、具体的には次の3つに大別できる。

(1)国土・生態系の保全機能
・自然のダム機能=洪水の防止に貢献
・地下水の補給
・表土のエロージョン(浸食、流失)の防止と土壌の保全
・自然の多様な動植物からなる生態系の保全

(2)自然・環境の保全機能
・美しい田園(棚田も含めて)、きれいな川、緑地など景観の保全と創造
・大気の保全・浄化や汚水の分解
・静かな環境の形成と維持
・自然のエア・コンディショナーとしての効果

(3)社会的、教育的、文化的機能
・都市文明限界論=工業社会の行き詰まりによる農業(本来は低エントロピー、つまり汚染度の低い生産の場)の価値の再評価
・都市と農山村の交流=食べ物、祭、演劇、音楽、スポーツによる交流
・田園の教育的効果=子どもの山村留学、原始生活、児童農園などでの体験を通じて四季の変化が豊かであること、大自然や農業が生命を育てる世界であることを学ぶこと
・田園における人間性(安らぎ、くつろぎ、優しさ、こころの癒しなど)の回復
・コメ文化(=稲作の文化性)、特に個性に富む日本酒と和食の文化(=料理、食器などの多様性) (祖田修著『コメを考える』、岩波新書)

 以上のような田園価値は主として非市場価値だから、貨幣価値に換算しにくいが、試算による評価総額は約8兆2000億円(農水省が2001年に公表)にのぼる。これは、農業総産出額8兆3000億円(07年)に匹敵する。
 また多面的な田園価値の総評価額、つまり森林農地の洪水防止機能、地球温暖化抑制機能、水田の水質浄化機能などの便益から、水質汚濁など環境面への負荷を差し引いて得られる評価額は約37兆円という試算もある。要するに田園は総体として自然と人間にとって不可欠の巨大な価値を創造している。

自由競争と私的利益の追求を説いたことで知られるアダム・スミス(1723〜90年、イギリスの経済学者)でさえ、古典的著作『国富論』で農村と田園生活の魅力についてつぎのように述べていることを紹介したい。
 「田舎の美しさ、田園生活の楽しさ、それが保証してくれる心の平穏さ、― これらはあらゆる人を引きつける魅力をもっている」と。

このような田園価値を再生し、大切に育てていくことは一人ひとりの生活の質的な向上にとって欠かせない。ところが現実には日本の田園は粗末に扱われ、破壊されてきた。食料自給率の向上と田園価値の再生は表裏一体の関係にある。今こそ田園価値の再生を重視し、取り組むときである。


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空自の武装兵士空輸に違憲判決
「後方支援は参戦」の認識を

安原和雄
 名古屋高裁は08年4月17日の判決で「航空自衛隊がイラクの首都バグダッドに武装した多国籍軍兵士を空輸していることは、憲法9条違反」との判断を示した。これは「空輸は多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援」という認識に立っている。最前線の戦闘行為を支える後方支援(兵員、石油などの輸送補給)についてわが国では戦闘行為とは異質という認識が多いが、実は両者は表裏一体の関係にある。
 この判決をきっかけに「後方支援は事実上の参戦」という認識を広く共有する必要があると考える。そうでなければ反戦・平和、憲法9条の理念を確かなものにしていくこともおぼつかなくなるだろう。(08年4月18日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)


▽大手新聞はどう論じたか ― 明快な東京新聞の社説

 大手各紙の社説(4月18日付)はどう論じたか。まず各紙の見出しを以下に紹介する。

東京新聞=イラク空自違憲 『派兵』への歯止めだ
朝日新聞=イラク判決 違憲とされた自衛隊派遣
毎日新聞=イラク空自違憲 あいまいな説明は許されない
読売新聞=イラク空自判決 兵輸送は武力行使ではない
日経新聞=違憲判断を機に集団的自衛権論議を

 以上の見出しをみるだけで、その主張の方向は明らかだが、もう少し要点を紹介する。

*東京新聞
 航空自衛隊のイラク派遣は憲法九条に違反している。名古屋高裁が示した司法判断は、空自の早期撤退を促すもので、さらには自衛隊の海外「派兵」への歯止めとして受け止めることができる。
 もう一つ、今回の違憲判決が明確にしたのは、自衛隊海外派遣と憲法九条の関係である。与党の中には、自衛隊の海外派遣を恒久法化しようという動きがある。しかし、九条が派遣でなく「派兵」への歯止めとなることを憲法判断は教えた。

〈コメント〉一番すっきりした主張である。事実上の「派兵」を「派遣」、つまり「人道的支援」と言いくるめてきた政府見解に平和憲法の精神から批判を加え、判決を「派兵への歯止め」と評価している。

*朝日新聞
 あのイラクに「非戦闘地域」などあり得るのか。武装した米兵を輸送しているのに、なお武力行使にかかわっていないと言い張れるのか。戦闘が続くイラクへの航空自衛隊の派遣をめぐって、こんな素朴な疑問に裁判所が答えてくれた。いずれも「ノー」である。
 日本の裁判所は憲法判断を避ける傾向が強く、行政追認との批判がある。それだけにこの判決に新鮮な驚きを感じた人も少なくあるまい。
 本来、政府や国会をチェックするのは裁判所の仕事だ。その役割を果たそうとした高裁判決が国民の驚きを呼ぶという現実を、憲法の番人であるはずの最高裁は重く受け止めるべきだ。

〈コメント〉一読して判決に好意的な印象がある。ただ読み直してみると、「判決が国民の驚きを呼ぶという現実」という認識が気になる。司法の判断の多くがゆがんでいると言いたいのだろうが、素直に喜んでいる国民も少なくないことを指摘しておきたい。

*毎日新聞
 重要なのは、判決がイラク国内の紛争は多国籍軍と武装勢力による「国際的な武力紛争」であるとの判断に基づき、バグダッドを「戦闘地域」と認定したことだ。政府がイラクでの自衛隊の活動を合憲だと主張してきた根拠を根底から覆すものだからだ。
 政府は判決を真摯(しんし)に受け止め、活動地域が非戦闘地域であると主張するなら、その根拠を国民にていねいに説明する責務がある。
 さらに、判決が輸送対象を「武装兵員」と認定したことも注目に値する。政府はこれまで、空自の具体的な輸送人員・物資の内容を明らかにしてこなかった。
 政府は、輸送の具体的な内容についても国民に明らかにすべきである。

 〈コメント〉政府に「説明を求める」ことが主張の軸になっている。しかし判決は「戦闘地域」、「武装兵員」と認定し、政府のごまかし答弁を覆した。政府が「判決の通り」と説明するはずはないのだから、判決を素直に評価したい。

*読売新聞
 イラクでの自衛隊の活動などに対する事実誤認や、法解釈の誤りがある。極めて問題の多い判決文である。
 市民団体メンバーらが空自のイラク派遣の違憲確認と差し止め、損害賠償を国に求めていた。判決は、原告の請求をいずれも退けた。違憲確認の請求についても「利益を欠き、不適法」と判断している。それなのに、わざわざ傍論で「違憲」との見解を加える必要があったのだろうか。
 国は、訴訟上は勝訴したため、上告できない。原告側も上告しないため、この判決が確定する。こうした形の判例が残るのは、好ましいことではない。

 〈コメント〉読売の社説は、二人三脚の姿勢で政府擁護論に立ってから久しいが、改めてそれを感じさせる。社説の主張、「傍論で違憲との見解を加える必要があったのか」について町村信孝内閣官房長官は早速記者会見で、「私もそういう印象を受けた」という趣旨の発言をした。

*日本経済新聞
 私たちは国連平和維持活動(PKO)や多国籍軍の平和構築活動に対し自衛隊が協力をするに当たり、戦闘活動には参加すべきでないが、後方支援には幅広く参加すべきであると考えてきた。このためには集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更が必要となると指摘してきた。
 福田首相は、自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法(一般法)案をまとめ、今国会提出に向けて与党内調整を進めるよう指示している。
 集団的自衛権の解釈変更をめぐる議論に目をつぶったままで恒久法を制定すれば、いま起きている混乱は続く。名古屋高裁の判断は、福田政権のちぐはぐな姿勢に対する批判のようにも見える。

 〈コメント〉後方支援を奨励する主張である。そのためには米国の戦争を支援するための「集団的自衛権の行使」ができるように憲法解釈を転換せよ、と論じている。こういう受け止め方には当の裁判官は目をぱちくりさせるのではないか。

▽弁護団声明 ― 「憲法と良心にしたがった歴史的判決」

 判決を受けて出された弁護団の声明(趣旨)を以下に紹介する。これは一般メディアではほとんど報じられていない。

(1)画期的な違憲判決である
 2008年4月17日、名古屋高等裁判所民事第3部(青山邦夫裁判長、坪井宣幸裁判官、上杉英司裁判官)は、自衛隊のイラクへの派兵差し止めを求めた事件の判決で、「自衛隊の活動、特に航空自衛隊がイラクで現在行っている米兵等の輸送活動は、他国による武力行使と一体化したものであり、イラク特措法、憲法9条1項(注・安原)に違反する」との判断を下した。
 加えて、判決では、平和的生存権は全ての基本的人権の基礎にあってその享受を可能ならしめる基底的権利であり、単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまるものではないとし、平和的生存権の具体的権利性を正面から認めた。
 この違憲判決は、日本国憲法制定以来、日本国憲法の根本原理である平和主義の意味を正確に捉え、それを政府の行為に適用したもので、憲政史上最も優れた、画期的な判決である。判決は、結論として控訴人の請求を退けたものの、原告ら全ての人々にとって、極めて価値の高い実質的な勝訴判決と評価できる。

(注)憲法9条1項(戦争放棄)はつぎのとおり。
 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

(2)自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の意義
 1990年の湾岸戦争への自衛隊掃海艇派遣以来、自衛隊の海外活動が次々に拡大され、その間、全国各地で絶えることなく自衛隊の海外派兵が違憲であるとする訴えを市民は提起し続けてきた。しかし、裁判所は一貫して司法判断を避け、門前払いの判決を示し、憲法判断に踏み込もうとしなかった。
 しかし、今回のイラクへの自衛隊の派兵は、これまでの海外派兵とは質的に大きく異なる。
 第一は、アメリカ、ブッシュ政権が引き起こしたイラク戦争が明らかに違法な侵略戦争であり、自衛隊のイラク派兵はその違法な侵略戦争に加担するものだということ。
 第二は、自衛隊のイラク派兵は、日本国憲法下においてはじめて「戦闘地域」に自衛隊が展開し、米軍の武力行使と一体化する軍事活動を行ったこと。これは日本がイラク戦争に実質的に参戦したことを意味している。
 この裁判は、このような自衛隊のイラク派兵が、日本国憲法9条に違反し、日本国憲法が全世界の国民に保障している平和的生存権を侵害していると原告らが日本政府を相手に訴えたものである。

 日本政府は国会でもイラクで自衛隊が行っている活動の詳細を明らかにせず、実際には参戦と評価できる活動をしている事実を覆い隠し、本訴訟においても事実関係については全く認否すら行わない異常な態度を最後まで貫いた。国民には秘密の内に憲法違反の自衛隊派兵の既成事実を積み重ねようとする許しがたい態度である。
 私たちはこの裁判で、自衛隊の活動の実態を明らかにするとともに、日本政府が国民を欺いたままイラク戦争に参戦していることを主張、立証してきた。そして、行政府が立法府にも国民にも情報を開示しないまま、米軍と海外で戦争をし続ける国作りを着々と進めている現実の危険性を繰り返し主張してきた。
 今、行政府のこの暴走を食い止めるのは、憲法を守る最後の砦としての役割が課せられている司法府の責任であることを強く主張してきた。

(3)憲法と良心にしたがった歴史的判決
 判決は、原告の主張を正面から受け止め、イラク派兵が持つ歴史的な問題点を正確に理解し、憲法を守る裁判所の役割から逃げることなく、憲法判断を行った。
 判決は、憲法9条の規範的意味を正確に示した上で、航空自衛隊が現実に行っている米兵の輸送活動を、憲法9条が禁止する「武力行使」と認定し、明らかに憲法に違反していると判断した。
 自衛隊の違憲性については、過去に長沼ナイキ基地訴訟第一審判決(札幌地裁、昭和48・9・7)で、自衛隊を違憲とした判断が唯一見られるだけで、それ以後、自衛隊及びその活動の違憲性を正面から判断した判決は一つとして見られない。高裁段階の判断としては、本日の名古屋高裁民事第3部の判決が戦後唯一のものである。憲法と良心に従い、憲法を守り、平和と人権を守るという裁判所の役割を認識し、勇気をもって裁判官の職責を全うした裁判官に敬意を表する。

 本判決は、我が国の憲法裁判史上、高く評価される歴史的判決として長く記憶されることになるであろう。
 また、この判決は、この裁判の原告となった3000名を越える市民(全国の同種訴訟に立ち上がった5000名を越える市民)が声を上げ続けた結果、生み出されたものである。日本国憲法の価値を示す画期的な判決として、この判決を平和を願う全ての市民とともに喜びたい。

(4)自衛隊はイラクからの撤兵を
 我が国は三権分立を統治原理とし、かつ法の支配を統治原理としている立憲民主主義国家である。
 三権の一つであり、かつ高等裁判所が下した司法判断は、法の支配の下では最大限尊重されるべきである。行政府は、立憲民主主義国家の統治機関として、自衛隊のイラク派兵が違憲であると示したこの司法判断に従う憲政上の義務がある。
 私たちは、今日このときから、この違憲判決を力に、自衛隊のイラクからの撤退を求める新たな行動を開始する。同時に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」し、「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」した日本国憲法の理念を実現するための行動を続ける。

2008年4月17日
自衛隊イラク派兵差止訴訟の会
自衛隊イラク派兵差止訴訟弁護団

▽「後方支援は参戦」という認識を共有するとき

 私(安原)が今回の判決文で特に注目したのはつぎの一節である。
 「現代戦において輸送等の補給活動もまた戦闘行為の重要な要素である」と。
 これは現代戦に関する捉え方としては欧米では常識とされている理解である。要するに「戦闘の最前線での殺傷行為」と「後方からの補給支援」(兵員、石油、弾丸、食糧、医薬品などの補給)とは切っても切れない表裏一体の関係にあるという事実である。兵員、石油などの補給がなければ、前線での戦闘行為は不可能である。

 この認識を土台にして、判決はイラクの首都バグダッドは戦闘地域であること、さらにそのバグダッド空港へ武装した多国籍軍兵士を航空自衛隊が空輸していることは、多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援であり、他国による武力行使と一体化した行動である、という判断を下している。いいかえれば後方支援は、すなわち事実上の参戦(判決では参戦という文言は見当たらない)を意味している。
 この点は、上記の弁護団声明にあるように弁護団は「自衛隊は、米軍の武力行使と一体化する軍事活動を行い、日本がイラク戦争に実質的に参戦したことを意味している」と主張してきた。その趣旨が判決で受け容れられた。その意味では判決は後方支援について憲法違反という的確な判断を下したといえるのではないか。

 私は戦争にからむ後方支援問題にいささかこだわりたい。その理由は以下のようである。
 第一に平和・反戦に関心のある人たちの間でも後方支援は戦闘行為にはつながらないという認識が多いからである。だから日本はまだ戦闘行為で他国の人を殺傷したことがないという安心感、責任回避論に逃げ込む。しかし事実上の参戦によって殺傷に手を貸しているとなれば、話は違ってくる。罪名はともかく有罪であることは免れない。

 第二に在日米軍基地を足場に米軍は先制攻撃論に基づいて出撃している。ベトナム戦争、湾岸戦争、そして今回のイラク攻撃は在日米軍基地が存在しなければ米軍の戦争遂行は困難を極めたであろう。日米軍事同盟下での後方支援の典型である。

 第三に憲法9条のお陰で日本は外国で殺傷行為に走ったことはない、という考え方が根強い。しかし後方支援も同時に戦闘行為であるとすれば、9条の条文は健在だが、その理念は事実上骨抜きになっていることを意味する。
 従って9条の理念を取り戻し、どう生かしていくかが課題となる。いいかえれば、平和は「守る」ものではなく、いまや「つくっていく」ものに変化している。「憲法を守れ」「平和を守ろう」という受身の発想では肩すかしを食わされる懸念がある。

 私は法律解釈論では素人だが、今回の判決が画期的だと考えるのは以上のような文脈からである。海上自衛隊による給油活動も後方支援である。だからこそ日本政府も米軍もこだわっている。「日本は戦争に参加している」という批判を海外から浴びないようにするためにも、後方支援に目を光らせよう!それが憲法9条、さらに平和を名実ともに守り、生かす道である。


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昔ベテラン、いま初心者
〈折々のつぶやき〉36

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉36回目は元旦(1月1日)以来で、ちょっと間があきすぎました。題して「昔ベテラン、いま初心者」です。(08年4月16日掲載)

 毎日新聞(08年4月3日付)に企画特集〈800人の読者から寄せられた「珠玉の言葉」― 次世代へのメッセージ〉が載っています。私(安原)としてはすべての言葉に「なるほど」と感じ入るほかありませんが、全文をここに収録するわけにもゆきませんので、以下にいくつかを紹介します。それぞれの下段の文は安原のコメントです。

▽「珠玉の言葉」(1)― 大切なものは、目に見えない

*いのちは、つなぐもの
 簡単に人の命を奪う世の中になってしまった。命はつないでいくものであって、消すものではない。(会社管理職、54歳)
 その通りですね。人を生かすことによってこそ自分も生きることができるはずですから。
命は一人だけでは存在しません。俗に言えば「持ちつ持たれつ」ですが、「多様な相互依存関係」つまり共生の中でのみつづいてゆきます。

*降り止まない雨なんてない
 どんなにつらいことがあっても、それがずっと続くわけじゃない。つらいときはそのことしか考えられなくなってしまうけれど、必ず時間が解決してくれるんですよね!(学生、22歳)
 若くしてつらい体験を味わったのでしょうか。失望のつぎには希望を見出すことができる ― これを信念とする生き方ほど充実感のある人生はないようにも感じます。

*がんばらない
 人に対して「頑張れ」という言葉をかけることは励ましとともに時に追い込んでしまうこともある。(公務員、27歳)
 われわれ日本人は「頑張れ」が口癖になっています。激しい競争のせいでしょうか、それとも思いやりのゆえでしょうか。「のんびり、気楽に行こうよ」と声をかけた方がかえって励ましになることもあります。

*ほんとうに大切なものは、目に見えない
 心の豊かさも、愛も、友情も目に見えません。「感じるこころ」が大切なんだと、あらためて気づかされた「ことば」です。(専門職、35歳)
 大切なものはマーケットでお金を出しても求めることができない、と言い直すこともできるのではないでしょうか。愛も友情も近くのコンビニで買うことはできませんから。

▽「珠玉の言葉」(2)― 人を恨むな羨むな

*他人を咎(とが)めんとする心を咎めよ
 いつものように「早く勉強しなさい!」と子供をしかりながらめくった日めくりカレンダーにあった言葉。あまりの直球にグサッときました。(主婦、52歳)
 叱り方はなかなかむずかしいものです。やはり自己反省から出発しなければ、相手も耳を傾けてはくれないということでしょうか。

*人間万事塞翁(さいおう)が馬
 ストレスは強引に抑え込んできましたが、45歳あたりからストレスは受け流すものと悟り、座右の銘としました。(自営業、55歳)
 これは中国の故事で、人生の禍福は転々として予測できないことのたとえです。日本では福ばかりではなく禍がつきものだ、という悲観主義寄りの理解が多いと思いますが、中国ではむしろ禍のつぎには福が来るという楽観主義による理解が多いとされています。

*頭の中にたくさんの引き出しを作りなさい
 何でもてきぱきこなす有能な上司に「すごいですね」と言ったら、返ってきた言葉。(無職、73歳)
 発想(選択肢)の多様性を重視する姿勢と理解できます。「これに失敗したら、どうしよう」なんて固い発想では、手足が硬直して、うまく行くはずのものまで失敗してしまいます。これが分かっている上司殿はたしかに「すごいですね」。

*(相手の)顔を見て話そうよ
 職場の若い同僚が「メールでけんかして、メールで仲直りした」という話を聞き、驚くばかり。(看護師、52歳)
 たしかに顔を見つめ合って話をする若者が少なくなっています。論理にせよ、感覚にせよ、向き合って理解し合うことが少なくなってきたのでしょうか。まさか赤ん坊もメールで手に入れることができると思っているわけではないでしょうね。

*人を恨(うら)むな羨(うらや)むな
 常に自分に言い聞かせています。自分は凡人で、ともすれば他人と比較して悩んだり苦しんだりしがちです。またその原因を他者に求めてしまいがちです。(会社員、45歳)
 比較する、という感覚を捨てたら楽になれるように思います。比較感から出てくるものは、勝敗、多少、大小、上下、賢愚、優劣、美醜、禍福、運不運などです。それへのこだわり―これこそ煩悩です―を捨てることができれば、― むずかしいといえば、むずかしいのですが ―「我が道を行く」わけですから、人生はおもしろくなってきます。
どうしても比較感を棄てられないなら、もう一人の自分との比較です。中国の古典『老子』に「己(おのれ)に勝つ者、つまり己の欲望に打ち克つ者は真の強者」とあります。

▽「いま初心者」のすすめ ― その心は?

*昔ベテラン、いま初心者
 「昔ベテラン、いま初心者」の心は、ベテラン意識を捨てよう!です。実は私(安原)が最近痛感していることです。毎日新聞の「珠玉の言葉」から離れますが、「いま初心者」のすすめを強調したい理由は以下のようです。

 ここ数年来いわゆるベテランが事故に遭うケースが目立ちます。最近の事例ではホタテ漁解禁の4月5日未明、青森市沖の陸奥湾内でホタテ漁船「日光丸」(8人乗り)が遭難し、全員が死亡あるいは行方不明となりました。船長は市漁協の組合長を務めるベテランでした。

 にもかかわらずなぜ遭難という悲運を避けられなかったのでしょうか。朝日新聞(4月6日付)によると、ある漁師は「50年近く漁師をやってきて経験したことのない突風が吹いた」と語っています。注目したいのは、「経験したことのない突風」という発言です。
 雪崩などによる真冬の雪山遭難も増えてきました。必ずといっていいほど「あのベテランがなぜ?」という声があがります。これまでの経験でいえば、起こるはずのない場所で雪崩が発生するケースもありました。

 ベテランとは経験豊かで、その経験に基づいて判断、対処法を誤ることがない人のことでしょう。ところが最近、経験がものを言わなくなってきました。なぜなのか?
 一つの背景として地球温暖化など気候の変化を挙げることができます。経験したことのない変化に直面する場合、その予測も含めてうまく対応できないのはベテランも初心者も大差ないといえます。

 気候激変などの自然現象に限りません。変化、改革の時代だからこそ政治、経済、社会の諸事象についてもいえることです。まずベテラン意識を捨てることから出直す以外に手はなさそうです。「昔ベテラン、いま初心者」の心構えです。

 そういえば、世阿弥著『風姿花伝』(岩波文庫)に「初心を忘るべからず」があります。これは芸の分野での戒めですが、あらゆる分野に通用することです。
 福田首相の評価が最近急降下しています。政界ではベテランのはずの福田首相も、国民の声に謙虚に耳を傾けるという初心をどこかに置き忘れているためでしょう。


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憲法9条、世界遺産に登録
市民団体10年越しの夢、実る

安原和雄
 画期的な大ニュースが飛び込んできた。平和憲法9条が世界遺産に登録されたというのである。これは政府の努力による成果ではなく、市民団体の10年越しの夢が実ったものである。東京新聞など一部のメディアは早速紹介しているが、どういうわけか大手メディアは報じていない。市民メディアの『卯月新報』号外(2008年4月1日付)がくわしく伝えているので、要旨を以下に紹介したい。(08年4月10日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 この号外新聞は4月1日、東京9カ所(日比谷、丸の内、高田馬場、上野、銀座、池袋、原宿、渋谷、新宿)のほか、札幌、大宮、横浜、名古屋、大阪、広島、福岡の7カ所の計16